三十九話 帝都での罠
盗賊に襲われるようなこともなく、鬱蒼とした山並みを超えることが出来た。
山を下るとすぐに町の外壁が見えてきた。野営した場所から、そう遠くなかった。
実際は道が曲がりくねっているので、見た目ほど近くはないようだ。
帝都周辺を囲むような道で、ようやく巡回の警備兵らを見かける。
荷車を妙な目で見られたが、詰問されるようなことはなかった。
前の町周辺が、悪いことをするには穴場なのかね。
北へ戻るときは、前の町は迂回した方がいいんじゃないかと思う。
他の人間ともちらほら擦れ違う。
誰も周りに警戒しているように見えない。
日常的に通っているようだった。
街道をそのまま進むと、境界線の曖昧な他の町と違い、門らしきものが見えてきた。
裏手になるからか小さめだが、さすがは首都といったところだ。
しかし、特別な検閲らしきものがあるわけでもなかった。
どこから来た何者か。北から来た旅人だ。
そんな言葉を交わしただけで、素通りだ。
もう一組、頻繁に行き来しているらしき商人は、何か通行証のようなものを見せていたから、何かしら基準はあるのだろう。
『帝都フロリナセンブル』
外壁、門の上部に大きく、そう刻まれてある文字を見ながら、門をくぐった。
とりあえず帝都に着いた以上、この二人と同行する理由は無い。
さて、どうするか。
商人は、話によると申請手続きのために時間がかかる。
申請場所は城内にあるらしい。
前の町よりも長い滞在となるだろう。
そのため、女の方も別の依頼を受けるそうだ。
今後を考えたら、そろそろ俺も一仕事したほうがいいな。
それに、やはり女の護衛依頼は帝都までで、再契約するということだ。
息の合う相手と巡りあうのは運だ。大抵は依頼延長する。
ともかく三人とも、組合へは用がある。
旅人組合本部へと続くらしい、本通りを進んでいた。
街中だから、荷車を引く商人も別段目を引くこともない。
「俺は宿を取ってくる。荷車を置いてきたい。二人は先に組合へ行くといい」
商人は、右手の小道へ向けて歩き出した。
「ちょっと待った。そこは安いのか」
「最安値のはずだ」
「俺の分も頼む」
商人は頷くと、「月の砂漠亭」と残し遠ざかっていった。
俺と女は、大通りを左手に進み組合に赴く。
「砂漠って敵地じゃないか」
「いつの話してるのよ」
大通りのざわつく雑踏の音を聞きながら、無言で歩く。
記憶の中の街並みと、さほど違いはない。
建物が古くなったとも感じないし、活気は増してさえいるように思える。
子供の目に映ったことなど、外見の違いくらいなもんだろうが、それでも眩しかった。
記憶の中の光景が、目の前に重なる。
父の後を付いて歩いた。いつものように。俺達の後ろには護衛の騎士達が続く。
トルコロルの正装である白い外套を纏う、その背中がほとんどの思い出を占めていた。
今俺は、父と同じ高さでこの街を見ている。
城壁の周りを囲むように、重要な施設が配置されている。
旅人組合本部も、その一つだった。
異彩を放つ立派な建物に圧倒される。
かなり広く、四階層はある高さだ。
赤煉瓦の建物が続く中、本部は黒っぽい石の壁で覆われている。
砦と言われても納得するだろう。
そういえば、コルディリーの組合も頑丈そうに作られていた。
どこかからの攻撃でも想定しているのかね。
そして、これも共通点らしい、入口の扉は開け放たれている。
一歩踏み入れたその広間は、今まで見た他の拠点全てが収まりそうだった。
もう昼になるというのに、人も多い。さすが本拠地なだけある。
俺みたいな典型的な小汚い見た目の奴らはともかく、やたら身奇麗な奴らもいる。
仕事の種類も違いそうだ。
まずは、長い受付カウンターへ向かった。
「俺は登録してくる。あんたは」
「私も」
旅人として依頼を受ける際、各町の拠点で、それぞれ登録する必要がある。
失くして困るような証明書は、俺達のような臨時雇いに一々発行されない。
魔術式を使った証明書は、耐久の問題で数回しか使えないし、原価が高すぎる。
その代わりに、実績があるなら活動拠点を提示することで、依頼の制限を下げるのだ。
「コルディリー北方支部ですね。照会しますのでお待ちください」
小奇麗な受付嬢は、俺が必要事項を記した書類を手に、奥へと引っ込んだ。
実績があるなら、元の街の拠点に依頼受諾履歴が積まれているので、こうして照会してもらうのである。
転話魔術式具のお陰だな。
安い依頼だろうと、住人でもない何処の誰かもわからない人間に、例えば配達仕事等は任せたくないからだ。
ここの地理に疎いので、なるべく早く把握してしまおうと予定を立てる。
地理といえば、周辺の地図も手に入れたい。店の場所をまず確認しておこう。
そういえば、依頼を受けると俺の場所もばれるだろうか。
まさか一人に人手を割くほど、暇でもないよな。
それに居場所を知られたからといって、どうというわけでもない。
相手をするのが面倒なくらいだ。
今まで見たどこの建物も、カウンターの奥にすぐ扉があった。が、カウンターの奥にも幾つもの机が並んで、なにやら作業をしている職員が行き来している。さらにその奥に、別室の扉が見えた。
広いと移動も大変そうだ。
受付嬢がそこから小走りに戻り、カウンターの外へ出て手招きした。
「お待たせしました。照会の準備が整いましたので、こちらの部屋へお願いします」
俺は頷くと、その後に続く。
「変ね。照会が厳重になったのかな」
隣からひそめた声が聞こえる。
「以前はなかったのか」
「少なくとも、今まで私が照会された所にはなかった」
「帝都だからじゃないか」
「そうかもね」
俺は、他の拠点で依頼を受けたことがないから、実際のやりとりは知らなかった。
長い廊下を挟んだ小さな部屋は、表から隔絶されており、広間の喧騒も聞こえない。
扉が閉まると、音は完全に遮断されたように思える。
打ち合わせ用の部屋なんだろうが、金が掛かってるね。
机を挟んだ向かいには、一人の職員と担当受付嬢。
部屋には、俺達の四人だけになった。
「私は照会確認の管理者です。こちらの、転話具を繋いでます」
そう言って机の中央に押し出された水晶は、既に光を帯びている。
コルディリーと繋がってるのか。
担当の受付嬢、確かニストさんだったか。
まさか彼女に直接確認するのだろうか。
人の出入りの激しい町で、こんな照会をしていたら、時間も転話具の原料代も馬鹿ならないだろうに。
担当受付嬢が渡した書類を受け取り、管理職員は記入事項を確認している。
「向こうは誰が繋いでるんだ」
職員の視線を合わせ答えを聞こうとした瞬間に、机からでかい声が響き思わず飛び退いた。
『おいっ、本物か? アンパルシア、貴様いい度胸してるじゃねえか!』
「げっ」
この声は、あれだなんだっけアなんとか、違うな……ええと。
「オなんとか!」
『オグゼルだ! 一人で出たと聞いたぞ、この馬鹿が!』
周囲の呆気に取られた顔も、今は気にしている余裕はない。
まさか、一番面倒臭いのが出てくるとは。
『勝手に出て行きやがって、こっちは少しでも多く手が欲しいときに』
「おっさんに言伝しといたろ。聞いてないのか」
『聞いたから、手を回しておいたんだ』
「ふざけるな。こんなところ出しゃばるくらいは、暇そうじゃねえか」
『暇なわけあるか! 仕事を断るのは見逃したが、まさかそれで済むと思ってたのか?』
「思うに決まってる。あの髭面も納得してたじゃねえか」
『それはあちらの都合だ』
「それこそ知らないね。何でも隠すほうが悪い」
『話す時期がずれただけだ』
やり方が汚ねえな。
「面倒くせえ。分かったから、人んところの転話具を無駄に磨り減らすな」
『いつ戻る』
「だから、」
『伝言は聞いた。長い。さっさと済ませてこい』
クソッ、とっくに手下扱いかよ。
「俺はあんたの部下でもなんでもない」
『緊急時だと言った筈だ』
「俺の事情も話しただろ」
『お前……』
オグゼルの低く唸るような声に、しんと静まる。
『案外、喋れるんだな』
失礼極まりない。
「あんたはうるせえよ」
ここまで来て、後ろから蹴りを喰らうような真似をされるとは。
手を回したって、こいつ。
今までの町で依頼受けなくて良かった。
ここは帝都だ、戻れと言われてすぐに戻れる距離ではない。
『間が悪いな。ブランチェッドは出ているから、勝手なことは言えないが』
「誰だ」
こいつは誰でも家名で呼ぶ。面倒な名前が多い。一々聞いてられん。
『はあ……支部長だよ』
「そうかよ。で、なんだ」
『近々届けてもらう物資もある。ついでだ、護送を頼んでもいい』
聞き流そうとする言葉とは裏腹に、焦りが高まる。
無理に連れ戻す気か。
頭に血が上る。
邪魔をするな。
「いいか、オグゼル……言った筈だ。今は俺の仕事の、邪魔を、するな」
自分で聞いても、切羽詰った声だった。
惚けている男だが、仮にも副支部長。裏で何をしでかしているか分かったものではない。
『…………全く』
考え込むように、転話具の向こうから、指で机を叩く音が聞こる。
やがて、口を開いた。
『本部担当官殿、大変失礼した。どんな依頼の達成度も高い、真面目な男だ。副支部長権限で、イフレニィ・アンパルシアの実績は保障する』
「確認しましたよ」
「確かに受け付けました」
安心した様子の担当職員と受付嬢は、苦笑いで答えている。
嫌な方に覚えがいいなんて勘弁だ。
『アンパルシア、これは名前を覚えた褒美と思え』
うぜえ。
「あなた、とんでもない馬鹿なのね」
今まで傍らで呆然と見ていた女が、首をふって呟いた。
「鵜呑みにするな」
俺の言葉にオなんとかが被せる。
『おい、何か女の声が聞こえたか』
「もう一人、照会する奴が居るだけだ」
担当職員は、しまったという顔をした。
『担当官殿、アンパルシア一人をと、お願いしたはずですが』
「申し訳ありません。ご一緒されていたので、関係者かと」
全く呆れたもんだ。
「へえ、俺だけご大層な照会されると思ったら、あんたの指示なわけね。言質は取ったぞ」
いやまあ、誰でもこの状況なら気付くだろうけどよ。
全く。そう溜息をつきたいのは俺だ。
「なあ、臨時依頼は見たよ。町を離れてはいるが、出来ることがあれば、そっちの依頼も受ける。今俺に出来ることはそれくらいだ」
『ふん殊勝だな。そうしてくれると助かる』
話はそれで終わり、適当に挨拶を済ますと、俺は逃げるように部屋を出た。
慌てて受付嬢も後を追ってきて、登録を済ませてくれた。
掲示板を見る気持ち的な余裕はなくなり、そのまま大通りへ向けて歩く。
「なんだか大した扱いね」
走るように俺を追ってきた女の言葉。
「知らん。買いかぶってるわけでもないだろうしな。御し易いとでも思ったんだろ」
「御し易い。あなたが」
「仕事で文句をつけたことはないからな」
こいつの照会は、職員が確認するだけだった。
登録自体は手早く終わるものらしい。
あいつ、これ以上余計なことしなければいいが。
気持ちを晴らすように、しばらく街を歩いて過ごした。




