繚乱のファンタズマゴリア 05
1.
もうすぐ真昼といった刻限の王都の小路を、リョウは当て所もなく歩いていた。
結局昨夜の夜警でも特にこれといった事件も手がかりもなく終わってしまった。
吸血鬼事件に関しての釈然としない疑問のせいで眠る気にもなれず、夜警が終わってからこうして適当に歩き回っていたのだ。
別段疲れているとい訳でもなく、更に言ってしまえば眠らなければ死ぬような身体でもないので寝ないで行動することも苦ではない。
それに、眠っていないのは何日も前からだ。
「どうも納得いかねえんだよなぁ……」
リョウが一人呟く。理由は吸血鬼事件に関してだ。
彼が事件に関して違和感を抱きだしたのが、2人目の被害者が出た時。
そして違和感が疑念に変わったのが、5人目の被害者が出た時だ。
(被害者は、全員娼婦。これが一番気になるんだよな……。犯人は吸血系の幻想存在と見立ててたが、もしそうなら普通生娘を襲うってのが常道じゃねえのか? それを、好き好んで娼婦の血を吸うか?)
リョウの知識―――といっても、主にフィクション小説を基にしたものではあるが―――では、吸血鬼とは“そう言う存在”だ。
乙女の血を好み、太陽光や流水、十字架を嫌う。そして、血を吸われた者は乾涸びて死ぬか、同じ吸血鬼になるか。
だけれども、今の所被害者は吸血鬼になんかなっていないし、ましてや死ぬこともない。
ただ血を吸われた直後は気を失う。それだけだ。
(まさか、ビッチ好きの吸血鬼でもいるってのか? 理解できねえ)
別に、リョウ自身そういう職の女を侮蔑しているわけではない。
むしろ一定の敬意を払っている方だ。
それに、そういう女に世話になったことがない訳ではない。それもしばらく前の話だが。
いっそ自警団を辞めて独自行動をしようかとも考えはしたが、あまり得策ではなかった。
そもそも、彼が自警団に入った理由は「そのほうが異能を行使する名目が立つ」というものだ。
この王都では正当防衛以外の理由で人に攻撃系の異能を使う事は禁じられており、自警団に登録している者や騎士だけが警察機能として異能を行使できる。
自警団を退いた“ただの一般市民”が、自分勝手な理由で異能を使った捕り物をすることは罪には問われないだろうが面倒であることには変わりない。
ましてや、自分は―――。
「あーもう! どうすりゃいいってんだ……」
頭を掻きながら吐き捨てる。
気付けば、裏通りに来ていた。
「―――ん?」
裏路地から更に小道へ入った方が、何やら騒がしい。
「言ってみっか……」
一応自警団としての役割を果たすか、とその場所へ向かってみる。そこには。
(―――ナシュト、か?)
女の子を庇うようにして和服を着た女と対峙する、親しい後輩の姿。
身を隠し、様子を伺う。
どうも厄介事に巻き込まれているようだ。
しかし、あの女は何者だ?
(騎士……ってわけじゃねえよなぁ……)
第一、この王都の騎士は大体記憶している。
その中に、あんな女はいない。
そうこうしている内に、更にナシュトの後ろから男女二人組が現れた。
(ナシュトとあの女の子を逃がしたら1対3になるか……。ヤバそうな相手だが、不足はねえ!!)
「おうおう! 女連れを襲おうたぁいい根性じゃねぇか。ましてや、俺の後輩をよぉ!」
跳躍して、ナシュトのと女の間に着地する。
「リョウ先輩!?」
ナシュトが驚きの声を上げる。
リョウはそれによお、と軽く手を挙げて答えた。
「ナシュト、いつの間にそんなかわいい子を見つけたんだ!? あとで紹介しろよ!」
軽口を叩くと共に、彼の周囲に蒼い霧が満ち始める。
そしてその霧の一部が彼の身体へと収束し、装甲を形成する。
全身を覆う細身の鎧。関節部は通常ではあり得ない軟質の装甲で覆われ、兜の面は半透明の、まるでガラスを貼っているかのようになっている。
更にはその腰からまるで蛇やトカゲの様な尾が伸びているのだ。
彼の異能が作り出す鎧だ。
「さて、と」
(女の方が面倒だ……なら!)
二人組の方へ、濃度を増した蒼の霧が放たれる。
「なっ!?」「ちょ!?」
二人組がそれぞれ不意を突かれた様に声を上げる。
「今だ、ナシュト!!」
「はい!!」
指示に従って、ナシュトと女の子が二人組の方へ突っ込む。
女がそれを追おうとするが、リョウの手に握られていた先端が鉤爪の様に歪曲した大剣によって阻まれた。
「蒼竜顕装・蒼霞ノ爪―――。てめえらが何者かは知らねえが、可愛い後輩に手を出そうとするなら容赦はしないぜ?」
「へぇ……?」
女が、その細目をやや開いて、好奇の眼差しを向ける。
「ちょっと、ストップストップ!! 話を聞いてくださいって! グラウディスさんも、からかわない!!」
二人の間に、霧に咽ていた二人組の男の方が割って入る。
長い髪を後ろで纏めた、聖職者のようなロープを纏った男。
「そもそも、しでかしたのはセレス様とあの貴方の後輩の方なんですよ!?」
(……セレス? どっかで聞き覚えが―――?)
そう言えばあの子は、妙に仕立てのいい服を着ていた。それに、セレス……?
「ええと、もしかすると……」
「そうですよ! あの方は―――」
男の言葉に、リョウの顔がどんどん青ざめていく。
そして、一言漏らした。
「しまった」と。
2.
セフィリエ共和国王城。
山岳地方の特産品である白岩で建設された神殿の如き清廉さをもつこの城の廊下を、男と少女の二人組が騎士に連れられ歩いていた。
男の名はアルト・オブレイエン。
アドネス帝国第二王女近衛隊長にして、大陸にその名を響かす《契約者》の一人。
そして彼と共に歩く側頭部から角を生やした少女こそ、彼と《契約》を交わせし爆炎の竜フィオーネに他ならない。
彼らが向かう先は謁見の間。
本来ならばもう4人が共にこの廊下を歩いていたのだろうが、少々の“食い違い”により今こうして二人だけで謁見に臨もうとしているのだ。
そして、謁見の間の目前へと到着する。
ここでしばらく待つように騎士が指示する。どうやら前の謁見がまだ終わっていないらしい。
「しかし、いつ来てもこの空気は苦手だ……」
ぽつりとフィオーネがこぼした言葉に、確かにとアルトは内心頷く。
以前ここへ来たのは10年近く前だっただろうか。
まだ第二王女近衛になっていない頃だったはずだ。
(確かに綺麗だが、自分には綺麗すぎるな……)
戦争など遠い昔の話であり、40年も生きていない自分がその戦場に立っているわけもないが、それでも自分が兵士、つまり殺し屋であることには変わりない。
それにいくら戦争がなくとも兵士が人を殺す機会などいくらでもあるのだ。
ましてや、『竜騎士』などと畏れられている自分が一人の血も流したことがないなどありえない。
そんな自分が、このような清廉な場にいていいのかと疑問が沸いてくる。
そんなことを考えている内に、謁見の間から一人の青年が出てきた。擦れ違いざまに黙礼する。
「………?」
「どうした、小僧」
「いや………」
去っていくその青年を、アルトは何か気になるかのように見つめる。
「それではお入りください」
騎士の言葉に従い、謁見の間へと足を踏み入れる。
部屋の中には荘厳なステンドグラスが設けられており、そこから漏れ出す光が部屋中を照らしている。
そして部屋の奥には、質素な意匠ながらも高級な素材を用いた椅子に座る、長い髭を蓄えた初老の男。
この男こそが、この国を統べる王ジークムント=エクシア・ゼオ・レガシーに他ならない。
アルトとフィオーネが跪こうとするのを、王は片手で制した。
「よいよい。客人に頭を下げさせるほど、私は優れた人間ではないよ」
「では、お言葉に甘えさせていただきます。まずは、我らが第二王女セレス・アーティアル様のご留学の件、引き受けてくださり、誠にありがとうございました」
「私も最初は驚いたよ。あの堅物が、よもや自分の娘を我が国で学ばせたいと申し出た時はな」
そう言って、王が笑う。
第二王女セレスの、セフィリア共和国立ロードレシア学院への留学。
それこそが、彼ら第二王女近衛と王女セレスがこの王都へとやってきた理由であった。
「ところで、その当のセレス姫が見当たらんが……」
「ええ、それが―――」
王の疑念に、アルトが経緯を説明する。
そしてそれを聞き終えた王が腹を抱えて笑い出した。
「ははは、なるほど。自分が和平のため、そして人質にさせる為の婚姻を結ばされると思って、隙を突いて逃げ出したか!」
「恥ずかしながら……」
どうも我らが姫は世間知らずにも程があったらしい。
少し過保護にし過ぎたか、とアルトは内心溜息を吐く。
出立前からあくまで「友好」と「勉学」のためとあれほど言い聞かせておいたのに、全然信用してもらえなかったのだ。
そもそも彼の王は愛妻家として有名であるというのに。
とにかく、逃げた姫は他の近衛たちが追っている。
「いやなに、元気なことは良い事だ。こんな年寄りと話すよりも、外の世界を見て回る方がよっぽど意義がある。それに、この時間帯ならばそうそう何か事件に巻き込まれることもあるまい」
「ええ、その事は十分理解しています。それに我らが姫に何かがあった場合、その責任は我々にあるという契約のもと留学の許可を頂いたのです。陛下の名を穢すようなことにはなりませんよ」
「―――しかし、本当の所はどうなのだ?」
「と申しますと?」
「本当に、人質としての役割がないのか、だ」
「………」
「もし。もしも万が一我が国とアドネス帝国が再び戦争になれば、我等には第二王女というよい人質がいる。しかし、だ。あえて“第二王女”という王位継承権の低い姫を留学に出したということは、ともすれば人質を見捨てるという“選択を採る為”ともとれる。いや、それどころか留学中に姫を死なせてみろ。我が国へと攻め込む良い大義が手に入るぞ?」
陛下の言葉ももっともだ、とアルトは思う。
同時に、この人のいい王の言葉は本心ではなく、あくまでそうではないと信じるが故のものだとアルトは理解していた。
「それに、たとい王家が我等の責を咎めずとも、貴国の民は我等を憎むだろう。民が暴走し、勝手に攻め込む可能性もある。そして、一度民が攻め込んでしまえば、国として攻め入る口実が出来る。そうではないかね?」
「確かに、そのように受け取ることもできます。しかし、私には真意は分かりませんが、『偉大なる彼に同調する』との伝言を、我が王より賜っています」
アルトの答えに、笑みを浮かべながら王が頷く。
「ああ、そうだな。あの計画を成し遂げるためには、協力が不可欠だ。それまでは戦争なぞ起こせんよ」
「ところで、転入の首尾はどうなっていますか?」
「問題ない。転入自体の手続きは本人がいなければ出来ないとのことだが、入寮の手続きは終わっているそうだ。そちらの都合が良ければ、今日からでも部屋は用意できている」
「有難いです。私達も既にこちらでの宿は確保しておりますので」
「そうなのか? 騎士寮の部屋にも空きがあるので、そちらにでもと考えていたのだが」
「ええ、ご厚意はありがたいのですが、流石にそこまでお世話になるわけにはいかないので。―――それと陛下、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」
「何だね?」
「先程陛下と面会していた男なのですが……彼は何者ですか?」
「レイフォンのことか。いや、中々腕の立つ発掘家での。王家の遺跡の調査を偶に依頼しているのだ。何か疑問でも?」
「しかし、あの男……いえ。触れぬべきこともあるでしょう」
『小僧、いいのか?』
『構わない。大体の予想はつく』
念話で尋ねてきたフィオーネに、アルトも念話で返す。
「そうか。してアルト殿。折角のことだ。今宵、どうだ?」
王がグラスを呷る仕草をする。宴の誘いだ。
「ええ、他の近衛も誘って―――」
「小僧!!」
誘いに乗り気になったアルトに、先程まで静かだったフィオーネが突然叫ぶ。
宴のことで咎められたのかとアルトは一瞬思ったが、しかしそうではない事にすぐに気付いた。
「どうしたのだ?」
《契約者》としての、そして竜たるフィオーネと《契約》を交わし竜と同等の能力を得ているアルトは、遠くから飛来してくる“それ”の存在に気付き、叫んだ。
「―――ッ!! 陛下!! 王都に、竜が向かっています!!」