五十話 対価
戻りの道すがら、女はよく喋った。
あんな印があれば、誰だって隠そうとするに決まってる。
その気持ちは、理解してもらえたようだった。
なんせこの女も、隠したいことがあるんだ。
何か企んでいると思っていたことが、女同様の理由だと知って、ある意味安心したのかもしれない。
だからと言ってだな……。
喋り倒している内容というのが、商人に雇われた際の経緯だとか、すぐ打ち解けたとか、どう苦労したかとか、どれだけ感謝しているか云々。
誰も、お前と商人の馴れ初め話なんか聞いてないんだが。
「うんざり顔」
「日が沈みかけてるからそう見えるんだろ」
女が口を曲げて呆れている。
「大切なこと話してるのに」
お前にとってだろ。俺には関係ない。勝手にやってくれ。
「あのね、あなたに関係あると思うんだけど」
思わん。
「私たち、もうすぐ旅に出るんだよ。また付きまとうんでしょ、違うの?」
妙なところで鋭い。
そんなことはないか。
俺の行動と理由の意味を知った今なら、そう考えるよな。
こっちから話そうと考えていたが、持ちかけられるなら話は早い。
いや、だからな。その話と、お前らの話と何の関係があるんだよ。
「あ、ちゃんと聞いてなかったね」
女は、わざとらしく盛大な溜息をついた。こちらに向けて。
こいつは一々癇に障ることをせねば気が済まんのか。
「私、ユリッツさんに南へ行きたいって話してるんだってば」
ん?
俺は訝しげに、視線を向ける。
「ユリッツさんの希望は町を周ること。私は南へ。だから町を転々としながら、南へ移動する予定。そういうの知りたいと思ったんだけど」
そうだった。どうやって聞き出そうか苦心していた、旅程を知れたわけだ。
「ユリッツさん、人が好すぎてね、旅程を合わせてくれたの」
その情報はいらないな。
「人柄を知るって、付け入るのにすごく重要だと思うけど? せっかく話してやってるのに」
女は膨れっ面になり、暫く文句を聞くことになった。
しかしね、恩人と言い張る男に対してその物言いはどうなんだ。
とんでもない女だ。
今さらだが、怒らせたらまずい気がしてきた。
「お互い秘密をばらした。それで等価だろ。だが、感謝はする」
ふんと鼻をならすその癖、やめた方がいいぞ。
「結局、あの魔術式はなに」
前方を見たまま、女は尋ねた。
本当に聞きたいことには、真面目な顔をする。
「これは、生まれ持ったものだ」
嘘、とはいえない。資質がなければ現れないのだから。
女の微妙な面持ちを見て、事実を付け加える。
ただの模様だったが、空の異変によって精霊力が流せるようになったことを。
どの時点の空の異変かについて言う気はない。
なんだろうな、どの時点とも、関係あるといえるからだ。
俺自身が、あやふやに思ってることばかりだった。
「ともかくだ。思うに、目的地だかなんだか知らないが、向かう先は同じなんじゃないか」
「かもね」
組合へ戻り、精算する。
特に感慨に浸る気力も無く、分け前を受け取り、宿へと重い足を引き摺る。
「ユリッツさんに、同行してもらえるか話してみる」
突然そう言い出す女を慌てて引き止める。
既に、同行するつもりになってたのかよ。
「俺から話させてくれ」
何を言うつもりか分からないが、込み入った話は二人でやって欲しいな。
とりあえず、まずは俺自身で交渉するのが筋ってもんだろう。
旅人が旅に同行したいなんて、雇って欲しいと思われる。
話を聞かずとも、この女一人雇うのだって精一杯のはずだ。危険な目に遭ったからといってもう一人なんて、無理なもんは無理だ。
渋るだろうから、誤解されないよう説得できるだけは、やってみるしかない。
そうして、やや気を張り部屋を訪れる。
「お帰り。あんたを待ってた」
数日ぶりに、商人の意識は机から離れていた。
そして、掛けられた言葉と視線は、しっかりと俺に向けられていた。
普段の覇気のなさからは考えられないほど、明確な意思が垣間見える。
「え、俺?」
何事だろうか。
腰が引けてくる。
女が何か吹き込んでいたことに対する策が、固まったとか。
いや何も対策することは……俺が付きまとってるとかそういうあれのことか。
それも仕方ないかと、身構えていると、椅子を勧められた。
いつも、椅子代わりは木箱なのに、よほど重要な話でもあるのだろう。
座面を見ても、釘だとか針などの罠は見受けられない。
咳払いをしつつ、着席する。
代わりに商人が、木箱へ腰掛ける。
心なしか、晴れやかな表情だ。
疑問が深まった。
「無事、全ての申請が通った。これは礼だ」
机に置かれたのは、真新しい符。
氷属性の符だった。
礼?
余計に混乱する。
「礼なんてされる覚えはない。どっちかというと礼をするほうだと思っていたが」
言い辛そうに続いた言葉に、驚いた。
「遅くなったが、命を助けてもらった礼だよ」
そして、商人の口角が僅かに上がった。
もしかして、笑顔?
「まあ同行はしたが、信用していたわけではなかった。帝都まで無事着いたし、ここでも世話になった。旅立つ前に、礼をしておきたかった」
商人の説明に、気付いたことがある。
ああ、これが、旅にはいつ出るかと聞いたことへの返事なのか。
「信用なんかしてないのはお互い様だった」
「それはそうだが、助かったのは事実だ」
確かに、人が好すぎるかもな。
「そこまで言うならありがたく」
押し出された符。
それを手に取り、今日の報酬を全て置いた。
商人は、不思議な顔で見ている。
「随分と、安い命の対価だと思わないか」
にやりと口元をゆがめた。
だが目には鋭さを込めたつもりだ。
商人の目が見開いて、朽ち葉色の虹彩がのぞく。
目が開いてるの、初めて見た気がするな。
女が、何を企んでるのかと呆れた目で見ている。
今までなら、既に口を挟んでるだろう。
黙って見ていてくれるならありがたい。
「魔術式の理を教えて欲しい」
商人は、一瞬固まった後、息を吐き出した。
もっととんでもない要求がくると思ったようだ。
こんな場所で強請ったって、俺が捕まるだけだと思うが。
「うーむ、知識か。高くついたな」
商人は、頭をぽりぽり掻く。その表情に困った様子はなく、また覇気のない顔に戻った。
「顔料の調合具合とか、他にも企業秘密はあるだろ。単に図案を教えて欲しいだけなんだ。頼むよ」
「図案……ただの柄じゃないんだぞ。簡単に覚えられるものでもないと思うが」
「一つでいいんだ」
商人は、いきなり解説をはじめた。
「きちんと手順を踏んで、式を書いている」
「待った、今日はいい」
女が、俺が話すべきだったことを口にした。
「じゃあ、覚える間、付いて回るわけね」
商人が驚いた顔をする。
俺も水を向けるか。
「ちょうどいいな。俺も、旅に出たくてな。一人は心許ないし便乗させてくれないか」
当然、困ったような難しい顔をする商人。
「悪いが、もう一人雇う程の余裕はない」
「分かってるさ。一人だと、見張りの交代も出来ないだろ。それで困っていたんだよ」
うーんと腕を組んで考えだした商人に後押しする。
「心配せずとも、俺も旅人だ。行く先々で仕事するから、金は気にしないでくれ。ここでもそこそこ稼いだし」
「ふむ。なら構わない」
二人きりの旅を邪魔しないでくれなどと言われたら、諦めて後を付ける不審者になるしかない。そんな心配をしていたら、比較的あっさり折れた。
「だが物資は増やさんとな」
「自分の分は確保する。旅の道連れがあるだけで助かる。本当に気にしないでくれ」
そうして、話がまとまりかけたと思ったら。
「ああっ、だめだよユリッツさん!」
大きな声が遮った。なんなんだお前は。
「命の恩人かもしれないけど、魔術式だって重要な知識なんだから、対価は要るよね」
こいつ。
「そうは言うが……」
女が不適に嗤う。
商人は、女の企みを理解したのか、手を打っている。
くそっ、今度は一体なんだ。
女は、両手を腰に当て、踏ん反り返って言った。
「いい加減、名前覚えなさい」
商人も、女の隣に並んだ。
「ほら、バルジー・ピログラメッジ」
「セラ・ユリッツ」
こいつら意味が分からない。
「なげえよ」
「え、私のはともかく、そこまで頭が……」
残念そうな顔を向けられる。
「分かった! ばるじー、せら、な」
また女は仏頂面で睨んでいる。
しつこいな。勘弁しろ。
「交渉は済んだな。明日からも頼む」
俺は、符を手に部屋から逃げ出した。
命の恩の礼に知識を要求して、なんでさらに対価を払わねばならないんだ。
ああ、これは助け舟を出したつもりの、あの女へ対してか。くそが。




