五十五話 光の基礎式
ここなら広い。
川べりの木々の陰で、俺は精霊力を印へと流していた。
昨日覚えた光の基礎式を、精霊力で直接空中へと書き取ること。
それを試すためだ。
二人がまだ、寝ぼけながら朝食の準備を始めたころ、水浴してくると言って離れてきた。
少しくらいは、一人になれる時間を稼げただろう。
体から、外へ向けて精霊力を出す。
長いこと試してなかったから苦労するだろうか。
そう思ったのは一瞬だった。
指を見ただけで、光の粒子が揺らめき立ち昇っていた。
なんだろうな、この体は。
刻々と妙な変化をしているような気がする。
今は、考えるのは放棄だ。
そんな感想を頭で並べてる間も、無意識に、指の光は糸を紡ぎだしていた。
ぞっとするが、その感情を引っ込めて糸に意識を向ける。
手を前に出し、糸で形を編むべく集中する。
「第一の構成要素……扇」
何を書いてあるのか意味は分からないが、必死に覚えた古語を書き綴り、半円に近い形を作る。
「第二……勾玉」
なにやら幼虫のような形状。
「第三……角」
動物の角のように、少し反った三角。
これら三種を、円に見えるように重ねたものが、基礎式である光の外円。
遠目に見るのとは違い、単純な記号ではない。
以前なら、とっくに精霊力も尽き、糸は途切れているはずだった。
今は、全く苦もなく、それらを綴り維持している。
しかし別の理由で、三種の綴りは、ぼやけて掻き消えた。
「うまく、重ならんな」
商人の注意書きにもあったが、三つの記号を円形になるよう、うまく重ね合わせるのは難しかった。
まだ一度目だ。
再び集中し、そこで絶句する。
目の前に浮かぶ模様を、信じられない気持ちで見上げていた。
手を翳し、意識を向けた直後、扇の形は現れていた。
一瞬で、勝手にだ。
「まだ……なにも、指示してないぞ……」
思わず振り払って、手の平を見る。
心臓に悪い。
こうも、何かをする度に、変わる必要もないだろうが!
自らの体に文句をつけても虚しいだけだが、そう思わずにいられなかった。
目を閉じ、深呼吸する。
指から紡がれた糸は、勝手に模様を描いた。
なら他もそうだろう。
気を落ち着け、目を開く。
意を決して右手を前方に伸ばし、その先の空間を見据える。
「第一、第二、第三……」
読み上げる端から、それらは生まれる。
「……重なれ」
淡く白い光の糸で描き出された模様が、円を成し、一際強く発光する。
光の魔術式――展開完了。
「よし! そのままで、いろよ」
わずかに意識を、印を通さない別の流れに集中する。
それを符を使う時と同じように、今形作ったものへと精霊力を流す。
空中に浮かぶ魔術式は、発動を示す黄金に輝いた。
成功したと思ったのも束の間、金の光は模様を飲み込むように膨れ上がり、破裂した。
咄嗟に、左手で目を庇う。
一瞬の後。
目を開いたときには、燃え落ちたような光の粒子が、舞い落ちているだけだった。
息を吐く。
木の根元に座り込み、中空に視線を漂わせる。
「発動はできた。一応は、成功と言えるだろ……」
制御が利かないのは、どうにもならないのだろうか。
遠くから、葉をゆすり、枝を踏み折る音が聞こえる。
「ちょっとー、大丈夫なの!」
ああ、うるさいのが来た。
さすがに、気付かれるか。
立ち上がり、尻の土を払う。
丁度、木々の合間から、二人が顔を見せた。
「なんでもない」
女は、珍しく膨れていない。
あの暗い目と無表情。
符を使うのとは異質の精霊力が、光の魔術式を発動した。
印を通した精霊力が嫌いなようだし、何をしたか感付かれただろう。
それも、仕方ないと思っている。
いつ終わるとも知れない旅の中で全てを後回しにしていたら、試すのがいつになるか分からないからな。
表情を見るに、商人は何も気付いてないようだ。
慌てる女を追ってきたんだろうな。
不思議そうにしているから、精霊力が弱いってのも本当のようだ。
「待たせて悪い。出かけようか」
荷車の元へと二人を促した。
日が昇り、景色を照らし始めている。
街道に乗り、出発すると、女が暗い表情のまま真横で呟いた。
「別に変な力使ってもいい。でも、今度から教えて。お願い」
そんなに、気持ち悪いものなのか。
この女の場合、どこまでが嫌味で、どこからが本気なのか。
俺には痛みがあったように、この女には不快感が起こるのかもしれない。
「分かった」
伝えれば、見逃してくれるというなら頷いておくさ。
そういえば、この女の精霊力が伝える行き先は、どうなってるんだろう。
折を見て確認しなければ。
女のことはそこまでで、後は先程の結果について、考えは移っていた。
さっきのことを踏まえて、商人の解説を読み直す。
かさつく紙の音に、時々何か言いたそうに振り返る商人が視界に入る。
声が届かないよう荷車の後方に退き、その姿は目に入らなかったことにしておく。
注意書きにも、うまく重なると光ると書いてあるくらいだ。
重ならなければ、何も起こらないんだろう。
商人も、繋がらないと動作しないと言っていたし。
一瞬でも発動できたってことは、重なり具合がおかしくて暴走、なんてことではない。
何か責任転嫁できることはないかと、目を皿のようにしてみても、俺が理解できるはずもない。
長年研究され使用されてきたものより、まずは新しいもんを疑うべきだ。
異常なのは、俺の精霊力の方……だよな。
気が重くなるが、現実を直視する。
漏れる溜息くらいは、そのままにしておく。
「移る」
女の呟きが聞こえた。いや、聞こえるように言われた。
暗い気分が移るってことか。
いつも膨れてる奴が言うな。
俺は、さらに後方へと退いた。
しかし、敵もこれ以上の撤退を見逃してはくれなかった。
「おーい、あまり遅れるなよ」
商人の気の抜けるような声。
だが、その隠された意図は透けていた。
覚悟を決めて、前線へ挑む。
「つい熱中していた」
「うむ。教えた甲斐があったよ。そこまで真剣とは思っていなかった」
まずいな。雲行きが怪しいぞ。
「あのな、俺は書かれていることの意味も分からんし、ただ見たままを覚えただけだ。それでも、この説明はよく出来てると思う」
心なしか、嬉しそうだ。
そんな姿に気が引けるが、一つ、理解できたことがある。
俺には、魔術式を学ぶ適正が壊滅的にない。
「そうか、なら次に、」
「お陰で光の式は覚えられた。今後もこれを忘れないよう練習するつもりだ。無理を言って教えてもらったが本当に助かった。ありがとう」
言い終えると、また定位置に戻る。
一瞬、商人と目が合ったが、俺が無理に頼んだ事実を思い出してくれたようで、それ以上は何も言わなかった。
「ほんとに馬鹿なんだから」
また女の苛立つ呟きが……本当だ。
俺は馬鹿か!
魔術式を覚えるまでは付きまとう、確かにそんなことを言っていた。
色々と痛む頭を押さえる。
もう今さらだと思いつつも、どうしたものかと頭を悩ませないではいられなかった。




