三十四話 符の交換
気まずいというか、困惑していた。
別によほどの変わり者だからというわけではない。
俺も変わり者呼ばわりされてたしな……その辺は突っ込むまい。
「すごいもんだと思うよ。手間を取らせて、悪かった」
よく分からないものだったが、秘蔵の魔術式具を見せてもらえたことには感謝する。
感嘆したことに偽りはない。
何故か二人は緊張から解けたように、ほっと息を吐き出した。
辛辣なことでも言われてきたんだろうな。
こいつらの空気からして、このままだと話が終わってしまう。
「魔術式はどうなってるんだ」
工房ごとの技術は秘匿されている。普通に考えれば、そんなこと教えるはずはない。
取引する商人も、売るための知識は聞いてるだろうが、実際の知識はないだろう。
それでも漏らさないのが普通だが、物は試しと聞いてみた。
何か迷いが見える。
即断れば良いものを、生真面目すぎるのか。
「……種類くらいは知ってるか」
ああ、俺の知識によって話すことも変わるか。
「補助、防御、攻撃に四属性で光、火、嵐、氷。符使いでもないから、それ以上は知らん」
そういや光って感知だけだな。なんで攻撃に分類されてるんだ。補助で良さそうなものだが。
思わず思考が逸れそうになるのを、女の胡散臭そうに見る目に引き戻された。
精霊力が強いからって符なんか一々使ってられるか。
その視線を振り切り、続く商人の言葉へ耳を傾ける。
「基礎で基本。十分だよ」
「誰でも知ってることだよね」
女の余計な言葉も続く。
「簡単に言うと、その四属性の配合だ」
あ、これで話は終わりそうだな。
「なるほど」
わからん。
とりあえず頷いて、話を変えることにした。
「しかし残念だ。あんた俺の符を見て文句つけたろ。それで符を扱ってるというから期待してたんだ」
商人が動揺したように渋い顔をし、やや俯く。
また顔を上げて言った。
話すまでに一拍を置くのは、この男の癖のようだ。
「売り物はない」
また、部屋の隅からがさごそと、革の丈夫そうな袋を取り出した。
「これはピログラメッジ用に取ってあるものだ」
何か聞き逃したか、一瞬何のことかと顔を上げると、女にまた睨まれた。
「名前」
ああそうだった。女の名前か。聴いた瞬間、これは無理、覚えられんと記憶から飛ばしていた。
机に並べられたのは、攻撃符の光火氷のみだ。手には取らず黙って見る。
これは、文句付けるだけの品質はある。
土台の紙から工夫されているようだった。
手の平大の長方形だが、通常のものより短めだ。魔術式の真円で、なるべく埋まるように書いてある。
これなら、発動時に残る塵も減るだろう。
腐って土に還りやすいとはいえ、大量に出るからな。
まあ組合などの場合は、まとめておくのに丁度良いから長めにしてあるんだろうが、使う側としてはこちらの方が良いだろう。
顔料自体も、独特の艶を帯びているようだ。
通常の緑がかった顔料に、僅かだが赤みを帯びた粒が含まれているようだった。
工房毎の違いってやつだろうな。
「いい出来だ」
軍の物より顔料は少ないが、効果は同等か、それ以上ではないかと思わせる。
これなら、在庫切れも納得だ。……何処で売ったのかは知らんが。
ますます惜しい。
これなら一枚くらい試してみたかった。
そこで、ある事に思い至る。
「そこの、護衛用だと言ったな」
そこの女、と言い掛け慌てて言い換える。
「嵐の符を使ってたろ。それがないようだが」
「使い切ったのよ」
見てたなら分かるでしょうと、バツが悪そうだ。
「それが主に使ってるやつだな?」
「そうだけど」
俺は荷物から、手持ちの嵐の符、残り四枚を取り出して並べた。
「出来が悪いのは承知だが、精霊力も強いようだし、動きを止める分にはこれでも十分だろ」
驚いたのか、二人は一瞬顔を見合わせる。
「一枚で構わないから氷属性が欲しい。これで交換と、質が足りない不足分は金を払う。どうだ」
商人が、女を促した。
「そりゃ私は助かるけど、なんで氷」
氷は最も使い勝手の悪い属性だ。火にでもしておけば良かったか。いやそれでは目的から外れる。
「俺はそれが使い易いんだよ」
変わってて悪かったな。憮然として言ってみると、それ以上の突っ込みはなかった。
「ユリッツさん、私はいいけど……」
商人は頷いた。
「金はいい」
そういって氷の符を二枚差し出した。それで品切れのようだが。
「報奨金、貰ってるしな」
そんなこともあったな。俺の金じゃないけど。
「ありがたい。色々試してる最中なんだ」
意外にも、新しい符の入手に素直に喜んでいる自分がいた。
「金のかかる趣味だな」
「それで、私達に……」
哀れんだような、妙に納得したような二人の言葉がかけられた。
勘違いされたようだが、どうにか警戒は緩和されたようだ。
「それなら、もっと知りたい話もあると思うよ。ユリッツさん、職人さんだから」
女がそう、自分のことのように自慢げに言った。
その後、多少の突っ込んだ話を聞くことが出来た。
商人は二十台後半と、独り立ちしいる商人にしては若い。
だが、護衛たった一人をつけ、粗末な荷車で危険な荒野を移動するとは、大して商才がなさそうではあると思っていたが。
だが、この商人は符作りの職人上がりだった。
道理で、おっさんに通ずる気質があると思った。
行商人にしては珍しい、符の売買をしているのも納得だ。
女は符使いだから、護衛依頼は一石二鳥らしい。
なるほどと色んなことに合点がいく。
魔術式を描く為に使用される、顔料の調達が大変なのだ。
精霊力の通りの良い鉱石を使用する。材料調達費が馬鹿にならないだろう。鉱山が安定したのも最近じゃないか。
それに、誰もが、魔術式を使用できるわけでもない。
せいぜいが護身用で、戦闘に必須というわけでもないし、高値も付け辛い。魔術式符が売れても、売り上げは微々たるものだろう。逆に作るほど損するんじゃないか?
俺の訝しげな顔に気付いたのか、商人は「さすがにそれだけでは食っていけないさ」と肩をすくめた。
それでも、横目でさして大きくない荷車を思い返す。積荷に負傷した護衛まで乗せていた姿。
憐れみの情が湧いた。
「そういう、あなたは、なんでわざわざ危険な一人旅なんてしてるの」
女の物言いには、変わらず刺がある。
やっぱりそこが不審だよな。
危険か。確かに危険な目に遭った。だがあれは、こいつらの方だと思うが。
正直、コルディリーの周りで、治安を気にしたことはない。
盗人も居るにはいるようだが、ここで見た組織的な盗賊なんてのは噂にも上らない。
異変後に、治安部隊が派遣されたお陰なのかもしれない。
危険と言えば、精霊溜りの方が深刻だった。
そういや、ここに来るまでに、精霊溜りは見かけなかった。
街道沿いだから発見も早いだろうし、率先して片付けてるのだろうが、そんな気配すら見当たらなかった。
「なあ、この辺で精霊溜りを見なかったし話も聞かなかったが、あんたらは」
女は眉間に皺を寄せつつ答える。
「見なかったけど」
商人が補足した。
「そんなに頻繁に出るものではない」
そんなものなのか。
北方には吹き溜まっていたが、やっぱあの回廊の影響だろうな。
話を逸らしたと思ったんだろう、いらつき気味の女が口を開くのを遮る。
「俺は、コルディリーから出たことがなかった。色んな場所を見て回りたくなったんだよ」
女はぐっと堪えながら言葉を飲み込むも、また別の言葉を吐き出しかけた。
「それはそれは随分と……」
それも途中で止め、そっぽを向いたのを見る。
続く言葉に胸中で返す。
平穏無事、幸せな境遇だろ?
だが、それを崩したのはお前なんだよ。
知ってか知らずか……今のところは、何も知らないように見えるから責めはしないが。
「話を逸らしたつもりはない。北方で危険なのは精霊溜りだった。あちこちに、それも頻繁に出来るんだよ。盗賊なんかよりもよっぽど遭遇する」
興味が湧いたのか、商人が自ら言葉を発する。
「以前はそんな風には見えなかったが」
一応は北へも足を伸ばしてたんだな。
「そりゃ、住んでれば分かるくらいのもんだしな」
「それもそうだな」
納得したようだ。
軍からも組合からも、口止めされたわけではないが、回廊のことは話さない方が良いだろう。
北の異変自体については、北方支部からの臨時依頼の件もある。いずれ伝わるだろう。




