九十八話 神代の木霊
余計な人員は増えたが、予定からそう遅れることもなく、街道を進んだ。
渓谷まで一日を残す距離で、野営のために足を止めた。
森の中、木々の狭間で休むわけだが。
疲れたのか、女は食後すぐに蓑虫形態に変化し、木の幹に巻きつくように丸まった。
それを見た小僧の、驚愕と絶望の表情は見物だった。
「あ、あれはなんだ。伝承に聞いた、老いた杉の洞に住むと言われる神代の化け物か……」
そう言った瞬間、女はごろんと寝返り、外套から目だけを覗かせて睨んだ。
小僧は飛び上がって女騎士の背後に隠れ、震えていた。情けない。
「し、失礼した。そうではなく、こんな湿った地面に、横たわるなど考えもしなかっただけだ」
女は、またごろんと、幹側へ反転した。
不意に、小僧の話に納得しそうになる。
それなら、人間離れしているのも頷けるってもんだ。
その日は、早々に休むことにした。慌しく出てきたことも、慣れない者らとの同行のせいもあるだろう、みな疲れが見て取れる。
俺は、また初めに見張りをする。
向こうの三人組の方は、小僧の見張りを免除し、髭面と女騎士で交代するようだ。
面倒な奴と一緒になる可能性がなくなり、ほっとする。
どのみち、日中はうるさいからな。
「うぐ……体のあちこちが痛い。よく、こんなところで眠れるな」
起きるなり、小僧が恨めしげに俺を見た。
なんで、俺なんだ。
みんな同じ条件だろうが。
寝る前以上に、くたびれて見える。
ともかく、そのお陰で女を嗾けるまでもなく、小僧はだいぶ静かになった。
小僧が旅慣れてないことは心配の種だが、旅程を変更する気はないと予め伝えた。
その代わりに、渓谷では長めに休むことで、同意してもらう。
多少急いでいるとはいえ、これでも商人の歩調に合わせてのんびりしている方だ。
本来は、もっと速いぞと脅したら、小僧も素直に同意した。
日が沈む頃、渓谷に辿りつき、早めだが野営準備を始めた。
川もあり、開けた場所だ。ここでは、長めに休むことにする。
小さな石が溜まった河原で、火を起こすと、自然と皆が囲む。
保存食を齧り、食後の白湯を啜る。
そうして落ち着いて過ごせるはずだった。
そこへ、女騎士から嫌がらせのように声がかけられる。
これだけ近寄れば、仕方がないか。
「トルコロルについて、ご両親から聞いた話もあるのではないですか」
俺達三人には、会話を楽しむ習慣などなかった。
必要なことを伝え合うだけで、十分だろ。
「記憶にないな」
話したそうな奴らが、合流してしまった。
なるべく目を合わせないように、他所を向いていたが、短い平和だった。
旅の間、この調子でいるだろう。
ある程度は、適当に相槌を打つとして。
聞く側に周り、喋らせておけば何かしら情報も入る。
そう自らに言い聞かせる。
とはいえ、勝手に仲間意識を押し付けながら話されても、困惑するばかりだ。
無視するつもりはなくとも、返答のしようもないことばかり聞かれれば、口を噤みたくもなる。
思わず溜息が漏れた。
「俺から話すことは何もない。あんたらは、何かあるんだろう。好きに話してくれ」
「では、そうさせていただきます」
そうして、現在の民の状況やらを聞かされた。
船上でも似たようなことは言っていたが、より詳細なことだった。
それに加えて今回の訪問で得た情報に、小僧が細部を付け足す。
帝国側からの物資の調達や、連携もうまく進んでいる。
その辺は、髭面も情報を補足した。
俺は、組合に臨時依頼を出せと言ったはずだ。
受ける気はないとはいえ、正直、そんなこと報告されても困る。
「オルギーと私に加え、貴方も元老院に姿を見せたことで、民側に立つ元老代表も、より一層の意欲を燃やしてくれたようです」
どこかで生きているらしいというだけで、元気が出るってんなら、いくら意欲を燃やしてくれても構わないがな。
巻きこみさえしなければ。
大体、回廊の進行が酷いと言っていたじゃないか。
そんな中、何しに跡地へ向かうんだよ。
「城が残ってるたって、回廊の影響があるんだろ。どうやって住むつもりなんだ」
「従来の符の効果を、増幅できるようなものを研究しているようですよ」
それにしたって、割いてる人員の規模といい、到底追いつくとは思えない。
進行が速いと焦っていた。
絶望的に切羽詰っていただろ。
住むための整備をしながら、片手間に精霊溜りを片付けていく。
そんな程度なら、とっくに戻ってるはずだ。
なのに足踏みしている。
何かまだ、他にも理由があるんだろう。
話す気があるのかないのか、俺の様子を見つつ小出しにしている。
もしくは商人のように、長ったらしいだけで、終わりになかなか辿りつかないだけなのかもしれない。
それだったら嫌だな。
「ふうん。それなら、俺が何もしなくとも安泰だな」
適当に頷く。
「窮状を訴えているというのに、なんといい加減な態度なんだ!」
小僧は、叫ぶ役か。気楽なもんだ。
思わず、ぼやいていた。
「お前はどうやって飯食ってるんだ」
「ど、うやってとは」
思わぬ質問に動揺したのか、小僧が怯む。
「俺は稼ぎながら生きてる。俺達はみんな行く先々で仕事しながら、その合間に出来ることをやっている。限度があるんだよ」
たじろぎつつも、必死に言葉を探しているようだ。
「お、王には王の、民には民の役割が、ある」
そんな風に育てられてりゃ、そうなのかもしれないが。
「なおさらだ。お前らは全ての時間を費やせるんだろ。だったら他人の人生に口を挟む前に、お前ら自身、全力で取り組めよ」
「それ、は……」
何か言い返したいが、うまく反駁できないようだ。
俯いて、目を泳がせている。
「市井の心を知っているか知らぬでは、政も意味が変わりましょう」
女騎士が助け舟を出した。
「そのため、外を学ぶために、旅に出されたのですよ」
女騎士は、俺から小僧へ視線を移す。
「書物からの知識を諳んじることのみが、知識ではありません。よい機会と捉えて励みなさい。そう、ノッヘンキィエ代表から言付かってきました」
へえ、そんな理由で出してもらえたのか。
って、ふざけんなよ、あの爺。
それが、なんで俺達の旅なんだよ。
「オルギー。あなたも、彼に付いて外の世界を学びなさい」
「なっ……! 私はこんなやつに学ばなくともッ」
「私はこの旅で学ぶつもりですよ」
「うぐッ」
いい気なもんだ。
「えー……」
と、心底嫌そうに出した俺の非難の声は、かき消されていた。




