百五話 嫌厭の意
午後も、女の細かい嫌がらせは続いていた。
本人は暇で、遊んでいるだけのつもりなんだろうが、旅程に影響するなら話は別だ。これ以上は、看過できない。
「いい加減にしろ」
苛立ちが限度を超え、睨んで声をかけると、一応は治まった。
ただでさえ旅程通りに進んでいない。
それどころか、さらに遅れている。
髭面と地図を確認し、改めて野営地点を決めるはめになった。
これなら、手前の集落にでも寄っていれば良かった。
その後は静かなもんだったが、時折小石を蹴りながら、ふて腐れた様子で歩いている。懲りているようには見えない。
たまに様子を窺うと、女の顔には、まだ何か企んでそうな気配があった。
おかしな趣味を持ってようが、行動が突飛だろうが、一向に構わない。
頼むから、心静かな旅を送らせてくれ。
結局は、昨日の遅れ分すら維持できずの野営となった。
小僧のこともあるから、商人速度でのんびりと進んではいるが、これ以上遅れるのは物資にも影響する。
普段通りに進めば、もっと先へ到達していただろう。
今夜は、女に見張りをさせないほうがいいかな。
いや、これ以上無駄に元気を出されても困る。
逆に見張り時間を長引かせ、気力を削ぐべきか。
こっちは、そんなことに苦心しているというのに、当の女はすっかり元気を取り戻していた。
三人の聴衆の背を横目に見る。髭面、女騎士、小僧が扇状に女を囲んで向かい合っている。
聴衆の間に垣間見えた女は、黒い目をさらに翳らせて、何事かを披露しているようだ。
そんな時は当然、瞳をぎらつかせている。
口の両端は大きく持ち上げられ、厭らしい笑みを作っていた。
どうせ奇妙な話なんだろ。
変な虫を拾ってくるよりは、手間もかからない。
さして興味も湧かず、道具の手入れでもするかと己の鞄に手を伸ばした。
静かな空間を断ち切るように、興に乗った女の声が、ここまで届く。
「精霊力がぶわあっとして、びかーっとしたら変な男が闖入してきてね。それで、悪党がばさーって背中を切りつけてきたの」
鞄に伸ばしていた手が固まる。
なにか、今、とんでもない話が聞こえたような。
「業を背負って煙る大地を彷徨う――なんて、むせるように格好いい傷跡も残らなかったし、痛みも全くなかったよ」
吹き出る冷や汗が、手を伝い落ちる。
「ほう……」
髭面の声には、含みが滲んでいた。
女騎士の体には、僅かな緊張が見えた。
小僧だけが楽しそうに、首を振って頷いている。
「やはりそうなのか。私もこの身に怪しげな符を受けたのだ。よく分かるぞ」
妙な連帯感が生まれたようだな。
だが、そんなことはどうでもいい!
拳を握り締め、怒りを爆発させないように、ゆっくりと立ち上がる。
大きく息を吸いこむと、かけた声にだけは力を込めた。
「おい。会議だ。今すぐ来い」
「いいとこなのに」
「来い」
女の首根っこを掴む。
道具の手入れをしていたかもしれない、商人も引き摺り移動する。しばらく歩き、十分距離を取ったと判断して足を止めた。
腕を離すと、女を見おろした。
二人は、慌てたように地面に座りなおす。
「鼻の穴大きくなってる」
「何をしているか、分かっているのか」
逆撫でするような物言いはわざとか。
俺を煽るようなことばかりしてくる。
それもよりによって、最も避けたい話題。
「一体、何の真似だ。俺がどれだけ嫌がっているか、知っているだろ」
「そう言われたことはないよ」
屁理屈を!
「今、聞いた。もう言わない」
一応は、真剣な顔を取り繕ったが、声音は伴っていなかった。
「本当に分かっているのか。髭面達がいるんだ。これ以上、巻き込まれるようなことをすれば、お前だって不自由な思いをすることになるかもしれないんだぞ。それは、もちろん商人もだ」
女は顔を顰め、口をひん曲げた。
俺が商人呼ばわりしたことへの言及は無い。
それよりも、自分の話したことについて考えているのかもしれない。
「ユリッツさん、ごめんなさい」
俺に対して、その言葉は吐かれなかった。
なんだよ一体。
もう無闇矢鱈に、女騎士達を忌避することはしていない。
また何か、腹が立つことをしたんだろうか。
「それで何の話だ。怒られるようなことをしたか?」
商人の困惑した声に、我に返った。
「悪い。突然引き摺って」
女が話したことについて聞かせた。
「なるようにしかならん」
頷きながら聞いていた商人は、それだけ言って戻っていった。
女もこそこそと、その後を追うようにして逃げていた。
その姿が見えなくなっても、しばらく眺めていた。
妙だな。
何がと問われれば答えようもないが。
今まで、あいつがこんなことをしただろうか。
いつまでも、ぼけっと立っているわけにもいかず、焚き火の傍へと戻った。
「良からぬことを考えているようだな」
俺が戻ると、何事かを話しかけてきた小僧に目を向けた。
これまでの態度をみるに、元老院に企みごとがあったとしても、こいつは何も知らされてなさそうだった。
横柄で傲慢かと思えば、やけに素直でもある。箱入りなだけなんだろう。
箱入り小僧か。新種の化け物のような響きは、女が喜びそうだ。
話しが逸れた。
「おい聞いているのか」
「そうだな。まあ助かったよ」
「聞いてないではないかッ!」
目を尖らせ、頭に血を上らせている小僧に背を向け、はたと立ち止まる。
単純ですぐに態度に出るからといって、謀ができないということはない。
すぐに態度に出るが、女だって肝心なことをはぐらかし続けてきた。
何を知っているか、こちらが知らないのだから、問い詰めようがないということもある。
それに、小僧単体で考えても仕方がない。
ここには女騎士と髭面もいる。
幸いなことなのか、元老院と帝国の思惑も交差しているようだし、爺共も企みが順調に進んではいないようだった。
進みが遅い――今の旅も、思ったように進めてない。
街道に出てからのことを思い返し、気付いた。
遅れの原因は、女だ。
元から奇行が多いとはいえ、ここのところの行動は目に余る。
水などの備蓄に手を付けるような、迷惑をかけたことは……ええと、なかったと思うが、自信は無い。
ともかく事を確かめ、もし遅らせたいというのなら、それを説得しなければならない。
寝てしまおうと、手近な木に寄ると、声をかけられた。
女騎士の声に嫌々振り返ると、髭面も側にいた。
「少しよろしいですか」
うんざりする。
「なんだ」
つい横柄になり、八つ当たりするなと自身を戒める。
向き直り、頷いた。
「以前、お尋ねしたことを覚えてらっしゃるかしら。行軍を共にした後に、天幕でのこと」
あんたらほど、暇人でもない。
一々そんなこと覚えてられるか。
「いいや」
「回廊へ向かってから、精霊力が増したと思いませんか――そう、お尋ねしたと思います」
髭面が頷いた。
「確かに、そう尋ねていたと記憶している」
疑わしい目で二人を見る。
「いつからですか。彼女の話では……」
思わず、その続きを遮るように手を上げていた。
「あいつの大げさな与太話を、まともに聞くな」
「しかし、オルギーとの手合わせでは、貴方の力を私達も目にしています」
あれのどこが、手合わせなんだよ。
「試しにあんたらも、商人の符を使ってみたらどうだ。とんでもないぞ」
短時間で、あの女には本当に疲労困憊させられた。
「悪いが、予定通り進まず疲れてる。休ませてくれ」
今さら、わざと無碍にしたいわけではない。
どうせまだ暫くの間は、こいつらとも行動を一にする。
厄介事を、明日へ持ち越したところで、面倒がなくなるはずもない。
そう分かっていても、今は休みたかった。




