五十四話 魔術式の理
小川があったので、洗濯することにした。
街道はなるべく川の近くを通してあるから、大抵は水に困ることは無い。
これは、そもそも町が水源周りに出来るからなんだろう。街道は、その町々を繋いでいるわけだし。
洗濯やら準備を終えると、移動を再開した。
商人が引く取っ手の両側には、俺達のシャツやズボンなどが引っ掛けられている。
時に、風にはためくそれらを眺めたり、空を見上げながら道を進む。
荷車の旅にも良い点があったな。
頭の後ろで両手を組んで、そんなことを考えていたが、安らかな時間は商人によって終わりを告げられる。
「精霊力が魔術式へ繋がるまでの歴史を、一部だが話したな。続きを話そうか」
一部、だと……。
俺は咳き込んで、恐る恐る質問した。
「なあ、魔術式自体の話まで、あと何話くらい必要になるんだ?」
意表を突かれた表情が、こちらを向く。
「何話?」
その符作り商人の壮大な物語は、いつまで続き、俺が読みたいのはどの辺だって意味だ。
「気にするな。鉱山に着くまでの間に聞けるのか、心配になっただけだ」
俺の言葉に、商人は呆れ顔で首を振っている。
「せっかちだな。何事も基本が大事だぞ」
基本以前が長いと思うのは気のせいだろうか。
商人は、何事か思案もしくは諦めの境地に至り、ようやく口を開いた。
「うーん、そうだな。何を覚えたい。氷か?」
おお、その方向でお願いしたい。
「氷を覚えるとしたら?」
特に何を覚えるかなんてことにまで、気は回っていなかった。
情報が足りないのだ。
使う分には最近の事情で、なんとはなしに氷を選んでいるが、それを覚えられるかは別だろう。
その答えは、すぐに出た。
「その前に基礎の基礎式、光属性を覚える必要がある。光が全てを作動させる上での基盤となるんだ」
どういうことかは分からんが、何はともあれ光を覚えろと。
「光の前に、さらに何かを覚える必要があったりしないだろうな」
思わず皮肉が口をついて出た。
「ん、聞く気になったか?」
「光について聞こうか」
迂闊なことは、言うもんじゃない。
「動きながらだ。遅いが少し待ってくれ」
商人は、紙と木炭を取り出した。
「代わるよ」
場所を入れ替わり、俺が荷車を引く。
横で、紙を擦る音だけが、しばらく続いた。
また何か、別の考えに飛んでるんじゃないかと心配になった頃、音は止んだ。
荷車を返し、代わりに俺は商人の書き付けたものを受け取る。
紙束の一番上には、光の符で見覚えのある単純な模様があった。
それだけではない。捲って他を見る。
もっと単純な模様の書かれた紙が三枚。
次を捲ると、その単純な模様に関する解説らしきものが一枚ずつ。
その解説は、単純な模様を、さらに図解したものだった。
嘘だろう。
こんな複雑なのか。
血の気が引いていく思いだった。
「これが、基礎? 他に三つあるように見えるが」
形状を見れば、それらが組み合わさって光の形をとっているのは理解できた。
「構成要素だ。その一つ一つだけでは何も動作しない。連結させてようやく光の効果を生む」
そうだろうとは思ったが、唖然とする。
「なるほど」
落書きするだけなら、簡単に書けそうな模様だった。
丸だか三角などの形にしか見えないのだ。
その実、その丸は何かの文字で以って丸の形を成していた。
なんだよ、これは。古語か?
想像以上の難易度だ。
遠い昔のこととはいえ、本で見たにも関わらず全く記憶に無いのも頷ける。
「数字は構築の順番だ」
商人の言葉に、紙の端の数字に気付く。
順番に書く必要もあるのか。
注意書きにも気付き、目を走らせる。
『※三種を組み合わせる時は、矢印部分がうまく重なるように構築しよう! うまくいくとぴかっと光るぞ!』
…………。
もう今日はこのくらいでいいだろうか。
「うーん、暖かくて眠くなるね」
伸びをする女の嬉しそうな声が、荷車の後ろから聞こえた。
暢気な声で言っているが、その顔はにやついている。
暇だったら辺りの警戒でもしてろよ。
「簡単な説明書きで悪いが、後は都度説明する」
待った。
まだ、ここに書かれてないことがあるのか?
それとも、また長ったらしい歴史が絡むのか?
逃避している場合ではない。
「これは、このまま書き写しても問題ないんだな?」
商人の先手を封じるべく攻勢に出る。
「問題はないが、説明は足りないぞ」
よし!
「それなら、まずは試してみるほうがいいだろ。それで理解できないところがあれば聞くよ」
商人は、何か喋りたそうに、期待を込めた目を向けていた。
ただ話したいだけだな。
「後ろで練習してる」
素早く身を転じ、荷車の後方へと撤退した。
今回もどうにか生き延びることができた。
さっそく道具袋から、筆記具を取り出す。
初めは大雑把にでもいいから、手早く真似てみようか。
何度か繰り返せば、疑問が浮かぶこともあるかもしれない。
それよりも、まずは記憶するまで何も考えないほうがいいかもしれん。
たまに辺りの様子を見つつ、模様を一つずつ書いていく。
視界に入る二人も、それぞれが何かを考え込んでいるようで、ようやく静かな旅の時間が戻っていた。
あっという間なような、いつもより長く感じたような、そんな日も暮れる。
街道を逸れて木陰に入った。昨日のような町の跡地もなく、ごつごつした地面の上だ。
起こした火の周りを囲んで座り、飯を食いつつ、そして食い終わっても、俺はまだ反復練習を繰り返していた。
ひとまず三種類の構成要素とやらだけ、ひたすら書いている。
何度か、間違いはないかと商人に確認した。
間違って覚えたという悲劇は、起こらないと思いたい。
昼間は紙を使ったが、もったいないので書く場所がなくなっても、上から重ねて書いていた。
それで三つの形は頭に入った。
見本がなくとも書けるよう、どうにか記憶のある今の内にと、地面に棒で書いている。
こんなに細かい言葉や概念が、あんな紙切れのあんな線に詰められていたのかと、軽く衝撃を受けていた。
それが逆に闘志を燃やした。
つうか、ただの意地だな。
こうなると、俺も見境がない。
思えば、なかなか感慨深い。
俺もとうとう、魔術式の理へと続く扉を開き、一歩踏み入ったぞ!
まあ、それ以上進む気はないがな。
飯を終えた二人に、今日は俺が初めに見張りをすると伝えた。
苦笑しながら、商人は頷き。女は、何が気に障るのか相変わらず膨れている。
二人が寝入る横で、石を拾い土の上に書き付けていく。
かなり迷いなく思い出せるようになっていた。
試しに三つを重ねながら書く。
そうすると、また違ったものに見えてくるが、戸惑わなくなるようにならなければ。
そうして、今覚えた光の基礎式を忘れないようにと、さらに続けた。
覚えてしまうまで、常に繰り返した方がいいな。
書いては、土を払い、また書き綴る。
しばらく熱中していると、背後に邪気――。
「だから寝てろって」
まあこの女しかいないわな。
外套に丸まって、目だけ覗かせている不気味な生物が音を発する。
「ガサガサ」
「ああ悪かった。少し離れるよ」
初めから口で言え。
「……暗黒蓑虫が」
「何か言った」
「幻聴だろ」
後頭部に何かがぶつかって落ちる。枯れ枝だ。
いくつか飛んできたが無視する。
こいつも、見張り交代時に暇なのか近くを歩き回ってるし、人のこと言えないだろ。
少し場を離れ、火も遠く薄暗い中、交代時間まで書き続けていた。




