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精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する  作者: きりま
一章 旅立ち

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九話 闇神殿の回廊

 かつて回廊と呼ばれて賑わった場所は、荒れ果てた姿をさらしていた。海の上空は、拡散した光で霞んでいる。その中心に、霧とも違う、光の粒が凝縮された分厚い積乱雲が湧き上がっていた。


 高台から、海だったものを見下ろす。

 眼下に広がる光景に、一同が魅入られていた。


 今、まさに目にしているというのに、まるで現実感が湧かないでいる。

 話に伝え聞いた通りではある。回廊の中心から、吹き飛んだように全てが消えたのだと、言葉で言えばそれだけのことだ。


 現実は、そんな言葉に収まりはしないすさまじさを物語っていた。

 浅瀬には円状に抉れひび割れたような影が見える。その溝は深く、離れた場所からでも、陸地までその暗い手を伸ばしているのがはっきりと見えた。昔見た砂浜や、立派な港は、影も形もない。

 海だったものが、そこにある。

 今も周辺は間違いなく海なのだ。暗い色に代わってしまったのは、水底が深くなってしまったためだろうが、打ち寄せる波もある。

 しかし、回廊の中ほどの中空にある一際濃い光の中心。

 そこは、かつて闇神殿と呼ばれていた、回廊の中程。波が静かな夜、干潮時に渡ると、闇の中を歩いているようだと評して、そう呼ばれるようになったという話だ。目に映るその光景は、まるで、その伝承が顕現したかのようだった。


 海面に映る景色。夜の闇と、同様に暗い石造りの建築物が、海中の空へ向けて逆さまに聳え立っている。

 そして、それらを、丸々とした月が、浮かび上がらせていた――まっ昼間だというのにだ。




 三日目の朝、隊列は回廊へ到着していた。靄が強く、全体の様子を確認すべく高台へと登ってきた。多くの者は、現状を知らず、気になっていたことだろう。しかしこれを目にすべきだったのか、どうか。周りからは、様々な動揺が伝わってきた。


「……以前は、こんなものはなかった!」


 異変時に確認に来たという兵の幾人かが、様子が違うと話し込んでいる。


「こりゃあ、大変なことだな……」


 並んで見ていた副支部長達も、受けた衝撃を口々に、誰にともなく語りかけていた。

 俺は、しばし見据えると、人垣から下がった。

 驚きはしたが、既に知っているものを見たように冷めていた。

 ――そうか、あれが全てを奪ったものかと、虚ろな感覚が過っただけだった。


 少し下がると、先頭の隊のそばだった。

 この隊には、厄介な女騎士が居るので近付きたくはないが、彼らの行動が興味を引いた。一際偉そうな面々が、荷を解き、手際よく魔術式具を準備している。

 あれに動じていないのか、初めから知っていたのかと疑問が湧く。

 兵の一人が転話具を、指揮官らしき男の側に出された小型の机に置く。水晶のような転話の道具は、両手で掴まなければならない大きさであるし、落とせば割れるようなものだろう。手にしたまま使用するものではない。

 ぼうっと水晶が淡く光り、魔術式の発動を知らせる。早速、認識確認の声が聞こえた。相手は待機していたということだ。指揮官らしき男は端的に告げた。


「アィビッド帝国軍だ。回廊にいる。宣託とはこのことだろう」


 息をのむ。その言葉一つで、帝国の目的が垣間見えたようなものだ。

 宣託、という名の助言。

 それを伝えるのは、ミッヒ・ノッヘンキィエ元老院のみ。

 かつては国だったのだが、人が流出し国の体裁を失ったという話を聞いたことがある。

 しかし古い知識を継承する彼らは、世界の中立的なご意見番として新たな存在価値を見せた。魔術式を研究する機関となることで。


 急に、軍が予定を変えたのは、元老院が出処か。

 世に出回っている魔術式を用いた数々の道具は、ほぼ元老院で開発されたものだ。正直なところ幾ら画期的な発明道具だろうと、庶民にとっては、なんの役に立つのか理解の難しいものばかりの上に高い。だというのに、符のような簡易式の道具などを開発してまで広めようとしているのは、国が後押しをしているからだろう。原料用の鉱山を押さえていることなどからも推測できる。

 この行軍の中でも、魔術式具は各隊に配備されていたのだ。助成もしているだろう。元老院とは密な取引があるに違いなかった。

 それに、女騎士が言うには、未だ調査は続けているという。

 元老院は、海を越えた側の大陸にある。海を渡る大きな港は、この元回廊と南端近くの二箇所だけだったのだ。現在は、海を渡ることが難しい。調査をするにしろ、元老院が協力していると考えれば合点のいくものだった。


 また新たな勢力かと溜息が漏れる。

 いや、絡んでいても、おかしくはないどころか当然なのだが、苦々しい気持ちは湧く。

 勝手に聞いておいてあれだが、上のやつらの企みなど知りたくもないことだった。


 それでも、新たに疑問が湧いていた。

 軍は、次に何をするつもりなのか。

 海の異常を確認したかっただけなのだろうか。


 実際、調べようにも、船はないし近付くのは無理だと思える。近づけたとして、触れていいものかどうか。正直この場に居続けるのすら、不味い気がしてならないのだ。


 空中には、集められたような光の粒が充満している。

 その光景を凝視した。

 周りの靄が、身体を通り抜けていく。そんな錯覚に陥る。


 もしもだ。精霊溜りが、街を覆うほど巨大だとしたなら。

 知らずにその中を歩いていれば、こんな風なのではないか――。


「空に何かあるかね」


 跳ねる心臓を抑えつけ、努めて慎重に振り返る。精悍な壮年の男が、厳しい目を向けて立っていた。濃い茶色の短髪に、無精髭。指揮官らしき男だ。近くで見ても明確でないのは、階級などを示しそうなものが見当たらないためだ。恰好は他の兵と同じく、分厚い生地の黒い制服という素っ気なさだ。その態度だけが立場を物語っている。

 誰もが下を向く中を、一人見上げているのは目を引いたらしい。向き直り、どう言ったものかと思案する。男の肩の向こうに、女騎士が見えた。あいつが寄越したんじゃないだろうな。

 すぐに視線を戻し、素直に光の雲に関する懸念を伝えることにした。

 これは俺の問題だけではないだろう。


「もしこれが、精霊溜りの中だったらと考えてたんですよ」


 指揮官は片手を顎に添えて思案して見せる。


「なるほど。それは考えもしなかった」


 そこに魔術式使いの一人が準備が整ったことを知らせ、男は手短に指示をする。

 そのまま立ち去るかと思えば、しっかり向き直った。


「ブラスク・ブラックムアだ。君の精霊力は図抜けていると、隊の者も言っていた。貴公の言う通り、恐らくあの雲はそうだろう。だが、この靄を心配する必要はない」


 呆気にとられた。想像よりも、よっぽど踏み込んだことを知っている。調査自体は本当の任務なのだろう。男は早口に言うだけ言うと踵を返していったのだが、その先は丘を下った先だ。

 最後に残した、ではまた、という言葉が残響するようだった。

 絶対、あの女騎士の差し金に間違いない。



  その後、軍は岸辺まで近付き、辺りを調べていた。見たことのない様々な道具を手にし、魔術式使い達が歩き回って何かを確認すると、側の兵が結果を書きつけているようだった。

 好奇心はあったが、俺達にも一応の仕事が課されている。

 とはいえ俺達に大した装備があるわけでもないので、出来る範囲で目にし、調べた事実を書き連ねるだけだ。


 午後には回廊から引き上げた。日暮れまで、出来る限りパスルー跡地外れまで移動して野営したいためということだった。あの近くでは誰も心休まるまい。

 野営の準備時に、戻りは多少経路を変更するという報せが届いた。伝令は回廊とは別に走り回っていた。精霊溜りを発見したのだろう。


 晩飯中、副支部長が、指揮官に呼ばれて出向く背を見送った。

 お偉いさん同士の交流か。

 指揮官に比べると、少しばかり威厳の足りない副支部長を憐れんでおいた。




 翌日、路上。

 誰もが、行きがけ以上に言葉少なだった。

 そんな中、副支部長が列の後方にいる俺の横に並んだ。それだけで不審な目を向けたくなるというものだ。そんな中、副支部長は前を見たまま、小声で切り出す。


「アンパルシア、お前、軍の魔術式使いに興味はあるか」

「活動してるのは初めて見たが、さすがだな」

「そういう意味じゃなくてだな……」


 思い切り警戒だ。目を眇め、詰問する。


「何を言われた」


 昨晩、こいつが呼ばれた理由と関係するだろう。ただの引き抜きなら、直接交渉にあたるはずだ。

 日が落ちかけている。始まる痛みに、感情の高ぶりも抑えがたい。不快感に呑まれ、さらに問い詰める。


「いや、何を言った」


 そうだ。問題は俺について何を話したかだ。

 誰にも出自を話したことはない。だからといって、知られていないとは限らない。


「お前は、どっからどう見ても旅人だと」


 その言い分を鵜呑みにはしない。俺は、目を背け、口を閉ざした。

 選別。

 ならば腑に落ちる。

 不自然に少ない、随行者の理由。


 何が調査だ。勝手に取引材料にしやがって。


 確かに、重大な問題は、回廊で見たものだ。それが主目的なのは、疑いようもない。

 だが、これではっきりした。そこに付随した計画が、幾つもある。

 優先順位がどれほどのものかは分からないが、精霊力の強い者を集めることが含まれている。一人でも多く手に入れたいのは、この状況を知れば尚更理解できる。


 大型の精霊溜りを片付けた際のことが浮かんで、失敗したと思った。精霊力の強さを見せてしまったのだ。

 お世辞のような女騎士の言葉だけではない。魔術式使いに囲まれて訓練しているだろう兵の反応からも、俺の精霊力は長けているようだった。

 目を付けられたということだ。


 少しずつ、俺の気持ちをよそに、状況は追い立てられていく。

 そんな心配は被害妄想であってくれと、願うしかなかった。


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