十二話 天幕での一幕
元老院の若い魔術式使いが見せる怒りは本物なのだろう。だとしても俺には、まともに受け取って気に掛ける余裕はなかった。
たたでさえ疲労が溜まり、さらには強まる腰の痛みによって思考は乱れている。
各勢力のお偉いさんが集まる会議に訳も分からず顔を並ばされ、負担の重い仕事を押し付けられようとしているんだ。
しかも過去の亡霊まで現れ精神を煩わせる始末。どこかに集中しなければと思うも、押し寄せた多くの事柄に混乱させられる。
これまで長いこと、単調な日々を過ごしてきた。
手が届く、把握できるだけの範囲で。
そんな穏やかな生活に浸っていた俺に、この場に圧し掛かったことは唐突に過ぎる。
混乱する精神を宥めるように軽く目を閉じた。
『真面目な話を溜息などで貶めるなど、無礼にもほどがある!』
ひとまず転話具から聞こえた相手に、無理矢理意識を集中させることにした。目を開き、転話具に視線を落とす。
副王ルウリーブの縁者か。
若くして代表の側に控えていられるのだから、性格は別として優秀ではあるのだろう。それで持ち上げられてきたんだろうか。高慢な物言いは、子供が顔を真っ赤にして喚くようで滑稽でしかない。
これでは敵ばかり作ってそうなもんだ。元老院という組織も得体のしれないもんだが、周囲と上手くやっていけるのかと呆れる。
一息ついて言葉が途切れたところに女騎士が割り込んだ。
「オルガイユ、聞いて。色んな人がいるわ。今後も多くの人々と話さなければならないのだから、慣れて行かなくてはね。そのことは、また後で話しましょう」
羽毛で包むような優しい声だ。保護者面して言い含めるところを見るに、やはり相手は若いんだろう。そうやって甘やかすから付け上がるんじゃないか。
だが意外なことに、相手から次に出た言葉は落ち着いていた。
『分かりました……貴女がそういうなら』
すんなりと女騎士の咎めを聞き入れたことに呆れた。それまでの怒りの出処を考えれば、王位継承順位が関係しているのかもしれない。
もしそうなら、俺はこいつに一生見下される立場だな。
『若い者が失礼した。旅人の方、ささ続きを』
取り繕うように元老代表が声を発した。
議題は俺に移ったままだ。当然うやむやになるはずもない。
仕方なく指揮官が口を挟む前に言った。
「俺は向いてない。他を当ってくれ」
それだけ言えば十分なはずだった。
それは支部長や、特に副支部長がよく知るところだ。右隣に並ぶ二人に同意を得ようとして、それとなく見た途端に言葉を失った。
二人は堅い表情のまま、どこを見るでもなく前を向いたままだ。
既に、このことに関しての結論も下されているということだ。
顔を背けた。初めて、悔しさが沸いた。そこに追い打ちがかかる。
「多くの者を、犠牲にしてもか」
静けさを断ち切るように響いた、指揮官の責めるでもない、よく通る平坦な声。
出たよ。何かというと、罪悪感に訴えてくる。
「最小限に食い止めるための、軍だろ」
人の良心に付け入る物言いは、怒りを呼び起こすだけだ。庶民に圧力をかけるなら、まずはそちらが義務を果たせよ。
真っ当な反駁のはずだが、俺の言葉に目の前の髭面は、ふっと笑む。次には、厳しさを増した声で問いかけてきた。
「実質、組合からの緊急依頼だ。それを断るというならば、何かやるべき事があるのだな? そうならば、これ以上言い縋りはしない。どうだ」
――緊急依頼。
義務を果たせという言葉を、そのまま返された。
思わず目を伏せ、考え込む。
それもそうだ。あれが緊急事態でなくて、なんだというのか。
放っておけば、まずはこの街が飲み込まれるかもしれないんだ。
しかも、ただ精霊溜りを片付けて、はい終わりと分かり易いものではない。これは常態化するだろうと見据えての計画だ。
世界中で対処したところで、はたしてどうにか出来るものなのか。たとえ終わりが見えなくとも、どうにか遣り過ごしていくしかない状態に思えた。人間に火山が噴火することを止めることは出来ないが、噴火したならば生きる為に足掻く、そういった類のものだ。
ならば、俺一人が張り付いていたところで、どうにもならないことではある。
もちろん近くに精霊溜りがあると聞けば、処理に駆けつけるだろう。もし常駐軍と連携することに、街の者が交代で参加する義務を負うことが含まれるというならば、反対はない。俺も当たり前に参加する。
だが、例え知った仲だろうと、隊を率いて軍との調整に従事するなんて御免だ。
それは、組合職員の仕事だろうが。
俺は、組合に登録しているだけの、一人の旅人に過ぎない。
緊張に満たされた狭い空間が、決断を急かすようだった。実際、誰もが意図的に黙し作られた静けさだ。十分な時は与えられないだろう。必死に指揮官の言葉を吟味し、やるべき事を考える。
真っ先に頭に上るのは、ここしばらくの身体の変化だ。気が付けば、刻々と悪化しているように思える印の痛み。
俺は苦手な仕事だろうと、引き受けたならば真面目に取り組んできたつもりだ。
だが今回は、少々頑張ればよいという話ではない。第二の故郷と認めた街に関わる危険なのだ。
現状の痛み具合なら、耐えられなくはない。持病とでも思って受け容れる。
だが原因不明なもんだ。今後、より酷くならないとは言い切れない。
もし耐えられないほど酷くなったなら――それから行動しても遅い。
こんな状態だ。重要な役回りだからこそ、断るしかない。
王の印――ふと、女騎士を視界の端に認めた。
これまで垣間見えた話から、俺などより、よほど高い地位にあった。ならば印があるはずだが、苦しそうな素振りは一切見えない。
それは声だけの魔術式使いもだ。
外は、既に日が落ちている。今も鼓動が激しく胸を叩くような苦しさが、腰から背中へと広がっている。
そんな痛みがあるなら言及されるだろう。仮にも軍に所属している女騎士なら痛みを隠し通せるかもしれないが、若い男の方にそんな意識が持てるとは思えない。短絡的な判断だとは思うが。
しかし、精霊力が増したかと聞かれはした。何か共通したものはありそうだが。
駄目だ。
このままでは、まとまるものさえ遠のいていく。区切りをつけるべき時だ。現在、手にある情報で判断するしかない。そして、そんな短時間に突きつけられた情報に惑わされるべきでもない。
重い頭を上げ、改めて指揮官を見る。自ずと真剣みを増していた。
「ある。どうしても片を付けなきゃならない問題だ」
今度は、はっきりと声が出た。
却下してみろ。旅人の資格を剥奪されようとも構わない。
取り込むために聞かせたにしろ、俺は知り過ぎた。相手が相手だけに、ただで済むとは考えられなかった。街を放り出される事態になるなら、それはそれで痛みの原因を探ろうと決意を固めていた。
「その体調に、関係があるんだな」
視線が揺らいでしまった。これでは答えてしまったようなものだ。
痛みから、少しは気を逸らせるようにはなっていた。周りも戻ったばかりで、疲れは隠せていない。感づかれることは、そうそうないと思っていたのだが、侮れない相手に決まってる。
「そうだ」
しっかりと、意志を込めて答えた。しばし睨み合う。
「分かった」
時間的には短くも、精神的には長い苦痛にあった会談は、それで終わりを告げた。
ある意味、魔術式使いの小僧の横やりのおかけで緊張がほぐれたことは、助かったのだろう。
最後に指揮官とのやりとりがなければ、笑い話で終われたかもしれない。
支部長、副支部長、俺の三人は、街へ向けて夜空の下を歩く。
「おいアンパルシア、体調が悪いのか? なぜ言わなかった」
天幕を出ると、副支部長のオなんとかが口を利く。
「いたのか」
嫌味だ。あんたずっと空気だったな。
この男は副支部長なのだから、今後の北部方面軍の準備に必要だ。今晩の話で、明日からでも早速、首が回らない状態になりそうである。
俺などよりも、よっぽどあの場に居て当然だ。しかし、一言も発言しなかったことも不審なことだった。
「面倒臭いのは分かってるから、せめて重要なことくらい先に言っておけ。横着するな」
気安い男だと考えていた。だが、確かに副支部長という責任を持つ立場にいる側面を見た。今さら気に掛けるようなことを言われたところで、どこか薄ら寒いものに思えて仕方がない。
支部長が、なにやらぶつくさ言ってる副支部長の肩を叩いて黙らせた。
「イフレニィ、巻き込んで悪かったな。お前は提示された仕事はきちんとこなす。だから、これも押しつけりゃやるだろと思ってたんだ」
支部長は、身も蓋もないことを言って豪快に笑った。
笑い事じゃねえぞ。
「天幕で聞いたことは、全て忘れる」
それ以上、何も言えることはなかった。
彼らのせいではない。俺自身の問題だ。
支部長は、わかったわかったと言いながら、肩をすくめて観念して見せた。
足を引き摺るようにして、ようやく道具屋に辿りついていた。すっかり遅くなったが、まだおっさんは起きているのか店の奥から灯りが漏れていたので覗く。器用に木材を削っていた。何か注文が入っているんだろう。
「おっさん、水場借りるぞ」
「おう」
その背に声をかけると、一直線に店の裏手へ回る。裏口の側は、排水し易く作られており、そこで洗濯など水周りのことは済ます。早く汚れと共に、嫌な気分も流したかった。貯水用に使っている樽の腹についた栓を抜き、桶に水を汲むと、粉末石鹸を布にかけた。
身体を洗っていると、頭には天幕での顛末が繰り返される。
痛みが思考を乱していた自覚はある。だからといって、投げやりにならないように堪えていたつもりだ。それでも普段なら、もっとましなことを言えたのにと考えずにはいられない。
振り切れないのは、あの場が何かの集約する時点であり、今後にひどく影響するものだったように思えるからだ。
あれで良かったのかと何度も考えては、諦めの溜息を吐いていた。この感覚は、馴染み深いほどに知っている。過ぎた時は取り戻せない。
もう、あの場に戻ることはできないんだ。
体だけはすっきりして、屋根裏に戻る。気持ちは澱んだままだが、ようやくベッドで眠れると思えば人心地つく。
横になると、今回の行軍について簡単にまとめることにした。
帝国は、元老院の宣託に応じて、異変の原因確認へ赴いた。どうやら精霊溜りの頻発との関連は北にあるようで、コルディリーが危ないと認識した。
その対処には、新たな軍の編制を考えている。対象の規模を考えれば、一国での対処は厳しく各国の連合軍を配備したい。
だが人手が足りない。情勢不安への波及を鑑みると、正規軍の多くを一カ所に集めるなどできないだろう。最も危惧すべき南西の国境沿いから離れた場所なのだ。
だから市民の中から精霊力持ちを集める。旅人ならば慣れた者も多い。だからか、計画については初めから組合へも伝えられていた。
確かに、多くの勢力が絡んだ大仕事ではある。
――俺自身は、これで良かったのか。
色々見せられ、聞かされた。
印について探ってみようとも決めた。取っ掛かりもないのにだ。
疲れた体には何もかもが途方もなく思え、酒瓶を手にとる暇もなく、眠りへと意識を手放していた。




