流れ星、落ちた
『小惑星探査機が地球へ帰還する』
話題のニュース。飽きるほどこのニュースを読んだけど、僕はまた同じニュースを開く。
画面の中心でくるくると回り続けるアイコン。
いつまで経っても更新されない画面。
僕はしびれを切らしてスマホを閉じた。なんだか今日はスマホの調子が悪い。授業はあと30分もあるというのに、これじゃ暇つぶしも出来ない。僕は深い溜息をついて窓から校庭を見下ろした。
他のクラスの奴らがサッカーをしていた。
———7番がシュートする。キーパーは飛ばない。揺れるネット。
体育のサッカーほど見ていてつまらないものはない。毎度同じ人がボールを蹴って、同じような展開になる。
「......」
体育のサッカーに限った話じゃない。17歳にして、僕の日常そのものがマンネリ化していた。
「......!」
一日が徐々に短くなり、一日の持つ意味が小さくなってゆく。時間は加速してもなお、潤沢に残されていた。
「宮崎っ!」
はっとして前を見ると、中年の教師が教卓からこちらを睨みつけていた。
「次の文を書き下ろし文に直してみろ」と教師が言う。
何も聞いていなかった生徒がそんなアバウトな指示に答えられるはずがない。時間の無駄だ。ほんの2,3秒の沈黙をまるで無限のように感じる。頼むから早く過ぎ去ってくれ。こんなイレギュラーは日常に求めていない。
「——121ページの3行目だよ」そう小声で教えてくれたのは隣の席の早川さんだった。
僕は急いで教科書を開き、問題の文に目をやった。けれど僕には、この漢文を書き下ろし文に直すことが出来なかった。
「わかりません」と言う僕。
最初から分からないと言っておけば、すぐに楽な日常に戻れたのに。
「はぁ」という溜息のあと教師は続ける。「宮崎、この授業が終わったら前に来なさい。はい次、早川、同じ文を書き下ろし文に...」
まったく勘弁してほしい。漢文の教師に授業中の態度を叱られたところで、僕は何も変わらないさ。
「はい」と答えた早川は、僕の解けなかった問題を息をするように簡単に解いてしまった。
彼女のバッグには参考書がたくさん入っていて、いつもはち切れそうになっている。机の角に揃えられた教科書、凛と伸びた背筋。
「——宮崎くん」早川さんが小声で言う。
視線を少し上げると、彼女がこちらを向いていた。
いつもおぼろげで、何処か遠くを見ている気がする早川さんの瞳。彼女の小ぶりな唇が言葉を紡ぐ。「期末テスト来週だよ、大丈夫なの」
僕はそっと目を逸らした。「今週末に勉強すれば大丈夫だよ」
「ふーん」素っ気ない返事だった。僕は口を開きかけたが、すぐにそれをやめた。
「おい、宮崎」前の席の山田が振り返りながら言う。「放課後、駅前のゲーセン行こうぜ」
「ごめん、今日はバイトなんだ」
「なんだよ、つまんねえな」山田は呆れた表情で前に向き直って、もうひとつ前の席の奴に耳打ちした。「...宮崎さんはバイトだから来れないんだとよ」
毒のある言い方だった。僕だってゲーセンに行きたい。けれど、バイトを飛んで店長に怒られるのは絶対に御免だ。
毎週決まった時間割で勉強して、決まった曜日にバイトをする。そういう変化の無い日常だと、余計な考え事をしなくていいから楽だ。
夕方。僕はホームルームが終わった途端そそくさと教室をあとにした。学校の束縛の次はバイトの束縛。少し急がないといけない。僕は階段を駆け下りて、自転車置き場に向かった。
楽しそうな笑い声を横目に、時計を見ながら走る。
自転車置き場にはまだ誰もいなかった。並んだ自転車が風に揺られてギシギシと音を立てる。僕は自転車のカギを外してサドルに跨り、リュックの中からイヤホンを取り出した。
イヤホンを耳に付けようとしたとき、微かに足音が聞こえて、そのあと、後ろから声がした。
「宮崎君、帰るの早いね」そう言ったのは、早川さんだった。
自分の自転車を押しながら僕に話しかけた早川さんの息は少し荒くて、髪はちょっぴり乱れている。
なぜだか、彼女の瞳と初めて目が合った気がした。
僕はネクタイの結び目をいじりながら答えた。「もうすぐバイトの時間なんだ」
「ふーん、」早川さんは少し俯いてから、また僕の目を見て続ける。「バイト、自分から始めたの?」
「うん、———どうして」
少し考えたあと彼女は静かに答えた。「———偉いなあと思って」
彼女の瞳には一点の曇りもなく、けれど、どこか悲しげで、僕にはそれがたまらなく居心地が悪かった。少しの静寂のあと、僕は答える。
「そんなんじゃないよ、———早川さんも帰るの早いね」
彼女は乱れた前髪を綺麗に整えた。「私、今日から駅前の進学塾に通うんだ。お父さんとお母さんが、どうしても行ってほいって」
「そっか」
「うん」
言いたいことは山ほどあるのに、上手く言葉にまとめられない。息が詰まるようだ。挙句僕は、バイトをかさにしてその場から逃げ出した。
「じゃあ、バイトあるから。またね」
「うん、また明日」
僕はペダルを蹴り抜いて、その場から立ち去った。学校から離れるほど足が重くなっていく。僕は後ろを振り返ることが出来なかった。
「すいません、遅刻しました」
「宮崎くぅん、2分遅刻だよぉ」店長はねっとりと言ったあと、誇張するように僕にシフト表を見せる「今日はさぁ、スタッフが少ない日なんだよ。一人いなくなっただけでお店には大迷惑なわけ。ここで働くからにはさぁ、あんまり俺の事、心配させないでねぇ。ただでさえ今日は電子機器の調子が悪くて、業務が滞ってるんだから」
店長は深いため息をついて、やれやれと首を振った。
「すいません、次から気を付けます」
深々と頭を下げてから、店のレジに向かう。
「おはようございます、交代します」
「宮崎君おはよー、よろしくねー」パートのおばさんは僕に軽く会釈をしたあと、荷物を持って早々と事務所へ向かった。彼女の仕事はこれで終わり。
今度は僕の番だ。と言っても、この客の少ないスーパーじゃ仕事の量もたかが知れている。
「いらっしゃいませ、お預かりします。ポイントカードはお持ちですか」
たまに来る客をいつも同じ定型文で捌いてゆく。感情なんてないし、やりがいなんてない。時間が過ぎ去るのを待つが、こういうときの時計の針は進むのが遅い。
———はぁ
浅いため息が何度も出る。繰り返し流れる店内放送の音は徐々に滲んでゆき、耳に入らなくなった。客を一人捌くたびに時計を見ては、また浅いため息をする。
早川さんの言った言葉だけが、頭の中で何度も流れた。
(偉いなあと思って)
彼女は勘違いしている。僕は偉くなんかない。
その時、店内の照明が僅かに揺らいだ。
店の自動ドアが開き、カラスが一斉に鳴く。
長い鳴き声だった。店内の隅々まで響き渡る鳴き声は少しずつ大きくなってゆく。いつしか聞こえる音がカラスの鳴き声だけになったとき、僕の額を一滴の汗が流れた。あたりを包み込む大きな鳴き声が一斉に止み、代わりにカラスたちが羽ばたく音が聞こえた。
外が嫌に騒がしい。店の前を行きかう人々が何かを大声で叫んでいる。僕は居ても立っても居られなくてレジを飛び出した。
外を走る人が言う。「落ちてくるぞ、早く逃げろ」
僕は店の扉をくぐり外に出て、そして空を見上げた。
空が赤紫に燃えていた。轟々と燃える火の玉が巨大な雲を切り裂いて、この街目掛けて飛んでくる。
町ゆく人は、空に釘付け。
とたん爆音が地上を襲い、大地が鼓動した。押し潰されるように体を丸める人々。建物は唸るように軋み、ガラスは悲鳴をあげるように振動した。
一瞬の音。けれど、その場にいる誰もが事の重大さを理解するにはそれで十分だった。
静寂。震える目で辺りを見渡す人々。僅かな間のあと、誰もが脱兎の如く走り出した。
立ち尽くす僕の肩を誰かが叩く。
振り返ると、汗をダラダラ流して息を荒げる店長が僕に叫んだ。
「なんだあれ、落ちてくる、早く逃げないと」
真っ白になる僕の頭。体中が脈打ち、呼吸が浅くなった。
「宮崎くん、おい、聞いてるのか」
悲鳴に包まれた街にサイレンの不協和音が鳴り響く。
僕と店長は音のする方に目をやった。
”『緊急警報放送。緊急警報放送。先程、巨大太陽フレアの影響で、地球に帰還中の小惑星探査機ツムギが、制御不能に陥りました。墜落地点は、海辺市中央。落下時刻は、今から10分後。被害地域は、市内全域と予想されます。直ちに、海辺市から避難してください。直ちに、海辺市から避難してください。繰り返します、緊急警......』”
「———10分。お終いだ」店長が膝から崩れ落ちて言う。「逃げようがない」
胸の奥が締め付けられて、唇が小刻みに震える。涙がこみ上げてきた。
———僕の人生はこれで終わりなのか。こんなに突然終わってしまうのか。僕はまだ何もしていない。潤沢な時間に胡坐をかいて、のうのうと過ごしてきた。逃げてばっかりの人生だった。
首の血管が浮き出るほど歯を噛み締めて、手が白くなるほど拳を握った。
———死にたくない。
鳴り響く警報音、耳をつんざく人々の悲鳴、むせび泣く店長。頭が酷く混乱した。本のページが風でめくれていくように負の感情が脳内を駆け巡った。
(偉いなあと思って)
停止する思考。騒々しい世界で、彼女の言葉だけが鮮明に僕の心に響いた。
———早川さん、変な勘違いしやがって。彼女の誤解を解かないと、死んでも死にきれない。どうせ死ぬなら、最期くらいこの世界に立ち向かってやる、真正面から。
僕はエプロンを脱ぎ捨てた。「店長、行ってきます」
「は、行くってどこに、もう逃げられないぞ」そう店長が言い終わる頃には、僕はもう駆け出していた。
タイムリミットは10分。目的地は市内中央。駅前の塾に早川さんがいる。
時間が足りない。足じゃ間に合わない。
僕は全力で走りながら周りを見渡した。
逃げ惑う人々で埋め尽くされた道。車が風を切り裂き駆け抜ける。倒れた自転車。僕はすぐに自転車を起こし、それに跨って走り出した。前方から絶え間なく迫る人の波。一人だけ逆行する僕。
指が折れるくらい鈴を鳴らし、人と人の間を駆け抜けた。
———右前のおじさんが転びそうだ。
———10m先に大きなリュックを背負って走る3人組。
———左の小道から人が雪崩れ込んできて、流れが滞ってる。
先読みは得意だ。周りをよく見れば、次に起こる事がわかる。僕はサッカーの試合でディフェンダーをかわすように、目の前の障害物を避けながら突き進んだ。
運動なんて体育の授業以外じゃ、もう長いことやっていない。すぐに上がる息。悲鳴を上げる太もも。それでも走る。止まらない。絶対に。
赤に変わりそうな信号。関係ない、突っ切れ。 交差点に進入した瞬間、横から飛び出してきた軽自動車が視界を埋め尽くした。
耳をつんざくブレーキ音。衝撃。世界が回転する。 コンクリートが左肩を強打し、肺から空気が弾き出された。
「ガッ……ハッ……」
アスファルトに這いつくばる。自転車の前輪は無残にひしゃげていた。 痛い。熱い。立てない。 視界が滲む。遠くで誰かの怒鳴り声が聞こえるが、水の中にいるようだ。 ガラスの粉々になった腕時計は、辛うじて針を動かしていた。あと5分。これで終わりか。やっぱり、僕はここまでなのか。
瞼の裏に、あの日の夕日が焼き付いた。
『宮崎くんは、強いね』
教室の窓際。逆光で彼女の顔が見えない。 僕はサッカー部の退部届をカバンに隠して、平気そうに笑ってみせた。
『サッカーより他にやりたいこと見つけたんだ』
『そっか。ちゃんと前を向いてて、偉いね』
違うんだ、早川さん。 僕は前なんて向いてなかった。ただ、負けるのが怖くて逃げただけなんだ。 君は、僕の「逃走」を「前進」だと勘違いしたまま、今日まで僕を見ていた。
「……ざけるな」
アスファルトを爪で引っかく。
「ふざけるな……!」
このまま死んだら、僕は永遠に”偽物のヒーロー”だ。 彼女の中で僕は”強い宮崎くん”のまま死に、彼女もまた死ぬ。 そんなの、死ぬより嫌だ。
僕は激痛の走る足に力を込め、無理やり上体を起こした。その時だ。前方から、聞き覚えのある排気音が近づいてきたのは。
青い原付。赤いヘルメット。偉そうに開いたガニ股。
———山田だ。
僕は一か八か、山田の乗る原付の前に立ちふさがった。
急ブレーキする原付。道路にくっきり残った黒いタイヤ痕。
「テメエ何してんだ宮崎! 死にてえのか!」 フルフェイスのヘルメット越しに、山田のこもった怒号が飛ぶ。原付のエンジン音が焦燥感を煽る。
「頼む山田、バイクを貸してくれ。駅に行かなきゃいけないんだ!」
「はあ!? バカか、自殺志願者かお前は!」 山田が再びアクセルを吹かした。
僕を振り切って逃げる気だ。 誰も彼を責められない。逃げるのが正解だ。死んでしまったら何も残らない。
『辞めんのかよ』
脳裏に、強烈な日差しが差した。
汗臭い部室。うなだれる僕を見下ろす泥だらけの山田の目。
『ここで逃げたら、お前一生負け犬だぞ』
『うるさいな』僕は彼から目を逸らして、部室を出て行った。
あの時、僕は山田の正論を聞くのが嫌で逃げ出した。でも、今は違う。僕は痛む足を踏ん張り、走り出しそうになる原付のハンドルを強引に掴んだ。
「離せよ!」
「もう逃げないって決めたんだ!」
僕の叫び声に、山田の動きが止まる。「……あ?」
「サッカーからも、早川さんからも、もう逃げたくない。頼む山田、僕にバイクを貸してくれ!」
燃える空の下、山田と僕の視線が交錯する。
一瞬の静寂。
ヘルメットの奥で、山田の目が大きく見開かれた気がした。
「……クソッ」 山田は舌打ちをして、ヘルメットを脱ぎ捨てた。「乗れよバカ! ロスタイムだ、飛ばすぞ!」
「おい宮崎、オーロラだ」
空一面に美しい光のカーテンが降ろされていた。赤紫色の空は次第に暗くなり、落下する火の玉は時を追うごとに大きく明るくなる。
小惑星探査機墜落まで、残り3分。
荒い山田の運転。今にも壊れそうな音を出す旧式の原付。骨まで伝わって来るエンジンの振動。
俺は山田の肩を鷲掴み、大声で叫んだ。「懐かしいな、この感じ!」
「懐かしくてたまるか、世界が終わりそうなんだぞ!」
必死にクラクションを鳴らしながら走る山田の顔は、なんだか嬉しそうだった。
想いっきりアクセルを吹かす。破裂音。荒ぶるマフラー。
僕を乗せた山田の原付は、勢いに乗って人の大波へ突っ込んだ。
車体が激しく左右に振れる。
「なあ宮崎、お前、早川のこと好きだったのかよ」
「好きとかじゃない」前から来る車が僕の頬をかすめる。
「じゃあなんで命がけで会いに行くんだよ」
「僕は......、」頬から流れる血を払い捨てた。「僕は、自分の心に嘘をつきたくない。嘘にまみれた殻を破り捨てたい。人に誤解されたまま死にたくない。早川さんに本当の僕を知ってほしいんだ!」
大きくなるエンジン音。
「じゃあ、急がねえとな」
原付はさらに加速した。
激しい爆発音。閃光。肌を焼く熱波。トラックが店に突っ込んだ。
怒号、悲鳴、雄叫び、絶叫。小惑星探査機は轟音とともにそこまで迫る。
バイクが大きな坂道に差し掛かった刹那、僕の瞳は進学塾のビルを捉えた。
燃え上がる火の玉に照らされてビルの窓ガラスが赤く染まり、混乱した街の中で際立つ。
僕の五感全てが、そのビルに釘付けになった。
「屋上に誰かいる、———早川さんだ!」
「逃げてないとか、早川はバカなのか」
小惑星探査機の墜落地点、駅前の長い坂道。もはや、そこには僕と山田しかいなかった。
風を切り裂くように全速力で坂を下り、ビルの前で止まる原付。
「ありがとう、山田」
「気にすんな、お前の男気に惚れて俺が勝手に付いて来たんだよ」
僕は原付から飛び降り、駆け出した。
「宮崎!」山田が後ろから叫ぶ。「今のお前、最高にカッケえよ」
僕は振り返らず、手を振って答えた。
小惑星探査機墜落まで、残り2分。
エレベータが止まっていて使えない。僕は階段を一段飛ばしで駆け上がった。全身の傷が痛む。車に轢かれたとき骨が何本か折れたみたいだ。けど、そんなの関係ない。止まっている時間なんてない。
僕は汗と血を散らしながら早川さんのもとに駆けた。
疲れ果てた僕の前に現れた屋上の扉。僕は全身で体当たりして、扉を破った。
扉が開いた瞬間、爆音と熱波が僕を襲う。もう小惑星探査機に手が触れそうだ。
おぼろげな瞳。今にも崩れてしまいそうな儚い表情。街が吹き飛びそうだというのに、早川さんはたった一人、フェンスを掴んで空を見上げていた。
小惑星探査機墜落まで、残り1分。
僕は力強く床を踏みつけて叫んだ。「早川さん!」
彼女の瞳が大きく開く。風に吹かれる長い髪を押さえながら言った。「宮崎君、ここでなにしてるの」
「君の方こそ、」僕は言いかけて止めた。「僕は君に本当のことを言いに来たんだ」
「本当のこと?」
胸の鼓動が早まり、体中が脈打つ。深呼吸。拳を握りしめ、胸に打ち付けた。
「僕は偉くなんてない、強くなんてない」僕は目を見開いた。「時間と夢は余るほどあるのに、一歩目を踏み出す気力が僕にはない。自分の若さと死までの長い道のりに慢心して、毎日を無駄にする。理想からは遠ざかるばかり。早川さんみたいな努力家に羨ましがられるような人間じゃないんだ。僕は空虚なんだ!」
荒い呼吸をする僕。僕のことを見る早川さんの瞳。彼女は首を横に振った。
「宮崎君は十分凄いよ。私は努力家なんかじゃない。私はずっと親の言う通りに生きてきた。自分の意思で決めたことなんて一つもない。両親を失望させないために勉強を頑張っていた。両親に怒られないように身だしなみに気を使ってきた。敷かれたレールの上を流れていくだけだった。私は、私一人じゃ何もできない。今だって、ここから逃げられなかった。空虚なの、私って」
僕は宙を斬るように腕を振って叫んだ。「早川さんは空虚なんかじゃない。理由なんてどうだって良い。勉強が出来るのも、いつも綺麗なのも、抜け目がないのも、全部君の努力の成果だ。早川さんは凄い」
「宮崎君だって空虚なんかじゃない。いつも自分で考えて自分で行動してる。今日だって、ここまで来てくれた。私、一人ぼっちで寂しかった。宮崎君が来てくれて本当に良かった。ありがとう」
残された時間はもうない。
僕たちは歩みより、2人で空を見上げた。大きなオーロラと炎に包まれた小惑星探査機。
「好きです、早川さん」気が付いたら、そう言っていた。
僕の手を強く握りしめて早川さんが言う。「私も、好きです、宮崎君のことが」
それは奇跡だった。オーロラが夜空を覆い尽くし、まばゆい光を放ったとたん、小惑星探査機は吹き飛ばされたように軌道を変え、海辺市の東の海に墜落した。
「はい次、宮崎。この文を書き下ろし文にしてみろ」
意味不明な漢字の羅列。僕は教科書を閉じた。「わかりません」
先生が僕を睨みつけながら言う。「宮崎、サッカー部に復帰してる場合じゃないぞ。あとで前に来なさい」
振り返った山田の嬉しそうな顔。「シシシ、バカだなお前」
「うるさいハゲ」僕は山田の頭を叩いた。「ねえ早川さん、放課後、図書室で漢文教えてよ」
僕を見てにっこり答える早川さん。「うん、良いよ」
「え、なに、勉強会?俺も行って良い?」
そういえばコイツ、いつも余計なところで首を突っ込んでくるんだった。
「は、なんでお前が......」
「もちろん!山田君も一緒に勉強しよ」
衝撃。本当ですか早川さん。
「やったぜ!3人で勉強会だな」
「こらっ後ろのサッカー部2人、うるさい!2回も巨大な太陽フレアが地球に衝突して、世界中大混乱なんだ。少しは大人になりなさい。2人ともあとで職員室!」
僕と山田を見て、早川さんは凄く笑っていた。
僕に残された時間は無限じゃない。だけど、一歩目を踏み出す気力なら、ここにある。




