六十二話 接触
第一の隊。
偉そうなやつらが、こんな町の警備にやってくる。
兵達の反応から、そんなことは初と言ってもよさそうな口ぶりだった。
ふと、髭面が頭を掠める。
止めろ。思い出したくない。
居たとしても、こんな所に現れるとは思えない。
多分、あの商人組合の建物で踏ん反り返り、部下の報告でも待ってるだろうさ。
出来る限りゆっくりと食べながら、周りの話に耳を傾けていた。
食べ終えると、話もせず座り込んでるのも怪しいので帰ることにする。
宿の間口を抜け通路へ――行きかけた足が止まった。
「久しぶりだな」
一人の男が通路を塞いでいる。
先ほど頭から記憶を追い払ったばかりの、髭面の男だった。
泊り客の邪魔になりそうなものだが、不幸にも地下階には、俺達以外の客はない。
「軍服」
女が呟く。
商人も固まっている。
そして互いに、疑心暗鬼で顔を見合う。
一体誰があの男の生贄なのだろうかと。
間を置かずして、二人の視線は俺の顔で止まった。
俺は顔を逸らした。
「あなたにも友達いたんだね」
二人は、自分達には関係ないと安心したように部屋へと向かう。
俺も後に続く。
当然だが、髭面も続いた。
「なんで、俺の部屋に……」
商人の困惑顔を無視して部屋に押し入った。
ベッドしか置けない独房のような部屋に、軍の偉いさんと閉じこもるなんて嫌だからに決まってる。
偏見かもしれないが、恐ろしい尋問を連想してしまう。
何の用かは知らないが、この場には、あの女騎士は居ない。
この町でトルコロルの白い衣装で出歩いていたら、さぞ目立つだろう。
他の衣装に着替えているのかもしれない。
帝国軍の制服なんぞを着ていられたら、気がつけないな。
居るなら見つけたいのは、もちろん探すためではない。避けるためだ。
「買出しだからすぐ戻ると聞いたので、待たせてもらった」
宿の主人か。あの野郎。
「慣れぬ土地で、見知った顔に会えるのは良いものだな」
抜け抜けとよく言うよ。
何が慣れない土地だ。帝都のすぐそばだろうが。
「君の仲間に自己紹介しておこうか。見ての通り、軍に属しているブラックムアだ」
こいつ、以前のような堅苦しさがない気がする。
無関係のやつがいるからか。
単にこれが素なのか。
男の口元だけの笑み。
それが消えた。
「ここで何をしている」
問い詰める髭面を見て思う。
もう俺には構わないんじゃなかったのかよ。
「見りゃ分かるだろ。商人の護衛だよ」
「護衛は、そちらの方だと聞いたが」
髭面は女の方に、一瞬目を向けて言った。
どうせ全て調べてるんだろうが。
馬鹿馬鹿しい会話だ。
「これが、何を差し置いてもやりたかったことか」
それがなんだ。
何故、そんなことを聞かれなければならない。
「多分」
苛立ちもあるが、考えもまとまらないし、真面目に答える気にもならない。
「曖昧だな」
髭面の表情は、やや険しさを増した。
「こちらは明確な危機を見せ、出来ることを提示した。それに対する答えがそれなのか、と尋ねている」
まるで尋問だ。
俺が何をしたっていうんだ。
突然押し付けたことを、断られたからって根を持ちすぎじゃないか。
「答える義務があったとはね」
こちらも睨んだ。
「彼らを、見捨てて逃げたのでないならば」
またその手口か。
良心に付け入るような物言い。
そんなことを言われる筋合いはない。
俺が、一番、帰ることを望んでいるんだよ!
「嘘にはったり、そして隠し事。それでよくも言えたもんだな」
僅かに睨みあう沈黙。
その後に、髭面はまた不遜な笑みを浮かべた。
「まあいい。顔色は、いいようだな」
そう言いつつ、部屋を出て行った。
呆然とその姿を見送った。
扉が閉まる音で我に返る。
目ざとい。
そんなことまで覚えてるのかよ。
実は暇人か。
しかしあの物言いなら、進展はあったと、一応は納得してくれたということなのか?
椅子に腰を下ろし、髭面の出て行った扉を睨みつつ、心で悪態をつく。
くだらねえ。
なんで俺が、無関係のやつに行動の許可を取る必要がある。
しかも、一々試すような真似しやがって。
それにだ。くそオグゼルの野郎。
結局は、組合も軍も、監視してるじゃねえかよ。
それともなんだ。これを、知ったから伝えようとしてくれたのか。
そんな義理はないと思うが。
大体な、もっと分かり易く言えよ。
支部長や副支部長になる奴らは、一度帝都の組合本部で研修している。
あいつは、いつも現場で皆と行動してるやつだった。
どちらの事も見てきた。
そして、上のやり方が気に食わない。
ただ、それだけかもな。俺と同じで。
いい歳して、それもどうかと思うぞ。
次第に文句は八つ当たりへと移っていたが、商人の声が思考を遮った。
「ああ、その、言い辛いんだが」
気が付けば、俺は机に肘を突き、ふて腐れたままだった。
人の部屋だと忘れていた。
立ち上がる。
「おかしな客が来たようだが、忘れてくれ」
出て行こうと扉へ向くと、女が立ち塞がっていた。
何も聞かずにいてくれってのは、さすがに無理か。
何事か言いかけていた、商人の方へと向き直る。
「その……俺は、工房では扱いに困って放出されたようなもんだ。揉めたこともあるが、喧嘩別れも規定違反もしていない。東の港町沿いにある工房だ。なんなら確認してくれ……」
何を突然、弁解めいたことを――軍の関係者と勘違いされてるのか。
「俺は軍の手先なんかじゃねえよ」
さらに微妙な顔付きをされる。
「お尋ね者でもない!」
妙な誤解を生んでしまったようだ。
せっかく、関係もましになってきたってのに、これ以上ややこしくしないでくれ。
「経歴に問題なんぞあったら、組合で仕事できるわけないだろ」
それで、商人もようやく安堵したらしい。
自分が追われているのではない、ということについてのようだが。
「でも、組合とも何かあるよね」
今それを言うなよ!
女を睨むが、効きはしない。
力が抜けて、また座り込んだ。
二人も、疲れたように肩を落として座った。
商人が口を開く。
「軍に目を付けられる、か。分からんでもないな」
顎に手を当てて、考え深げに頷いている。
分からんでいいよ。
「どういう意味だ」
一応話を聞こうか。
他に何をするのも億劫だ。
「工房では、符使いを雇うこともある。職人達だけでは手が足りんから、調整後の確認や、符を出荷する前の検品を頼むんだ」
また職人話か。
「そう実例を知るわけでもないが。あんたのように、展開できるやつを見たことがない」
そんな仕事もあるのか。
想像以上に作業工程が多い。
面倒臭い仕事だ。
そして、そんな場所ですら、俺みたいのはいないと。
「材料は揃ったよ」
商人が、俺を真っ直ぐ見て言った。
「いつでも出ることはできる」
突然、何を言い出すかと思えば。
旅立ちを、早めてくれるというのか。
本当にお人好しだな。
「明日の仕事は、受けちまってるだろ」
女に向けて言った。
頷きが返す。
「なら、明後日までに少しでも符を作成しておくよ」
商人が答え。
「明後日の朝、出発ね」
女も確認する。
「俺も、いつでも出られる準備は出来てる」
頷き合うと、俺は部屋を出た。
逃げて来たわけでもないのに、これでは本当に逃亡犯みたいだ。
辟易する。




