三十七話 緩やかに
のんびりと景色を眺めつつ歩く。
青々とした、背も高い草原が広がり、遠くには、こちらも濃緑の木々に覆われた丘陵が続いているのが見える。
幾ら歩いても、その景色に大きな変化は見られない。
のどかで、暖かな陽気に憂いも払われるようだ。
「手合わせしようよ」
「いやだね。剣が傷む」
なんだか散歩でもしてるような気分だった。
それが逆に気持ちを波立たせた。
「その辺の棒切れでもいいでしょう」
「怪我人だろ。断る」
非常に、手持ち無沙汰だった。
この女が煩いから、精霊力で遊……制御の訓練もできない。
「臆病者」
「暇なら暇と言えよ」
旅とも呼べない鈍さだ。
なんなんだよ、このゆるい空気は。
必死に旅してきた俺はなんだったんだ。
なんでこいつらは、金もないのに暢気に進んでるんだ。
地図を見ていた記憶もない。
どこまでどれだけ進むとか、いつ頃にどの辺に着きたいからこうするとかさ。
計画性はないのか!
どうにも、落ち着かない。
軍に付いて行った時の方が、まだましな気分だった。
やっぱり俺は、人と行動するのは無理だな。
少しばかり、荷車の横に近付き、商人に話しかける。
「そういや工房を持つとか言ってたな、どこに構えるんだ」
「…………」
返事はない。商人は、荷車を引きながら、どこか遠くを見ているようだった。
「邪魔しちゃ駄目だよ。ユリッツさん、いつも魔術式のこと考えてるから」
考えてるというか、何か違う世界に浸っているようにも見える。
「ん、工房がなんだ」
少し遅れて返事がある。
いつも返答が遅いのは、怪しげな魔術式を構築しようと没頭しているからだったのか。
「聞こえてはいるんだな」
「そう、あなたと違って、ちゃんと周りを認識してる」
認識してても反応が遅いと意味はないのではないか、とは聞かなかった。
俺もつい考え込んでしまうことが多いから、気に留めていたはずが、こいつらと合流してからはどうも気が抜けていた。
痛みがなくなり、切迫感が薄れたのが大きい。
次いで、どうせまだ帰れないという投げやりな気持ちだ。
「この辺で休もう」
まだ日も沈みきる前だったが、商人は足を止めてそう告げた。
この旅の主導者は商人だ。旅の行動については、緊急事態でもない限り俺も従う。
街道脇に寄せると、二人は火を起こしたりと野営の準備を始めた。
俺は完全に日が沈む前にと、近くの小川で水を汲む。
お湯を沸かすと、硬い保存食を溶いた。
赤みの残る夜空に、湯気が立ち昇るのを見上げる。
三者三様、静かに木の碗から、どろどろの穀物粥を啜る。
まずい。
味わう前に飲み下し、碗を濯ぐと自分の分は片付けた。
二人は、いつものんびり食べているようだ。
俺は地図を取り出した。
目印など特にないから現在地も曖昧だ。
しかし午後には、前の町から続く急ごしらえの道から、まともな街道までは辿りついていた。
その新しい道の書かれていない俺の古い地図で、現在地の見当をつける。
ここからほぼ真っ直ぐ南下すれば帝都か。
今までの俺なら、明日の夜にも到着できそうな距離だった。
ということは、この面子だと明後日だな。
地図を畳んで仕舞う。
二人は、食事を終え白湯を飲んでいた。
どこを徘徊してたのこいつら。
そう引っ掛かっていたことを聞いてみることにした。
「今まではどこを回ってたんだ。コルディリーでは見た覚えがない」
期間的には、俺もまだコルディリーに居たはずだ。
符に関することなら耳に入っても良さそうだったし、こんな妙な行商人が来たなら、幾ら外に興味がない俺でも耳に入りそうなもんだ。
特にディナなんか、真っ先に話してくれたろう。
そもそもコルディリーに符の工房はない。
工房から帝都に申請に出向くのに、何故北へ足を伸ばしていたか。
「町の状況を見て回ってる。工房のある東海岸沿いの町から北へ進み、西回りに町を巡っている途中だ。北端の町なら先月末だよ」
回廊へ出向いていた時か。
それなら、あの時の、痛みが増した理由は、この女が近付いていたからか?
いや空の変化も、体の変化も確かにあった。
幾つか原因になりそうなものが重なって、どれに焦点を絞ればいいのか戸惑う。
もしくは、全てが関係するのだろうか。
「そんな寄り道しながらで、よく今まで無事だったな」
「無事と思わんから護衛を雇ったんだよ」
たった一人ね。
「実際助かった」
商人の言葉に女は俯く。
あの時、俺が手を貸さなければ実際どうなったか分からない。
無理だった気もするし、ぎりぎり商人だけは助かったかもしれない。
そもそも、この女の立ち回りがなければ、俺の助けも間に合わなかった。
そう考えれば十分時間を稼いだし、護衛の役目は果たしたといえるだろう。さすがに俺でも、自分でそれを役に立てたとは言わないが。
あんな状況で、自信を失う必要もないと思うが、そこは本人の問題だ。
「しかし符使いの護衛ね。普通なら良い報酬するだろ」
「私は、実績がないから……符にでも頼らないと……」
何か言いよどんでいる。
実績がない。
「そんな戦いぶりじゃなかったと思うが」
「組合の実績よ」
組合でのってことは、元は本物の傭兵仕事でもしてたか軍務に就いてたってところか。
「地道に仕事して、ようやく護衛依頼まで受けられるようになったところ」
別の仕事してたなら当たり前だが、意外にも旅人としては最近活動を始めたようだった。
「収入が全部符に消えてたから、ユリッツさんに雇ってもらえて本当に助かったの」
恥ずかしそうな、気まずそうな顔で、生活力の無さを暴露している。
俺も酒に消えてたが、さすがに貯蓄くらいしていたぞ。
「よくこんな女雇ってるな」
「安いからな」
「安い女だってよ」
「それが売りだから」
俺の皮肉にも動じず返す。
しかしその内容は、情けねえなおい。
こいつらが、町に近付いた事があったのは知れたが、既に印が痛み始めた頃だ。
結局のところ、これまでの道のりを聞く限りでは、痛み出した頃の接点は見つからなかった。
原因から、この二人を除外すると、空の帯と回廊の変化くらいしかない。
なぜ印なのかについては、今は考えたくなかった。




