四十三話 集中切れ
茂みのあちこちが揺れている。その揺れは木を避けるように蛇行し、こちらへ向かってきた。
葉を散らし、勢いをつけ飛び出したのは、捜し求めていた獲物だ。
「せぃやあああああっ!」
その丸っこい体躯を見るなり、女は掛け声と共に、正面から、踏み込んだ。
正面からとはいっても、重心をずらして側面を掠るように、両手でしっかりと握りこんだ鉈を振るう。
眼前に迫る猪の背は、女の腰辺りまでの高さだ。そう大きな個体ではない。
それでも強靭な肉体の、速度を持った体当たりは、当ればただでは済まない。
真っ直ぐ突っ込んでこようとするのを、木々の狭間で掻い潜るが、相手はさすが獣。
小刻みな足捌きで、急転回し突撃を繰り返す。
まるで疲れを知らないかのように、いつまで経っても速度は緩まない。
今日は現場確認だけで、明日にでも本格的に探してみるかと話していた。
自然が、そんな計画通りに動くはずもなく。
うっかり遭遇してしまったのである。
別に、攻撃せずそっと退却すりゃ良かったんだ。
この女は、反射的に鉈を振るった。
そして、その刃が獲物の背を引っかき、戦うに至る。
俺は今まで、狩猟なんてことには、荷物持ち程度で付き添ったことがあるくらいだった。
人のない場所を確保するためとはいえ、こんな依頼を受けるくらいだから、この女は慣れてるのだろう。
そんな風に思ったのは間違いだった。
低木へ登り一時退避すると、女の動きを眺めていた。
以前見たときも思ったが、この女、なかなか敏捷な動きをする。体力的なものか常にではないが、瞬発力はかなりのものだ。
しかしな……。
「あなたね! 真面目に働きなさい、よっ!」
同時に凪いだ大鉈が、獣の背を掠める。
「いや、考えたら、正面から挑むっておかしくないか。普通は罠とか使うもんだろ」
盗賊どもの正面へ突撃したのは、まだ分かる。
両側に避けた相手が、互いの攻撃が当るのではと躊躇させるのが狙いだ。
相打ち覚悟で戦力を殺ぐには、悪くない。背後には、援護も続いていたわけだし。
あの時は、考えてやってるもんだと思っていた。
こいつ、突撃しかしてねえ。
間合いに入ると見るや一閃。その背を追って一薙ぎ。
全力で動いているのを見るに、傷が癒えたというのは真実のように見える。
やたら回避してるから、うっかり見ていたが、ここで大怪我されるとまずい。
獲物が側面を向けたときを見計らい、木から飛び降りる。
体勢を低めに構え、方向を変える一瞬、足踏みする脚を狙って切り込んだ。
転倒した隙に止めをと思ったが、勢いで一回転してまた立ち上がった。
目と鼻の先で向かい合う形になる。
途端に突っ込んでくる獲物に、正面から挑んだ。
女のこと笑えねえ!
倒れ伏した獲物を前に、大きく息を吐く。
背や脚の傷で、勢いを失していたのが助かった。
手の甲で汗を拭う。
女が猪の側にきて、鉈でつついていた。
「そんな短剣で正面から切り込むなんて馬、勇敢ね」
なんだろうな、この、なんていうか、嫌味なのか無自覚なのか。
大きく息を吸う。
落ち着け、落ち着け……どうにか、依頼は達成できたんだ。
いや、荷車も借りてない。運べなければ無意味だぞ。
どっと疲れが出た。
すぐ近くに僅かな谷間があり、小さな川を見つけた。汚れを軽く洗い落とす。
獲物も二人で引き摺ってきた。感覚では、俺より少し重いくらいの体重だろう。
「仕方ない、戻るか?」
「うーん。それだと目的が台無しだね」
お前が藪を突いたからだろうが。
「でも、そんなに大きくないし、ぶった切れば二人で運べるんじゃないかな」
言われてみれば、と獲物を見る。いや、無理だろ。
引き摺るくらいはできても、町まで運ぶのは遠すぎる。ずっと引き摺るのもな。
まともな縄すら用意していない。
「あなたの方が身軽だし、三分の二運んでよ」
「分かった。荷車借りに戻ろうか」
日の高さを見る。幸か不幸か、まだ昼前だ。
取りに戻っても、日が沈むまでには町に戻れるだろう。
食い荒らされるかもしれないが、何も用意していなかったのだからそれはしょうがない。
見張ってると言い張る女を促して、町へ戻った。
残しておくと、一人でも突っ込みそうだからな。
宿に戻ると、何か本を広げて唸っている商人から、荷車を借りる許可を得た。
上の空だったから、内容を認識していたのか怪しいものだ。急を要するので、何か言われたら、後で弁解しよう。
大急ぎで移動する。
さすがに山道を荷車では登れないので、険しくなる辺りの茂みに隠した。
獲物を置いた川まで来ると周辺を確認するが、他の気配はない。
縄をかけてさっさと移動する。
荷車に積み込み、布で覆うと休憩をとることにした。
水筒から水を飲み、一息つく。
一体何しに来たんだっけな。
「せっかくだし。谷間があって丁度いいし、川に戻ろう」
言いながら、女は駆けだしていた。
「おいっ、勝手な行動取るな!」
しばらく二人して、息を切らし座り込んでいた。
馬鹿なのはどっちだよ。
「ふう、まあ日が暮れるまでに、町の外壁が見えてれば大丈夫だよ」
そんなぎりぎりな。
そういや、こいつらは予定が立てられないんだったな。
「今から、何が出来るわけでもないと思うが」
「でも、符、持ってきてるでしょう。試したら」
さすがに今日は動きすぎだ。
集中できるかという問題もある。とはいえ、僅かの時間でも機会は活用すべきだろう。
しかし、精霊力の流れを確かめたり、制御のコツを掴みたいのが主目的だ。
符を使いに来たわけではない。
確かに、この女には符の使い方を学びたいとは言ったが、この報酬が入ったら、質の悪い符でも仕入れようと考えていた。
今は懐がさびしいのだ。手持ちを減らしたくない。
まあ、流れを確認するくらいならいいか。
使わなければ、怪しまれるだろうし。
また疑念を持たれて詰め寄られるのは、しばらくは御免こうむりたい。
そうして、頭が働かないながらも符を取り出した。
適当に手にしたのは、商人作の氷属性の符。
「商人の符は、通りがいいよな」
辺り一面、視界は白に染まった。
「なっ!」
女の小さな悲鳴。
呆然と、符を取り落とす。
辺りに、ふっと色が戻る。
「…………」
叩き起こされたように、頭がはっきりした。
洒落にならねえな……精霊力を、通しただけだ。
僅かに集中できなかっただけで、これだ。
やっぱ真剣に練習を考えないと。
「言っただろ、制御できないと、まずいって」
女の表情を確認する気はおきなかった。




