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精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する  作者: きりま
二章 彷徨いの巡礼者

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六十八話 兆し

 昼の休憩時間中、商人が手の平大の紙束を整頓し、まとめていた。

 種類別なのだろう、数枚ずつ小分けしている。

 いつの間にやら、符を次々と完成させていたようだ。


「いつ作った」


 真新しい符を、しげしげと眺める。


「見張り番の時だよ」


 見張りって、焚き火の灯りでかよ。

 目が疲れそうだ。


 最も数の多い束に、ふと視線がいく。

 おお、今なら俺にも分かるぞ!

 光の符、基礎式だ。


「やっぱ、これが一番需要があるのか」


「それもあるが、他の符の基盤だからな。初めにそれを大量に作っておく。後は、必要に応じて種類を変えればいいし、時間も短縮できるんだよ」


 そういや、そんなことを言ってたのを思い出した。

 まあ、あまり突っ込むまい。


 しかし、俺も忘れないように練習を心掛けてないとな。

 せっかく好意で教えてもらったんだ。


 旅もまだ長引きそうだし、光の符くらい作って手伝えるようになったほうがいいのだろうか。


 そう思って商人の手元を見る。

 細部は、本物の針のような先で、文字を書き起こしたりしている。

 無理だな。

 俺は器用な方ではない。

 書く以前の問題で、顔料をぶちまけて台無しにするのが目に見えるようだった。


 原料代なんて、弁償できる気がしない。

 丈夫な分厚い革の専用鞄に、布を詰めて固定されてはいるが、あの瓶には触れるまい。


 その幾つかの瓶を見て気付いたことがある。

 色が多少違うようだった。


「まさか、その顔料、使い分ける必要があるのか」


 もしそうなら、そもそも簡単に手伝うなんて考えが間違いである。


「いや、これは試したいことがあってな。配合比率を変えたものだよ」


 なるほど、また余計なことを突いてしまっただろうか。


「この一つは、あんた用だ。精霊力の通りを悪くするのに、元から調整した方が早そうだったんでな」


 その言葉に冷や水を掛けられたようだった。


「ちょっと待ってくれ。俺はそんな特注品に払える金はない」


 冗談だろ、専用なんて。


「分かってるさ。試したい式があったから、そのついでだ。気にしなくていい」


 それを聞いても安心するどころか、血の気が引く思いだ。

 俺が人の懐事情に口出しすることではない。余計なお世話だと分かっている。

 だが、お前の生活費は一体どうなっているんだよ。

 そりゃ一応は商人だ。今までの旅で符も売り切っている。

 俺よりは金もあるだろう。

 それにしても、まだ旅を続ける気でいるのに、余計な実験している場合なのか。


 そんなに気を使わせてしまったのか。

 いや、何か研究欲に火が付いた方が正しいだろうな。

 今度から、街に着いたら余計なことをしないか確認した方が良さそうだ。


 思わぬところに、頭痛の種が転がっていたもんだ。




 時折、行商人の馬車と擦れ違い、軽く挨拶を交わす。

 以前見かけた盗賊のような、胡散臭い雰囲気の者達はいない。

 どちらかというと、俺達の方が訝しげに見られているようだ。怪しまれるというよりは、変なものを見たという風に通り過ぎていくだけ、喜ぶべきだろうか。


 国の南側は、産業の中心というのを肌で感じるようだった。

 こんな平野の真ん中で、コルディリーでは外れにあった村の通りと、さして変わらぬだけの人通りがある。

 それだけに、印を使う場合は気をつけねばならない。




 この街道の先について、思いは巡る。

 南東端にある港町へ向かっているが、途中にも町はある。

 女が、目的地は南方から東へ向いたと言った。

 初めからそうではないようだった。


 初めは漠然と、南方へ。

 その後、東を指す。

 俺も、目標を把握した前後で変化した。

 いつから精度が上がったのだろうか。


「おい、東を指すようになったのは、俺が合流してからじゃないか」


 眠そうに歩いている女に問いかける。

 疑問に思えば、即確認できる状況か。

 楽になったもんだ。

 聞き方は難しいが。


 女はぼうっとしたまま、うつらうつらと頷いていた。


 多分、肯定だよな。

 もういいか、それで。




 商人と女は、海を渡ろうとしているわけだが、目的地が港町までの間だったらどうしようかと考える。

 何がどう起こり、どうすべきか見当も付かない。

 仮にですら、行動予定が立てようがないことに不安はある。


 だが、こいつらには世話になった。

 依頼を受けたわけではないが、護衛くらい遣り遂げたいという気になっていた。

 ならば、中途で何があろうと、海を渡るのは予定に入れておこう。

 目的地が海の向こうであれば、その辺は考えるまでもない。




 海向こうとしてだ。昨日話した、魔術式具のことを考える。

 無制限に発動させる場合のことだ。


 海向こうに、それだけの鉱山があるのだろうか。

 そんな話は聞いたことがない。

 逆に大量供給できるのは、アィビッドくらいという話なら聞く。


 鉱山があったとして、原料を確保し続けることを国も許すとは思えない。資金の問題もあるし、個人では無理だろう。


 個人ではか――なら複数人、もしくは団体、組織。

 そいつらが妙な用途の魔術式具を作っていたとする。

 それを魔術式使い達が交代で発動させている。

 そう考えれば、精霊力の問題は、化け物じみた奴がいると考えるよりも現実的だ。


 それでも、なぜそんなことをするかの答えにはならない。


 何かの壮大な実験で、そいつらも何を発し、それがどう影響を及ぼすのか理解しておらず、たまたま精霊力の強い者達が受け取ってしまったという可能性もある。

 その一人が、偶然、俺だった。


 国内に、俺の知らない施設が幾らあっても当然だが、魔術式の研究開発の為なら鉱山か帝都近くでないと物資の調達が面倒だろう。わざわざ、中心地から離れた海沿いに建てる必要はない。

 それに、アィビッドなら実用的なことに取り組む気がする。

 目的のはっきりしない、大掛かりな実験などするとは思えない。


 南東へ進んだ先、そんなことを望み、出来る場所があるとすれば。


「元老院……」


 帝国に、祖国の亡霊に、元老院――ただの連想だ。

 この大陸の動向を追えば、嫌でもそれらは絡んでくる。


 それ以上考えようとすると、気持ちが拒否する。


 二人には、この問題に関して、俺とトルコロルのことは関係ないと言った。

 実際そう思っている。

 それは、なんでも都合よく絡んでいるはずがないという考えに基く。


 しかし、考えてみるべきなんだろうか。


 印とおかしな精霊力が関連しているなら、トルコロルが関係ないはずはない。




 荷車の大きな車輪が、石畳の上を軽快に回っている。

 この音にも、随分と慣れた。

 長いこと聞いていると、そこにあるのが当たり前で、雑音として認識されなくなっていた。

 それよりも、遠くの微かな葉擦れの音や、遥か上空から届く鳥の鳴き声、そんな音の方が強く耳に残る。


 そんな風に、見落としていることがあるのだろう。


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