三十二話 後戻り
甘かった。
気が付かないうちに、精神的な疲れが溜まってたようだ。
コルディリーを出たときの、漠然とした覚悟なんて崩れていた。意外とすぐ帰れると、高を括っていたんだろう。
対象に到達し、ようやくすっきりとした形を見せ始めたもの。目の前に提示されていたそれを俺は無視した。
原因から調べなけりゃ再開の可能性もあると、だからこそ痛みを誤魔化して生きる道でなく、漠然としてようとも取っ掛かりがあるなら追う。
だからわざわざ出てきたんじゃないか。
それなのにだ。
痛みが消え、掴んだ糸口が正しかったと分かっただけで満足した。
まだ何も探ろうとする前から。
これが一時的なもので、何もせず帰れば再開するだろうという、まず考えるだろうことすらせず。
俺は、コルディリーに戻ろうと、街道を進んだ。
二人組みのことも忘れ、ただひたすら帰ろうと歩いていた。
目的に接して痛みが止み、あの女を助けたら、それでいいのだと思っていた。思い込もうとしていた。
対象が何者であるか、とりあえずの情報も得ることができた。
それで別れておしまいだと思っていた。
これで終わると思う方がどうかしていた。
用事も済んで、さっぱりしたはずなのに、行きほど他のことを考える余裕はなかった。
考えまいとしていたが、無意識に気付いていたんだろう。
帰ろうと町を出て、わずかに離れただけで、印が疼き始めるのを感じていたのに。
「っ……!」
途端に再開する脈動。
鼓動が速まる。
少しの痛みくらい、慣れたはずだ。
その事実から目を背ける。
さらに歩く。少しでも、原因から遠ざかるように。そして馴染んだ屋根裏部屋に近付けるように。
歩を進めるごとに印の脈動は強くなり、体は重く、冷えていく。
無理を押してさらに離れたが、やがて足を止めた。
対象へ接近した時に感じた強い脈動が、背を覆うようだった。
印がまるで別の生き物だと思った。寄生されているようで、不快感が込み上げる。
さらには、頭を締め付けるような警告すら与えてくる始末だ。
嫌な汗が出る。
痛みだけのせいではない。
焦り、混乱、そして衝動。
その場で叫んでいた。
「……頼むから……帰らせてくれ!」
他に何をしろっていうんだ!
力なく、路傍の石に腰掛ける。
両肘を膝に付き、頭を抱え込んだ。
慎重さを失って、勝手に事は済んだと喜んで、期待を裏切られたと落ち込む。
愚かなことだった。
考えが甘かった。
今思えば、ここ数日の俺は、これまでだったら考えられない行動を取っていた。
帰りたい気持ちだけが強くなり、目が曇ってしまっていたのだ。
こんな単純なことにも思い至らないとは。
『調子のんなよ』
警備兵の、心配だか嫌味だかの声を思い出していた。
あんな使い古された言葉に、苦い思いだ。
何度でも使える言葉には、それだけの理由がある。
情けない。
もう少しくらいは、強くなったと思っていた。
呆然と、何を見るでなく視線をさ迷わせる。
痛みを逃すため、無心で深呼吸を繰り返す。
落ち着いてくると、また感覚の変化に気付いた。
この短期間に、何度目だよ。
印から発せられる信号は同じだ。相変わらず対象、あの女を指している。
今や、それだけではなかった。
そうだ、明確にあの女を指している。
あの女と会う以前と比べて、印の信号の先に、ぶれがない。はっきりと目的地が定まっていた。
町の外に出てさえ、あの女の位置が分かる。
気味が悪い。
よもやこれ以上、状態が変化するとは思ってもみなかった。
疲労感は増すばかりだった。
「思ったよりきついな」
諦めと共に呟いた。
ここで喚いていたって何の足しにもならない。
両頬を叩き、喝を入れる。
「戻るか」
立ち上がると、すっかり高くなった日を見上げ、来た道を戻る。
戻りながら、改めて今後のことについて考えていった。
初めに決めたことを思い出せ。
解決法が見つからなけりゃ、投げてもいいが、出来ることが目の前にあるなら全て試してからにしろ。
あの二人組みと、再び接触する必要がある。
こっちから切るよう態度を取ってしまった。
初めに助けるような形になったのですら、無理矢理だった。
二度目だ。
どうやって近付くか。
俺が町を出たとは知らないだろう。
興味を払いもしなさそうだが。
改めて思い返してみると、変わった奴らだったな。
初めは警戒されてるせいだと思っていたが。
商売っ気のない商人に、好戦的な護衛。
どうあがいても、一筋縄でいきそうにない。
とりあえず商人は置いておくとして。
印に関係あるのは、女の方だ。
幸い旅人同士だ。接点はなくもない。
ただ、既に商人護衛依頼中だ。組合で『偶然』出くわすようなことはない。
別れ際のあの女の態度から、不信感は拭えてない。話す機会もなかったし当然だ。雇い主の商人を無視して、話ができるとも思えない。
返って商人の方は、俺への警戒は弱まっているように思えた。
護衛依頼がいつまでか知らないが、先に商人へ接触するべきだろうな。
との道この町にいる間は、そうするしかないだろう。
ではこの町を出たら、二人はどうするか。
今度こそ、帝都へ向かうはずだ。
逆の道からこの町へ入ったんだ、次の町は帝都しかないし、新しい地図にもさらに町があるような記述はなかった。
通常の護衛依頼なら、目的地が決めてある。普通に考えれば、互いに次の仕事を見つけ易い、帝都までの護衛と考えていい。
もちろん契約更新の可能性もあるので、その後どうするかは分からない。
まあ帝都へ向かうかどうか、その後どうするか。念頭には置くが、それを聞き出せるよう近付くのが先だ。
そして、話をするためには今までのようにはいかない。素性を知られているし、そ知らぬふりをして世間話もできない。
初めが不自然なんだ。今さら自然さを目指した方が、余計怪しくないか?
興味が湧いた。
逆にそのくらい単純な方が、納得され易いのではないだろうか。
あの商人も仕事をしてるなら、街の中を歩いていれば見つけることも出来るだろうと思うのだが。主に売ってる物が、魔術式符らしいからな……。
あんな荷車を引いて、道端で符を売るやつなんて見たことも聞いたこともない。
そういえば、雑貨も扱っているという話を聞いた。
具体的な品揃えは分からんが、それなら路上で売り歩いてもおかしくはない。
雑貨なんてのも何処にだってあるから、それでも微妙な取り合わせではある。
仕事をしてくれよと願う。
あの商人の、やる気のなさを思い返すと、望み薄な気がしていた。




