三十三話 謎の一つの結末
あえなく町へと戻ってきた。それはいいが。
宿、どうしようか。心情的には野宿したい。
二人組みと接触を試みるなら、町の中で機会をうかがう方がいい。宿を取るべきだ。
あいつらどれだけ滞在する気だろう。
怪我の件もある。
滞在予定の延長も考えなけりゃならん。
「……臨時収入は消えるな」
まあ丁度良かったと思おう。
すっかり痛みが消えていることに気付き、忌々しい気持ちで通りを進む。
それが一時的なものだと、今は知っているからだ。
昼時だ。
通りで流れてきた匂いに釣られ、食堂に入る。
金を払い席に着く。
ほどなく、一皿に適当に盛られた食事が目の間に置かれた。
一口大に切り分け、炒められた鶏肉は、まだ音を立てている。
油濡れの肉の周りには、白、緑、赤と色とりどりの葉野菜。だったものが、すっかり茶色く色を変え添えられている。
野菜に肉汁が染み込んでいき、食い終わってもくどさは感じなかった。
うまかったが、毎日食える身でもない。
しばらく晩飯は、大量に買ってしまった保存食を消費して過ごそうと決めた。
まずは情報。
組合で、格安の宿を尋ねた。
個室で最安値は、例の二人組みの泊まっている所だった。
同じ宿に突然現れるのは、あからさま過ぎるだろうか。
昨日から泊まっていたなら怪しまれなかったかもしれない。
適当に泊まったところが高かったから移った。
そういうことにしよう。
組合情報で移るのは、本当のことだ。
宿を取って、店を冷やかしつつ町をぶらつく。
住宅街にしろ、急いで建てたせいなのか計画性がなく、区画も曖昧だった。
あまり整地もされてなく、地面も歪んでいる。
コルディリーも、この前の町も、辺境で殺風景なもんだと思っていたが、意外と基礎はしっかりしてたんだな。
駆け足気味とはいえ、一通り巡ってしまった。
日も傾いてきた。今日のところは宿へ向かおう。
組合のある表通りへと、差し掛かったところでつんのめりそうになった。
俺が見ているのは、黄昏時の見せる錯覚か。荷車の側で眠そうな顔をしている商人の幻など、誰も見たくはないだろう。
組合の軒先で、影の下に覇気のない男が佇んでいるのはどうかと思うぞ。
ああ確かに、旅関連なら売り場としては申し分のない位置だ。
しかし邪魔にならないようにとの配慮なんだろうが、あれ業務妨害にならないか。
残念ながら、組合から出てくる奴らも一瞬ビクッと体を揺らすと、声を潜めながら立ち去っていく。
客が寄り付きそうにもないし、俺にとっては都合がいいか。
もう、痛みの原因を探ることへの躊躇はしない。
商人へと近付いた。
「売れてるか」
しまった。直球すぎただろうか。
商人は、ただ意外そうな顔を向けた。
「あんたか」
俺の態度から、もう会うことはなさそうだと思っていたようだ。
そこには触れず、あくまでも客として振舞う。
「符を見たい」
町を出る準備に、符は追加しなかった。
普通は滅多に使うものではないが、理由もあることだし、ついでなので補充しておいてもいい。
補助符は残り一枚、防御符は三枚。
攻撃符は、前の町で買った嵐属性、残り四枚。
火属性一枚。氷属性は、制御の練習で使い切ってしまった。
今の俺が使えば、剣の隙を埋めるなんて程度の威力で済まない。
氷の符が、制御をしくじっても被害が一番ましだったのだ。
もし、盗賊達へ使おうとしたのが嵐でなく氷だったなら、場を治められたのではないかと考えていた。
商人の眉の両端が、わずかに下がった。
「符か。在庫切れだ」
「在庫切れ」
思わず言葉を繰り返し、黙った。
確か、主な売り物だった筈だ。
今日のところは売り切れ、ならともかく在庫切れ?
意外と人気店なのか。それとも販売拒否か。
もう一度問いかける。
「なら、旅の道具」
それならと商人は頷くと、荷車の布を剥がし、幾つか箱を取り出す。
拒否られてはいないようだ。
それにしても、これは。
俺は腕を組み、なるべく真剣な面持ちで商品を吟味する、ふりをした。
何をどう言おうかとの時間稼ぎだった。
戸惑った。
碌な物がない。
麻の子袋類であるとか、発火道具や修繕道具をしまうのに丁度良い箱であるとか、ちょっと荷を括るのに便利な紐だとか。
どちらかというと、道具そのものというよりは、付属品ばかりが並んでいた。
確かに普段使うし、あれば便利かなという物である。
道具というか雑貨だな。
この手の物は、どこにでも売っているし、気が付いたら家に転がっている類のものだ。
自力で作ってしまうことだってある。
しかも、別段質が良いとか面白いなどの付加価値もなかった。
わざわざ行商人から買い求めるような品ではない。
長旅のせいだろうか、心なしか状態も悪くなっているような気もする。
無愛想だった道具屋のおっさんのことも心配してたものだが、日用品てのもあるが品も悪くなかったし、細々ながら暮らしていけていた。
余計なお世話だが、これでどうやって食って……いや本当に余計なお世話だな。
俺も人の心配をしている場合でもない。
思わず思い耽っていると、商人は広げた荷を戻していった。
顔に表れてしまったか。
「……悪い」
「構わんよ」
想定外だ。
まさか値段以外の理由で、買えるものがないとは。
そうだ、なにも買うこと自体が目的ではない。
袋くらいなら、もう一つくらいあってもいいだろう。
などと考えていると、商人は帰り支度を終えていた。
夕日の中、荷車を引く背に影が差し、なんとも哀愁が漂っている。
そうじゃない。慌てて、追う。
「まだ聞いてないことがある」
商人は訝しげに横目で俺を見ながらも、荷車を引く足は止めない。
「魔術式具、それが売りだと言ってなかったか」
一拍の後。
「あんたに買えるとは思えん」
当然のことだった。魔術式具といえば、一介の旅人に手が出る物ではない。
「だからだよ。こんな機会は滅多にない。見るだけでも見せて欲しい」
追いすがるための理由作りのためだ。必死になっていた。
「そこまで言うなら……あんたの役に立ちそうなもんじゃないがね」
商人は、俺の必死さを熱意とでも勘違いしてくれたようだった。
ほっと胸を撫で下ろす。
「見物料くらいは払うさ」
荷物は、あの女に預けているらしく、部屋まで訪ねることになった。
渡りに船だ。
途中、晩飯を買おうとしていたので、どうせならとお礼を兼ねて飯代を出すことにした。
野菜を適当に煮こんだだけのものだ。大した値段でもない。
これで晩飯の間くらいは、話ができるだろう。
俺が商人について部屋へ入ると、女は唖然とした後、不審な目を向けてきた。
魔術式具を見たいんだとの商人の説明に、追求はなかった。
そんなに見たいなら、前回会った時に頼まないのはおかしいだろうと思い至ったが、今さらだ。ともかくこの機会に、調べられることは調べる。
場は沈黙で塗り固められていた。
「…………」
「…………」
「…………」
気まずいとか、話が途切れた一瞬。
などではない。
食事のため小さな机を囲んでいるが、席に着いてからずっとこのままだった。
二人は気にすることもなく、無言で汁をすする。
参った。どうしようかこの状況。
普通は、何か探ろうとか思わないか。
おっさん以上に、言葉少ないやつに初めて会った。
俺も、話題を振ったとしても、相手が話すままに任せていたような人間だ。
似たようなもんだという自覚は、これでも少しはある。
喋らない人間が、三人寄っても、煩くなるのは辺りの虫の音だけだ。
静かでいい。
などと、今は言ってられん。
この機会を逃したら、尋ねる機会など他にいつあるんだ。
必要なことは話していた。
無駄口を叩くことが、頭になさそうな連中だ。
こいつらに用があるのは俺の方なんだ。
当たり前だが、俺から聞くしかない。
皆が食事を終えるのを見計らい、声をかけた。
「それで、どんな物を扱ってるんだ」
「魔術式具と符。旅の道具だ」
「そうか」
いやそれは聞いたよ。
そして、事実を単に述べられ、後に説明の言葉が続くでもなく。
会話は途絶える。
……俺も、こんな風に思われてたのかな。
仮にも商人なら売り込めよ。
これで、やっていけてるのか。
いけてないから、荷車を自力で引いて旅するような真似してるんだろう。
いやこの男の場合、本気でそれでいいと考えている気もする。
なんのために俺はここに来たのかと、仮の目的を見失いそうになった。
まずい。流されるな。気をしっかり持て。
「魔術式具は、どんなものなんだ」
「…………」
そこで黙るのかよ。
話す気はないとの意思表示かと思ったが、そうではなかった。
商人は立ち上がり、部屋の隅に置いてある荷を解いた。
両手で、四角い木箱を運び、机の上にそっと置く。
「これだ」
見たことのない道具だった。
そもそも魔術式具に接する機会などそうない。知らないことの方が多いとはいえ、見た目からして、何の想像もつかないものだった。
華美ではないが、花などの彫刻を施された蓋を開くと、中に篩が逆さまに被せてある。
「説明が難しくてな」
そう言いながら女に目配せする。
女はその道具に手を触れた。
精霊力が箱に流れ込む。
底に魔術式を仕込んである。
転話具も、魔術式を刻んだ鉱石の板に、水晶をかぶせたようなものだった。
似たような構造のようだな。
よく見ると、側面の装飾の中に小さな穴が幾つも開いており、漏れた光が机に模様を描く。
そして発動すると、篩から音が流れはじめた。
衝撃だった。
「すごいでしょ」
間の抜けた顔をしているだろう俺に、女が言う。
ああ、驚いたよ。
掠れたように、はっきりはしていない。
しかし、さらさらとした音は、一節一節を区切るように、ゆっくりとした旋律を奏でていた。
音楽が勝手に鳴る。確かにものすごいことだ。
「こんな魔術式、あったか?」
疑問が口をついて出る。
「これを見て、はじめに言うのがそれなの?」
憮然として女は言う。
他に何を言えと。
曲に耳を傾ける。
どこかで聞いたことがある。
「旅芸人の歌か?」
「子守唄よ」
「祭囃子だ」
どっちだよ。
「そういや地域によって違うようだな」
どこから広がったのか、どこでも聞くことのある古い歌だった。
場所によって謂れが違う。
コルディリーで暮らし始めてから、トルコロルとの違いを知って「へえ」と思った記憶がある。
要するに、特に興味もなかったのでそれだけだ。
「それで、これはどういったものなんだ」
二人は、黙って同じ表情をした。さらに無表情になったというか。
「…………」
「…………」
まさか、本気でこれだけの物なのか。
わざわざ高価な原料の鉱石を用いて、高度な魔術式を組んだ道具が?
一つの事実に思い当たる。
俺に役に立たないって、こういう意味か。
「あ、ああそうか、すまん」
実用品ではない、高価な道具。
そりゃ、売れるはずないな。
これを庶民に売ろうとしてたのか。
売り込み先が間違ってるだろ。
組合だって買わねえよ。
ここしばらくの謎の一つ、いつまでも商人と移動しているらしい不思議な魔術式具。
その謎は解けたが、なんとも腑に落ちない結末だった。




