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精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する  作者: きりま
三章 荒城の海

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百二十四話 印の網

 街道に乗ると、ますます大気の異様さが際立った。

 回廊に続く道の先は、天まで届くもやの壁だ。


 吹き抜けていく風に、外套の裾がはためいた。

 風というよりも、空気が精霊溜りに押し流されてくるように思える。

 その空気は、精霊力が流れるとき特有の冷気を伴っていた。


「ま、歩くにはいいさ……」



 小僧の遠見具を借りて、分厚い靄の向こうを見ようとするが、さすがに密度が高すぎるらしい。

 ある場所より向こうは見えない。

 その位置が、恐らく侵食前線だろう。


 前線より手前までの道筋を確認しようと、倍率を調整する。

 調整の輪をゆっくり回転させ、最大倍率から徐々に下げていこうとして、像の歪みに気付いた。


 精霊溜りがある辺りで視界が欠け、像は結ばれることがない。


「そうか。当たり前だ」


 遠くを見るための特殊な硝子を使っているらしく、素のままでもある程度は遠くを見通すことが出来る。

 それ以上の距離は、精霊力を飛ばして反射させ、戻った情報を再現して写しているらしいと聞いた。

 それが、吸い込まれてしまうんだ。



 やっかいな靄だ。精霊溜りが変換を続ける際に出る現象か。

 すぐそこに精霊溜りがある。


 背後で感嘆の声が漏れた。


 精霊溜りを前にしたと意識すると、俺の印は発動した。

 これが彼らには捉えられるらしい。

 印持ち同士、同質のはずだという予想は正しかったわけだ。


 それに、王の印同士でなくとも、把握できると証明された。


「まったく……町で出来た事が幾らでもあったな」


 普段なら思い付きそうなことも、やりそうな事も、何も出来なかった。

 心に余裕がない。



 遠見具を小僧に返すと、向こう側を確かめようとする。その筒を掴んだ。


「無意味だ。精霊力を浪費する」


 驚いた顔で見上げてきたが、すぐに納得したようで頷いている。


「確かに、精霊力を飲み込むのだから、その通りですね。迂闊でした」


 道具には疎いが、魔術式使いとして育った。

 精霊力に関する理解は、俺なんかより早いようだ。




 できる限りの把握を済ませると、背後へと体を向けた。


「符の準備を」


 全員に、符を取り出し易い、魔術式使い御用達の鞄が支給されていた。

 内側は数枚毎に取り出しやすい仕切りを設けてある、丈夫な革製の鞄だ。

 全員が腰の両側に、そいつを取り付けている。一様に、その蓋を開いた。




 まずは俺が示さなくてはならない。

 あの中に、本当に進める事を。


「ここで待機だ。俺は中の様子を探る」

「そんな、無茶なッ! ぶふッ」


 小僧の顔を抑えて黙らせると、印持ちらに指示する。


「俺が戻るまで、第一班はここで不意に出来た精霊溜りを処理。第二班は、背後から受け渡し支援。第三班は距離を取って待機し、侵食前線の動きに気を配れ」

「はい!」


 短く明快な返事を聞く。


「少しでも見えたら下がれ。決して意地になるな。意地を張るべきは、もっと後にある。いいな!」


 彼らの敬礼に答えると、内心とは裏腹に、出来るだけ堂々と靄へと踏み入った。




 踏み入った途端、靄が絡みつき、それが俺の周りを流れていった。


 体まで届いていない?

 腕を見、次に体へと視線を移す。精霊力の膜が全身を覆っていた。

 それは徐々に、厚くなり、一定の膨らみで止まったように見える。


「なんだこりゃ」


 まさかこんな風に――物理的にというか、遮るとは思っていなかった。


「分かり易くていいか……」


 恐る恐る、歩き出した。


 分かっていたが、視界は良くない。

 足元は、ひび割れて波打つ街道の石畳。

 わずかに姿を見せる木々には、巨大な獣に引き裂かれたような傷が幾筋も走っていた。


 靄の間を時折、稲妻のような淡い光の筋が走る。

 あれが、精霊溜りを形作る現象だろうか。

 俺の体にも、幾度かその光がぶつかったが、体を覆う膜と反発するように軌道を変えた。


 その軌道を目で追いながら、ゆっくりと街道を進む。

 光が木々の合間を走った後の幹は、削り取られていった。そこから光の屑が飛び散る。

 獣の爪あとのような傷は、こいつの仕業か。


 あれは、精霊溜りに集められ、書き換えられている途中ってことなのか。

 確かバルジーは、砂のように崩れていくというようなことを言っていた。

 その様子にも合致する。

 あの異変の威力は、途方もないものだったから、一息に瓦解したらそうなるんだろうな。


 もしも生身であれば、俺の体も、突き抜けている。


「大丈夫だ……あれを遮る膜を張っている。何も問題は起きない」


 そう言い聞かせても、冷や汗は止まらなかった。


 一度起動した印は、意識外にあろうと停止することはない。

 しかし、その状態で寝たことはなかった。

 足場は崩れかけだし、態勢を崩して倒れたり、折れた枝でも頭に落ちてきて気を失ったら。


 無限に思えた俺の精霊力も、実はこの精霊溜りの中では微々たるもので、戻るまで膜を維持することはできないのだとしたら。


 そんな最悪の状態ばかりが頭を掠める。



 どれだけ歩いたのか、遠目に、淡く白い光の塊が見える。

 本当に遠くなのか、すぐそこなのか。

 規模の大きさと、視界の悪さで距離感が掴めない。


 それに、近そうでありながら、なかなか到着しないと思うのは精神的なもんだ。


 白い波の精霊溜り。

 はっきりと境界線があるわけではない。

 もやとは違い、淡く光るその辺りに、進み入る。


 気が付けば、目の前も、見上げても、全てが光だった。


 霞みがかったような、弱い光。

 目を閉じるほど眩しくはないが、どこまでも続いて、見通すことはできない。


「これが、精霊溜りの中……?」


 漠然とした、違和感。


 そうだ、俺は立っている。

 足元には、至るところが剥がれて土は見えているが、まだ街道は続いている。


 完全な精霊溜りではないのか。

 それとも、これが城の効果なのか。

 十分だろう。一度、戻ろう。




 帰りは、さらに長い時間に思えた。


 靄が薄れていく。

 もう少し、あと一歩。

 走り出したいのを堪え、ようやく、視界が開けた。


 遠めだが、生きた人間が、そこにいる。

 彼らが声を上げているらしいのが分かる。

 思わず膝から力が抜け、足を止めた。


 すぐ背後に、崩れ行く世界がある。

 無様を晒すわけにはいかない。

 深呼吸すると、足に力を込めて彼らの元へと戻った。


「お帰りなさいませ」

「よくぞご無事でッ!」


 駆け出してきた、女騎士と小僧が出迎える。


 隊の前まで辿りつくと、会長が大判の布を広げて待ち受けていた。

 怪訝に見る。


「御身の無事を疑いはしません。しかし装備品は、如何なものかと思いまして」


 げっ。そんなこと、考えもしなかった。

 素っ裸で戻っていたかもしれないのか……危ねえ。


 そう言われ、改めて全身を覆う精霊力の膜を確かめる。

 表面と言うよりは、もっと厚みがあり、綿で包まれているような感じだ。

 体表から滲み出るような精霊力は、外側へ向かうほどに薄くなっていく。

 まるで精霊溜りだ……俺自身を芯としたような。


 気味の悪い、その考えを振り払う。




 戻ったはいいが、余裕なく押し黙っていては不安を煽るだろう。

 それでも、言葉がでなかった。

 どうしようか、どうすべきかと思考に埋没する。


「考えをまとめたい、少し時間をくれ。すまない」


 物思いに耽っている間も、彼らは静かに待っていた。




 あの中に、俺が連れて行く。


 世界が滅びようが、関係ない。

 そのためなら何をしても許されるわけではない。

 この精霊溜りを、食い止める可能性が少しでもあるなら、それを試したい。

 だが、それは、俺自身の選択であって、彼らのものではない。


 吟味した情報では、大丈夫だった。そうでなければおかしい。現に俺は無事だった。

 自分を納得させるためのそんな暗示を、他人にまで向けるのか。

 己の目的の為に、他人に押し付ける。

 俺が、最も嫌っていた事だったろ。


 なのに俺は、聞きもしなかった。

 実際に見るまで、どんなところに連れてきたのか、想像すらしなかった。




 ふと顔を上げると、会長が側で待機していた。

 その背後には、印持ちの面々。


「少々、よろしいですか」


 頷いて、言葉を待つ。


「王命だから従い、命を捧げるのではありません。守りたいもの、取り戻したいものに、身命を賭すのは誰しも同じことです。どうか責任などと、重く受け止めないで下さい」


 なんとも言いがたかった。


「参ったな……そんなに、俺は顔に出易いか」


 つい弱音が漏れた。


主王しゅおうという大役が、いかほどの重荷かなど、量りようもございませんが……」


 うんざりする気持ちを、誤魔化すために言った。


「お前達それぞれが、誰かにとって大切な唯一人だ。忘れるな」


 会長の顔に悲しみが過ぎる。

 大切に想ってくれた者達は失われ、今は存在しないことに思い至った。


「俺も異変で両親を亡くした。今は居なくとも、この身は彼らの想いを受け継いでいる」


 俺が言えたことか。


「……はい」


 会長は、静かに、伏せた目元を拭った。



 隊にも目を向ける。

 一人一人の瞳には、様々な感情が浮かんでいた。


 町での光景、短い間だが過ごした道中での様子。そこで、気付いた。

 何も、狂信的な気持ちだけで、主王を特別視してきたのではない。


 ずっと苦しんできたはずだ。

 少しの苛立ちでさえ、ぶつけ合ってしまうだろう負の感情を抑えるための、暗黙の了解となった。

 主王の前には、ひとまず、それらを脇に置いておこうと。



 ここにいる誰もが、ある日突然に、本来あるべき未来が途切れた。

 元老院の元に暮らす場所を与えられはしたが、自由にとはいかなかっだろう。

 もし、完全に国が消滅していたならば、新たな町で生きることも必死で受け入れたはずだ。

 だが依然として、城はそこにあった。


 あれだけの人間がいて、長いこと生活を営んできてさえ、帰れるものなら帰りたいという。

 子供達にさえ、そんなことを話して聞かせていた。


『お前達の祖国はトルコロルだ。いずれ戻る日が来る』


 もし、それが無理だと分かったとき、そいつらはどうなる。

 心の置き場所を、失うかもしれない。



 どんな形でもいい。

 一つの結末が、欲しいんだ。


 俺が誰でも、どんな人間でも構わない。

 主王として全てを終わらせてくれるなら。





 どうしたものかと、印に意識を向ける。

 靄に踏み入って以降、ずっと点けっぱなしだ。

 漠然と、その方が安全な気がしていた。


 印持ち同士の精霊力は同質。

 副王は印を発動できるだけ。

 思い出した。

 俺は力を引き出したと言ったが、化け物は、俺が二人から印を繋いだと言ってたな。


 まずは副王と繋いでみるか。



 二人を呼び、隊から離れる。


「俺は無事だった。他の奴らはどうかなんて分からない。それでもいいのか」


 すぐに小僧が噛み付いてきた。


「私はずっと調べ、見守ってきました。あんな場所になってようが、戻らなければ祖国を取り戻せません。その可能性が目の前にある。逃げられませんよッ!」


 小僧にしちゃ上出来だ……とは言えないか。

 俺なんかより、ずっと長い間考える時間はあっただろう。


「多くの者より与えられた命。とうに覚悟は決めています」


 女騎士は柔和な顔を、さらに和らげて微笑んだ。



 効果はともかく、精神面が気になるところだった。

 今の覚悟を語ったところで、現実を前にしたらどうなるか。


「まずは様子を掴んでもらって、一度戻る」


 あの中で、二人がどの程度耐えられるか。

 駄目だとしても、せめてこの二人には、どうにか進んでもらわねばならないが。


 女騎士は、仮にも軍で鍛えてきた。

 不安要素は、小僧。


「何か信用がなさそうですね……」


 よく分かってるじゃないか。


「安心しろ」


 動転したら、殴って抱えていくか。


「間逆の気分がしたのは、なぜでしょう」

「精霊溜りの前だからだろ」

「ご安心を。その時は私が担ぎましょう」

「フィデル、担ぐとはどういうことだッ!」


 女騎士が優しい微笑みで小僧を宥めているのを遮り、指示する。


「印を点けろ」


 反射的に、二人は印を起動した。精霊力が確認できる。

 これは、やっぱりそうだ。


 手を伸ばすような気持ちで、二人の印を掴むべく精霊力を伸ばす。

 そして俺が渡したい信号を送ると、記号が合致したというように、発動の光が見えた。


 この時だけ、別の世界を見ているような、不思議な感覚だ。


「同期、完了」


 二人の体にも精霊力の膜が張っていく。その顔を見れば納得したようだった。


「お前達も主王の加護を得た。これであの中に入れる。荷物を軽くしろ……待て」


 行くぞ、と言い掛けて感覚の違いに気付いた。

 頭の中の別の空間に、広がりが出来たような。

 俺だけ印を点けてる時とは違う――他の印への、道が開いた!



 なるほど。

 俺が全ての起動の鍵で、副王の補助を得ることで、他の全ての印を操作可能。

 そういう仕組みか。


 これなら、全員へと加護を送れるはずだが。

 普通に考えれば、効果は末端に行くほど薄れるんじゃないか。

 それに持続時間も考慮する必要がある。

 しかし、それを検証するには時間が掛かりすぎる。

 ぶっつけ本番でやるしかなさそうだ。




 話をするべく、会長の側に近付いた……ところで妙な精霊力。


「閣下が光ってますよ」


 小僧に言われなくとも、爺の携帯転話だと分かった。

 承認の為に、人形の首を絞める。

 緊張感が台無しにされていく気がする……。


『一斉同時進軍計画が、始まりました』


 爺の宣言。

 もっと南で待機しているだろう混成軍も、もうすぐここを訪れるわけだ。


「分かった……俺達も前線の側にいる。これより進入を試みる」


 少し予定が早まったのか?

 帝国側が、まずいのかもしれないな。


 話を終えるため、爺の首を絞めなおす。

 ええい、これなら精霊力制御の方がましだ。




 隊を向き直る。


「これから、やる事を話したい」


 背筋を伸ばして聞く彼らを、見渡す。


「俺達は印の加護を持ち、恐らく、この世界で精霊溜りに触れることのできる、唯一の存在だ」


 それから、中でのことを話した。


 精霊溜りの稲妻が、辺りを削り取っていること。

 それを印の膜が跳ね返すこと。

 例え精霊溜りには負けなくとも、時を追うごとに足場は崩れていき、歩くだけでも危険を伴うこと。


「最後に調べられたのは、何年も前だったな」


 会長が何度も頷いたのを見るに、調査隊へも参加したんだろう。


「元老院らの調査によると、未だ城は健在だろうと思われている。そこで、王城まで辿りつき、内部を調べて手掛かりを見つけたい」


 脱出するまで持つのかは、誰にも分からない。


「なぜ健在かが分かれば、この精霊溜りを退けることができるだろう」


 各々が頷いている。


「周辺は荒れ果てているが、城へ辿りつければ、少なくとも地面の心配はないはずだ。それまで、支えあって進んでくれ」



 そして、遅くなったが言わねばならなかったこと。


「最後に。生きて戻れるとは、限らない。しばらくすれば、様子見に船が戻るだろう。恐怖に耐えられないと思う者は、桟橋に留まってほしい」


 それまで黙っていた鬱憤か、すぐさま次々と返された。


「はは……今さらですよ」

「あんなでかぶつを見ちゃあな」

「町で待つしかできないと思っていた私が、お役に立てるんですから鼻が高いですよ」

「こんなところに置いていかれる方が怖いです!」


 様々な言葉が投げかけられるが、誰もが笑顔だった。

 俺の不安を慮ってだろうか……それは、俺がするべきことだった。


 最後に会長が括る。


「各国も進軍を始めたそうではないですか。世界中が戦っているなら、これが私達にとってそうなだけです」


 それは最も現実的で、今の俺にとっては救いのような言葉だった。



「主王の御前おんまえに、我らは御印みしるしを捧ぐ!」



 最も年嵩の男が声を上げると、全員が唱和した。


 うわ……恥ずかしいな。

 いや、これは慣習だろう。

 そうだ決して俺に対して言っているのではない。



 彼らの覚悟の前に、俺も再び気合を入れなおす。

 気持ちが萎えそうになるたび、何度でも奮い立たせなければならない。


「印を繋ぐ」


 目の前の者達へと意識を集中する。

 三王の魔術式から、彼らの印が、見えた。

 これを、掴む。


「おおお、これが印の力!」


 それぞれが感動を叫んでいた。



 回廊をどうにかできる手掛かりが、本当にあるかどうかは分からない。

 それでも、もし城が残っているのを目に出来たなら、生き延びた人間達にとっての希望にはなるだろう。


「行くぞ、城へ!」


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