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三話 魔術式の疼き

 胸苦しさで目覚めた。ひどい寝汗だ。身体も重い。痛みを誤魔化せるかと酒を呷ったことも無関係ではないだろう。

 無意識に、腰に手を伸ばしていた。

 印から血は出ていないし、痛みも引いている。

 村から戻ると、不快感と鈍い痛みに何をする気にもなれず、横になっているうちに寝てしまっていたらしい。


 あれは何だったのか。異変の夜に起こったものとは、また違った感覚だったように思う。頭を振って起き上がった。原因の分からないことを、考え込んでいたくはない。



 組合に着くと受付へ直行する。やりかけていた橋の仕事についての確認だ。


「昨日はお疲れ様。大活躍だったみたいね」


 受付職員は、相変わらず顔を見るなり切り出す。今まで彼女に先んじることが成功した試しはない。


「作業は続けられるのか?」

「ええ、おかげさまでね。昨日の依頼は今日からに変更しておくわ。もちろん、昨日の分は特別依頼として処理しておいたわよ」

「助かる」


 それだけ聞くと踵を返す。すでに噂になっているらしく、話しかけてくる顔見知りへの挨拶もそこそこに、北の村へと急いだ。

 気が付けば、あの少しばかり異常な精霊溜りや印を襲った痛みに考えは移る。どうにも、頭から離れなかった。



 北の村へ到着すると、橋を渡す仕事の続き――というよりは仕切りなおしだろうか。午前中は黙々と、木材の移動や加工作業の補助をこなす。

 昼食は村からの差し入れだが、昨日のこともあり多少豪勢だった。普段は雑穀パンに、しなびた薄い干し肉が二切れもはさまっていれば良いところを、煮て潰した豆や、野菜の酢漬けが数種類も付け合わせてある。それを持って森へ向かった。


 精霊溜りのあった場所が、気にかかっていた。もう一度、自分の目で確認したかった。村人は、まだ近付いていないようで、幹には斧が残されたままになっており、目的の場所に迷わず辿りつく。


 精霊溜り跡は、妙な抉れ方をした地面が残されているだけだった。今まで片付け、見てきたものとなんら違いはない。辺りを歩き回るが、やはり何もない。

 肩透かしを食らったような気がした。印の痛みに関係ある、何か切っ掛けになるようなことがあるのではと期待していた。

 唐突に全ての手掛かりが消えてしまったようで、気が抜けて立ち尽くす。そのままパンを齧りながら、無駄だろうと思いつつ改めて記憶を探った。


 精霊溜りは、辺りに漂う精霊力が運悪く結合し固定され生まれる。何か誘引するものが生まれるのかなど、原因は不明らしい。そのまま触れたもの全てを、精霊力へと変えながら成長していく。

 変換速度はかなり遅い。だから、ちょっと触れたからと、どうなることはないとのことだ。だがそれを検証した者はいないので、どの程度で、どうなるということは誰も知らない。対処にやたら人手を割いているところを見るに、国は何か把握しているからこそ、徹底して伝えられているのかもしれないが。

 実際、精霊溜りの出来た場所にあった物が消えるのは確かだ。それは見たことがある者なら、誰でも底知れぬ恐怖を抱く。放置すれば、眠る間に何もかもが消えているかもしれないのだから。


 それだけだ。苛立ちに溜息を吐いた。一般的に知り得ること以外のことは何もない。だからこそ、この場で何か体感できるのではないかと期待したというのに。なんの収穫もなく、午後の作業へ戻るべく森を抜けた。


「おいあんた、何ともないのか?」


 声をかけてきたのは村人だ。森に入るのを迷っていたらしい。もう問題はないはずだが、得体の知れないものは恐ろしいのだろう。昨日の場所には何もないことを伝え、新たなものには気をつけるようには促しておいた。

 その後、何事もなく午後の作業を終えると家路に就いた。




 まだ日のある内に戻れたため、今日こそ訓練を再開しようと剣を手に取り、店の裏手になる生活道路へ回りこんだ。

 狭いが近くに人が出てくる扉もないため、素振りをする程度には丁度いい。

 それに俺が使うのは、一般に兵が持つような制式の直剣より短めだ。さほど場所を選ばず扱えるため日常的に持ち歩くには都合が良く、旅人を始めてから得たものだ。


 いつものように腰を落とし、刃の中ほどが顔に来る位置に立て、片足は引いて構える。壁の一点を見据えた。ひび割れを的に見立て、鋭く息を吐くと同時に踏み込む。剣を振るというよりは、そのまま押し出すような動き。

 父や従士、旅の中では騎士からも学ぶ機会が得られた、故国トルコロルに伝わる剣技。守りに重点を置くという、基礎の型を繰り返す。長剣用の型だ。


 短剣を使い始めた今でも、勝手知ったる方法を続けているのは、半ば身体を動かすことだけが目的だからだ。

 もちろん普通に振り下ろすような型もある。余計な思考が挟むのを撥ね退けるため、無心に剣を振り続ける。

 護衛依頼を受けることもなくはないのだから、続けておいて損はない。だが、それこそが目的だと分かっている。

 酒と同じく、心を、頭を煩わせる雑音を散らすための儀式。


 日が沈む。

 荒い息遣いと鼓動に邪魔され集中が解ける。気が付けば、型も何もなく力任せに振っていた。腕を下ろし、息が整うのを待つ。

 歯痒さに顔が強張る。

 いつもなら消えるはずの苛立ちが残っている。おかしな不安に飲まれそうになり、必死に誤魔化そうとしていた。じっとしているのが辛い、落ち着かない気分が消えない。


 理由は、昨夜と同じく印だ。

 徐々に背中が冷えていき、体の奥底で疼くような痛みが明確になっていた。原因が分からずに苛立たせられる。

 ――無視するんだ。

 意識から追い払うために、再び柄を固く握り込んだ。痛みと、背を伝う嫌な気配から逃れるように、身体を痛め続ける。


 もう無心にはなれず、自然、王の縁者である証に考えは及ぶ。

 拳大の丸い模様。頑なに否定しようとも、飾りではない。そう受け入れるべきなんだろう。かといって、どんなものが仕込まれてあるのかなど見当もつかない。

 生まれ落ちた時からあるものではないが、入れ墨でもない。王族の中でも上の者から授けられると言われている。表には出ていない魔術式なのだろうか。当然、俺に詳細は知りようもない。


 ただの街人であるため、旅人として生きると決めた日から、こんなものは面倒の元だと疎ましかった。

 だから一度、消せないかと皮膚の一部を削って確認してみたことがある。

 それで分かったのは、刺青などよりも肉の深い内側から浮いているような、染み出しているような――ともかく痛いばかりで、消すことは不可能だろうと知れただけだった。

 その時は、目立つ所になくて良かったと心底思っていた。

 そのせいで、変化に気付くのが遅れたのだろうか。


 シャツを捲ると、忌々しい印を見下ろす。痛みが止まないかと精霊力を流した。

 気紛れであり特に意図はない。精霊力を注ぎ込んだところで、淡い光が浮かぶだけで何も起こらない。


 淡く、輝いた――絶句。


 符へ精霊力を流した時と同じく、白い光は模様をなぞった。それは驚愕ものの事実だ。

 多くのもの、特に生物は精霊力を通しづらいという。一説によれば、精霊力は生命力とも置き換えられるものらしい。だから生命に満ちた人体に入り込む余地はなく、まとわりつく精霊力など微々たるもので、魔術式を通して効果を及ぼすほどの起爆剤にはなり得ない。

 有り得ないはずなんだ。


 飾りではないと結論を下しながらも、頭は拒否していたらしい。

 目の当たりにしたものに俺は、益々気分が悪くなっていた。


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