二十五話 分岐
夜明け前に目が覚めるのが、癖になってしまった。
部屋中に干しておいた服へと手を伸ばし、状態を確かめる。
厚手の外套とズボンは生乾きだ。
シャツなどは乾いているようだが、全部そのままにしておく。
替えの服を着る。一瞬悩んだが、最低限の装備は身につけていくことにした。
安全そうな町だが、こいつらを失くすと痛い。安物とはいえ、揃えなおすのはそれなりにかかる。
靴に足を突っ込んだら、ひやりとした。
さすがに乾かないよな。こればかりは替えがない。
町の生活時間に合わせ、夜が明けてから部屋を出る。
宿の一階では、食事を取ることが出来るようで助かった。
コルディリーでは、パン屋などで買ってくるのが普通だったのだ。
木の深皿を受け取ると、雑穀を煮込んだ粥が湯気を立てている。
朝から温かいものを食う習慣がなかったので、少し驚く。
白っぽいのは山羊の乳で煮込んでいるのか。匂いでそう判断する。
粥の上に散らしてあった、小指の先程の黒い粒は、炒った何かの種のようだ。噛み締めると、薬草のような風味と塩味が口に広がる。塩漬けにされていたのだろうそれは、甘みのある粥の味を引き締めていた。
水分も同時に摂れるのは便利かな、などと思いつつ、流し込むように食い終わり立ち上がる。
まずは組合へ向かうと決めていた。
主人に部屋の荷物のことや、行き先と昼までには戻る旨を伝えると表へ出た。
顔を照らす日差しに、目を眇めながら歩く。
一日の始まりに、組合へ向かうというのも、懐かしい気がするな。
組合の入り口は、開きっぱなしになっている。
これは、決まりなのかね。
その扉をくぐると、掃き掃除をしていた職員らしき女に声をかけた。
活動初めは、遅めのようだな。
「地図はあるか。確認させてほしい」
声をかけると、吃驚したのか、職員は一瞬飛び上がりながら返答する。
「はいっ! いいですよ。お待ちくださいね」
言いながら、厨房のような奥の部屋に走っていった。
よっぽど登録者が少ないのか?
掲示板にまた目を通す。昨日とあまり変化はなかった。
だが少なくとも、仕事は皆無ではない。
あまり、旅人の成り手がないのかね。
まあ、そういう町もあるだろうな。
紙の擦れる音が聞こえたので、カウンターへ近付いた。
「お待たせしました。この町の周辺と、一応帝都までの地図も持ってきましたけど」
この町からは、帝都へ向かう者が多いんだろう。
俺も自分の地図を取り出す。
カウンターに広げられた地図へと、目を落とした瞬間に違いに気付いた。
「十分だ。手持ちが古くて困っていた。助かったよ」
予想通りだった。
帝都から北へ、この町からは西へ向けた中間辺りに、町の図があった。俺の地図にはないものだ。
道もしっかり記されているところを見ると、新たな街道なのか。
そんなもの作る余力があったとは思えないが。
ともかく、それらを古地図へと書き加えた。
帝都周辺までの地図からも、気付いた点などを書き留めておく。
重要なことは、確かめられた。
職員は掃き掃除を終えて、カウンターの向こう、受付の定位置へ座っていた。
書類を整頓している職員に、話しかける。
もう一つ、聞いておべきこと。
「帝都に近いってことは、行商人も結構来るのか」
地図に目を落とし、確認を続けるふりをしつつ尋ねる。
「そうですねえ、ここからは帝都と西の町、どちらにも行けますから、それなりに多いと思いますよ」
「符を扱ってる行商人は来てるか、噂で安いと聞いた」
噂はでっち上げだったが、女は質問の内容に興味をひかれたのか、意外そうな顔で答えた。
「あら、つい先日そんな人達がいましたよ。でもそんな噂なんてあったかしら?」
首をかしげている女の言葉に、今度は俺が食いつく。
「見たのか?」
姿形の情報が入るなら、探し易くなる。
「あっ期待させてごめんなさい! みんなが話してるのを聞いただけだから」
気を落としかけた俺に、女は慌てて言葉を続けた。
「そうじゃなくて、高いって話してたのよ」
なるほど。魔術式道具の方が話題になっていたのか。
それにしても何を取り扱ってんだろうな。
「勘違いしてたみたいだな」
地図の礼を言って返す。
「符が欲しいなら、この通りを西へ歩くと右手に見える雑貨店へどうぞ。手頃よ」
作業の邪魔を詫びて、組合を出た。
仕事も受けず、聞くだけってのは悪い気もしたが、追いつきたいなら今日中に出た方がいい。
急いでないとはいえ、相手がどう動くか知れないのに、わざわざ遅れるような真似は出来ない。
宿へ戻ろうとしたが、せっかくなので雑貨店をのぞく。
懇意にしているだろうし、後で客が来たかと話題にされても困る。
在庫を尋ねると、以前買えなかった嵐属性の符があった。
全て試しておきたい気持ちもあり、五枚ほど買うことにする。
その顔料の少なさを見て、眉を顰めた。
手頃なだけあって、質はコルディリーの店売り品と大差ない。
仕入先同じじゃねえかこれ。
ぼやきつつ、宿へ引き返した。
宿へ戻ると、急いで荷物をまとめて鞄に詰め、未だ生乾きの外套を羽織る。
主人と挨拶を交わして出た。
午前も半ば。
古地図に、新たに書き加えた地点を目指す。
逸る気持ちを抑え、町中央の十字路を、西へと抜ける。
町から西側へと伸びる道へ、踏み出していた。
なるほど。確かに道だが。
目の前のそれは、街道と呼ぶには首をひねる出来だった。
まともに舗装されてなかったのだ。
都と取引がある以上、許可は得ているはずだが、急造といったものだ。
草をむしって、土を踏み固めただけか?
頭に思い浮かべた地図で、位置確認をする。
西の町は、ここと帝都との間の、ちょうど中ほどにある。
国境にも近い。北からや越境者などの流民対策と、帝都への緩衝として機能していそうだった。
最近までなかったのが不思議なくらいだ。
さすがに砦くらいはあったのだろうか。
アィビッド帝国は、幾つもの自治領を束ねているだけあって、土地だけは広い。
長いこと、陸続きの隣国との小競り合いが続いていたこともあり、人手がそちらに集中して、管理が行き届かないでいたと聞く。
情勢が落ち着いてきた頃に、大異変が襲った。
不運なんだか、悪運が強いというのか、ともかくしぶとい国ではある。
地図へと意識を戻す。
書き加えた図によると、山というほどではないが、起伏が今までよりも激しくなるようだ。
距離自体は、ここから前の町までと変わりなく見えるが、時間は遥かにかかるだろう。
歩き進めている視線の先には、すでにその地形を確認できた。てっぺんを緑に染めた丘が、幾つも連なっている。まばらとはいえ、木々も見えていた。
その上、この悪路か。
一つ深呼吸をし、黙々と歩き続けた。
丘の合間を縫う道へと入り、しばらく進む。
町は、とうに見えない。
昼には早いが、日課の対象探しだ。
印に精霊力を流して……異変に気付いた。
脈動が強まっている。
慣れたと思ったが、鈍い痛みに嫌な汗が出る。
「近いのか」
この道で間違いない。
どれだけの距離があるかは分からないが、このまま進む。
調べる回数を増やすことを、予定に書き加える。
痛みに気力は削がれても、自然と足取りには力がこもった。




