挿話その一「女騎士と小僧」
後に誰かさんの心の中で、女騎士と呼ばれ続ける、フィデリテ・マヌアニミテが過ごした異変後の足跡。
「師匠。脇が甘いですわ」
彼女の武器は、長剣よりは長い程度の短槍である。
その槍を握りなおすと、素早く踏み込み、見事といえる突きを見舞った。
「単純な奴よ」
しかしそれは、あえて作られた隙だった。
「きゃあ!」
足を払われ、無様にも顔で地面を滑った。
「馬鹿者。何度引っ掛かれば学ぶのだ」
師匠と呼ばれた男は、ブラスク・ブラックムアという。
帝国軍内では上官にあたるのだが、厳密に言えば彼女は、この国の兵士ではない。それどころか、国民ですらなかった。
彼はどうやら、面倒を見る任を押し付けられたようである。
そのため、お目付け役かと皮肉のつもりで師匠と呼び始めたのだが、その名に相応しく鍛え上げられてきた。
その男の言葉に、悔しさで一杯になる。
強く在らねば。
意地で、彼女は颯爽と立ち上がった。
肩口まである赤銅色の髪を、うなじ辺りで結わえているが、スッ転んだお陰で今は前髪が顔の周囲を包んでいた。
背筋を伸ばし、緩く波打つ髪を、両手で優雅にはらう。
「格好をつけたところで、鼻は砂まみれだぞ」
師匠の言葉に、思わず目を寄せて鼻先を見た。
それを苦々しく見ながら、一歩一歩でも上達してはいるはずよと、弱気を払いのける。
今日の訓練はこれまでと、声がかけられた。
彼女は短槍を半分に折り畳み、腰に繋いだ特殊な鞘へと、武器を収めた。
そして物思いに沈む。
この国へと正式に招き入れられた日から、心身ともに強く在らねばと誓った。
ただ一人、アィビッド帝国に残され、父の便りを待ち続けた。自力で海を越える力もなく、途方に暮れかけていた頃のことへと。
◇◇◇
「私は、トルコロルの騎士!」
だから、挫けてはいけない。そう、自らを発奮し続けた。
少女だった私の、精一杯の戦いだった。
数年経てども、父や部下達の音信はない。
トルコロルは滅びたとの噂が飛び交う。
祖国に近付くほど、精霊溜まりが頻出するという話だ。
迂闊に近付くことすらままならないとも。
よもや父達も、精霊の一部となってしまったのだろうか。
後ろ盾のない私の居場所はない。
逃げ出してきた避難民。
機能しない、防衛機構。
それに乗じた、近隣国からの越境者。
圧倒するのに単純に物量が必要で。
混乱の中、私も鎮圧部隊に加わった。
祖国の鎧をまとって。
生き残った者が、見つけてくれるかもと願って。
だけど、さして役には立たなかった。
己の力のなさを自覚し、その後は中傷に負けず腕を磨き続けた。
精霊力の素養が高いと知れば、防御魔術式を組み入れた。
だが現実は厳しさを増す。
確実に廃墟となったことを確認したとの報せが入った。
父の後を追うには、自分の技量に不安があった。
だが、アィビッドに属さぬならば、出て行くしかない。
覚悟を決めて、退出を願い出た。
生き延びれば恩は必ず返しますと。
謁見の間へ召される。
全身を黒い革鎧で覆い、飾り気のない玉座に背を預ける王の姿。
それを一瞬捉えると、即座に膝をつき、頭を垂れた。
玉座の傍らに、水晶のような丸い石、転話魔術式具が据えてある。それが淡く光り、発動を示しているのが見えた。
繋いだ先は、ミッヒ・ノッヘンキィエ元老院からとのこと。
私に何か関係があるのかと、不審に眉根を寄せ、跪いたまま言葉を待つ。
トルコロル共王国の、生き残りを探しているという。
心当たりがあればと帝国へ一報入れたところ、私の存在を知った。騎士縁の者であり、精霊力の素養も高いと聞いて興味があると。
それでも、何故と疑問は絶えない。
元老院は、魔術式の研究を担っており、その役目ゆえ精霊力の高い者を常に探して育てている。
まさか、後ろ盾が無いことに付け込んで、生き残りから漁っているのだろうか。
品のない、そんな想像を頭から振り払う。
「私から何を知りたいのですか」
率直に訊ねた。
答えは転話具から返ってきた。
転話具特有の、やや不明瞭な声が発せられる。
『復興には人材が必要でな』
考えもしない答えに、虚をつかれた。
「復興?」
私は戻ることばかりで、その先のことなど考えも及ばないでいた。
現状は難しくとも、当然思いつくべきことだった。
彼らの意図に、些か興奮してしまい、思わず顔を上げていた。感情が高まると、露になるのが私の欠点だ。
なおさら、何故かと疑問は膨れる。
「機密であるのは承知でお伺いします。理由をお聞かせください。祖国の為とあらば、如何様な荒事にも、私はこの身をかけましょう!」
翁の笑い声が、玉座脇の転話具から聞こえてきた。
私は真剣な眼差しを崩さず、答えを待つ。
『王の系譜を探しているのだ』
なるほど、単純なことだ。国の再興を目指すなら、正当な継承者がいれば話は早い。
でも、この機にと排除するつもりだったら。
わずかに躊躇する。
だけど他に道があるだろうか。
ここに居座り続けることはできない。
旅に出るにも困難はある。
祖国へ近付くほどに、精霊溜まりも増えるという。
一人では、どれほどのことが出来るというのか。
悔しいが、今現在の限界であった。
「ここに、宣誓します。私こそ、副王の一人、寛大の王に仕えた騎士の家系であり、その血に連なる者です。私が生き残りであるならば、継承者となりましょう」
王が厳しい面、その口角を僅かに吊り上げた。
「客人として招く」
アィビッド帝国とノッヘンキィエ元老院への感謝に、深々と頭を下げた。
祖国の騎士のまま、この地で学び、力を付け貢献できるのだ。
それから数年が経ち、ノッヘンキィエへアィビッドの使者として向かう機会を得た。
生き延びた国の者達も集められているが、何より、もう一人の継承者と会いたかった。
彼は二人の副王の一人、奔放の王の継承者と聞いていた。
幼さの残る、つんと澄ました彼を見て、思わず微笑んでいた。
自己の才能に、自信があるのだろう。その為に努力もしたきただろう。
若いからと見縊られないよう、誇り高くあれと気負っているのだ。
私と同じ様に。
「よろしくね、オルガイユ。今後は、共に頑張りましょう」
私もこんな風に、周りには見えていたのだ。
彼と共に、真実強く、成長していきたいと誓った。
他に継承権のある生き残りがいなければ、私達が国を引っ張っていかなくてはならない。
どんなにみっともなくとも、なりふり構わず力を付ける必要がある。
今までは、孤独な闘いだった。
彼が、仲間がいるということが、どれほど心強いか。
その存在に、心慰められた。
◇◇◇
彼女は、物思いから醒めて現実と向き合う。
回廊への任務にあたる直前、心折れそうな事態に陥った。
仲間がいることで心強さを得、どうにか挫けずにこれた。
それが、いかに甘い覚悟だったか。
北端の町に旅人と称して住んでいた。
主王である、不偏の王。
その血に連なる男は、一人で生き抜いてきた。
目を覚ませられるような思いでいた。
守るものがなく、使命など持たずとも。
それは例えば、ただ生き残りたいといった、根源的な欲求から来るものですらなかった。
ひたすら現実的に、目の前の問題を解決すべく、怖れず躊躇せず進んでいく。
まさに、主王たる男だ。
それなのに、彼は祖国を真っ向から否定した。
明確で強い意志を持つ、それは主王の資質の一つだ。
仕方がないこととはいえ、それが他の事に発揮されるとは思いもしなかった。
その場は引くしかなかった。
時期を見て、改めて説得に向かうべく、居所だけは把握に努めるよう師匠に依頼する。
他の継承者が見つかれば、しばらくは会うこともないと思っていた。
しかし、回廊の与える影響の広がりは余りに早かった。
他に生き残っている者を探す余裕など、既にない。
すぐにでも元老院へ向かい、皆をまとめて前へ進みたかった。
しかし、各国が手を携えなければ、どうにもならないところまで来ている。
彼女には、それまでの恩をこの任で返す約束をした。
あと少しで準備は終わる。そんな時に、鉱山で彼らと鉢合わせた。
彼はさらに成長していると、彼女の目には映った。
少々変わってはいるが、優秀な人材を見つける目と、それを従える手腕をも持ち合わせているようだ。
彼女は、皆を引っ張っていく気概でいた。
それだけ我が身を鍛え、努力はしてきたつもりだった。
その実、どれだけの準備が出来たというのか。
結局のところ、誰かが用意したことに乗っているだけなのだと、突きつけられた。
弱気になるのはまだ早いと、彼女は気を持ち直す。
立ち直りの早さは、美点の一つだと自負していた。
悔しくもあるが、彼の副王として補佐して行けるならば、感謝しなければならない。
その為にも、まずは彼に、主王であることを自覚して貰う必要がある。
そして、それが次に与えられた任務なのだと心に誓った。
**********
小僧と呼ばれ続けるオルガイユ・ルウリーブの、仲間を待ち続けた半生。
他の継承者が見つかったという、報せが入った。
寛大の王縁の者だという。
騎士の家か。継承権が低ければ、大した教育など受けていまい。
アィビッドで兵士として鍛えられているということだが、戦うことだけしか頭にないようなら、根性を叩きなおしてやる。
不遜なことに、そう考えていた。
目の前に現れた、すらりとした上背のある肢体。トルコロル特有の青みのある瞳は理知的だ。武骨な鎧に身を固めながら、品まで漂う力強い足取り。
存在感なら、負けているようだった。いや、圧倒的に負けていた。
内心の動揺を悟られまいと、気を取り直す。
だが、目の前で立ち止まって見おろすその人は、柔らかに微笑んだ。
馬鹿にしている気配はない。
ようやく懐かしい者と再会できた、そんな親しさを含んでいた。
この時から、彼の祖国への願いは、彼女と共に果たすことが加えられた。
誰にも負けてはならない。
王の威厳を失墜させてはならない。
それは私だけのものではない。
築き守ってきた、代々の縁者に負けぬようにと学び続けた。
そして、初見から無条件に信じてくれた、彼女を失望させないためにも。
「なに、本当かッ!」
今度は、主王ノンビエゼに連なる者が、見つかったとの報せだった。
しかも、王城住まいだったというのだ。
かなり継承権が高い、その意思にも期待が持てる。
生き残っていたのは運が良かった。
普通は外に出ることなど滅多にない。
彼は近衛兵となるための、試験の一つである、護衛任務で国外に出ていたのだった。
幼き日に、一度だけ垣間見た、主王の姿が頭を過ぎる。
主王の城。謁見の間に続く、大きな扉や窓は開け放たれていた。
青空の下、日の光を受けて輝く真っ白の髪を風に揺らしながら、主王は歩み寄った。
背に広がるのと同じ、晴天の空を持つ瞳が、射るように小さな彼を見おろしていた。
精霊力の素質を見込まれ、王城住まいの位がありながら、彼はノッヘンキィエへと送られることとなった。
副王とはいえ、継承権が高い者に対しては、珍しいことだった。
だが、しっかり学び力をつけて凱旋できるなら、これ以上の貢献はない。
その際に、謁見の機会を賜った。
「己の為、民の為。しかと励め」
不安もあったが、その威厳に心を震わされ、これが我が使命なのだと悟った。
その忠誠を捧げるべき王が、今はもういない。
そのことを思うと胸が痛む。
かの主王の如き者は、二人といないだろう。
実際、元老院まで訪れたのは、温厚な青年だった。
しかし、優しい笑顔を浮かべながらも、確かな意志を持って使命を果たすと約束してくれた。
それなのに。
彼が静かだったのは、体が弱っていたからだった。
帰ろうとしたが叶わなかったのも、見つかった村で臥せっていたからという。
そのうち国の情報が入り、様子を見て過ごしていたそうだ。
元老の使者が見つけてくれて本当に助かったと、彼は言った。
「お陰で、副王候補にも会えた」
そう、笑ってくれたのだ。
主王候補が、帝国北端の町で見つかった。
もたらされた報せに、以前のような高揚はない。
それどころか、怒りさえ沸いていた。
その男には、祖国の意思を継ぐ気はないという。
「なんと、いい加減なッ!」
腹立たしく過ごしていたが、程なくしてここを訪れると、フィデルより報せを受けた。
きっと彼女の説得が、功を奏したのだと思っていた。
そして、やはり、心の内に期待が高まるのを否定できなかった。
しかし実際は、別件だという。
「わ、我らが、ついでだというのかッ!」
うっかり力んだせいで、手にしていた書類が、ばりっと真ん中から裂けた。
重要な書類だったのにとノッヘンキィエ閣下から、しこたま怒られた。
これもあの男のせいだ。
とうとう、この場にやってくるという日。
研究院の階上の窓から、彼らを見下ろしていた。
確かに、白い髪だ。
だが、幽鬼のような男、ぎょろつく落ち着きのない女を従えて、小汚い外套を閉じもせずに羽織っている。
ようやく訪れた男が、いかがわしい連中の仲間だとは。
つい、窓に張り付くように見下ろした。
「こんなだらしない男が、主王だと? 私とフィデルという副王を、従えるに足る男ではないッ!」
窓硝子を汚すでないと、またノッヘンキィエ閣下からお叱りを受けた。




