百十七話 大地の加護
化け物が仄めかした、王だけが持つという力。
俺と化け物を見るだけでも、それぞれ違いがあるのだろうことは分かる。
それにしたって、こんな急を要するまで、俺――主王の力を待っていたのはどういうわけだ。
爺が話し始める前にと、口を出した。
「なんでお前らが、さっさと前線に行って王の力を使わない」
まずは帝国の転話具が光り、答えた。
『残念ながら俺には、そういった力はない』
「全ての王に、備わっているもんじゃなかったのか」
化け物を睨もうにも、ここに在るのは転話具だ。代わりに爺を睨む。
『帝都に来ていたな。何か気が付かなかったか』
やはり、後をつけていたのか。
「そうだな……山間に町があり、砂漠を隔てた国境沿いに城がある。それくらいしか、知る時間はなかった」
『正に、城だよ。あの位置に意味があったから、建てられたのだろう。山の緑が、砂塵に侵食されたことはない。城が町を、そして国境を守っているのだ』
人ではなく城、もしくは、その場所に王の力が宿ったと言いたいのか。
だったら化け物は。
「古都の方はどうなんだ」
『僕が行ったら、すぐに終わって面白くないだろ――おっと怒るなよ。その言葉に苛立つのはこっちの方だ。出られるならば、既にそうしていると思わないか』
初めて、化け物の疲れたような声を聞いた。
『僕の力は、領土の力。王位を継ぐと、体は大地の一部となる。目には見えなかっただろうが、無数の糸のように連なった粒子が体と繋がっている。この地から離れることは、出来なくなるんだよ』
聞いたことに驚くとともに、気持ちも悪くなった。
本当に人間離れしていたのかよ。
「遠くまで精霊力を飛ばしていただろうが。あれで、どうにかできないのか」
『その事なんだけどね。回廊の際まで手を伸ばした時に、気付いたことがある』
化け物は溜息を一つ吐いて、声を低めて言った。
『あれに近付いただけで、呑み込まれそうになった。触れれば、たちまち彼の一部となるだろう』
そんな……もんに、どうやって立ち向かえというんだ。
帝国の王が続ける。
『あれら精霊溜りは、全てを消滅せしむものではない。この世の全てを、変換しているのだ。我らが光の符で散らすのと、同じように』
吸収することで、別の精霊力に変換する。それを、回廊が。
「まさか、意思があるとでもいうのか!」
『それは確認できなかった。ただ、大異変によってもたらされた、空の亀裂と降る精霊力。あれと同じはずのものに、違いがある。我らが使う精霊力と、精霊溜りの関係と同じに』
爺が付け足す。
「現在までも、回廊周りで形を残しているのは、トルコロル王城付近のみ。……そうです、気付かれましたか」
パスルーら町や周辺の村が消え、トルコロルの城下町が偶々残ったのではない。
トルコロルだけが、王の力によって守られた。
そういうことなのか――それでも。
「なぜだ、呑み込まれるはずだろ。城に何か、守りの魔術式とやらが施されていようと、なぜ取り込まれず残っている」
全てが変換される。
化け物の精霊力さえ呑み込まれるなら、それも失われていなければおかしい。
「そこなのです。手掛かりになるだろうと、思われるのはですな」
『恐らく、継承時に王だけが伝えられる類の、秘匿された情報があるんだろうね』
『全ての者が絶えた今、知る術が在るかは分からぬ。しかし、他に手立てもない今、当てにすること許せ』
そこか。
本来の目的は、それなのか。
だから危険を犯してでも、トルコロルの民と共に、三王を送り出したいと。
「主王の印持ちを見つけてほしい、主王にしかできないことがある。最後の、ノンビエゼの名を持つ者が、残した言葉です。詳細が語られることは、ありませんでした」
呆れて、爺を凝視する。
一体、どれだけ隠しごとをしてりゃ気が済むんだ。
特に主王でなくては、ならなかった理由。
副王達にさえ、伝えられないものがあるに違いないというわけだ。
それならば頷けるが。
二つの水晶を見下ろした。
それぞれが、それぞれの出来ることで対処しようと動いてきたのは確かだ。
情報を集める中で、腑に落ちない点が、俺達だった。
それにだけ頼るわけではないにしろ、可能性のある手立てであるなら、講じておきたいのは納得できる。
保険が欲しいのだ。
全ての者達が必死で立ち向かっても、どうしようもならなかった時のために。
『案ずることはない。当てにする以前に、全てが終わっている可能性もある。我が帝国は全力を以って事態に当っている。なに、でかいだけの精霊溜りよ。物量で押し切ってくれるわ』
『相も変わらず、繊細さの欠片もない。僕の開発した道具一つで、百人分の効率を発揮するから精々無駄足を踏むといいよ』
『大層な口だけは持っているようだな。穴倉に引き篭って現場を知らぬ者が』
『影でどれだけ支援しているか。目の前にちらつかせなければ見えぬというのもご苦労なことだね』
「おーっおほん、今は揉めている場合ではないでのう」
今まで世話になった国に、こういうことを言いたくはないが。
アィビッドの王も、こんななのかよ。
頭を抱えつつも、俺自身の出した結論を口にした。
「とにかく、行ってみるしかないな、回廊へ」
『では、回廊にて相まみえようぞ』
『回廊でね』
そして途切れた。
「何か、話すことがあったんじゃないのか」
水晶に息を吐きかけ、袖口で拭いだした爺に問いかける。
「奇しくも、話すべきことは全て語られました」
くえない爺だ。
要するに、王の力とは国の力なのか……だったら、俺はなんだ。
聞いた様子では、帝都のように、トルコロルも王城に何かがあるのは確実だと、そう踏んでるんだろう。
「少し、お休みになりますか」
不意に声が掛けられ、物思いから覚めた。
女騎士が、思案気に側に立っていた。
その傍に小僧も並ぶと、おずおずと口を開いた。
「私達ですら知らされていなかったことが、あまりにも多い。ましてや貴方には、すべてが唐突に過ぎるでしょう」
そりゃ唐突ではあるが。
「押し付けてきた手先共が、俺が受け入れた途端に気を使うのか」
気まずそうに、小僧は視線を下げた。
「責めているんじゃない。譲れない信念があるなら、いつも通りにしていろ」
はっとして顔を上げた小僧は、力強く頷いた。
少しは、いい面構えになったじゃないか。
それくらいでなければ、付いて行く民も安心できないだろ。
民か……すっかり忘れていた。
着いてから、ずっとここに居るから、外の様子は知らないが。
きっと、知らされてるよな。
「なあ、もしかして、外に出るのはまずいか?」
二人が顔を見合わせて笑った。
「いいえ、きっと町を挙げての大歓迎ですよ」
「それを望んでないのは知ってますが、諦めて下さい」
なるほど。出るのは、まずそうだな。
「俺も、準備にかかるか。セラを探そう。城内にいるんだろ」
ようやく、息苦しい大広間から出る。
しかし通路の方も、さして変わらなかった。
元老院でも、全ての領民を挙げて、回廊攻略への準備へ取り掛かっているという。
慌しく、元老一味が走り回っており、落ち着かない。
「城内の工房、と言いますか、職人棟はこちらです」
爺の後に続くと、でかい平屋だった。
鉱山街の工房も立派だと聞いたが、それよりも広い。
大小の精製窯も数列あるし、幾つかに区切られた作業場には、広い作業台が並んでいた。
側を樽が囲み、積み上げてある。精製した原料が詰められているのか、側面には内容が書きなぐってあった。
台上には、何十としれない顔料の詰まった瓶と、夥しい数の台紙が積んである。
「こりゃ、壮観だ」
背を丸めて、符を書き続けている者がいるかと思えば、書きあがった符を乾燥用の紐に吊るしている者がいる。
セラで見慣れた光景が、これだけの規模で目の前にあるとは、不思議な感じだ。
その見慣れた姿と声が、端の作業場から聞こえてきた。
「この層間に、こっちの式を入れている」
「だから、それは基準から外れるというのだ!」
なにやら言い合いをしている。
というより、相手が一方的に文句をつけているような。
「これ、なんの騒ぎだ」
「だ、代表閣下。お恥ずかしいところを」
遠巻きに見ていた職人達は、慌てて自分の仕事に戻り、がなり立てていた職人は畏まった。
「イフレニィ、会議は終わったのか」
「よう、元老院の工房とやらはどんなもんだ」
最新式の窯が、と続いた言葉を遮って、状況を問いただした。
「何を問答してたんだ」
爺が進み出て、職人が手にしていた符を取った。
「ほう、これは。大層な変り種だのう」
俺から見たら、どれも同じだ。
爺が何を言うのかと、成り行きを見守ることにした。
セラが追い詰められるような状況になるなら、口を出せばいい。
「そうなのです、代表閣下。この符は、基準から大幅に外れているのですよ」
「して、なんの基準かね」
職人が爺の問いに困惑しつつ答えた。
「それは、守るべき手順に、保つべき符の品質についてです。こうすると、効果の増幅が見込めるというのです」
爺は頷いた。
「回廊対策への基準は通常とは異なると、そう伝えられた筈。不安定であろうが、より効果の高さを目指しなさい。理想を追う局面ではないでのう」
職人の気持ちも分かる。
作り慣れた手順通りに仕上げることは、安定して品質を保つのに必要なことだ。
それも平時に限る。
爺の言うように、今は非常時。
より強力なものの開発も、期待される。
「しかし、安定して作れることは、作製速度と量にも関係してくるんじゃないのか」
全くセラの味方になっていない。
つい、そんな疑問を漏らした。
「心配無用。通常の符は、町の工房に任せておるゆえ。ここでしか出来ぬことをやらねば、魔術式研究機関の名が廃りましょう」
確かに、これだけの機材に人材がある。
一発逆転なんてのは無謀にしろ、強力なもんを作れるならば、それに期待したいところだ。
今の時点で言ってるようでは遅い気もするが。
「ぬぬう」
爺が、符をまじまじと見つめ、唸り始めた。
いよいよくたばるのか。
「これは……ここの研究者のものとは、考え方が全く違う。我々は、如何に複雑化させて動作させるか、特殊な魔術式具として作用させるかとばかりに目を向けておりました。よもや阻害する方向で、こんな単純な考え方があったとは」
単純て言われてるぞ。
「負け惜しみではありませんぞ。技巧に走ってしまうと、単純に考えるということは、なかなかに難しいもの」
セラも頷いている。
そういうもんなのか。
「精霊力がないからこそ、知恵を絞ってるんじゃないか」
爺はかくかくと頷いている。
「そうでしたな。環境に恵まれ、考える時間ばかりあるのも、小難しく考え過ぎるのかのう。物事を単純化させる弊害になりうるとは」
爺は、その符を使えと職人に渡した。
大した精霊力がありそうもない職人だったが、発動した符の効果に目を細める。
「うぐぅ……これは」
憮然としていた職人は、いや、取り囲んでいた全ての職人が態度を改めた。
「ええい、一斑は作業を止め集合!」
集まった職人達は、図面を引きつつ、喧々諤々と話し合いを始めた。
少し離れて、セラに今後のことを聞く。
「町巡りは、どうする」
もう護衛は無理だが、セラの方も旅している場合ではない。
「大量に符が要る。俺も元老院に残るよ」
「そういや、前に言っていたな」
大量生産には、工房に集まって作った方が効率が良いのだと。
「それが、ここになっただけだ」
そう言って、肩を竦めた。
これまで精力を傾けて、魔術式具の研究に注いできた、職人達の複雑な気持ちも頷ける。
それだけの設備、資金と人員が揃っていたため、余計にだろう。
今回は、精霊力の強弱に関わりなく、動ける者全ての協力が必要だ。
それには、作製にも時間を取られ、一々取り扱い方を説明する手間のかかる魔術式具では、行き渡らない。
手軽に誰でも仕える符は、その大きさゆえに、できることが限定的だから改良を考えなかったようだ。
俺達が悪戯目的のように作った、増幅する光の符か。
「まさか、あの符がこんな形で役に立とうとはな」
回廊が膨れ上がるというより、書き換えられている世界。
凝縮した吹き溜まり。その波のように溢れる精霊力など、万の人間で囲もうが、通常の符では意味を成さないように思えた。
この増幅される符なら、押し返すことは無理でも、留める事ができるんじゃないか。
人数が増えるほどに効果は増すのだから、少なくとも、その可能性は高まる。
その期待があるだけでも、憂鬱な気分をやわらげてくれるようだった。




