30. 愛されている
(すごい視線を感じるわ)
殿下と一緒に王宮の本宮へと足を踏み入れたら、妙に周囲からのチクチクした視線を感じる。
チラッと横目で殿下の顔を見上げてみるけれど、全然気にしている様子がない。
(レジナルド様は王子だもの、人から見られるのが当然の方。慣れているんだわ……)
……私はこの人の隣に立とうとしているのだと改めて強く感じる。
ジュリエッタにはあんな風に言ったけれど、実は私の方こそ頑張らないといけない。
まずはこんなチクチクした視線の一つや二つ……早く慣れなくては、と思う。
「ははは、皆、リネットの可愛さに見惚れているなぁ」
「……は、い?」
私がこれからの決意を固めている横からそんな呑気な声が聞こえて来た。
ビックリして間抜けな返事になってしまった。
じっとこちらを見た殿下がギュッと私の手を強く握る。
「これから、リネットは社交界にも顔を出すことになるだろう?」
「そ、そうですね」
そう思うとこれまでとは全然違う生活が待っている……
「リネットのあまりの可愛さによこしまな想いを抱く男が現れるかもしれない……僕もうかうかしていられないなと思ってさ」
「レジナルド様……」
そこまで私のことを想ってくれている言葉に胸がキュンとなる。
(あなた以上に素敵な人なんていないのに……)
「リネットのセルウィン伯爵位の継承が済んだら次は婚約発表……ちょっとこれから慌ただしくなるけど大丈夫?」
「大丈夫です!」
私が胸をどんと叩いて元気に答えると殿下が嬉しそうに微笑んだ。
「そういえば……今だから言えることなんだけどさ」
「どうしました?」
「メイウェザー子爵家の人たちや他の人たちも勘違いしていたけど」
(勘違い?)
何の話かしらと首を傾げた。
すると殿下は少しバツの悪そうな顔になった。
「世間ではお世話係というのは実質、僕の花嫁候補って言われていたらしいね?」
「あ……そうですね」
コクリと頷く。
だからこそ、メイウェザー子爵家の面々も王子妃だと騒いでいたし、試験にもあれだけの数の令嬢たちが殺到していた。
殿下はうーんと苦笑しながら頬を掻く。
「でも、僕自身はそんなつもりじゃなかったんだよ」
「え?」
「そもそも、クリフや周りが煩いから世話係の募集も仕方なく頷いただけで、万が一誰かを採用するにしても、花嫁? そんな気にはならないだろう……そう思っていたんだ」
「……」
「でも───君が……リネットが強烈すぎた」
殿下は私の顔をじっと見つめて、あの目が見えない中で過ごした日々を思い出したのか懐かしそうに笑う。
「リネット自身はそんなことないと言うかもしれないけど、君はとても魅力的な人だ。こうして僕の気持ちをマルっと変えてしまったんだから」
「……っ」
「僕もリネットに愛想を尽かされないように頑張るよ」
「レジナルド様……」
私のことを買いかぶりすぎだと思ったけれど、そう言ってもらえるのは嬉しくて……そしてちょっと胸が擽ったかった。
────
お父様の遺した伯爵位を継承することになった私は、さすがにもう使用人としては働けない。
諸々の手続きを終えたあとは、離宮の使用人たちへの説明が待っていた。
文句を言われるのでは?
なんてビクビクしていたけれど、いざ話してみると驚くくらいあっさり納得された。
「殿下の手術を境に雰囲気が変わった気がして変だなと思っていました」
「リネットさんが、ずっと誰かに似ているような気がしていたのはこういうことだったんですね?」
中には薄々感じていた人もいた様子。
また、殿下が私をジュリエッタから保護してくれた時に代わりに侍女のフリをしてくれた護衛騎士の女性二人も──……
「以前、“ジュリエッタ様”の護衛した時と違和感がありました」
「もしかしてリネット様って? とは思ったんですけど、確証が無かったため殿下には言えず……」
などとこちらも薄々気付いていたことを明かしてくれた。
そして最後に皆が口を揃えて笑顔で言ってくれたのが、
───レジナルド殿下が、三ヶ月間自分のために尽くしてくれた令嬢を間違えるような間抜けな方でなくて良かったです!
という言葉だった。
「間抜けって……」
「ふふふ」
殿下は複雑そうな顔をしていたけど私は可笑しくてクスクスと笑ってしまった。
そうして、あちこち歩き回って疲れたので一旦、休もうと殿下の部屋でひと息つくことにした。
「──皆さんの話を聞いて思いました。どんなに顔が似ていても、やっぱり分かってしまうものなんですね」
「そういうものだよ。僕だって手術前はあんなに“ジュリエッタ”に心ときめいていたのに、手術後に顔を合わせた時から言葉に出来ない違和感があったから」
「そうだったんですね……」
身代わり計画は本当に無謀な計画だったのだな、と改めて思わされた。
「君たちは確かに顔は似ているけど……あっちのジュリエッタを見ても、僕の胸はこんな風にドキドキはしない」
「え? あ……」
殿下はそう言うなり私の手を取って自分の胸の前に当てさせた。
(ドクンドクンと心臓の音がかなり早いわ)
「レジナルド様……」
「鼓動が早いだろう? リネットといるとすぐにこうなる」
そのままギュッと抱きしめられた。
そしてゆっくり殿下の顔が近付いて来たので、私はそっと目を瞑る。
程なくして降ってきた甘い甘いキスに私は幸せを感じた。
「んっ……」
チュッチュッと唇以外の所にもたくさんの優しいキスが降って来る。
「レ! レ、レジナルド……さま、って……」
「うん?」
私はキスの合間にずっと気になっていたことを訊ねてみた。
「キ、キスが……お好きなんです、か?」
「……ええ?」
キス攻撃していた殿下の動きがピタッと止まる。
目をまん丸にして私を見ていた。
「す、隙あらば……こうチュッとされているよう、な気が……します」
「……」
「わ、私はこういうことが初めて……なのでよく分かりません、が」
私にとっては貴族令嬢の世界も分からないことだらけだけど、正直、男女のこともよく分からない。
果たしてこれは普通なの?
「いや、僕も初めてだけど──……?」
「えええ! 初めて!?」
こんなに手慣れているのに!?
頬を軽く染めて照れくさそうに話す殿下に驚いた。
「リネットにはたくさん触れて僕の愛を知って感じてもらいたい──そう思うんだ」
「レジナルド様……」
(これが殿下……レジナルド様の愛……)
胸がトクントクンと高鳴る。
そうして少し呆けているとハッと我に返った殿下が慌てて言った。
「あ! でも、リネットが嫌なら自重する」
「嫌? まさか! そんなことは絶対にありません!」
「……リネット」
そんなことはない! 反射的に力強く即答すると殿下は破顔した。
そして再び私の唇が塞がれる。
「ん……」
今は休憩のはずだったのに、ずっと愛され続けたので心はドキドキしたまま休まることはなかった。
「あの……そういえば、私。トリストン伯爵家に手紙を書こうと思うのですけど」
「手紙?」
殿下にギュッと抱きしめられた体勢のまま、私がそう言うと少し驚いた顔をされた。
「まだ早いですか? 出来ればきちんと私の字と言葉で手紙を送りたいのですけど」
そっと殿下が優しく頭を撫でてくれる。
「大丈夫だ。今回の件、かなり心を痛めていたから喜ぶと思う」
その言葉にホッと安心した。
「トリストン伯爵家は私の祖父にあたる方が当主のままなのですか?」
「いや、少し前にリネットにとっての叔父にあたる息子に代替わりしている。リネットのお母さんや子爵夫人とは年が離れていたらしい」
へぇ……と話を聞きながら頷く。
お母様から弟の話を全然聞かなかったのは、歳が離れていたからなのかもしれない。
ということは熱心に私への援助を送り続けてくれていたのは祖父なのだろう。
(あれ? でもそういえば……)
そこでふと思い出す。
お母様はメイウェザー子爵家から届いたものはすぐに処分していたようだけど……
今思えば実家からだったと思われるものはちゃんと受け取っていた。
──もう、お父様ったら! いつもいつも心配って……心配性なんだから!
お母様は送られてきた荷物を見ながらそんな小言を言っていたような……?
(いつも心配───あれはどういう意味だったのかしら?)
「前当主は娘たちの仲が悪いことは知っていたけど、まさかここまで酷かったとは……と頭を抱えて嘆いていたよ」
「……仲が悪いのどを超えている気もします」
叔母が昔、お父様に振られたとかいう話をふと思い出した。
(それで、邪魔なお母様を消してお父様を狙おうとした、とか?)
「……」
いくら何でもさすがにそれは考えすぎよね! 叔母だってもうとっくに叔父と結婚していたわけだし。
慌ててその考えを打ち消した。
殿下とお父様とお母様の亡くなった時の話をして調査すると言われたからか、ついつい変なことを考えてしまう。
(昔、こっそり調べて……でも結局分からなくて断念した)
今はとにかく殿下を信じて委ねよう。
───こうして、私……リネットの新たな貴族令嬢としての生活が始まった。
爵位継承の諸々の手続きや、貴族令嬢としての再教育などに私が追われる中、牢屋の中で事情聴取が行われていた三人の精神状態が危険(特にジュリエッタ)ということもあり、そろそろ裁判を……という話が持ち上がった。
(結局、お母様の死の真相は今も分からずじまい)
そんなある日、手紙を出していたお母様の実家のトリストン伯爵家からの返事が届いた。
手紙の内容は、すっかり騙されて気付いてやれず申し訳なかった、という私への謝罪や叔母にはしっかり罪を償わせたい、とかそう言った内容だったけれど……
(ん?)
読んでいて少し気になる一文があったので私は殿下の元にこの手紙を持っていくことにした。