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生き残り

 突然、気を失いそうな痛みが全身を襲い息をのんだ。それは体に刻まれた印から発せられていた。生れ落ちた時より与えられる、王族の血を引く者たる証。国を示す紋様で編まれてあるという、魔術式。

 ただの飾りだと思っていた。この時気付くべきだったのかもしれない。印がただの模様ではないことを。


 ◇


 傍で呻き声が聞こえた。

 背中の痛みから意識を引き剥がして顔を上げると、半身を折り、うずくまっている身体が目に入る。

 這うように近寄って、その背に触れ、動きを止めた。


「父さん、血が……!」


 左脇から血が滲んで、シャツに染みを作っている。


「……印か」


 確かに、父の体にある印の位置だ。俺の視線に促され、それを確認した父の顔から、色が失せた。


「何かが、国に起こった」


 それきり黙ってしまった。

 言葉なく父は俺を引き寄せシャツの背側をめくる。俺の印は腰にある。痛みはあったが、血は流れていなかった。


 俺に何事もないと分かると父は部屋を出て行った。部下達と話すのだろう。

 国がどうのという言葉の意味は分からない。父の印は心臓に近い。怪我は酷くないだろうか、心配でそれだけが頭を占めていた。

 まだ子供の俺では、なんの役にも立たないことは分かっているが、何にも関わらせてもらえないことが悔しかった。


 ふて腐れて頬杖をつき、宿の窓から通りを眺める。夜だというのに、やたら辺りが騒がしい。

 先程のことで意識から追いやっていたが、ずっと地鳴りのようなものが続いているせいだろうか。

 声に誘われて階下へ降りると、町中の住民が出てきたのか、通りは人に溢れている。

 そして一様に、空を見上げていた。


 同じように見上げる。

 白い吐息が、空の光にかき消される錯覚に陥った。

 幾つかの色を伴った光が絡まるように帯を作り、遥か上空で翻っている。

 それはどこまでもどこまでも切れ目なく続き、天を飾る。

 あまりに壮大で、一時、自分の立っている場所を忘れて見上げ続けた。


 これが痛みの原因かと、頭の片隅は呟いていた。




 ここは海を渡った先の大陸。その東側を統べるアィビッド帝国だ。

 二つの大陸が干潮時には徒歩で渡れるほど近い、回廊と呼ばれる場所が北東端にある。渡ったすぐ先が母国トルコロル共王国である。

 父は外交官としてアィビッド帝国領を訪れており、長子の俺は、父の仕事を学ぶべく付き従っていた。

 内心では、それにかこつけて国から離れていたい気持ちの方が大きい。父の手前、口には出さないが、あまり母国のことが好きではない。


 異変が起きたのは帰路、回廊の一つ手前にある街へ辿り着いた夜のことだ。

 各国に跨り、その情報網を誇る旅人組合からの懸念が即座に各地へと報告されて、すぐに街は封鎖された。

 国を通じ領主から伝えられた緊急発令によると、北方との連絡が途絶えたため、詳細が判明するまで動かぬようにとの指示だった。


 しかし手掛かりは間もなくもたらされる。避難民が次々と流れてきたのだ。

 辛くも逃れた者達が見たのは、回廊の消滅。

 文字通り、跡形もなく、全てが消滅したのだと興奮のままに叫んでいた。


 周辺の村で被害を逃れた者達がその光景を見たわけではないが、空の変容は見ている。音の奔流も、俺が聞いたものとは比較にならない破壊音だったようで、空が落ちてくると恐怖に取り乱し一斉に逃げてきたらしい。

 彼らの話に想像以上の深刻な事態だと悟る。


 回廊周辺ということは、港も破壊されているだろう。

 父は貴族で外交官といえども、さして権限があるわけではない。国同士の交渉といった大仕事ではなく、各地との交流に派遣されていたような立場だ。しかも帝国に比べれば格下の国。兵や旅人組合らに詳細を求めたところで、伝えられるのは一般市民への報と大して変わりのないものだった。

 アィビッドを筆頭に各国は迅速に対処中であると言うばかりだ。


 街の警備兵達も、続く緊張状態に目を血走らせ、それまでの陽気さは失われていた。

 端々の空気から、何かが全て変わってしまったのだと思った。

 俺達のような一時滞在者は宿に閉じこもり、何も出来ず、ひたすら続報を待ち続けるしかなかった。


 ようやく帝都から、まとまった調査団が派遣されてこの街を通過したのは、異変から一月も後のことだ。しかし戻りは早かった。

 大陸を繋ぐ中継地として賑わい、北方最大拠点でもあった街パスルーは、噂の通り消え失せていたと告げられた。

 高台から回廊を見やると、まるでそこを中心に、海一面が抉り取られたかのようだった。元あった町並みどころか、草木は消え失せ、大地に亀裂が走り崩れかけているのだと――。

 あまりに危険な状態ということで、回廊周辺は完全に封鎖するとの触れが出された。それだけだ。


 帝国側からすれば帝都近辺の災害ではないし、辺境の地のことなど後回しになるのは確実だ。

 父らにしてみれば、その危険な場所のすぐ側である母国がどうなっているのか気が気ではない。

 調査団の報を受けて父は、このような時勢に護衛とするには不安な旅人を雇ってまで、部下を情報収集のために他の街や国へと向かわせることにした。

 俺は蚊帳の外で、それらを見ているだけだ。次第に臨時の拠点となってしまった、この街での生活に馴染んでいった。



 一年も経過した頃、かき集められた情報が突きつけられる。

 ――トルコロル共王国は、滅びた。

 回廊の街がそうなら、ほど近いトルコロルが完全に無事なはずはない。それでも父達は、信じたかったんだ。免れている街もあると、一つの国が簡単になくなるものかと。

 しかし荒野の中に街が点在しているような帝国とは違い、トルコロルは王城の塔が全ての街や村から見える程度という話だ。


 聞いた被害が本当なら、トルコロルが消えた方が自然だ。

 思わず力が抜けたように、父は机に手をつく。項垂れた顔が、これまでにないほど青白く見えた。


 もはや後ろ盾はない。

 人生を縛るものも、導くものもない。


「戻ろう」


 それでも父は、力強く宣言した。部下らも、決意を込めたように険しい顔で頷いていた。


 国へ戻る他の手立ては気が遠くなるものだ。二つの大陸が渡れるほど近付くのは、北端と南端だけ。北が駄目なら南端の港から渡り北上するという、大きく迂回する道しかない。

 長い行軍となる。

 情況の分からない中、ただ目指すには、あまりにも長い道程。そして長く移動するには、情勢も最悪だった。

 帝国と、西に隣り合う砂漠の国々は長いこと争っているが、これを機に攻めてきたのだという。そのせいで民も殺気立っており、治安は極度に悪化しているとの話だ。陸続きにある国々では、隣国の民が押し寄せることを懸念して国境を封鎖するなど、様々に影響しているらしい。

 事実、各地に手配した部下のうち戻らなかった者もいる。


 争いだけでなく、街が消滅した話は瞬く間に広がっているのだろう。人々が恐慌状態に陥っていてもおかしくはない。なんせ、どの国からもあの空を見たという情報が入ってくるのだ。

 だから父も、この街を拠点に留まってきた。本国からの連絡があると信じてでもあった。今動くのは無謀ともいえる。だが、印が血を流した日から体調が思わしくない父は、焦っていたのかもしれない。

 最低限の物資を掻き集め、未だ混乱の渦中を、無理を押して出立した。


 整備をする者もなく、荒れつつある街道を南下し幾日か経った。部下の騎士や従者達と研鑽を積んだ、剣の腕を持つ父が不覚を取った。いや、日々衰弱していたのだから、国まで歩きとおせるのかさえ分からなかった。

 他と比べれば身綺麗な一団は、貧する者の格好の獲物となる。盗賊に身をやつした者に襲われたのだ。


 傷付いた騎士の一人が、声をかけてくる。俺にはその意味が理解できない。何を言っていてもどうでもよかった。

 ただ、物言わぬ父の体を揺すり続けていた。




 あえなく出た街に戻っていた。


「イフレニィ殿……いえアンパルシア様、共に国へ帰りましょう。お父上に代わり、全力でお守り致します」

「もど、る?」


 何処へ。

 言いかけた言葉を飲み込む。彼らの中にある帰ろうという意志は強い。俺とは違い、長く国で過ごしてきたのだ。しかも幾人かは騎士だ。


「もう、俺に仕える理由もないだろう。俺は、残る」


 そもそもトルコロルの騎士が忠誠を捧げるのは王だけだ。任務の一つとして父の下に派遣されたに過ぎない。


「何をおっしゃいますか。遺志をお継ぎください。それがお父上の望みでした」


 外交官は世襲制というわけではないが、後を継がせる思惑はあっただろう。だがその国がない。

 父の遺志――国の為に、粉骨砕身すること。

 俺には、そんなことどうでもよかった。父についていたかっただけだ。他に目的はなかった。

 好ましく思えなかった国とはいえ、彼らの言葉に拒否感を抱いたのではない。

 ただ、それが自分のものとは思えないのだ。父もなく、国もないならば、その道を進む理由はない。


 もう幾つか幼ければ、郷愁の念に囚われていただろうか。一人残されるのが心細くて、大人しく彼らに守られて帰っていたのだろうか。

 だが二年近く、この街で父らと共に仕事をし生活してきた。短いながら、肌で人の営みを感じられる濃い時間だった。


 国にいた貴族の身なら、立場上長く学ぶ必要があり、成人と呼ばれるにはほど遠い。しかし街人は、十六も数えると大人同様に仕事を与えられる。俺は十四を数えたところだが、自分ひとりが食べていく程度には働けたことも後押しした。

 一時混乱に陥っていた旅人組合も、全国に繋がりのある人材斡旋組織としての機能は戻りつつあるという。復興のため仕事は増え、今は子供の手でも必要だ。


 年齢的に反発心も芽生えていたのだろう。この混乱の中で目にする、大人達の振る舞いに心底嫌気が差していたこともある。帰国を強く促されるも、主を失った部下達に解散を告げた。

 結局俺は、馴染み始めたこの街で身を立てる決心が揺らぐことはなかった。


「主王のご加護を」


 第一の部下だった男が、代表してそう口にし去っていく。無念そうな、諦めたような、それぞれの視線を受け、それでも黙って見送った。

 今後は自立して生活せねばならない。一人投げ出された、いや自ら選んだこの地、この人生にしがみつく。そのことに欠片ほどの後悔も湧かなかった。とはいえ、熱意ともほど遠い。


 彼らの背が遠ざかって初めて、故郷を厭わしくさえ思い始めていた理由に気付いた。彼らの瞳に宿っていたものと同じく、国に居たときに感じていたのは息苦しさだったのだと。




 多くの問題が後を引きずりながらも、各国が平時の姿を取り戻したのは、災害から三年も経った頃だ。せめて後一年、いや半年でも旅立ちを遅らせていれば、まだ父も生きていたのではないか。長いこと、そんなもしものことが浮かんでは頭から離れず苦しんだ。


 それも、いつからか気が付かぬうちに、あの異変から父亡き後の記憶は曖昧になった。おかしなことに、僅かばかり過ごした国での幼い頃の思い出の断片は、歳を重ねるごとに鮮やかに彩られていく。そこまで自宅で過ごしたことはなかったというのに。

 疑問に思う。

 災害のもたらした結果が、あまりにも現実離れしていたからなのか。実は王の誰かが生き残っていて、国を立て直しているかもしれない。母や幼い頃からの知り合いが、生きているかもしれない。そう思って必死に戻ろうとした方が、自然ではなかったか。

 今さらな疑問だ。

 不信感や屈折した反抗心、様々な理由はあったろう。結局のところ、最も慕っていた父を失った、悲しみと絶望にのまれていたのだ。

 何年も経ったある日、ふとそう気が付いたが、すでに旅立つ機会はない。たとえ当時に塞ぎ込んでいるだけだと理解したとて、決断は変えなかっただろう。


 ◆


 今は、道具屋の物置だった屋根裏を借りて暮らしている。狭くとも自力で生きている証明だ。十分満足していた。今晩のように感傷的な時は、小窓を開いて備え付けの棚に尻を預け、酒を呷る。あの日から、空を飾り続ける亀裂を忌々しく睨みつつも、漂う光の美しさに目を奪われながら。


 このささやかな日常を生きる。

 道具屋の家主との踏み込まない関係。仕事上がりに、酒場で共に馬鹿騒ぎする気のいい男達。食堂の愛嬌のある看板娘に元気づけられる客の一人として、俺も町を構成する一部だ。特別さなどない。必要ない。

 当たり前の日常が続くこと。それ以上に、心穏やかでいられることはないのだから。


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