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一話 旅人イフレニィの日常

 薄暗く陰気な部屋の中、目覚める。

 狭い屋根裏の部屋。薄明るい小さな窓が目に入り、夜明けだと分かる。酒の残る重い体を引きずり、ベッドを出た。

 目の高さにある小窓の下に据付の棚がある。そこに置いた手の平大の曇った鏡を、弱い光を頼りに覗き込む。無造作に跳ねる白銀色の髪をかき上げると、腫れぼったい目蓋の下から、くすんだ淡い碧眼が見返す。小刀を取り出すと、ざらつく頬に刃を当てた。髭を剃りながら、どんな仕事があるかと予定ともいえない予定を考える。


 同じ日々だ。

 小刀を置くと、水瓶から布を湿らせ顔を拭う。その辺に放っていた、擦り切れたシャツやズボンを身に付ける。肩から斜め掛けの革紐で固定した、同様に革製の胸当て。腰の厚めの帯革には、短めの片手剣。補助の細い革紐には、水筒などの袋を幾つか括りつけてある。無いよりはましな装備だが、靴だけは丈夫な物を選んでいた。編み上げ靴に革製脚絆(きゃはん)で足元を固定する。軍用の脛当ほど頑丈ではないが、戦闘を考慮しているわけではないため普段歩き回るには問題ない。最後に腿丈の、あちこち糸くずが飛び出た少々厚手の外套(うわぎ)を羽織る。


 梯子をガタガタ鳴らして降りる。

 家屋の主人で木工細工職人でもある壮年の親父は、既に仕事を始めていた。狭い家だが一階で道具屋を営み、二階は家主の住居だ。

 屋根裏の広さは各階の半分もなく、天井だって頭が付きそうな高さしかないが、旅人組合に属してから今まで長いこと世話になってきた。

 仕事して、飯食って、戻って寝るだけの生活。これで十分、不便を感じたことはない。


「早いなイフレニィ。飯食っていけよ」

「おはよう、おっさん。……パンだけ貰う」


 軋む床板で俺の所在を知ったおっさんは、品物の整理をしながら振り向きもせずに話しかけてくる。

 俺も特に目を向けることなく、店番用の丸椅子に腰掛けて板壁に背を預けた。一つ小さな溜息を吐き、渋々と勘定台に置かれていた木皿から一つを手に取る。

 正直、胃がもたれていたのだが食わないと後が煩い。彼の善意であり、不摂生の結果による文句など付ける資格はないのだ。硬いパンを力任せに千切ると、口に押し込んだ。


「酒は飲んでも呑まれるな。覚えとけ」


 溜息を聞きとがめられたようだ。俺がぼんやりして見える朝には言われることだった。大抵は、そこで会話も終わるのだが今日は続いた。


「今朝は依頼出してるから、うちの仕事受けてくれ」

「直接頼めよ」

「馬鹿言え。馴れ合いは御免だ」


 形ばかりの言い訳だ。そう言って時に仕事を振ってくれる。まだガキといっていい歳から、やっかいになったからだろう。二十を数える歳になった今でも保護者気取りだ。俺は苦笑で答えた。


「また後で」


 口の水分を取られる欠片を水で流し込むと、俺は店を出た。これも毎朝の何気ない生活の一部だ。


 旅人組合に向かう、いつもの道。朝の冷えた空気を顔に受けながら歩く。

 アィビッド帝国北方自治領、現在は北端の町となったコルディリー。徐々に昇る陽に色を取り戻す町並みへ、なんとはなしに目を向けた。

 白茶けた砂交じりの石壁に、木板の屋根を葺いた二階建ての家屋が連なる。辛うじて舗装の行き届いた道沿いには店舗が並び、開店準備を始めている。

 この商店街の外れに旅人組合事務所はある。一軒だけ硬い岩のような壁の建物だが、やや広いだけでそっけないものだ。


 旅人組合の興りに思いを馳せる。

 ひと昔前は、文字通り世界中を巡って仕事を請け負う者だから、旅人と呼ばれていたらしい。しかし勢力が増えて組合を興し、各国が協定を結んだ。その結果、日雇い仕事に精を出す人間の方が増えたといわれている。俺のように。

 加盟国間ならば国境を気にせず移動できるのだが、大抵の者は地元を出る事など考えないものだ。手っ取り早く仕事にありつける場所として利用しているに過ぎない。俺の場合は拠点を移動するのが面倒臭い気持ちが大きい。また特に興味も、出歩く懐の余裕もない。


 目的地に着き、扉の開け放たれた戸口へと足を踏み入れる。既に顔見知りも幾人かいて、壁に張り出された依頼を物色しているようだ。曖昧に挨拶を投げかけ受付へ直行する。顔を見た途端、前置きなく伝えられた。


「いつもの指定依頼入ってるわよ」

「ああ聞いた」

「直接頼めばいいのにねえ」

「全くだ。検品に納品だろ。午前中に終わる。他にもないか」

「北の村外れで人手がいるの。小川に橋を渡すそうよ」

「それで」


 面倒くさがりなところのある俺は、いつからか掲示板の依頼を見るのをやめて職員と直接やり取りするようになっていた。彼女も慣れたもので、俺が好む依頼を提示してくれる。事務的だが気安い会話は、しっかりと依頼を受けた安心感を得られるということもある。

 今回は家主の依頼が主だが、こうして俺は仕事を請け負う。度々のことながらおっさんの愚直な心尽くしに、ありがたくも情けないような気持ちになりつつ来た道を戻った。


 国外れの大きくはない街だが仕事は多い。力仕事ばかりだが雑用が多ければ日々の暮らしには困らない。異変の後に、生き残った者達を受け入れる村を用意するなどの必要に迫られ、組合本部から特別予算が組まれた。俺のような難民は、そうしたものに助けられ、手を貸す代わりに飯の保証を得たわけだ。復興活動を進めながら人々は生活を取り戻していき、そして今も、急激に増えた人口が雑事への雇用を支えている。

 その原因――目の端で空に翻るものを僅かに意識すると、振り切って道を急いだ。




 住んでいる場所に戻ってくるということを少しだけ馬鹿馬鹿しく思いながら、外から店内へと声をかける。


「旅人組合から、無愛想な店主の仕事を引き受けにきました。いてっ」

「でかい図体で入り口を塞ぐな」


 ふざけた俺の背中をおっさんが叩いた。


「荷物、外に出してたのか。俺の仕事を減らすなよ」

「狭い店にいつまでも置いてられんよ。任せたぞ」


 おっさんは言いながら奥に引っ込んでいく。その背を見送った俺は、店の側面に回ると人一人通れる程度の隣家との隙間に入り込んだ。そこに積まれた木箱を見て、いつもながら盗まれたらどうするのかと思いつつ蓋を開いた。大量の筆記道具など手に入れたところで食えはしないし、金になるような品ではないが呆れてしまう。


 中身を確認すると己の仕事に集中する。上部に置いてあった注文書を確認しながら、品物の数をそろえ届け先毎に小分けしていく。仕事自体は大した労力ではないが、町の端から端まで届けるので時間がかかる。店主一人でやってるので、店を空けることになるため、届け先が多いときは俺に頼んでくれる。というのはおっさんの理屈だ。




 一仕事終えると昼だ。肉体労働者界隈で人気の大衆食堂へ向かう。単調な味だが、安く量が多い。俺もその恩恵に与る一人だ。昼には一気に押し寄せる客を捌くために、店の外まで席を並べている。


「はいお待ち」

「ディナ、こっちも」

「あいよ、ちょっと待ってね」


 看板娘が喧しい客の間を精力的に移動している。日に焼けてムラのある顔に、少し潰れ気味の小さく丸い鼻が愛嬌を添えている。懸命に働く元気な声と、ほんのり汗ばむ屈託の無い笑顔が店の空気を明るくする。その元気のお裾分けを受け、午後も頑張って働くぞと気合を入れるのだ。


「イフレニィ、また飲み過ぎたでしょ! これおまけしておくね」

「ありがたくいただくよ」


 腹に収められれば良いとばかりに食に無頓着な俺に、彼女は時々野菜をおまけしてくれる。今日は人参だ。苦笑しながら、それを受け取る。


「おいおい、いっつもそいつばっかり贔屓してるじゃあねえか」

「この人の顔見てみなさいよ、しょぼくれてるでしょ。あんたは元気そのものじゃないの!」


 冷やかしが周りから入り、ディナが返す。これもお決まりだった。もっと味わえと怒られながらも、かき込むように平らげる。北の村は多少距離があるため急ぎたかったのだ。


「仕事頑張ってね!」


 ディナの声を背に受けて俺は足早に立ち去った。




 のんびり歩けば一時間ほどの距離を、早めに村へ着くことができた。早速指示を受け、俺も伐採した木材を運ぶ同業者に混ざる。

 そこへ、血相を変えた村民が駆け込んでくるや叫んだ。


「せぃ、精霊溜(せいれいだま)りが、見つかった!」


 その場にいた者は一斉に動きを止め、黙した。


 平穏な日常は、終わりを告げる。



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