百二話 足踏み
小僧は、まだ荷台でぐったりしている。
とはいっても、驚愕から回復し、安堵したために力が抜けたようだ。
俺も一息つくと、商人へ抗議の目を向けた。
まったく、何か試したいなら、別の機会にしろ。
「ふくれ面。ユリッツさん、針でつついてみようよ」
商人は頷いて、道具を取り出そうとしている。
俺には、女を止めないのかよ。
だいたい、ふくれ面は女だ。俺はふくれない。
「くそっお前ら」
こいつら共謀してたな。
こんな機会がなくとも、いずれは使わせようと、あれこれ画策してたに違いない。
「また企んでただろ」
「どきいっ」
口で擬音を吐くな。
歯を噛み締め、唸るように言葉を絞り出す。
「幾ら鬱陶しい小僧とはいえ、相手は人間なんだぞ」
怒気を込めて、二人を睨む。
女は商人の影に隠れ、頭だけ覗かせた。
「時間も資源も有限。有効利用しないと。こめかみに、土中のうねうね虫飼ってる場合じゃないよ」
血管のことか。
気味の悪い例えをするな。
「設計に、問題はなかったんだ」
商人すら焦りながら、言い訳をした。
この分だと全く堪えてない。
「よろしいかしら」
背後からの声に、振り返る。
小僧が落ち着きを取り戻し、安心したのか、女騎士がすっと立ち上がった。
こちらを向いて腕を組み、じっと見つめる。
いつもの柔らかな微笑を浮かべているが、どこか空気が硬い。
言い合いをしていた俺達は、口を閉じると、並んで大人しく向き直った。
「それで、これはどういうことでしょう」
これは、怒っているな。
「説明しろ」
俺は横目に商人を見て、指示した。
「精霊力の制御機構を組み込んだ。ただ抑制するだけだと、効果も従来のままだ。だから、流れを抑制しつつ段階的に開放する方式を採用したんだ。そうすれば、精霊力の流れを抑えつつも、効果は最大限発揮される筈、だった……それで、」
「はず、だった」
女騎士の微笑が固まる。
「すまない」
「ごめんなさい」
「悪かった」
俺達は、反射的に謝っていた。
確かに符を使ったが、なんで俺まで謝ってるんだよ。
「それにしても、面白い試みですわね」
女騎士は、普段の雰囲気に戻って呟いた。
片手を頬に添え、僅かに首を傾げる。
何か考え事があるという仕草だ。
「設計と言いましたね。この符を作ったのですか。商人と伺ってましたが」
女が手を上げて、飛び跳ねながら言った。
「今は商人なんかに身をやつしてるけど、その実は凄腕の符作り職人さんだよ」
また我が事のように、胸を張って言っているが、それ褒めてないからな。
「それはもう色々と暗躍してるんだかびゃー! ちょっと何するの」
俺は、女の外套の首元にまとめてあった頭部の覆いを、勢い良く被せた。
「ややこしくなるから、黙ってろ」
そのまま蓑虫にし、荷台の小僧の横に詰めた。
魚網の中で暴れる魚のように、ばたんばたんとのたうっている。
気味が悪い。
また向き直ると、女騎士は混乱したのか、眉を顰めている。
その側に、髭面が立ち質問を重ねた。
真剣な様子だ。
「ただの職人は、設計などしない」
そうだろうな。
「俺を調べるついでに、こいつら二人のことも調べ済みのはずだろ」
髭面は、自嘲気味に笑った。
「その通りだが、調べたのは表面だけだ。君らの間に、依頼契約は存在しなかった」
含みがあるようにも思えるが……俺の方が主な用件なら、商人達はざっと身分の確認をされだけなのか。
「現身分の、仕事上の記録を調べはしたが、過去の身分までは遡らなかった。そこまで我らも万能ではないということだ」
余計なことで疑われるのも、面倒臭い。
「許可証」
俺の声に商人は頷いて、今は小僧が背もたれにしている木箱を漁った。
大事なもんくらい、身に付けておけよ。
その間に、代わって説明する。
「元が職人なんだよ。あれで、かなりの腕がある。工房を開く申請に帝都へ向かうついでに、符を売って資金を稼ぐため、商人身分で移動してたんだ」
女騎士は戸惑いつつも、感心している。
「そんな歳には、見えませんね」
工房を持つには、早すぎるだろう。
しかし、故郷の村で一人親方やってる分には、問題ないと思う。
そこに商人が、幾つもの証書を携えてきた。
髭面に手渡す。
「複数の免許申請を、こんな短期間でこなしたのか」
髭面も、信じがたいと言葉にした。
眉間に皺を寄せているが、素直に感心してやれよ。
「急いでいたとはいえ、調べが甘かったようだ。もう少し早く、いや過ぎたことだな」
そこに向かうのか。
今、何か腹黒いこと言おうとしたよな。
多分、許可を滞らせてやれば良かったとか、そんなことだ。
目を眇めて見ると、髭面は忌々しい笑みを浮かべた。
「心配無用だ。もうその必要はない」
それはそれで、不安だ。
髭面は、許可証を丁寧に揃えて商人へ返した。
「工房を開けると、前親方から認められたほどの腕がある。それは分かった。初めに戻るが、職人は設計などしない。専門が違う。理について学びはしても、製作で時間を取られ、研究の時間など取れないと聞く」
女騎士も続けた。
「元老院ではそういった連携する部門もあるようですが、民間で、しかも個人でというのは、難しいでしょうね」
そんなにお偉方が気にするほど、珍しいもんなのか。
俺のせいで接点が出来てしまったとはいえ、商人まで目を付けられるのは回避したいが。
すでに、迷惑をかけすぎている。
「趣味」
商人は、一言で全てを表現した。
髭面は無精髭を撫でながら、訝しげに目を細める。
すぐに苦笑を漏らした。
「色々な人間がいるもんだ。そろそろ移動しようか」
それで、一応は開放された。
しかし、あの様子だと、髭面の頭に刻まれたのは間違いない。
変わり者だから忘れがちだったが、商人の才能は、俺が思った以上のものがあるのかもしれない。
多分、女のことも。
女は恐らく、異変の中心を見た唯一の、生きた証人だ。
妄言だと断じることもできるが、頭の片隅には残しておくだろう。
あの妙な精霊力による、傷の治りの早さを目にしていなければ、俺だって信じなかった。
しかし、よくも、こう奇妙な奴らが集まったもんだ。
そこに俺も含まれるのは、ありがたくない事実だな。
「ぷふばぁー!」
変な音が、背後で弾けて出た。
「いてっ」
と、同時に奇襲を受ける。
声に振り返ろうとしかけた側頭部に、何かが当たって落ちた。
指先ほどの黒っぽいそれを拾い、認識した瞬間、全力で以って投げ返した。
「気持ちの悪いもん投げつけてんじゃねえぞ!」
甲虫の抜け殻。
投げ返したはずだが、また飛んでくる。
見ると、道具袋から取り出していた。
「なんてもの集めてやがる!」
心で叫んだはずが、声に出ていた。
「零れた命の雫だもん。気持ち悪くない!」
「だから、それが気持ち悪いんだ、よ!」
投げつけられるそれらを、全て手刀で跳ね返した。
「ふ、服の裾を踏んでる……げぶうッ!」
「オルギー!」
「荷台で暴れないでくれ。俺の荷物」
「旅程を変更した方が良さそうだな」
女のせいで、とんだ時間の無駄だ。




