百四話 偽りの姿
湿気を含む、朝の清々しい空気を吸い込み、伸びをする。
起き上がると、尻の土を払い、体を解した。
のそのそと起き上がる他の奴らへと、視線を順に移動する。
覇気の無い顔付きで、ゆっくりと起き上がる商人。これは日中もさほど変わりない。
髭面はきびきびと、通常の上掛けの半分程度の布を折り畳んでいた。充血した目元だけが、起き抜けだと物語っている。
小僧は、疲労がまだ足腰に響いているようだ。四つん這いで、木を支えによろめきながら立ち上がろうとしていた。
最後に見張りをしていたのは、女騎士と女か。
女騎士は、皆の起床を見て、火の後始末をしていた。
一人、足りない。
まあいいか。
外套の後ろ側を引っ張って葉っぱなどをはらいなおすと、水筒を取り出し、手と口をすすぐ。
すぐに座りなおすから、また汚れるのだが、枝などが残っていると痛い目に遭うこともあるから気をつけていた。
また木の根元に、腰を落ち着ける。
そして鞄から保存食を取り出し、口を開けた瞬間のことだった。
瘴気――この醜悪な気配。後ろか。
咄嗟に朝飯を庇い、振り向いた。
木と藪の間に、這い蹲ってこちらを窺う、木の葉の化け物がいた。
黒い土で模様を描いた顔に、邪悪な黒い双眸だけが浮いて見える。
その化け物が、正に今、獲物を捕らえんと腕を伸ばしていたのだ。
刹那の間、邂逅した視線は火花を散らす。
「何も拾うなと言ったはずだ」
葉に覆われたおぞましい腕は下ろされる。
代わりにそれは、葉を揺らしながら頭をもたげた。
「拾ってない。くっつけただけ」
かさかさと音を立てつつ、藪の化け物は人語を話した。
お前は、大人しく見張りもできないのか。
「ひいッ!」
女の変わり果てた姿を認めたらしい、小僧の悲鳴が聞こえた。
「ふむ、擬装か。軍でも訓練の一つに加えている。今では、役に立つ機会もそうないのは喜ばしい。国境に塹壕を掘り、いつ現れるともしれぬ敵を、待ち構えていたのが遠い昔のようだ」
髭面が、至極真面目に解説らしきものを始めたが、すぐに回想に浸っていった。
今は、そんなものが必要な状況も人間もいない。
「ほら、髭さんは褒めてる」
特に褒めてないと思うぞ。
それより、邪魔臭い葉を引っ込めろ。
女が這い出すのを確認すると、糧を奪われないように警戒しながら食事を摂った。
女は自分の水筒から手を洗っていたが、すぐに使い尽くした。
悲しげな表情で、商人を見つめる。
商人は溜息を吐くと、荷車の覆いを剥がした。
木箱の一つから、側面の板を開く。
そこにある小型の樽には、水を蓄えていた。
「水場もないのに、余計なことするな」
女に釘を刺しておく。
帝国側と違い、必ずしも街道の側に川があるわけではない。
町も多くはないし、水と食料には、今まで以上に気を使わなければならなかった。
「夜間の奇襲を受けた場合、見張りが狙われる。潜んでおくことで、全滅を免れる可能性が高まるだろう。とはいえ、水の問題があるから、葉で覆うに留めておく方がいい」
などと髭面が続けていた。
この女の禄でもない行為を、肯定するようなことを言うのはやめてくれ。
「出よう。ただでさえ、遅れてるからな」
そう声を掛け、皆を街道へと促した。
汚らしい外套から、絡んだ枝葉を引き千切っては投げ捨てている。
その様子に眉を顰めた。
生地が痛むだろうが。
物は大切に扱えよ。
外套は旅人として登録する際に、大抵の者は組合から買う。
金に余裕があるなら、自分で仕立ててもいい。が、普通は金がないから登録する。
もちろん、組合もそんなのは分かってるから、金を取ったりはしない。依頼を幾つかこなして、そこから差っ引くようにしている。
やたら丈夫だから、元はすぐ取れる。ほとんどの者は、当初手に入れた外套を愛用し続けてるもんだった。
そんな、大切な作業着になんてことをするんだ。
それでも人の持ち物だ。文句を言いたいのを堪えながら、様子を見ていた。
「おい、額の真ん中が赤いぞ。虫にでも食われたのか」
こちら側の葉を取ろうと、振り向いたその額には、赤く丸い跡があった。
女は、俺の言葉に顔を顰めた
口をひん曲げて、額をさすっている。
そして、一瞬だが、背後の人物に目を向けた。
前方に荷車を引く商人と、やや前方を行く髭面。
荷台を挟むよう、左右を俺と女。
俺達の背後に、女騎士と小僧が続いている。
小僧は怯えるばかりだし、女騎士の仕業か。
「びしっ! って、騎士さんに額を指で弾かれたの」
昨夜、小僧が追い詰められた後に、そんな面白い事があったのか。
見逃して悔しいような、いやどうでもいいな。
結果を見れば十分だ。
禄でもないことばかりしているから、そういう目に遭うんだ。
少しは学んでほしいもんだ。
進むにつれ、街道から分かれる道を見かけるようになった。
小さな集落があるらしいな。
幾つか分かれ道を見たところで、時折荷馬車と擦れ違う。
その誰もが、妙なものを見たというように首を傾げつつも、挨拶を交わし去っていった。
その何人かには、旅芸人かと問われさえした。
着てるものも、それぞれ特徴がありすぎる。そう見えたとしても、文句は言えない。ましてや、今は集団だ。
ただ、そのお陰もあって話しかけ易かったんだろう。話すついでに、果物類を分けてもらうこともできた。
しかし、こんなところは、帝国側と変わりないな。
集落間の距離がさほどなく、人通りが少なかろうとも、荷車を引いて徒歩で移動する者はいないようだ。
両手で握れるほど大きく、楕円形の黄色い実を一つずつ配る。
革のように硬い外皮なのだが、切り目を入れると簡単に剥ぎ取れた。
果汁が滴り落ちる。
実も柔らかく、下手したらすぐに潰れて落ちそうだった。
これは、楕円の細い方を一部切り取り、中を掬い出して食べるのが良さそうだ。
今度食う機会があればそうしよう。
南方は、甘みの強い果物が多いと聞いた。
酸味よりも甘さが際だつその実で、充実した昼飯だった。
「ああ、その、なんだ。そこの引き手に、荷台を借りたい旨を伝えてくれ」
午後になると、小僧が根を上げた。
なんで、俺に言うんだよ。
言い合うのも面倒なので、商人へ伝える。
商人は頷いて、荷車を止めた。
途端に、よろめきながら荷台によじ登る小僧に、女騎士が手を貸した。
痛みが引くと、途端に尊大さを増す。
いつも以上の鬱陶しさだった。
「歩き疲れはするが、あれから足の腫れによる痛みはないぞ。符のせいかは分からんがな」
へえ……知りたくもなかったが、何かしら効果はあったようだな。
「よくよく考えたら、私は貴様と違って馬車馬の如く過ごしたことはない。何も落ち込むことはなかったッ!」
現金なやつだ。
「見てろ。私には生まれ持った才能がある。今に、貴様以上の図太さを身に付け、豪奢な馬車馬になってやるからな」
ちょっと意味が分からない。
それは、別に目指さなくてもいいだろう。
「ははは、悔しいようだな」
俺の困惑をどう捉えたらそうなる。
痛みがなくなり気分が高揚しているのだろう。
まさか、符に変な催眠効果なんかないよな。
しばらくすれば落ち着くだろうし、放っておくか。
荷車上で踏ん反り返っている様は、滑稽だぞ。
そう心の中で評しておいた。




