繚乱のファンタズマゴリア 03
1.
空が赤らみはじめた夕刻。
王都にほど近い村の広場で、一人の男がその手に持った小さなハープを弾き鳴らしていた。
男。黒い外套を羽織り、頭には同じく黒の帽子。
眼鏡を掛けた顔は整っているが、その赤い双眸は、どこか魔性の輝きを帯びている。
髪は白く、また外套から除く肌の色もまた透き通る様な白。
民族的なものでは無い。白い肌の民族よりもより白いその男は、すなわちそういう病に他ならない。
我々の世界ならばアルビノと呼ぶべき病ではあるが、この世界においてその病をさす言葉はない。
そして、男の周りには子供が数人。地面に座り込み、男の紡ぐ音を無心で聴いている。
男はハープの音色と共に物語る。
―――それは、戦いの物語。今は遠き古の戦乱の物語だ。
約900年前に起こった、100年に渡る長く悍ましき戦乱。
男が語るのはその最後。
100年目に現れた、荘厳なる戦死者の館より見放されし騎士の物語。
「―――そして、100年目の戦の半ば。100年たってなお骸を積み重ね続けしアルフォデス平野の、その他愛のない一つの戦いに、一人の男がやってきたのさ。男は平民、戦で名を上げて騎士になることを夢見る若者。そして、戦場を知らない愚者」
男はただ語る。もはや文献と伝承のみに存在する、その戦の最後を。
「所詮男はただの人。揚々と名乗りを上げるも、悲惨な戦場に心折れ、戦友は死に絶え、自らの短慮を嘆くのみ。そして、男もまた遂に傷を負い、ただ死を待つのみとなった」
男は、まるで思い出すかのように目を閉じ、言葉を紡ぎ続ける。
子供達もまた、凍りついた様に動かず、ただ耳を傾けている。
「そんな男のもとへ、一人の乙女が現れた。乙女は死神。死神は戦乙女。愚かにして勇壮なる兵をヴァルハラへと導きしワルキュリア。乙女は男へ問うた。『愚かなる若者よ、無知蒙昧なる愚者よ。ヴァルハラに至ることを許されぬ弱き者よ。貴様は今まさに命尽きんとしている。だが、我が“聲”を貴様は聞いた。我が対なる者よ、貴様に問おう。貴様は、何を望む。幸福なる終わりを捨て、この戦場の勇者となるか。それとも、ただ人の尊厳のまま死に絶えるか』と。
男は答えた。『乙女よ、私は自らの愚かさ故に死することに何も恐怖を感じていない。だが乙女よ、私には悔いがある。私は醜き人の性を、認めたくないのだ。麗しき無垢なる乙女よ、どうか私の願いを聞いてくれぬか。私には証明したいものがあるのだ。しかし、それは人には成し遂げられぬこと。そしてこの醜き戦乱の世では証明しきれぬものでもある。乙女よ、貴女に跪かせてほしい。私を、貴女の“穢れ”にしてはくれぬか』と。
そして、男と戦乙女は契りを交わした。二つの身体と二つの魂をもつ一人となった彼らは戦場に咲く氷華となった。敵は戦場、敵は二つの国。まずひとつめの日に、アルフォデス平野から全ての兵士を鏖殺した。ななつめの日には、この大陸から戦場が消えた。男と乙女だけが勝利者として二つの国を屈服させ、許し、ひとつの月で100年の戦を終わらせた。そして、男と乙女はただ去っていった。
―――男と乙女は今も、人を見つめ続けているのさ」
男が語り終える。
同時に、子供たちも我に返ったように辺りを見回した。
「さぁ、これで物語は終わりだよ。暗くならないうちに、お家にお帰り」
男の言葉に、子供たちは立ち上がり、散らばっていく。
そして入れ替わりに男のもとへ向かって来る女が一人。
やや露出の多い黒のドレスに、青みがかった長い銀の髪がよく映えている。
「―――ようやく終わったわね」
「ああ、僕の乙女、ラヴィーネ」
* * *
「ふぅ。王都が近いだけあって、中々の上物があるじゃない」
村の酒場。
手にした酒瓶を呷り、ラヴィーネがうっとりとした表情で呟く。
ラヴィーナの前には既に飲み干された酒瓶が十本近く散乱しているが、ラヴィーネ自身は顔がやや赤らんではいるものの酔っているような様子ではない。
妖艶なのその外見とは裏腹に酒瓶から直接酒を呷るその姿は、まるで周りで騒がしく酒盛りをしている中年と変わらない。
この村は簡素な様相だが、王都に最も近い場所にあるがゆえに王都に入る直前の宿場村として機能しており、この酒場もその恩恵かなかなかの盛況ぶりだ。
彼女の隣には先程の男が座っており、こちらは目の前に置かれたグラスに注がれた葡萄酒が半分になる程度にしか飲んでいない。
時たまラヴィーネが無理やり酒を注ごうとするが、のらりくらりと交わしている。
「嬢さん、良い飲みっぷりじゃねぇか」
髭面の店主が豪快に笑いながら、ラヴィーネの前に新しい酒瓶を置いた。
「あら、これは貴方の奢りかしら?」
「おっと、残念だがこれをただで飲ますわけにはいかねぇ。なんせウチにある酒ん中で一番の上物だ。もっとも、嬢さんにならまけてやってもいいぜ?」
店一番の上物と聞いてラヴィーネが目を輝かせて頷く。
隣で男が頭を抱えているのが見えたが、それは無視した。
「よし来た! ところで、嬢さんたちも旅の人だよな? あんま旅するような格好には見えねぇが、どこに行くんだ?」
「当然、王都よ。特にこれといった理由はないけど……強いて言えば、最近の王都の流行りがどうなってるのか知りたくて」
「ほう。となると、行商かなにかかい?」
「いいえ。20年近く前までやっていたけど、今はただの旅人よ」
ラヴィーネの言葉に、店主がはて、と首を傾げる。
高めに見積もっても目の前の女は20代後半だ。男の方も20代前半に見える。
それが20年前というのなら、彼らは10歳に満たない年齢で行商をしていたことになる。
そこで、ふとある考えに辿り着いた。
「もしかして、嬢さんとアンタは―――」
「マスター。レディの詮索はするものではないよ」
言い掛けたのを男が遮る。
もっともその言葉は暗に肯定を示すものであり、店主は静かに頷いた。
しばらく3人は沈黙し(うちラヴィーネだけはうっとりとしたように新しい酒を呷っている)、話題を変えるように店主が口を開いた。
「そういやあんたら、最近王都が物騒だってのは知ってるか?」
「いや、初耳だね。詳しく聞かせてくれるかい?」
頷いて、店主は吸血鬼事件に関して話し始めた。男もラヴィーネも、その話を神妙に聞いている。
「―――というわけだ。あんたらなら大丈夫そうだが、用心するに越した事はない」
「なるほど、ね。吸血系の幻想存在の仕業でまちがいないわね」
「いや、そう判断するにはまだ早計だよ。とはいえ、僕も大体予想はつくけど」
「なんだ、あんたらもう犯人の予想がついたのか?」
「いいえ。でも、そういうことをする手合いなんて限られているもの」
そう面倒くさそうに言って、ラヴィーネは酒を飲み干した。
2.
セフィリエ共和国とアドネス帝国の国境をまたぐようにそびえるゼオローク山脈の麓、魔術協会騎士団が本拠地アグナクロス砦。
その門を、深夜に差し掛かろうという刻限だというのに潜る影があった。
灯された僅かな明かりでは辺りの暗闇を払うことは出来ず、その顔立ちの詳細を伺い知ることは出来ない。
「ネロ様!? どちらへ行かれてたのですか!?」
ネロと呼ばれた男に明かりを持って駆け寄ってきた男―――というより、その声音や背丈は少年のようだ―――が、声を掛けた。
「おお、ドウェイン。お出迎えご苦労。いやなに、少しばかり山賊に鉄拳制裁しに行って来ただけだ」
「また山賊狩りですか……」
「誰も殺してはいない。むしろ、少しばかり叱ってやっただけだ」
「相変わらず甘いですね、ネロ様は……。って、そうじゃなくて! ネロ様、大祖母様がお呼びです! 至急、お部屋に来るようにと!!」
「大祖母さまが?」
* * *
「大祖母さま、ネロです」
ノックと共に声を掛けると、一拍置いて中に入るよう促す声が返ってきた。
ネロが扉を開ける。部屋の中は明るく、それにより彼の顔立ちがはっきりと見える。
瑠璃色の髪と、同じく瑠璃色の瞳。
目つきは鋭く、猛禽類の様な印象を与える。
そして部屋の中央には、大祖母と呼ばれた老婆が椅子に腰かけている。
その前には水晶玉の置かれた小さな丸い机がひとつ。
この老婆は類稀なる予知の能力により、魔術協会騎士団員に大祖母と仰がれる魔術師だ。
そしてその彼女がこんな夜更けにわざわざ自分を呼んだという事は、なにか重要な予言があるのだとネロは予想していた。
しかしネロが向かい合う形で腰を掛けた後、大祖母が開口一番に口にしたのは予想に反する言葉だった。
「ネロよ。予知が……未来が、見えなくなった」
「………は?」
予想外の言葉に、ネロが呆けたような声を漏らす。
(予知が出来ない、だと? あの大祖母がか?)
ネロの記憶では、彼女の予知したものは―――具体的か抽象的かはその時々であったが―――すべて的中していたはずだ。
それが、予知出来ない? どういう事だ? そこまで考えて、ある考えが頭をよぎった。
(予知出来ないのではなく……『予知が出来ない』ということを“視た”ということか?)
そう尋ねると、老婆は静かに頷いた。
「そう。そうじゃ。未来が、我らが行く末が視えのうなった」
「何が起きているのですか。何が起ころうとしているのか、分からぬのですか」
老婆は再び頷き、そしてそれを否定するかのように僅かに首を横に振った。
「分からぬ。分からぬが……。ネロ、お主に指し示すひとつの道だけは視える」
「―――それは」
「王都アラザニアへ。おお、そこに“うねり”が視える。全てを巻き込み、そして飲み込む世界の“うねり”じゃ」
「アラザニア……」
セフィリエ共和国の首都か、とネロは頭の中で反芻する。
(しかし、“うねり”とは何だ?)
未来を不確実にするもの。
未来を消し去るもの。
大変革。
特異点。
様々な言葉が浮かんでくるが、しかしそれが何を指すのかは今は分からない。
分かる事は、自らに指し示された唯一の道がそれを確かめるためのものだということ。
(ああ、どちらにせよ―――)
僅かに、彼の口元が綻ぶ。
その事に大祖母は気付いたのか否かは分からないが、そのまま言葉を続ける。
「ネロ。お主が望むものがなにであろうと、世界には抗えぬものもある。好きなように生きなされ」
その言葉に、ネロは小さく頷く。
「ええ。―――最初から、そのつもりです」
「それと、ネロ。もうひとつ、お主に言う事があった」
「……?」
* * *
大祖母に一礼し、ネロは部屋を後にする。
部屋の外では、ドウェインが待機していた。
「ネロ様! 大祖母は、何と?」
「少々な。ドウェイン。俺はこれからセフィリア共和国王都アラザニアへ向かう」
「アラザニアへ向かうって―――今からですか!?」
ネロの言葉に、ドウェインが素っ頓狂な声を上げる。
それもそうだ、このアグナクロス砦からアラザニアへは、如何なる駿馬でも休まず走ったとしても3日以上はかかる距離。
「俺の魔鎧馬なら明日の昼には着くさ」
そう、駿馬なら3日以上かかる。
しかし彼ら魔術協会騎士団が用いる魔術により形成された魔鎧馬は、馬の形状をしながらもそれをはるかにしのぐ俊敏さを持つ。
そしてその中でもネロの用いるそれは鳥すらも追い抜く。
「しかし、何故今からなのです?」
ドウェインの質問に、ネロは短く答えた。
「早くいけば、それだけ良縁があるそうだ」
ドウェインからは、ネロが浮かべたその表情は見えなかった。
三日月の如く鋭い笑みを浮かべた、その表情が。




