五十一話 荷車を空にして
「見た目はあれだが、結構丈夫だな」
薄く灰を被ったように、くすんだ色をした木製の車体。
俺は、商人が牽引する荷車を、まじまじと見つめる。
「あれというのは、よく分からんが。馬車用の車軸と車輪を流用して、この荷車の土台に合わせて加工してある。街中と違い、平坦でない場所もある程度は走破できるように……」
商人の解説を聞くともなく相槌を打つ。
この前借りた時は、急いでいたので気が回らなかったが、段差や曲がる際にすんなり引いていた。
地味に、この男は様々な才能を持っているようだ。
手先が器用なんだろう。羨ましいことだ。
「だからそこらの荷車では……聞いているか」
「ああ、確かに引きやすかったよ」
商人は満足したのか、やや真剣だった面持ちを緩めた。
その背後から、女の見透かすような呆れた目が視界を掠めたが、そっと逸らす。
「売り物は用意できたんだな。符って作るのにどれくらい時間かかるんだ」
今のところ商人が商人たる理由。
売り物の事が気がかりだった。
申請が通った後は、何か書き物ばかりしているところしか見ていない。
しかも、符を作ってはいたんだろうが、数日しか猶予はなかった。
いつ作っていたのか、在庫とやらは補充できたのか、余計なお世話だが心配ではある。
旅の予定にも関わることだ。
また暫く何処かの街に寄るなら、多少は稼いでもらわないとまずいだろう。一応は、この女の雇い主だ。護衛依頼期間の宿代、食事代などは払ってるはずだしな。多分。
商人から、残念と無念の入り混じった顔を向けられる。
嫌な予感。
「実は」
そうして聞かされたことに、力が抜ける。
現在、帝都では、原料の大量入手に制限がかけられていたそうだ。
商人に非はないとはいえ、間の悪いことだ。
全ての工房を周り、掛け合ってみたが、わずかに精製した原料を譲ってもらうのが限度だったそうである。これも、北への派遣の影響だろう。
俺と女が依頼を受けている間、どこぞへ出かけているのは聞いていたが、工房だったのか。
「すぐに入手したいなら、鉱山へ行けと言われた」
なのに俺の分を優先してくれたのか。
呆れたもんだ。
あんたは商人を名乗らない方がいいと思うぞ。
工房を構えたら、職人に戻るんだろうけどさ。戻るよな?
ともかく、そんな状況にも関わらず融通してくれたのはありがたくはある。ああ、帝都で別れる予定だったから急いでくれたのか。
少なくとも、本当に感謝の気持ちだってのはよく分かった。
どれだけ残金があるかなんて聞く気はないが、金渡しておいて正解だったな。
気持ち的な安心の意味で。
符の話になり、商人は大まかな作り方の手順を話しはじめていた。
俺が教えてくれと言ったのは、魔術式そのものの知識であって符ではないのだが。
そこは黙って耳を傾ける。
長い道中だ。聞く時間なら幾らでもある。
「顔料の作り方は、工房によって違うから割愛するが……」
特殊な針を使って式を構築していく。
針は、精霊力を通しにくいという、高密度の鉱石から鍛造したものらしい。
商人は器用に、胴だけで荷車を引きながら、腰辺りの袋から道具を取り出して見せてくれた。
「手の平より長さがあるじゃないか。こりゃにく、ごほん、なんでもない」
肉を焼くのに丁度良さそうだな、と言いかけ口を閉じた。
編み物が出来そうな長さと太さがあったのだ。
「もちろん幾つも種類はあるさ」
平べったい革製の入れ物には、多くの細い隙間があり、長短様々な長さと細さの針とやらが綺麗に並んで収まっていた。本のように折りたたみ、防護してある。
見るからに高価そうな道具である。
要は、その棒で、紙に顔料を塗ったくってんだろ?
なんて言おうものなら、延々と解説されるだろう。
まだ肝心の魔術式を教えてもらってない。これくらいは真面目に聞けるくらいにならなければ、肝心の話に耐えられる気がしない。
荷車云々よりは、符の方がまだしも耐え易いというものだ。
こうやって、必死に商人の話に意識を凝らしていたが、ふて腐れた声が集中を乱す。
「もすこし真剣に聞いたら? あなたのために新しい魔術式作ってくれたんだから」
「それは助かったさ。手持ちが寂しかったしな」
「ただの氷の符じゃないんだよ」
新たな符、ではなく魔術式。
「は、魔術式を構築した?」
「改悪しただけだ。新しいという程ではないよ」
しかも改悪。
おお、え、まさか。
「あなた困ってたでしょ。普通の符だと通りが良すぎるって」
いつ詳細を話したかと一瞬考えたが、この女か。
それしか話してないよ、と口だけ動かしているのが見える。
そんなこと言われても、真実なんか分からないんだから気にするな。
と、心で返しておく。
実際に言ったら煩いからな。
「精霊力の流れを阻害するように、式を一部逆転させて配置を変えたり、なかなか興味深い試みだったよ。まあ俺には確認出来ないから、どれだけ上手くいったかは分からんが。ああ、その特に気を使ったのが、二層と三層間を走る起爆式の――」
「すごいな! 発想の逆転か、それは考えもしなかった」
ふう危ない。
こいつ、知識は簡単に漏らせないと言いつつ、技術的なことにはよく口が回る。
話を理解できる奴に聞かれたら、まずいんじゃないか。
俺は、意識が朦朧としてくるから、なるべく避けるのが無難だ。
睡魔に襲われては、辺りの警戒もままならない。
「あなた、そんなんで……まあ私の知ったことじゃないけど」
くっ! なんで俺は、気軽に教えろなんて頼んでしまったんだ。
それどころか、脅すような真似までして頼んだ。
「もっと町から離れたら、試してみるよ」
今はまだ、帝都を囲むような山々の間を、抜けている最中だった。
南側は、取引が盛んなだけあって、結構な人と擦れ違う。北側とは比べるべくもない。
それにしても、あんな短時間で、通し辛さを反映させた符を作れるものか?
書き付ける作業だけでも、手間取りそうなものだ。
商人が黙々と作業していた、あの糸くずのような走り書きはこれだったのかな。
本当にすごいやつは、一見してそんな風に思えないと聞く。
実は、かなりの経歴の持ち主なんだろうか。
しかしなあ、そうすると、この符は特注品ということになる。
山菜如き、というと申し訳ないが、たかが一日分の依頼代金で、到底買えるもんではない。
うわ……今さらだが、かなり、気まずい。
はした金で言う台詞じゃなかったろ。
一体、山菜何杯分だろうな。
「おい、そのにやけ顔やめろ」
俺は低く怒気を込めた声で囁いた。
腸から沸き立つようなドス黒い笑顔で、女が見上げていた。わざわざ隣に並んでまで。
このおん、
「この女ーとか、また思ってるでしょ。解決法を一つ提示してあげたのに」
つられたのか、女もぼそぼそ話している。
「さあ、報酬を思い出してもらおうかな」
こいつ。
名前を覚えろという件だろう。
小賢しさだけは、抜きん出てるな。
「持ち場に戻れ」
シッシッと手で示す。
むくれて冷たい目を向けられる。
「お前らだって名前呼ばないだろ」
「だからって、あの女とか商人とか身も蓋もない呼び方しないでしょ」
馬鹿呼ばわりはいいのかよ。
荷車の背後を挟むように繰り広げられる、俺達の静かで熾烈な牽制のし合いに気付かず、商人は憐れにも一人、符に適した台紙について随分と語っていたようだ。
こんな感じで相変わらず危機感もなく、俺達は直接原料を入手すべく、鉱山へと鈍い歩みを進めているところだ。
正式に、同行を許可されている旅。
一つずつ、気を重くするものが取り除かれていく。
多少は、気も緩む。
とっくに外壁すら見えないのは分かっているが、ふと振り返っていた。
帝都フロリナセンブルか。
もう来ることもないと思うが、そう言いつつも、再度が起こったりするのが人生だよな。
俺には賑やか過ぎる町だったが、しみったれた月の砂漠亭のお陰で、なかなかに落ち着いて滞在できたんだと思う。
もし、またの機会があるなら、その時も在ってくれよ。




