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精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する  作者: きりま
二章 彷徨いの巡礼者

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挿話その一「女騎士と小僧」

 後に誰かさんの心の中で、女騎士と呼ばれ続ける、フィデリテ・マヌアニミテが過ごした異変後の足跡。



「師匠。脇が甘いですわ」


 彼女の武器は、長剣よりは長い程度の短槍である。

 その槍を握りなおすと、素早く踏み込み、見事といえる突きを見舞った。


「単純な奴よ」


 しかしそれは、あえて作られた隙だった。


「きゃあ!」


 足を払われ、無様にも顔で地面を滑った。


「馬鹿者。何度引っ掛かれば学ぶのだ」


 師匠と呼ばれた男は、ブラスク・ブラックムアという。

 帝国軍内では上官にあたるのだが、厳密に言えば彼女は、この国の兵士ではない。それどころか、国民ですらなかった。

 彼はどうやら、面倒を見る任を押し付けられたようである。

 そのため、お目付け役かと皮肉のつもりで師匠と呼び始めたのだが、その名に相応しく鍛え上げられてきた。


 その男の言葉に、悔しさで一杯になる。

 強く在らねば。

 意地で、彼女は颯爽と立ち上がった。


 肩口まである赤銅色の髪を、うなじ辺りで結わえているが、スッ転んだお陰で今は前髪が顔の周囲を包んでいた。

 背筋を伸ばし、緩く波打つ髪を、両手で優雅にはらう。


「格好をつけたところで、鼻は砂まみれだぞ」


 師匠の言葉に、思わず目を寄せて鼻先を見た。

 それを苦々しく見ながら、一歩一歩でも上達してはいるはずよと、弱気を払いのける。


 今日の訓練はこれまでと、声がかけられた。

 彼女は短槍を半分に折り畳み、腰に繋いだ特殊な鞘へと、武器を収めた。



 そして物思いに沈む。

 この国へと正式に招き入れられた日から、心身ともに強く在らねばと誓った。

 ただ一人、アィビッド帝国に残され、父の便りを待ち続けた。自力で海を越える力もなく、途方に暮れかけていた頃のことへと。



◇◇◇


「私は、トルコロルの騎士!」


 だから、挫けてはいけない。そう、自らを発奮し続けた。

 少女だった私の、精一杯の戦いだった。


 数年経てども、父や部下達の音信はない。


 トルコロルは滅びたとの噂が飛び交う。

 祖国に近付くほど、精霊溜まりが頻出するという話だ。

 迂闊に近付くことすらままならないとも。

 よもや父達も、精霊の一部となってしまったのだろうか。


 後ろ盾のない私の居場所はない。


 逃げ出してきた避難民。

 機能しない、防衛機構。

 それに乗じた、近隣国からの越境者。

 圧倒するのに単純に物量が必要で。


 混乱の中、私も鎮圧部隊に加わった。

 祖国の鎧をまとって。

 生き残った者が、見つけてくれるかもと願って。

 だけど、さして役には立たなかった。


 己の力のなさを自覚し、その後は中傷に負けず腕を磨き続けた。

 精霊力の素養が高いと知れば、防御魔術式を組み入れた。


 だが現実は厳しさを増す。


 確実に廃墟となったことを確認したとの報せが入った。


 父の後を追うには、自分の技量に不安があった。

 だが、アィビッドに属さぬならば、出て行くしかない。


 覚悟を決めて、退出を願い出た。

 生き延びれば恩は必ず返しますと。



 謁見の間へ召される。

 全身を黒い革鎧で覆い、飾り気のない玉座に背を預ける王の姿。

 それを一瞬捉えると、即座に膝をつき、頭を垂れた。

 玉座の傍らに、水晶のような丸い石、転話魔術式具が据えてある。それが淡く光り、発動を示しているのが見えた。

 繋いだ先は、ミッヒ・ノッヘンキィエ元老院からとのこと。

 私に何か関係があるのかと、不審に眉根を寄せ、跪いたまま言葉を待つ。


 トルコロル共王国の、生き残りを探しているという。

 心当たりがあればと帝国へ一報入れたところ、私の存在を知った。騎士縁の者であり、精霊力の素養も高いと聞いて興味があると。


 それでも、何故と疑問は絶えない。


 元老院は、魔術式の研究を担っており、その役目ゆえ精霊力の高い者を常に探して育てている。

 まさか、後ろ盾が無いことに付け込んで、生き残りから漁っているのだろうか。

 品のない、そんな想像を頭から振り払う。


「私から何を知りたいのですか」


 率直に訊ねた。

 答えは転話具から返ってきた。

 転話具特有の、やや不明瞭な声が発せられる。


『復興には人材が必要でな』


 考えもしない答えに、虚をつかれた。


「復興?」


 私は戻ることばかりで、その先のことなど考えも及ばないでいた。

 現状は難しくとも、当然思いつくべきことだった。

 彼らの意図に、些か興奮してしまい、思わず顔を上げていた。感情が高まると、露になるのが私の欠点だ。


 なおさら、何故かと疑問は膨れる。


「機密であるのは承知でお伺いします。理由をお聞かせください。祖国の為とあらば、如何様な荒事にも、私はこの身をかけましょう!」


 翁の笑い声が、玉座脇の転話具から聞こえてきた。

 私は真剣な眼差しを崩さず、答えを待つ。


『王の系譜を探しているのだ』


 なるほど、単純なことだ。国の再興を目指すなら、正当な継承者がいれば話は早い。

 でも、この機にと排除するつもりだったら。

 わずかに躊躇する。


 だけど他に道があるだろうか。

 ここに居座り続けることはできない。

 旅に出るにも困難はある。

 祖国へ近付くほどに、精霊溜まりも増えるという。

 一人では、どれほどのことが出来るというのか。

 悔しいが、今現在の限界であった。


「ここに、宣誓します。私こそ、副王の一人、寛大の王に仕えた騎士の家系であり、その血に連なる者です。私が生き残りであるならば、継承者となりましょう」


 王が厳しい面、その口角を僅かに吊り上げた。


「客人として招く」


 アィビッド帝国とノッヘンキィエ元老院への感謝に、深々と頭を下げた。

 祖国の騎士のまま、この地で学び、力を付け貢献できるのだ。



 それから数年が経ち、ノッヘンキィエへアィビッドの使者として向かう機会を得た。

 生き延びた国の者達も集められているが、何より、もう一人の継承者と会いたかった。


 彼は二人の副王の一人、奔放の王の継承者と聞いていた。

 幼さの残る、つんと澄ました彼を見て、思わず微笑んでいた。

 自己の才能に、自信があるのだろう。その為に努力もしたきただろう。

 若いからと見縊られないよう、誇り高くあれと気負っているのだ。

 私と同じ様に。


「よろしくね、オルガイユ。今後は、共に頑張りましょう」


 私もこんな風に、周りには見えていたのだ。

 彼と共に、真実強く、成長していきたいと誓った。

 他に継承権のある生き残りがいなければ、私達が国を引っ張っていかなくてはならない。

 どんなにみっともなくとも、なりふり構わず力を付ける必要がある。


 今までは、孤独な闘いだった。

 彼が、仲間がいるということが、どれほど心強いか。

 その存在に、心慰められた。


◇◇◇


 彼女は、物思いから醒めて現実と向き合う。


 回廊への任務にあたる直前、心折れそうな事態に陥った。

 仲間がいることで心強さを得、どうにか挫けずにこれた。

 それが、いかに甘い覚悟だったか。


 北端の町に旅人と称して住んでいた。

 主王である、不偏の王。

 その血に連なる男は、一人で生き抜いてきた。


 目を覚ませられるような思いでいた。

 守るものがなく、使命など持たずとも。

 それは例えば、ただ生き残りたいといった、根源的な欲求から来るものですらなかった。

 ひたすら現実的に、目の前の問題を解決すべく、怖れず躊躇せず進んでいく。

 まさに、主王たる男だ。


 それなのに、彼は祖国を真っ向から否定した。

 明確で強い意志を持つ、それは主王の資質の一つだ。

 仕方がないこととはいえ、それが他の事に発揮されるとは思いもしなかった。


 その場は引くしかなかった。

 時期を見て、改めて説得に向かうべく、居所だけは把握に努めるよう師匠に依頼する。

 他の継承者が見つかれば、しばらくは会うこともないと思っていた。


 しかし、回廊の与える影響の広がりは余りに早かった。

 他に生き残っている者を探す余裕など、既にない。

 すぐにでも元老院へ向かい、皆をまとめて前へ進みたかった。

 しかし、各国が手を携えなければ、どうにもならないところまで来ている。

 彼女には、それまでの恩をこの任で返す約束をした。


 あと少しで準備は終わる。そんな時に、鉱山で彼らと鉢合わせた。


 彼はさらに成長していると、彼女の目には映った。

 少々変わってはいるが、優秀な人材を見つける目と、それを従える手腕をも持ち合わせているようだ。


 彼女は、皆を引っ張っていく気概でいた。

 それだけ我が身を鍛え、努力はしてきたつもりだった。

 その実、どれだけの準備が出来たというのか。

 結局のところ、誰かが用意したことに乗っているだけなのだと、突きつけられた。



 弱気になるのはまだ早いと、彼女は気を持ち直す。

 立ち直りの早さは、美点の一つだと自負していた。

 悔しくもあるが、彼の副王として補佐して行けるならば、感謝しなければならない。

 その為にも、まずは彼に、主王であることを自覚して貰う必要がある。

 そして、それが次に与えられた任務なのだと心に誓った。




**********


 小僧と呼ばれ続けるオルガイユ・ルウリーブの、仲間を待ち続けた半生。



 他の継承者が見つかったという、報せが入った。

 寛大の王(ゆかり)の者だという。

 騎士の家か。継承権が低ければ、大した教育など受けていまい。

 アィビッドで兵士として鍛えられているということだが、戦うことだけしか頭にないようなら、根性を叩きなおしてやる。

 不遜なことに、そう考えていた。



 目の前に現れた、すらりとした上背のある肢体。トルコロル特有の青みのある瞳は理知的だ。武骨な鎧に身を固めながら、品まで漂う力強い足取り。

 存在感なら、負けているようだった。いや、圧倒的に負けていた。

 内心の動揺を悟られまいと、気を取り直す。


 だが、目の前で立ち止まって見おろすその人は、柔らかに微笑んだ。

 馬鹿にしている気配はない。

 ようやく懐かしい者と再会できた、そんな親しさを含んでいた。


 この時から、彼の祖国への願いは、彼女と共に果たすことが加えられた。


 誰にも負けてはならない。

 王の威厳を失墜させてはならない。

 それは私だけのものではない。

 築き守ってきた、代々の縁者に負けぬようにと学び続けた。


 そして、初見から無条件に信じてくれた、彼女を失望させないためにも。




「なに、本当かッ!」


 今度は、主王ノンビエゼに連なる者が、見つかったとの報せだった。

 しかも、王城住まいだったというのだ。

 かなり継承権が高い、その意思にも期待が持てる。


 生き残っていたのは運が良かった。

 普通は外に出ることなど滅多にない。

 彼は近衛兵となるための、試験の一つである、護衛任務で国外に出ていたのだった。



 幼き日に、一度だけ垣間見た、主王の姿が頭を過ぎる。

 主王の城。謁見の間に続く、大きな扉や窓は開け放たれていた。

 青空の下、日の光を受けて輝く真っ白の髪を風に揺らしながら、主王は歩み寄った。

 背に広がるのと同じ、晴天の空を持つ瞳が、射るように小さな彼を見おろしていた。


 精霊力の素質を見込まれ、王城住まいの位がありながら、彼はノッヘンキィエへと送られることとなった。

 副王とはいえ、継承権が高い者に対しては、珍しいことだった。

 だが、しっかり学び力をつけて凱旋できるなら、これ以上の貢献はない。


 その際に、謁見の機会を賜った。


「己の為、民の為。しかと励め」


 不安もあったが、その威厳に心を震わされ、これが我が使命なのだと悟った。

 その忠誠を捧げるべき王が、今はもういない。

 そのことを思うと胸が痛む。



 かの主王の如き者は、二人といないだろう。

 実際、元老院まで訪れたのは、温厚な青年だった。

 しかし、優しい笑顔を浮かべながらも、確かな意志を持って使命を果たすと約束してくれた。

 それなのに。


 彼が静かだったのは、体が弱っていたからだった。

 帰ろうとしたが叶わなかったのも、見つかった村で臥せっていたからという。

 そのうち国の情報が入り、様子を見て過ごしていたそうだ。

 元老の使者が見つけてくれて本当に助かったと、彼は言った。


「お陰で、副王候補にも会えた」


 そう、笑ってくれたのだ。




 主王候補が、帝国北端の町で見つかった。

 もたらされた報せに、以前のような高揚はない。

 それどころか、怒りさえ沸いていた。


 その男には、祖国の意思を継ぐ気はないという。


「なんと、いい加減なッ!」


 腹立たしく過ごしていたが、程なくしてここを訪れると、フィデルより報せを受けた。

 きっと彼女の説得が、功を奏したのだと思っていた。

 そして、やはり、心の内に期待が高まるのを否定できなかった。

 しかし実際は、別件だという。


「わ、我らが、ついでだというのかッ!」


 うっかり力んだせいで、手にしていた書類が、ばりっと真ん中から裂けた。

 重要な書類だったのにとノッヘンキィエ閣下から、しこたま怒られた。

 これもあの男のせいだ。




 とうとう、この場にやってくるという日。

 研究院の階上の窓から、彼らを見下ろしていた。

 確かに、白い髪だ。


 だが、幽鬼のような男、ぎょろつく落ち着きのない女を従えて、小汚い外套を閉じもせずに羽織っている。

 ようやく訪れた男が、いかがわしい連中の仲間だとは。

 つい、窓に張り付くように見下ろした。


「こんなだらしない男が、主王だと? 私とフィデルという副王を、従えるに足る男ではないッ!」


 窓硝子を汚すでないと、またノッヘンキィエ閣下からお叱りを受けた。


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