百話 方向修正
髭面と、女騎士が見張りを交代した。
俺は、もうしばらく考え事に耽ってから、商人と交代するつもりだった。
女騎士には、まだ疲れが見えた。
「あの町、パスルーの出身だったのね……申し訳ない事をしたわ。知らなかったとはいえ、私達には仲間がいることを当たり前のように話していた」
その態度が癇に障った。
一々謝る必要なんかない。
国を失い、建て直そうとしてきたのは、何もお前らだけじゃない。
それこそ、町一つ分の住人では足りない、本当に多くの者が被害に遭った。
そして、過去の辛さを内に抱えつつ、必死に生きてきたんだ。
暗黙の了解かもしれないが、皆がそれを共通のものとして慰めを見出してきた。
俺達だけではない、だから頑張らなきゃってな。
苛立ちが言葉にならない内に、口を引き結ぶ。
女に言われたばかりだ。せめて、俺のせいによる諍いはないように過ごしたい。
それに、話を聞いていたなら、分かったはずだ。
回廊の及ぼす影響が、実際に何を引き起こすのか、その可能性を。
俺、女騎士、髭面は、現在の回廊を見た。
気になるのは、女が言っていた、白い靄。
今もまだ、そこにあるのを俺達も見た。
それとも、新たに発生したものなのか。
元老院の爺共が焦っているのも、それについて何か知っているからではないのか。
それが、王の血筋が云々と、どう関係あるのか知らないが。
民が、逃げ出さないようにってなことを言っていたな。
そこまでの求心力が欲しい……まさか、やばい場所と分かっていて、無理やり人を送り込まなければならないほどだとでもいうのか。
確かに、女騎士と小僧を見ても、洗脳じみたほど王筋に拘りがあるよな。
そういった気持ちを利用し、扇動しなければならないのかもしれない。
死地を、怖れないほどに。
こいつらも、暢気に俺に付きまとっている場合でもない。
そう思ってくれたら、いいけどな。
夜明け前、小僧以外は起きだした。
女騎士が小僧を揺り起こし、皆で出発の準備をする。
「気分はいかがですか」
昨晩の事が、堪えたのだろうか。
女騎士は、女に気遣いを見せていた。
俺に対する押し付けがましさからは、想像できない。
「平気」
女の短い言葉に、気落ちしているように見える。
気分を害したとでも思っているのだろう。
それが普段通りなんだけどな。
その日は、ずっと静かだった。
小僧さえ口を噤んでいる……いや、目の下に隈がある。あれは疲労のせいで気力がないだけか。
時折、隣を歩く女を見る。
どこか遠くを見ているようなときもあり、しっかり前を見据えているときもある。
思い出したくないことを思い出し、宥めようと、心の内で葛藤しているのだろう。
歩いている間は、俺達に与えられている自由な時間だ。
その間くらいは、そっとしておいてやれる。
そして、とうとう、あの鄙びた町まで戻ってきた。
時間切れだ。
こんなに早く戻ってくるとは、思いもしなかったのだろう。
この鄙びた町、唯一の宿の主人は、大喜びで出迎えてくれた。
「急いで食事を用意しますから、風呂でも入って寛いでいてください」
客も一人増えたが、部屋はちょうど足りたようだ。
また一人一部屋をあてがわれた。
暖炉のある居間は、相変わらず暑苦しいが、久々にまともな食事を摂り体も落ち着く。
「話せるか」
商人と女に声をかけた。
「こそこそと。私達の悪口でも言うつもりなんだろう」
小僧が耳ざとく、聞きとがめる。
「俺達にも目的があるからな。今度混ぜてやる。拗ねるな」
「す、拗ねてなどいないッ!」
喚く小僧に、片手を振って居間を出た。
どこでも良かったが、商人の部屋へ押しかける。
「どこへ行くか、決める頃合だな」
商人は言いながらベッドに腰掛ける。
女は床に座りこみ、そのベッドに背を預けた。
俺は、椅子を引っ張り、二人に向かい合うように座った。
「悪いな。しばらく聞きそびれていたから」
「分かってる。ごめん」
珍しく、素直だ。
「あまり考えたくないからって、ここまで来たのに、曖昧にしてた」
もう腹は立ててないのか。
ただ落ち込んでるだけのようだ。
外套に埋もれるようにして、しおれている。
「俺も、似たようなもんだ」
「そうだね」
落ち込んでも、憎まれ口は忘れないらしい。
商人が苦笑しながら、紙束を取り出した。
「あの男から地図を借りて、町の場所を確認しておいたんだ。見てくれ」
髭面から借りたのか。
本来なら、俺が気にするべきことだった。
商人の用意した手書きの図を見る。
「今俺達がいるのが、ここルスチクの町」
そういって紙の中ほどを指差した。
こんな小さな町にも、名前があったのか。
「町を廻るといったが、そう多くはないようだ。どうせなら、ピログラメッジの用事を先に済ませたい。どうかな」
女は、一瞬戸惑ったものの、すぐに頷いた。
「ユリッツさん、ありがとう」
俺も紙を取り出した。
最近は、どう進もうがあまり気にしなくなったから余っている。
気になる箇所だけ書き写しながら、女に確認を取る。
「それで、方角に変化はないのか」
女は、決まりが悪そうに、さらに縮こまった。
だから、外套に埋まって目だけ出すのはやめろ。
気味悪いと思ったのが伝わったのか、女は首を出し、背を伸ばした。
「変化はないよ。ないけど、本当は、もっと南……」
俺達から目を逸らしながら、そう言った。
おい、初めから、元老院方面じゃないって分かってたってことか。
探りたいが、近寄りたくもない。
そう気持ちが割れていたんだろうが、俺には話せと詰め寄ってきたくせに。
「まあ、どのみち、商人の目的地だったからな」
溜息を飲み込み、そう言っておく。
「だから、ごめんって」
また外套に埋もれていった。
もうそのままにしておく。
と、思った途端、飛び出した。
「また、商人って言った」
今度は恨めしそうに睨んでくる。
余計なことには耳ざとい。
「それで、おあいこってことにしておけ」
商人は呆れて溜息を吐いた。
改めて、現在地から行ける町を辿る。
ただの写し書きで、町以外の街道や地形は省かれている。
幾つかの小さな集落があるだけのようだと、商人は口頭で説明を添えた。
海沿いを通る、主要街道は南北へ伸びている。
北端は、今は無きトルコロル跡地。
女騎士達の話で、危険だろうというのも聞いている。
南への用事が済んだとしても、北上することはないだろう。
他に国があるわけでもない。
そして、南端は。
商人が指差した。
「古都と呼ばれる国で、今は鎖国しているという話だ。国を閉ざしているが、細々と物資のやり取りはあるそうだ」
女の向かう先は南。
どの辺りかは、まだ分からない。
目的地を過ぎるかもしれないが、大きな町のありそうな場所は他にない。
鎖国ってのが、どの程度なのか分からないが、滞在出来るならちょうどいいだろう。
俺達は顔を見合わせて頷いた。
ここまでの旅、二人には迷惑をかけた。
お返しとまでいかないが、女と、商人の目指す目的地まで付き合う。
そして帰りも、送り届けさせてもらう。
改めて、自分の心にそう誓った。
港前の街道から、南へ向けて発つ。
南端の国――古都へ。




