繚乱のファンタズマゴリア 09
1.
「今日から皆様と一緒にこの学院で勉強をすることになりました、セレス・アーティアルです。どうか、よろしくお願いします」
教壇に立ち礼儀正しく挨拶するその子の姿を見て、オレは口をあんぐりと開いた。
クラスメイトたちも皆一様に唖然としている。
それもそうだ、まさか一国のお姫様が留学してくるなんて誰が予想できただろうか。
転校生がくるという噂はあったけれど、それがセレス姫だとは思いもしなかった。
そして、教師が彼女が座る場所を指示する。よりにもよってオレの隣に。
その言葉にセレス姫はオレの顔を見て、ニコリと笑った。
その表情に、自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
「ナシュトさん。この学院の生徒だったのですね。それも、同じクラスだったなんて」
用意された席に座り、笑顔でセレス姫が話しかけてくる。
「お、驚いたのはオレの方ですよ。まさか留学だなんて」
オレの言葉に、何故かセレス姫は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「この学院に通っている間は私もただの学生です。姫などと呼ぶ必要も、敬語でお話しになる必要もありません」
無茶を言うなという周りのクラスメイトの心の叫びが聞こえた気がした。
その気持ちは分かる。
というかいくらそんなことを言われても下手なことをしたら外交問題じゃないのか?
そう考えれると軽々しい口なんてきけない。
「それに関しては問題ありませんわ。だからセレスとお呼び下さい、ナシュトさん」
そうは言われても……。
でも、ここで食い下がり続けるのも失礼かもしれない。
「じゃあ……セレス」
そう呼ぶと、セレスは満面の笑みで頷く。
「はい、ナシュトさん!」
「その、代わりにセレスもオレをさん付けしないで呼んでくれるかな。それだと対等じゃない感じがして」
「では、ナシュト」
「うん!」
―――なんだろう、クラスの空気が一瞬で変わった気がする。
さっきまで同情気味に向けられていたオレへの視線が、なんだか敵意と好奇を混ぜたものになった。
正直居心地が悪い。
「それと、学院長様からナシュトへ渡すよう手紙を預かっているのですが」
「学院長から?」
セレスから手紙を受け取り中身に目を通す。
その内容に、オレは目を丸くした。
書かれている内容を一言でいえば、「まだ勝手の分からないセレスの面倒を見てやれ」ということだ。
学院内だけではなく、この王都も案内してやれとの指示。
まあ、それだけなら問題はない。
今度はゆっくり王都を見て回ろうという約束もあったから。
問題は手紙のある一節だ。
「上手くいけば憧れの姫さんの心を掴めるぞ」……。
確かにセレスの事は気になっているし、もっと仲良くなりたいとは思ってる。
でも、なんでその事を学院長が知ってるんだ!?
「その手紙にはなんと?」
「あ、ああ、いやその……。セレスを学院内とか王都とか案内するようにって……」
慌てて手紙を後ろに隠して誤魔化すように言う。
学院長が変なことを書いたせいで余計に緊張してしまう。
どこでこのことを知ったのかは分からないけど学院長のことだ、きっと今の状況を想像してにやけてるんじゃないだろうか。
* * *
「なんだか楽しそうだのう、トウヤ殿」
学院長室で一人にやにやとしているトウヤを見て、渋い顔つきの初老の男が尋ねる。
「いや、留学してきた姫さんの面倒をナシュトに頼んだんだがな、どうやらあいつ姫さんにホの字らしいんだ。いやあ、そのことを手紙に書いといたんで、きっとそれ読んで顔真っ赤にしてんじゃないかと」
「相変わらず生徒をからかっているんだか背中を押しているんだか判断できぬことをするのう……。それより例の吸血鬼事件に関して騎士団から通達が来た。日が沈んだ以降は外出を控えるように、だそうだ」
「ま、ここまで正体が分からないってんなら当然の処置だな。むしろ遅い方だ。相変わらず解決の糸口は掴めてないんだろ?」
「ああ。今日それに関して騎士団と自警団合同の会議があると聞いた」
「知ってるさ。リョウからそれに出るから今日は欠席すると言われているからな。まあ、放課後にはブルーサスと訓練するから校庭を貸すよう頼まれているが」
「あの劣等生が、か?」
リョウの名を聞いて、男がただでさえ厳ついその顔をしかめる。
「あいつは優秀だよ。滅多にそれを使う機会がないだけさ」
「本気で言うとるのか。奴は―――外道だぞ?」
「それでも俺の教え子さ。それに―――」
トウヤは振り返り、窓の外、正確には空を見上げる。
「もうすぐ、そんな事をせずとも良くなる日は来るさ」
* * *
「ねえセレス。そろそろお昼にしない?」
昼休み時間の中庭。
学院内を一通りセレスに案内し終えて、オレはセレスにそう告げた。
学院長が長い年月をかけて収集した蔵書が大量にある図書館や、華やかな中庭。
色々な場所を見て回ったけど、その全てに好奇心の目を向けるセレスにいちいちどぎまぎしてしまう。
それもこれも、学院長が変なことを手紙に書くからだ。
クラスメイトはクラスメイトで姦しい女子たちがオレとセレスの関係を問い質してくるし。
「そうですね。私はシーラに御弁当を用意してもらったのですけど、ナシュトも御弁当ですか?」
「オレは食堂で食べようと思ってたけど……今からだともう満席だろうし、どうしようか」
こんなことならお弁当を作ってくればよかった。これでも料理には自信があるし。
しかし本当にどうしようか。セレスにお弁当を分けてもらう?
いや、それはさすがに無理がある。
「あら? あちらの方々がこちらに手を振っておりますが、お知り合いでしょうか?」
「え?」
セレスが示す方を見ると、少し離れた場所で芝生に座って食事をとっていた知り合いがこちらへ手を振っていた。
セレスと一緒にそこへ歩いて行く。
先輩三人と、見慣れない小さな女の子が一人。
「こんにちは、アサヒ先輩、ブルーサス先輩、オルフェ先輩。それとその子は……あの時の竜ですね?」
「こんにちは、ナシュト君。ジルニトラ、ちゃんと挨拶は?」
「……こん、にちは……」
ブルーサス先輩に隠れるようにして、ジルニトラちゃんが小さく挨拶する。
なんというか小動物みたいで可愛い。
「ナシュト、この方たちは?」
「そうだったね、紹介するよ」
セレスに先輩たちを紹介し、その後セレスを先輩たちに紹介する。
セレスの苗字を告げると、全員(ジルニトラちゃんを除いて)が朝のオレみたいに目を真ん丸くした。
「う、噂で帝国の王女さまが留学してきたとは聞いてたけど……。まさかナシュト君と一緒にいるとは思わなかったわ……。一体どこで一国の王女様と知り合う機会があるのよ」
アサヒ先輩が明らかに動揺した声で言う。
ブルーサス先輩だけはセレスが王都にいることはなんとなく知っていたらしい。
「お二人とも、昼食はまだでしょうか? もしよろしければご一緒にと思って声をおかけしたのですが」
「それが……セレスはお弁当があるんですけど、オレの分がなくて」
「なら、僕たちのを分けてあげるよ。オルフェさんもジルニトラの分の弁当を用意してくれてたから少し余ってるんだ。どうかな」
ブルーサス先輩の言葉に、確認の意味を込めてセレスの方を見る。
初対面の人が多いけれどそれでも大丈夫かと聞くと、セレスはにこりと笑って頷いた。
「折角ですしご一緒させていただきましょう。私の御弁当もナシュトにお分けしますので」
け、結局セレスのお弁当も分けてもらうことになってしまった。
喜んでいいのかな、これは……。
「じゃあ一緒に食べよう。ほら、座って」
アサヒ先輩がオレたちの座る場所を作って、座るよう促した。
「それにしても珍しい組み合わせですね。リョウ先輩はお休みですか?」
「うん。なんでも吸血鬼事件の事で騎士団と自警団合同の会議があるらしくて、授業は休むそうなんだ」
吸血鬼事件か……。
あの事件のせいで最近王都の警備が物々しくなっていて、なんだか余計に不安になってくる。
リョウ先輩がアサヒ先輩に話してた内容だと、襲われたのは全員女の人。そして手掛かりは今の所一切なし。
「二人とも気を付けなよ? ナシュト君は強いし大丈夫だろうけど、セレスちゃんは―――まあ、流石に護衛が付いてるか」
アサヒさんの言葉に、セレスが首を振る。
「確かに近衛が王都に滞在していますが、可能な限り自分の身は自分で守れるようにと言われています。武術はある程度修めているので、守りに徹すれば助けがくるまでの時間稼ぎは出来る筈です」
「うそ、王女さまなのに武術やってるの!?」
アサヒさんが驚いた声を上げる。
正直オレも驚いた。
セレスの身体ってほっそりしてるし、とても武術をやっているようには見えない。
けれどオルフェさんだけは納得したように頷いた。
理由を聞くと、「アドネス帝国は武に力を入れている国家と聞きました。ならばその指導者である王族が武術に力を入れていてもおかしくはありません」と教えてくれた。
その答えにセレスは頷く。
「私の異能は私が望む形状の武器を生成します。父や兄、姉も武具の顕現をはじめ戦闘に特化した異能を持っているのでアーティアル家はそういう血筋なのだと思います」
「へえ……」
異能の系統が遺伝するというのは聞いた事はないけど、もしかしたらそういう事もあるのだろうか。
「でも、これでこの中で《無能》が私だけになっちゃったわね。お仲間だったブルーサスもまさかの《契約者》になっちゃうし。しかもよりにもよって相手は竜。普通じゃないわ普通じゃ」
アサヒさんは異能に関する話だと肩身が狭いらしい。
まあ、先週までだったらきっとブルーサス先輩も先週までだったら複雑な心境だっただろうけど。
(異能、か……)
異能そのものに関する知識を、オレはあまり知らない。
聞いたことがあるのは、異能は『歪み』を伴うということ、『歪み』は『穢れ』を巻き込んで消失するということ。
そして幻想存在はそれそのものが凝縮された『歪み』であり、『穢れ』により老いていくのはその身体が『穢れ』に反応し消失していくことが理由という説があることぐらい。
それと、これは単なる噂に過ぎない話だけど。
あらゆる異能の根源は人々がもつ原風景と呼ばれる心象世界にあるという。
そしてその人がもつ在り方―――すなわち渇望で螺旋階段を築き、その果てなき果てへ辿り着くことで異能は真の極限に至るという。
そして極限域の異能は、渇望を映した世界の『王』となるそうだ。
2.
セフィリア共和国王城に備えられた一室。
既に騎士団と自警団合同の会議が始まっているそこへ、制服を着たリョウが遅れて姿を現した。
「すみません、遅れました」
一言謝罪を入れて空いている席に座り、その隣に座る短めの金髪を逆立てた青年ガルスに会議の状況を尋ねた。
「どうだガルス。何か進展はあったか?」
「あるわけねえだろ。ま、責任の押し付け合いになってないだけまだましだ」
リョウは頷くと、会議の席についている面々を見渡した。
(『青嵐』ヨランダに『灼光』ベイグラント……随分騎士団の方も躍起みたいだな)
会議に出席している騎士団の中に名だたる騎士二人を見つけ、心の内で呟く。
どちらもある程度の親交はあるが、並の事件に出張る様な人物ではない。
その彼らがこの場にいるという事は、それだけ騎士団がこの事件の解決に真剣かを表している。
「リョウ君。君は何か意見はあるかね?」
自警団長の言葉に席を立ちあがる。
会議に今来たばかりなのでどのような意見が出ているのかは知らないので、あくまで自分の意見を語る。
「まずこの事件の被害者は全員娼婦だ。これが娼婦を狙ったものなのか、それとも夜に出歩いている女性を狙った結果娼婦ばかりになったのか。
前者の場合娼館の営業を一時強制的に止めることが望ましいが、業突く張りの主が大人しく従うとも思わねえな。
後者なら夜間の女性の外出を全面的に禁止する措置が望ましいかと。
だが事件時の状況を考えると、それが必ずしも意味を成すのか些か疑問だな。事件が起きているのは変わらず夜警が行われている日。にもかかわらず、誰も悲鳴を聞いていねえ。被害者の数人は悲鳴を上げたと証言しているにも関わらず、だ。
このことから、何かある種の結界のようなものが使用されている可能性も考慮にいれなければならないと判断するぜ」
一通り言い終えると、騎士の一人『晴嵐』ミランダが頷いた。
彼女は20代半ばと騎士団幹部の中でも比較的リョウと年齢も近く、偶に食事会に招待される仲だった。
「やはり、君もそう思うか。だが仮に結界が張られているとして、それをどう見破るかが問題だ。少なくともこちらの魔術師は匙を投げたよ」
(魔術師、ねえ……)
リョウは先日学院長室で出会ったあのネロという男の事を思い浮かべた。
今の所自分の知る騎士団・自警団以外の魔術師と言えば彼と学院長のみ。いっそ彼らに助力を仰ぐという考えが頭に浮かんだが、それを否定するように頭を振った。
(学院長はまだしも、あのネロという男は気に食わねえ。ブルーサスの面倒を見てくれてるのは有難いが、それとこれとは話が別だ。あいつの目をみて信用できるはずがない)
かといって、このままでは会議に一切の進展はない。
ならばいっそプライドを捨てて学院長に泣きつき、その裏でこっそりと目的を果たすか?
いや、あの学院長を出し抜けられるとも限らない。
会議だけでなくリョウの思考まで行き詰った時、部屋の扉が開け放たれた。
入ってきたのは白い男。
服装こそ黒づくめだが、その肌も髪も透き通る様な白。
その姿を見て、高齢の騎士『灼光』ベイグラントが驚きの声をあげた。
「ギュスターヴ様!? 何故ここに!?」
(ギュスターヴだと?)
その名をリョウは知っていた。
かつてあったといわれる大戦乱においてその幕引きを行った、戦乙女と《契約》せし英雄。
そんな男が、何故この場に現れたのだ?
しかも、この男の出現により今現在王都には三人も《契約者》がいることになる。
それに加えて不老の大魔術師が二人。
これほど強大な力を持った者が偶然王都に居合わせたとでも言うのか?
「最近噂になっている吸血鬼事件に関して会議をしていると聞いてね。少し顔を出したのさ」
そうギュスターヴは告げて、空いている席に座る。
「ベイグラント殿、この男は信用できるのですか?」
騎士の一人がベイグラントに耳打ちする。その言葉にベイグラントは静かに頷いた。
「信用できるか、ではなく信用せねばなるまい。もとよりこの方はかの大戦での唯一の勝者。我々は従う他ないのだよ。それよりギュスターヴ様。あなたはこの事件、どうお考えですか?」
「そうだね。少しだけヒントをあげることにしよう。まず、少なくともこれまでの事件の下手人は幻想存在ではない」
その言葉に、議場がざわつく。
無理もない、ほぼ確定事項とされていた犯人に関する予想をあっさりと否定されたのだから。
「おい。手前は何を根拠にそう判断したってんだ? 断言するほどの確実な証拠があるってのか?」
ギュスターヴに、リョウが食って掛かる。
しかしギュスターヴはなぜ分からないのか、といった風に首を傾げた。
「証拠って……そもそも、吸血系の幻想存在に血を吸われて無事な訳がないじゃないか。それに、多分犯人が行っているのは血を吸うことじゃないしね」
「じゃあ、何をしてるっていうんだ?」
ギュスターヴはリョウの問いに、にやりと笑みを浮かべて首を振った。
「それは君達が考えることだ。ヒントはもうひとつある。―――この事件、5日後には全て終わる」
(5日後には終わる、だと? 何故そんなことが分かる?)
リョウが思案していると、はっと何かに気付いた様にガルスが顔を上げた。
「5日後―――満月か!?」
その言葉にギュスターヴは頷く。
成程とリョウは納得するも、尚疑問は残る。
確かに犯人が幻想存在ならば満月の夜に活性化してもおかしくはないだろう。
ましてや、それが吸血鬼ならば。
だがその言葉は先程のギュスターヴの言葉と矛盾する。
彼は「犯人は幻想存在ではない」と言った。
つまり犯人は人間。ならば満月はあまり関係がないのではないか。
そもそも、活性化することと解決することになんの繋がりがあるというのか?
「僕の出せるヒントはそれだけだ。じゃあ僕はこれで」
そう言って、ギュスターヴが席を立つ。
それをベイグランドが慌てて引き留める。
「ギュスターヴ様、協力してはくれぬのですか?」
「ああ。僕は独自に行動させてもらう。何かあったら連絡するよ」
それだけを言い残し、ギュスターヴが部屋の扉まで歩いて行く。
その途中、彼はリョウの傍を通り過ぎた。
そしてすれ違いざま、まるで何か面白いものを見たかのようにリョウに視線を向け、そのまま部屋を去っていった。
リョウはその向けられた視線に舌打ちする。
(まさか、気付かれたか? ……いや、まさかな)
ともかく。
奴がこの事件の解決に向けて行動するというのなら、それもいい。だが。
「終わらせるのは俺の仕事だ。英雄如きにはやらせねえよ」
そう小さく、リョウは呟いた。