処刑された悪徳令嬢は目が覚めたら巨人(女神)でした
断頭台の木は、雨を吸って黒く光っていた。
古い血が染み込んだ筋が何本も残り、そこへ今日の“新作”が追加される――そんな舞台装置の上に、私はうつ伏せに固定されている。
頬に当たる板は冷たい。縄は手首に食い込み、指先がしびれて感覚が薄い。
そのくせ、頭だけは妙に冴えているから腹立たしい。最後くらい都合よく気絶してくれればいいのに。
「悪徳令嬢、エリシア・ヴァレンヌ。貴族の責務を踏みにじり、民を虐げ、王家への反逆を企てた罪により――」
司祭の声が、正義の顔をした刃物みたいに滑っていく。
“反逆”? 笑わせないで。私が企てたのは、せいぜい社交界での生存戦略と、婚約破棄の回避と、財産の防衛よ。
それが全部“悪”に翻訳されるのなら、翻訳者の国語力を疑うべきだわ。
群衆がざわめく。石が飛ぶ。唾が飛ぶ。
そして私は、いつもの癖で口角を上げてしまう。こういう場で沈黙したら、負けなのよ。
「最後に言い残すことは?」
司祭が形式的に問う。
私は笑って、言った。
「あるわ。――あなたたちの“正義”って、ずいぶん喉越しがいいのね。飲み込みやすい嘘でよかったわ」
怒号が跳ねた。
誰かが「悪女め!」と叫び、誰かが「当然だ!」と叫ぶ。
当然。そう、彼らにとって私は“当然、死ぬべき悪役”。
……そして、その“当然”を、彼は許した。
視線を横に滑らせる。
檻のような柵の向こう、貴賓席。王子――いいえ、もう王子じゃない。今日この場に立ち会うのは、国の未来を背負う男。
私の婚約者だった男、ラートル。
彼は、私と目が合っても表情を動かさなかった。
あの人の得意技だ。感情を“公務”で薄める。
その隣には、白いドレスの少女――清らかな微笑みで人々を癒す“ヒロイン”が立っている。私の断罪を導いた、正義の象徴。いまや王妃候補として、すでに「次の物語」の席に座っている。
ああ、なるほど。
物語は、ここで完成するのね。
悪徳令嬢が処刑され、王は正義の乙女を妃に迎える。
拍手喝采。めでたしめでたし。
私の人生は、彼らのハッピーエンドの“脚注”。
刃が鳴った。
滑車が軋み、空気が重くなる。世界が一瞬、真空みたいに静かになる。
――落ちる。
痛みは来なかった。
熱も、衝撃もない。
ただ、視界が横に裂けて、音が消えて――
次の瞬間。
私は立っていた。
原っぱに。
「……は?」
足元には草が揺れ、土の匂いが甘い。空は青く、雲がとんでもなく近い。
さっきまでの血と煤の臭いが、嘘みたいに消えている。
私は自分の首に手を当てた。
ある。ちゃんとある。切れてない。温かい。脈も打っている。
「……ここが、天国?」
口にした途端、自分の声が変に響いた。広がりすぎる。遠くまで届きすぎる。
え、ちょっと待って。天国って、もっとこう……静かで、羽が舞って、受付で番号札を――
私は一歩、前に出た。
――悲鳴と歓声が、同時に弾けた。
「うわあああ!」
「で、出たぞ!」
「敵陣が潰れた! 潰れたぞぉぉ!」
「……え?」
私は止まった。
ゆっくり視線を落とす。
点がある。
たくさんの点。列を作る点。旗みたいな点。槍みたいな点。
……点が、人間だと気づくまで、数秒かかった。
小さすぎる。
豆粒? いいえ、もっと小さい。米粒? いや、爪の先ほど。
そして、私は理解する。
点が叫んだ“潰れた”は、比喩じゃない。
私の足が降りた場所。そこに、陣形があった。
一歩。たった一歩で、敵陣が“ぺしゃっ”と消えた。
「……あ、私、踏んだ?」
背筋が冷えた。
同時に、笑いそうになった。最悪だ。笑えないのに笑いたい。神経がバグってる。
(天国っていうか、これ……処刑の続きじゃない? 首は助かったけど、罪の重さがスケールアップしてるんだけど)
私はもう一度、自分の身体を見た。
でかい。
異常にでかい。
靴のつま先が城壁みたいに影を落とし、指先一本が人の家より太そうで、髪の毛一本がロープみたいに見える。
原っぱの向こうにある“建物”が、玩具みたいだ。
遠く、石の囲い――城? 要塞?
その上に、点がぎっしり集まっている。こちらを見上げ、祈り、叫び、泣き、手を振っている。
そして、頭の中に声が響いた。
耳から入る声じゃない。脳に直接刺さる声。
ひどく、聞き覚えのある――“公務的な声”。
> ——断頭の乙女よ。
> ——死を越え、裁きを携えし者よ。
> ——我らの呼び声に応え、降り立ち給うたのだ。
「……その言い回し」
私の喉が、勝手に動いた。
(知ってる。知ってるわよ、それ)
“必要なことしか言わない”くせに、“肝心なところだけ飾る”癖。
責任は取らないのに、主語だけは大きい話し方。
私は目を凝らした。
点の群れの中心に、ひときわ飾りの多い点がいる。王冠。マント。周囲が跪いている。
そして、声が続く。
> ——我が名は、ラートル。
> ——ガルド王国の王として、そなたを招いた。
「……ラートル」
胸が、ひゅっと縮んだ。
その名は、私が婚約者として呼んでいた名だ。
私を“悪徳令嬢”と断じ、処刑を止めなかった男の名だ。
「あなた……王に、なったのね」
その隣。
白いドレスの点が、光をまとって立っている。宝冠。祈る仕草。
あの“清らかな笑顔”を、私は何度見た?
王妃だ。
ヒロインが、王妃になっている。
喉の奥が熱くなる。
怒りが熱い。屈辱が熱い。復讐の甘さが熱い。
(ああ、そう。そういうこと)
この世界は、私にもう一度“役”を与えた。
悪徳令嬢が死んで、断頭の女神として蘇る。
そして、私を殺した二人が、私を拝む。
――笑える。
笑えないくらい笑える。
私は足を上げた。
城壁の上の点が、ざわりと揺れた。悲鳴が薄い霧みたいに立ち上る。
ヒロイン王妃の点が、両手を胸に当てて何か祈っている。ああ、祈れば全部許されるのよね。素敵。
「踏み潰していい?」
自分でも驚くほど、声が平坦だった。
“正義”に殺された悪役の声は、たぶんこうなる。乾いて、冷たい。
足を落としかけた、その瞬間。
また、頭の中。
今度は王の声でも王妃の祈りでもない。無機質で、丁寧で、感情ゼロ――に見せかけて、妙に小馬鹿にした間がある。
世界の説明文みたいな声。
> 《アナウンス》
> 主要人物(王/王妃)への直接的危害を検知。
> 実行した場合、《贖罪》を行うことができなくなります。
> これにより、あなたの目的達成は不可能となります。
> 追記:いま踏むと、あなたの“気分”は晴れますが、あなたの“人生”は詰みます。
「……は?」
足が止まった。
止まったというより、全身が固まった。
目的? 贖罪? 不可能?
何それ、私は今、復讐しようとしてただけなんだけど?
> 《アナウンス》
> あなたには《贖罪》の権利が付与されています。
> 完遂した場合、あなたの“断罪”は再審理されます。
> 権利を失う行動を選択しますか?(推奨:いいえ)
「推奨とか付けるな」
再審理。
その言葉だけが、胸に刺さった。
刃が落ちた瞬間より、ずっと深く。
(……私の断罪が、やり直せる?)
足の裏が震える。
怒りで? 迷いで? それとも笑いで?
分からない。分かりたくない。
私は、ゆっくり足を戻した。
踏み潰さない場所へ。慎重に。
……私が慎重に降ろしただけで、地面が低く唸った。そうよね、巨人だものね。最悪。
城壁の上では、点が勝手に盛り上がっている。
「女神は慈悲を示された!」
「救いだ! 救いが降りた!」
「陛下、女神は王家を認め給うた!」
(違う。私は“契約画面”に脅されただけ)
そして、アナウンスが、追い打ちみたいに文字を浮かべた。私にだけ見える、嫌な箇条書き。
> 《贖罪クエスト(起動)》
> 1) 無辜の民を救助せよ
> 2) 虚偽の罪状を1つ覆せ
> 3) 王と王妃に“真実”を突きつけよ(物理は禁止)
「物理は禁止……」
思わず笑いそうになって、喉を押さえた。
禁止されるの、そこなの? そこだけなの?
私は城壁の上を見た。
王――元婚約者。
王妃――私を断頭台に送ったヒロイン。
踏めない。潰せない。殺せない。
でも、やり直せる。
(……贖罪? いいわよ。やってやるわよ)
私は唇だけで、静かに言った。
「私の名を、取り返す」
その声はきっと、彼らには神託に聞こえるだろう。
好きにすればいい。
ただし物語の主導権は――今度は私が握る。
草原の風が、優しすぎるほど優しかった。
それが一番、腹立たしかった。
(次はまず、戦場を止める。救助の邪魔だもの)
私は一歩も動かずに、敵陣の方を見据えた。
“悪徳令嬢の贖罪”の、第一手。
ここからが本番だ。
まず――戦場を止める。
贖罪だの再審理だの、今は置いとく。
だって、この草原、空気がもう「戦場」なのよ。血と鉄と煙。人が死ぬ匂いがする場所で、私の再審理も何もないでしょう。
(救助の邪魔なのよ、攻撃が)
私は敵陣の方を見た。
“点”が、動いている。列を作り、旗を振り、何かを掲げている。時々、光が弾ける。魔法陣。矢。投石。……あれ全部、1センチの世界の“必死”だ。
こっちは一歩で事件。
向こうは一歩が人生。
スケール差が倫理を破壊してくる。
「……よし。止める。止めるわよ」
私は自分に言い聞かせるように呟いた。
声量は抑えたつもり。喉の奥だけで。
なのに、城壁の上から歓声が返ってくる。
「女神が決意された!」
「戦の終わりだ!」
「救いだ……救いが……!」
(うるさい。勝手に翻訳するな)
頭の中に、あの“王の声”が割り込んだ。
> ——女神よ。
> ——敵城門を踏み砕き給え。
> ——今こそ王国の勝利を――
「黙れ」
私は言った。
雷鳴みたいに響いたのか、城壁の点が一斉に伏せた。王の点も、王妃の点も、ぎくりと固まる。
(ごめん、声量調整まだ無理)
でも、止めたいのは「命令」じゃなくて「攻撃」だ。
敵陣の方向から、また光が弾けた。
火球のようなものが、ふわっと生まれ――あっちからこっちへ飛んでくる。
たぶん城壁に向かっている。あれが当たれば、点が死ぬ。
(よし。生活魔法で十分。ほんとに十分)
私は指先を立てた。
手のひらじゃない。指先。
指先なら、繊細。指先なら、被害が少ない。……はず。
「灯火よ」
“灯火”って、ほら。
暗い廊下を照らすやつ。寝室のベッドサイド。読書灯。そういうの。
――空気が赤くなった。
「え」
赤い。明らかに赤い。
太陽が増えたみたいに赤い。
敵陣の上に、火が咲いた。
咲いた、という表現が一番合っている。
一輪の火が、花弁を広げるみたいに、ふわっと広がって――
次の瞬間、火の海になった。
「ええええええ!?」
草が燃える。旗が燃える。陣形が燃える。
焚き火じゃない。篝火でもない。地獄のやつ。
火の“高さ”が、私の膝くらいまである。つまり向こうの世界では……あれ、天井まで届くやつじゃない?
(待って待って待って! 灯火って言った! 私、灯火って言ったの! 火事って言ってない!)
城壁の上の点が狂喜した。
「ヘルファイア……!」
「まさに神域の御業!」
「敵は灰となる!」
(灰にしない! 灰にしない方向で頼む!)
頭の中に、無機質な声。
> 《アナウンス》
> 出力が想定値を上回りました。
> あなたの想定:ランタン。
> 現実:王都防衛用の烽火。
> “無辜の民”巻き込みリスク:上昇。
> 贖罪進行度:-8%
「減った!? え、減るの!? 今、敵の攻撃止めようとしてたのに!?」
> 《アナウンス》
> 目的は“救助”です。
> 殲滅は目的ではありません。
> 追記:あなたの正義は、火力で語らない方が品が良いです。
「品の話をするな!」
私は慌てて両手を振った。消火。火を消すイメージ。
ところが両手を動かした瞬間、風が起きた。
――風は火に酸素を送る。
炎が、元気になった。
「最悪!! 私の焦りが燃料になってる!!」
城壁の上では、王の声がやけに誇らしげだ。
> ——見たか、臣下たちよ。
> ——女神は我らに勝利を授け給うた――
(やめて! 勝利じゃなくて事故! 私の魔法の温度設定がバグってるだけ!)
王妃――ヒロインの点が、胸に手を当てて祈っているのが見える。
> ——女神様……どうか、民を……
(あなたが祈るな。今だけはあなたが祈るな。腹が立つ)
私は深呼吸した。慎重に。
吐息ひとつで竜巻を起こす世界だ。喉の奥だけで、息を回す。
(火を消すんじゃない。燃える場所を限定する。隔離。遮断。燃料カット)
生活魔法でやることじゃない?
そうだけど仕方ない。生活が今、戦場にあるんだから。
私は地面に指先を当てた。
指でゆっくり線を引く。線は私の視点だと「細い溝」。でも向こうにとっては「運河」だ。
「湿り気よ。……いや、水気。……うーん、しっとり!」
(なんで言い直すほどダサくなるのよ私)
線の両側の土が、黒く濡れた。
草がしおれ、泥が顔を出し、燃えにくい帯になる。
炎が、その帯で止まった。
燃え盛っていた火が、ふっと勢いを失い、煙に変わる。
炎の海が、そこで途切れる。地獄の縁みたいに。
「……止まった」
ほっとした瞬間――
空が割れる音がした。
ぎゃああああ、と、金属を裂くような鳴き声。
影が、こちらへ落ちてくる。
騎竜だ。
豆粒みたいな騎士を背に乗せた竜が、編隊を組んで突っ込んでくる。
私から見ればトンボくらいのサイズ。
なのに速度は矢より速く、羽音は刃物みたいに鋭い。
(火で脅かしたら引いた? って思うじゃない? 普通。
でもこっちはファンタジー。神に向かって突撃する世界!)
頭の中に、王の声。
> ——女神よ!
> ——敵が女神に牙を剥くとは!
> ——討ち滅ぼし給え!
(討ち滅ぼすな! “物理禁止”以前に、贖罪進行度が死ぬ!)
騎竜が、私の顔めがけて来た。
目とか鼻とかに入ったら嫌。絶対嫌。想像しただけで最悪。
私は反射で手を上げた。
「うわっ、やめ――」
言いかけて口を塞ぐ。
声は雷。雷で落としたら殺す。殺したら減点。減点したら再審理が遠のく。
私は今、採点されている。最悪の状況だ。人生が採点されている。
(軽く。軽くはたく。虫を払う程度で)
私は、そっと、指先を振った。
ほんとうに“そっと”のつもりだった。
空気が、壁みたいに動いた。
衝撃波が走り、騎竜の編隊がまとめて横へ流された。
落ち葉みたいに、ぐわっと。
「ちょっと待って、待って待って! そっち行くと味方に――!」
私は慌てて反対の手を添えた。扇ぐ。風向きを曲げる。今度こそ、優しく。
結果、風は湾曲した。
騎竜たちは味方の城壁を避けるように大きく弧を描き、遠くの濡れた帯――さっき私が作った湿地帯に、ぼとぼと落ちた。
ぼとっ。
ぼとぼとっ。
ずぶっ。
泥に刺さって、脚だけ出してじたばたする竜。
その背で槍を掲げたまま、泥まみれになって震える騎士。
(……よし。死んでない。たぶん。泥がクッションになってる。たぶん)
> 《アナウンス》
> 非殺傷制圧:成功。
> 贖罪進行度:+4%
> 追記:あなたは「虫払い」が上手です。今後も人命を虫扱いしないようにしましょう。
「誰が虫扱いしたのよ、私の方が虫を怖がってるわ」
ガッツポーズしそうになって、途中で止めた。
ガッツポーズは地震。地震は被害。被害は減点。
私は今、常に“地震にならない喜び方”を求められている。地獄。
城壁の上では、点たちがまた勝手に盛り上がっている。
「女神の指先で、竜が墜ちた!」
「神風だ! 神風が吹いた!」
「救いだ……救いが……!」
(神風じゃない。私の“虫払い”が強すぎただけ)
王の声が、また来る。
> ——女神よ。
> ——今こそ敵城門を――
「黙れと言ったでしょう」
私は低く言った。
低く言ったつもりでも低くならない。城壁の上の点がまた伏せる。王妃が肩を震わせる。
(ああもう。声量調整アプデ来て)
私は敵陣を見た。
炎は止めた。騎竜は泥に落とした。
攻撃は、今――止まっている。
(今だ。救助)
贖罪クエストの一つ目。無辜の民の救助。
でも、ここ戦場。どこに民? と思った瞬間、見つけた。
城壁の外周、草原の端に、点の塊がある。
兵じゃない。武器を持ってない。荷車みたいなものを引いている。逃げている。
……避難民だ。
私はゆっくりしゃがんだ。しゃがむだけで風が起きるので、極限まで慎重に。
指先で草を撫でる。撫でるつもりで“道”を作る。人が逃げられる、平坦な帯。
「……こっちよ。こっちに逃げなさい」
声を出さずに口だけ動かす。
伝わらなくてもいい。道を作れば身体が理解する。
避難民の点が、私の作った帯に吸い込まれるように走り出す。
その先――私の膝の影。風の当たりにくい場所。火も飛びにくい場所。
(よし。影は安全。巨人の影がシェルターになるなんて、皮肉ね)
避難民の一団が、私の影に辿り着いたところで、ひとつの点が転んだ。
荷車のようなものから、薄い板が転がる。紙? 布? いや、札束みたいなもの。
私は指先で、そっと拾った。
拾った、というより、指の腹に貼りつける。風で飛んで“陰謀が飛散”するのは困る。
――紋章が見えた。
王家の紋章。
そして、その下に、封蝋の跡。
(これ……手紙?)
紙面の文字は、私の目には潰れて見えない。
でも、封蝋の“印”だけは、はっきり分かった。
王妃の印だ。
あの清らかなヒロインが、いつも胸に下げていた印章の形。
(……避難民が、王妃の封書を? なんで?)
頭の中に、アナウンスが静かに割り込む。
> 《アナウンス》
> “虚偽の罪状”の手がかりを検知しました。
> 転章(次の局面)への進行条件が近づいています。
> 追記:あなたの得意分野を推奨します。
> 推奨:噂/公開/羞恥
「私は悪徳令嬢よ。武器は剣じゃなく、噂だってこと?」
> 《アナウンス》
> 肯定。
> 追記:剣は振れませんが、噂は振れます。あなたが最も“あなた”でいられる方法です。
……腹立つくらい正しい。
私は、ゆっくり城壁の上を見た。
王と王妃。点の二人はまだこちらを見上げて祈り、叫び、命令しようとしている。
彼らの物語は、私を悪役にして完成した。
それが本当に“真実”だったのか――今、私の指先に、答えの欠片が乗っている。
避難民の点が、震えながら私の影の中で頭を下げた。
声は小さくて聞こえない。けれど口の動きは見える。
「たすけて」
「ころさないで」
「しらない」
(……私が殺す側だと思われてるの、当然よね。だって一歩で敵陣潰したもの)
私は鼻で笑いそうになって、やめた。
笑ったら風。風は災害。災害は減点。
「大丈夫。殺さないわ」
代わりに、心の中で言った。
(殺すのは、物理じゃなくて――あなたたちの嘘の方よ)
私は封書を、指先の影に隠すように丸めた。
紙を破かないように、潰さないように。巨人の指は器用じゃない。器用じゃないけど、今は器用になるしかない。
城壁の上で、王の声がまた響いた。今度は、妙に甘い。
> ——女神よ。
> ——避難民は十分に退避した。
> ——今こそ、敵城門を――
(救助を奪うな。ポイント稼ぎを奪うな)
私はゆっくり顔を上げた。
そして、にっこり笑った。悪徳令嬢が一番得意な笑い方で。
「いいえ。救助は私がする」
言葉は雷鳴になった。点たちがまた伏せる。
でも、今はいい。伏せてもらった方が、余計な命令が飛んでこない。
私は草原の端に、さらに“道”を引いた。
避難民が通れる、風の弱い帯。
そしてその道の終点を――城壁から遠い場所へ、戦場から遠い場所へ。
(戦争を止めるのは次。まずは、助ける)
指先の中にある封書が、妙に重い。
紙のはずなのに、重い。
真実の重さって、たぶんこういうやつ。
> 《アナウンス》
> 救助進行:継続。
> “虚偽の罪状”の核心に接近中。
> 追記:あなたの「優しさ」は、あなたの評判を改善します。
> ただし、あなたはそれを嫌がります。仕様です。
「仕様って言うな」
私は息を殺して、もう一度だけ城壁の上を睨んだ。
(待ってなさい。次は“転”よ)
王と王妃のハッピーエンドを、私が――悪徳令嬢のまま、書き換える。
そのためにまず、今日の戦場から生き残る人間を増やす。
そして、嘘を一つずつ潰す。
――物理じゃなく、言葉と事実で。
避難民の列が、私の影の中を流れていく。
点が点を支え、荷車の点が軋み、泣き声の点が震えている。
私はその上を覆う“影”を、わざと大きく保った。日差しと矢と、ついでに世間の目からも隠れるように。
指先に巻いた封書は、紙のくせに重い。
重いというより――触れた瞬間から、嫌な予感がする重さだ。
(王妃の印章。避難民。戦場。……これ、偶然じゃない)
私はそっと封蝋を割ろうとして、やめた。
指がでかすぎて、紙の人生が終わる。紙の人生って何よ。
代わりに、封書を落とした避難民の“点”を探す。
転んだ子。荷車の側。今も土に額をこすりつけて震えている。
(この子、何か知ってる)
私は声を出さず、口だけ動かした。
「ねえ。あなた、これを運んでたの?」
点が、びくっと跳ねた。
それから、首を振った。ぶんぶんぶんぶん。必死。
そして、指で指した。自分の背後。
影の奥――荷車の陰に、もう一つの点がいた。
鎧じゃない。武器もない。
でも背中に、板のようなものを背負っている。紙束。記録具。
軍記官……か、伝令か。
点は、私を見て怯えたまま、でも逃げずに口を動かした。
「……それは、わたしが……書いた。書かされた。……しるし、は、王妃……」
胸の奥が、少しだけ冷える。
冷えるのに、口元は笑いそうになる。こういうの、いつもそう。真実って、笑えない形で出てくる。
私は土に指先を立て、影の中に小さな“囲い”を作った。
指先で軽く溝を引き、湿った土で壁を作る。風が当たりにくい、盗み見されにくい、話ができる場所。
「落ち着きなさい。私は今、あなたを踏まない方向で全力を尽くしてるの」
点がぽかんとした。
意味が通じたのか、通じてないのか分からない顔。豆粒顔にも表情があるんだな、と妙に感心した。
頭の中に、アナウンス。
> 《アナウンス》
> “虚偽の罪状”の核心対象:特定。
> 証言者を保護してください。
> 贖罪進行度:+2%
> 追記:この証言者は、あなたの“勝利条件”です。丁寧に扱ってください。
「勝利条件って言うな」
私は封書を、そっと地面に置いた。
置いただけで地面が沈むの、理不尽よね。紙なのに。
「あなたの名前は?」
点が喉を鳴らし、震えながら言う。
「……リュカ。軍記局の……写筆官」
写筆官。つまり、書く人。記録する人。
その人間が「書かされた」と言うなら――誰かが、書かせた。
「誰に?」
リュカは言葉を詰まらせ、城壁の上を見上げた。
王と王妃のいる場所だ。そこに向けて、恐怖の点が震えている。
「……王妃さま、の侍女が。『国のため』って。『悪徳令嬢が反逆を企てた証拠』って……」
(あー……はいはいはい。国のため。便利な言葉ね)
私は深呼吸した。深呼吸は災害だから、喉の奥で吸って吐く程度に。
「その“証拠”、私の断罪に使われたもの?」
リュカは小さく頷いた。
そして、続けた。
「……でも、ほんとうは……違う。反逆なんて……なかった。
あの手紙は……王妃さまが、言葉を選んで……『そう見えるように』……」
(選んで。そう見えるように。――うん、あなた、文章の怖さを知ってる人ね)
私は封書を見た。王妃の封印。
中身は、おそらく指示書だ。次の“証拠”を作る指示か、証言を整える指示か、私の死後の“物語”を固める指示か。
(つまり、私の人生は、編集された)
そのとき、頭の中に、王の声が差し込んできた。
以前より柔らかく、以前より“慈悲深い”声で。
> ——女神よ。
> ——避難民は十分に退避した。
> ——今こそ、敵城門を――
(あなた、まだ言うのね)
私はゆっくり顔を上げた。
城壁の上で、王が胸を張っている。王妃が祈るポーズを崩さない。
周囲の臣下は、私の一挙手一投足を神話に変換する準備ができている。
(このままじゃ、また私が“都合のいい神”にされる。
都合のいい神って、都合の悪い真実を消すためにいるのよ)
私は決めた。
ここで戦争を止めるだけじゃ足りない。
私の“断罪”を――戦場のど真ん中で、公開で、ひっくり返す。
だって、私は悪徳令嬢。
社交界で鍛えたのは剣じゃなく、空気と視線と舞台作りよ。
「リュカ」
私は影の中へ、そっと指を差し入れた。
指先で、彼の“囲い”を覆う。風から守るように。
「あなた、書ける?」
「……はい」
「じゃあ、書きなさい。今から私が言うことを。正確に。盛らないで。神話にしないで」
リュカがぽかんとする。
私は続けた。
「盛ったら、あなたを褒める。褒めるけど、褒めたら次の瞬間、あなたは政治に殺される。
だから正確に。ね?」
リュカが、死にそうな顔で頷いた。
私は、城壁の外に巨大な“円”を作り始めた。
踏み固めるのではない。指先で土を寄せ、土手を築く。
大きな舞台。見物席。逃げ道は残す。殺さないために。
私が土を動かすたび、点たちが歓声を上げる。
「女神が大地を編む!」
「聖域が生まれる!」
「戦の終わりだ!」
(違う。劇場が生まれてるの。公開裁判用の)
頭の中にアナウンス。
> 《アナウンス》
> 条件更新:
> “真実を突きつけよ”=多数の証人の前で「偽証の構造」を可視化すること。
> 物理的危害は禁止。拘束は“保護”扱いであれば許可。
> 追記:あなたの得意分野(世論)を活用してください。
(保護扱いで拘束OK。助かる。いくらでも“保護”してあげる)
私は土手を完成させ、円の中心に“平坦な場”を残した。
そこは戦場でも城壁でもない、ただの舞台。
点がそこに集まれば、みんな同じ距離で同じ言葉を聞く。
そして私は、城壁の上に向けて言った。
「王。王妃。降りてきなさい」
雷鳴が落ちたように響き、城壁が震える。
点たちが伏せる。臣下が泣き出す。王妃が祈りを強める。
王が言い返す。頭の中で。
> ——女神よ。
> ——恐れ多いが、我らは城を守らねば――
「守ってないでしょう。私が守ってるでしょう。あなたは“演説”してるだけでしょう」
城壁の上が凍った。
臣下の点がざわつく。
王妃の点が、一瞬だけ固まった。
王は咳払いでもするように声を整えた。
> ——女神よ、戦時である。
> ——国の士気が――
「士気? なら見せてあげる。士気じゃなくて真実を」
私は指先で、城壁の上に“風の道”を作った。
風の道と言っても、突風じゃない。点が飛ばない程度の、滑り台みたいな空気の流れ。
そこに、王と王妃のいる場所から点を運べる。
「怖がらないで。落とさない。踏まない。燃やさない。……たぶん」
最後の「たぶん」は余計だったかもしれない。
だって臣下が失神しかけている。
それでも、王は降りてきた。
降りてこざるを得なかった。
だって彼は“女神に選ばれた王”を演じている。女神の言葉に背けば、物語が崩れる。
王妃も降りてきた。
白い点が震えながら、王の隣に立つ。
二人が並んだ瞬間――私は胸の奥で、雑音みたいな怒りがぎゅっと鳴った。
(並ぶな)
でも物理は禁止。
私は笑う。悪徳令嬢が一番得意な笑い方で。
「さあ。公開裁判ごっこをしましょう」
王が言う。
> ——裁判? 女神よ、何を――
「私の断罪の再審理よ。だって“贖罪”ってそういうことなんでしょう? アナウンスさん」
> 《アナウンス》
> はい。
> 追記:あなたの人生に裁判が足りませんでした。いま補填します。
(補填とか言うな)
王妃が小さな声で祈る。
> ——女神様……どうか、お怒りを……
「怒ってないわ。むしろ冷静よ。冷静に、あなたを詰める準備ができてるだけ」
王妃の点がびくっとした。
その反応だけで、私の中の何かが少しだけ晴れる。性格が悪い? ええ、悪徳令嬢だもの。
私はリュカを、風の道で舞台の端へ運んだ。
“保護”として、影の中に置く。
そして封書を、彼の前にそっと置く。
「これは王妃の印章。リュカ、これは何?」
リュカが震えながら、封蝋の印を指す。
「……王妃さまの……」
「開けなさい」
「……わ、わたしの指では……」
(そうよね。あなたの指、糸より細いもの)
私は生活魔法を“本気で弱く”使うことにした。
今日一番の挑戦。
「……灯火よ。今度は、本当に灯火で」
指先に、ぽっと、火が灯った。
……ぽっと。
(できた! ぽっとだ! 私、ぽっとできた!!)
その瞬間、周囲の点が絶叫した。
「神が火を宿した!」
「天の瞳だ!」
「聖火だぁぁ!」
(うるさい! ぽっとなの! ぽっと!!)
でも今はいい。ぽっとの火で、封蝋だけを温める。
溶ける。ぱき、と割れる。
中の紙が見えた。
リュカが、紙面を覗き込み――顔色が変わった。
点の顔色が変わるの、相当だ。
「……こ、これは……」
「読んで」
「……王の前で……?」
私は微笑んだ。悪徳令嬢が一番嫌な微笑みで。
「だから“公開裁判ごっこ”でしょう。読むの。正確に。盛らないで」
リュカは震えながら、読み上げた。
点の声は小さい。でも、私は“風の道”を作って、その声を舞台全体へ運んだ。
まるで世界がマイクを渡したみたいに、言葉が広がる。
「……『写筆官リュカに命ず。反逆の文面を整えよ。エリシアの筆跡に寄せ、封を王家印に偽装せよ。民の前で“悪”を確立するため、情状は過剰に描写せよ』……」
舞台が静まり返った。
王の点が固まる。
王妃の点が、祈りの手を震わせる。
リュカの声が続く。
「……『必要なら侍女に偽証を命じよ。処刑後は記録を焼却し、残滓は避難民に混ぜて処分せよ』……」
(処分。私の人生を“処分”って言ったわね)
私は、ゆっくり王妃を見下ろした。
白い点は、今にも崩れそうに揺れている。
王が、ようやく声を出した。
> ——女神よ、それは偽造だ!
> ——敵国の策に――
「あなた、“偽造”って言ったわね」
私はにこやかに言った。
「じゃあ今、ここで機会をあげる」
王が息を呑む。
王妃が泣きそうな顔をする。
周囲の点たちが、固唾を飲む。
私は言った。
「この場で自白しなさい。
“私を悪にした”って。
そうしたら――私はあなたたちを踏まない。踏まないだけじゃなく、あなたたちの“処分すべき侍女”を差し出させる。
あなたたちの顔は守れる。完全にではないけど、少なくとも“英雄の仮面”は少し残せる」
王の点が揺れた。
王妃の点が祈りかけた。
一瞬だけ――一瞬だけ、二人は選べた。
それでも王は、王として笑った。
> ——女神よ。
> ——それは国家への反逆の扇動だ。
> ——王家の名誉を汚す偽女神め――
王妃は、震える声で添えた。
> ——女神様……どうか……民の前で……そのような――
> ——わたしは……わたしは、清白です……!
(ああ。結局、保身)
その瞬間、頭の中のアナウンスが、やけに満足そうに鳴った。
> 《アナウンス》
> 分岐:救済案(提示)→拒否(確認)
> 結論:情状酌量の余地、減少。
> 追記:あなたの性格の悪さが、ここで活きました。おめでとうございます。
「祝うな」
私は、ぽっと灯した小さな火を、王の前に移した。
火は小さいまま。頑張れ私。小さいままでいて。
「これは灯火。生活魔法。
嘘をついたら――ちょっとだけ大きくなるの。ちょっとだけ」
(ちょっとだけ、が信用ならないのよね私)
> 《アナウンス》
> 補助:誓約判定を付与します。
> 嘘が検知された場合、灯火は増光します(非致死)。
> 追記:非致死=あなたの良心の勝利。
(勝利とか言うな)
王が口を開ける。
その瞬間、灯火が――ふわっ、と大きくなった。
「うわ」
王の点が飛び退いた。
王妃の点が悲鳴を飲み込んだ。
周囲の臣下たちが土下座を始める。
(私、何もしてない。灯火が勝手に成長しただけ)
王は慌てて言い直す。
> ——女神よ! 私は国のために――
灯火が、さらに、ふわっ。
(あ、はい。嘘ですね)
私は頷いた。
そして、悪徳令嬢として最も残酷なことを、優しく言った。
「国のため、って言葉、便利よね。
あなたのための嘘を、国が肩代わりしてくれる」
王妃が震えながら、声を絞り出した。
> ——わ、わたしは……民を救うために……
灯火が、ふわっ。
(はい。嘘)
私は笑った。
「あなたの“救い”は、誰かの首の上に立ってるのよ」
その瞬間、王が叫んだ。
頭の中じゃなく、実際に。点の喉で。
「偽女神だ! 女神などではない! 我らを惑わす敵の魔性だ!」
城壁の上の臣下たちが、遅れて同調する。
“物語の修正”が始まった。私をまた悪役に戻すための、必死の編集。
そして――城壁の上で、巨大な魔法陣が組まれ始めた。
今度は攻撃じゃない。糸でもない。
“封じる”儀式。私を神として縛る儀式。
> 《アナウンス》
> 警告:拘束儀式が進行しています。
> 対応しない場合、贖罪が中断されます。
> 追記:あなたの人生は「編集」されがちです。今回は編集者を編集しましょう。
私はゆっくり息を吸った。
喉の奥だけで。
そして、悪徳令嬢の笑みを浮かべた。
(来たわね。編集合戦)
「いいわ。だったら――“物語”で殴り返す」
私は土手の外側に、さらに大きな“見物席”を作り始めた。
敵も味方も、逃げられないように……じゃない。
“見届けられるように”。
社交界で学んだ真理がある。
人は“裏話”に弱い。
そして“公開”に耐えられない。
王が私を偽女神と叫ぶなら、私はそれを――公開で、全員の前で、嘘にする。
噂は剣より速い。羞恥は鎧より重い。
「さあ、結末に進みましょうか」
私の声が戦場に落ちた。
雷鳴みたいに。
そして、灯火は――小さく、静かに燃え続けていた。
城壁の上で、拘束の儀式が進んでいた。
点が円を描き、点が祈り、点が血を垂らしている。
光が幾重にも重なり、空気がきしむ。あれは“縛る”ための光だ。私の身体を動かなくするための、王権の綱。
> 《アナウンス》
> 拘束儀式:進行率 42%
> 中断が望ましい。
> ただし、直接的危害は禁止です。
> 追記:殴らないでください。あなたが殴ると、山が消えます。
「分かってるわよ。殴らない。踏まない。燃やさない。……私、今それしかできないんだから」
私はゆっくり指先を土に当てた。
生活魔法、の範疇で。生活の範疇が既におかしいのは置いておく。
(縛られたくない。なら、縛る側の“条件”を崩す)
儀式は円が必要だ。
配置が必要だ。
集中が必要だ。
それらを“殺さずに”崩す方法――ある。
「……風よ」
私は囁いた。
“神風”にならない程度の、そよ風のつもり。そよ風。春の風。洗濯物が気持ちよく揺れる程度。
――空気が一斉に動いた。
城壁の上の点たちが、まとめて転がった。
祈りの姿勢のまま、ころころころ、と、円がほどける。
「うわっ!」
小さな悲鳴がいくつも上がる。
でも死んでない。転んだだけ。点が点らしく転がっただけ。
> 《アナウンス》
> 拘束儀式:中断。
> 非殺傷妨害:成功。
> 贖罪進行度:+5%
> 追記:あなたの“そよ風”は、だいたい台風です。褒めません。
「褒めないでいい」
そして私は、舞台――土手で囲った“円形劇場”を見下ろした。
円の中心には王と王妃。
端には写筆官リュカ。
その周囲を取り囲むように、兵と民が集まっている。敵も味方も、今は“観客”だ。
戦争を止めるなら、まず槍を下ろさせる必要がある。
でも槍を下ろす理由は、恐怖でもいいし、納得でもいい。
私は悪徳令嬢。両方を使う。
「みんな、聞きなさい」
私は言った。
声は大きい。でも今は“意図して”大きくした。誰の耳にも届くように。誰も都合よく捏造できないように。
「戦争は、ここで止めるわ」
ざわめき。
“女神の宣言”として受け取られ、膝が落ちる音が波になる。
私は続ける。
「止める理由は二つ。
ひとつ――無辜の民が死ぬから。
もうひとつ――今から、この国の“物語”を訂正するから」
王が叫ぶ。
「偽女神だ! それは敵国の策だ!」
私は笑った。悪徳令嬢の、最も上品で、最も意地の悪い笑い。
「いいえ。敵国の策ではないわ。
“あなたの策”よ、陛下」
王が言葉を詰まらせる。
王妃が祈る手を強く握りしめる。
私はリュカへ目配せした。
彼は震えながらも、板(記録板)に文字を刻んでいる。
私が彼を守る限り、彼は書く。書くことが彼の生存だ。
「リュカ。さっきの手紙、もう一度。今度は最初から最後まで。ゆっくり」
リュカが頷き、声を絞り出す。
点の声は小さい。だから私は“風の道”を作る。声だけが舞台全体へ届くように。
「……『反逆の文面を整えよ。筆跡に寄せ、封を偽装せよ。情状は過剰に描写せよ』……」
王妃の点が揺れる。
王は歯を食いしばる。
私は言った。
「この文が嘘なら、簡単よ。誓えばいい。
“私は関与していない”と」
王妃が、か細い声で言う。
「……わ、わたしは……」
その瞬間、私の指先の灯火が、ふわっと増光した。
(はい、嘘)
どよめきが走る。
どよめきは、最初は恐怖だった。神が火を増した、と。
でも次に、その恐怖が“意味”を持つ。嘘を照らしている、と。
私は淡々と告げた。
「灯火は嘘で明るくなる。生活魔法よ。
……あなたたちの生活、嘘が多すぎて眩しいわね」
笑いが起きた。
小さな笑い。遠慮がちで、でも堪えきれない笑い。
“女神の冗談”として消費される笑いではない。
王妃の嘘を見た人間が、初めて息を吐く笑いだ。
王が叫ぶ。
「そんなものは、女神の気分でどうにでも――」
灯火が、ふわっ。
(はい、嘘)
王が言い直す。
「……私は国のために――」
灯火が、ふわっ。
(はい、嘘、二連)
私は微笑んだ。
「国のため、という言葉に逃げないで。
“私を殺した”って言いなさい。あなたの名で」
王の点が震える。
その震えは怒りか、恐怖か、恥か――全部だろう。
王妃が、膝をついた。
祈りの姿勢じゃない。崩れ落ちた膝だ。
「……ごめんなさい……」
灯火は、増えなかった。
(初めて本当の言葉が出た)
場が凍る。
それから、じわじわと崩れる。
人々の中の“物語”が、音を立てて崩れていく。
王妃は顔を上げ、続けた。
「わたしは……怖かったの。
あなたが、婚約者の隣にいるのが。
あなたが、賢くて、強くて……わたしが、選ばれない気がして……」
灯火は、静かなまま。
私は思った。
(ああ、そう。結局これ。恋と嫉妬と恐怖。国じゃない。民じゃない。あなたの心の弱さ)
でも同時に、その弱さを吐けたことが、この国の“救い”にもなる。
嘘をやめた瞬間、物語はやり直せるから。
王が叫びそうになり、私は先に言った。
「あなたも。陛下。嘘をやめなさい」
王は口を開ける。
灯火が、ふわっと揺れる。嘘が喉に引っかかっている。
王は、絞り出すように言った。
「……私は……王妃を正統化するために、悪役が必要だった。
民は、敵がいないとまとまらない。
……だから、彼女を悪にした」
灯火は、増えなかった。
(最低。でも、真実)
どよめきが怒号に変わる。
臣下が青ざめる。
民の点が、王へ石を投げたい顔をする。投げたら届かないけど、気持ちが届く。
私はここで“戦争停止”の二段目を打つ。
「――今から、誰も武器を振るうな」
声を落とす。
命令じゃない。宣告だ。
私は土手の外側に、細い溝を一本、引いた。
一本の溝。私の指先なら簡単。
でも点たちにとっては、越えられない谷。
敵と味方を分断する“境界線”。
戦争の進路を物理的に消す。
「越えたら、泥に沈める。
殺さない。沈めるだけ。
……私、非殺傷が得意になってきたのよ」
小さな笑いがまた起きる。
恐怖と笑いの混ざった、でも確かに“戦意が抜ける”笑い。
兵の点が槍を下ろした。
敵も、味方も、槍を下ろす。
戦争が、止まった。
> 《アナウンス》
> 戦闘停止:達成(暫定)
> 無辜の民救助:達成
> 虚偽の罪状:1件覆しました
> 真実の提示:達成
> 贖罪進行度:100%
> 追記:あなたは「殺さずに勝つ」を覚えました。悪役にしては上出来です。
「悪役扱い、まだ続けるのね」
思わず言ってしまい、城壁の上がまたどよめいた。
でも今はいい。どよめいていい。生きてるから。
> 《アナウンス》
> 再審理を開始します。
視界の端に、透明な板が浮かんだ。
断頭台で“悪”とされた私の名が、そこに表示される。
【被告:エリシア・ヴァレンヌ】
【罪状:反逆/虐政/王家侮辱】
【再審理:承認】
……承認、ね。
私は笑った。今度は素直に。
悪徳令嬢の笑いじゃない。生き残った人間の笑い。
「遅すぎるくらいよ」
王と王妃は、その場で崩れた。
殺さない。踏まない。燃やさない。
でも、彼らの“物語”は死んだ。
ただし――ここで終わらせない。
私は、ゆっくり言った。
悪徳令嬢として、最も悪い形で、最も公平な宣言を。
「聞きなさい、皆」
観客の点たちが、息を止める。
「私は“無罪”を得る。
そしてあなたたちは、“英雄の顔”を失う」
ざわめきが走る。
王が顔を上げる。王妃が泣き顔で見る。
「等価交換じゃないわ。
私の首は戻らない。
だから、あなたたちに“救済”は与えない。私は優しいけど、甘くはない」
王が震える。
王妃が嗚咽する。
私は続けた。
「ただし、民は救う。
あなたたちの罪で、民が飢えるのは嫌だから。
――悪徳令嬢だって、税収が落ちるのは困るのよ」
笑いが起きた。
今度は、もっとはっきりと。
人々はようやく“悪役の冗談”を冗談として受け取れる。恐怖が薄まった証拠だ。
私はリュカへ目配せした。
彼は頷き、記録板を掲げた。
「今日の記録は、焼かせない。
写しを十通作りなさい。兵の隊ごとに一通。避難民の代表に一通。敵軍にも一通。
噂は偏るけど、写しは偏らない。……偏らせないのがあなたの仕事よ」
リュカが震えながら、しかし強く頷いた。
王権の魔法で縛ろうとしていた臣下たちも、今は逃げるしかない。
逃げ道は作ってある。私は優しい。……贖罪中だからね。
リュカが、震える手で記録板を抱えた。
彼の目は、私を“女神”としてではなく、“証言の保護者”として見ていた。
「……あなたは……悪徳令嬢、では……なかった……」
私は肩をすくめた。
「さあ。どうかしら。
悪徳令嬢って、便利なのよ。相手が勝手に悪だと思うなら、私はその枠を使って逆にやり返せる」
リュカがぽかんとする。
私は続ける。
「でも、首を切られてまで演じる役じゃないわね。もう卒業」
空を見上げる。青い。
この世界の天国は、うるさくて、血なまぐさくて、でも――やり直しの余地がある。
> 《アナウンス》
> 帰還権を付与します。
> ただし選択できます:
> 1) 元の世界へ帰還
> 2) この世界に残留(再審理の結末を見届ける)
> 追記:あなたが帰ると、また誰かが編集します。残る方が、あなたは嫌がりますが合理的です。
「嫌がってない。……ちょっと嫌なだけ」
私は王と王妃を見下ろした。
二人は土に伏し、泣いている。
反省か、恐怖か、後悔か。全部だろう。
私は指先で、ぽっと灯火を灯した。
今度こそ、本当の灯火。
小さく、静かに。
「私は残るわ」
アナウンスに答えるというより、自分に言った。
ここで帰ったら、また誰かが“物語”を編集する。
私はもう、編集される側は嫌だ。
それに――
「私の名前を、私の手で取り戻す」
> 《アナウンス》
> 残留を承認しました。
> 以後、あなたの称号は更新されます。
称号?
視界の板に、新しい文字が浮かぶ。
【称号:贖罪の悪徳令嬢】
【称号:断頭台から来た生活魔法使い】
【称号:非殺傷の女神(暫定)】
「……最後、余計よ」
思わず突っ込んだら、遠くで点たちが「神託だ!」と泣き始めた。
もういい。好きにしなさい。
私は草原に立ったまま、そっと息を吐いた。
(天国って、もっと静かなところだと思ってたわ)
風が揺れ、草が波を打つ。
戦場の匂いが、少しだけ薄くなる。




