25. 本当の私で
───……
「……んん」
朝の光で目が覚めた。
起きなくちゃ……そう思ったけれど上手く身体が動いてくれない。
なんでだろう?
そう思ったところに、自分の身体にがっしり巻きついている腕に気が付いた。
(───あ!)
そうだった。
昨夜は結局、私たちは同じベッドで寝ることになったんだった。
そのことを思い出して一気に顔が赤くなる。
あれから結局殿下は、私の部屋に泊まることは納得してくれた。
けれど、次に勃発したのはどっちがベッドで寝るのか問題だった。
殿下は私をソファになんて寝かせられないと譲らず、一方の私だって王子様をソファになんて寝かせるわけにはいかない。
そんな激しい攻防の末……
「それならもうベッドで一緒に寝ちゃえばいいじゃない!」
という私の一声で一応の決着はついた。
もちろん、気持ちは通わせてもまだ婚約未満な関係の私たち。
なので、キス以上のことはしないという約束で。
そうしたら、殿下は頭を抱えてずっと生殺しだ……とブツブツ呟いていた。
(この温もりがあたたかい……)
まるで子供の頃に戻ったみたい……
だから、子供の頃の夢を見たのね、と納得した。
お母様の話していた私と気が合いそうでお友達になれるかもしれなかった男の子───……
(ん?)
「待って? ……私と歳が近くてお母様の弾くピアノが好きで? ……外国語も好きな男の子?」
気のせいかしら?
なんだかすごーくすごーく当てはまる人がとっても近くにいる気がする。
「それって……まさか」
身体はがっちり抱き込まれてしまっているため、私はどうにか顔だけをまだスヤスヤ寝息を立てている殿下の方に向ける。
「もしかして……レジナルド様のことだった?」
王子様相手にお友達になれるかも!
そんな恐れ多いことをのほほんとした顔で言っていたお母様に驚きつつも私はふふっと微笑む。
(会えないと思っていたのに───出会えていたのね……?)
そして、心の中でお母様に伝える。
───お母様! その彼はお友達よりもっともっと私にとって大切な人になりました!
だから、お父様と見守っていてね?
子爵家とはきっぱり決別して私は私の幸せを必ず手に入れてみせるから。
私はそう強く誓った。
「……ん、リネット……?」
ゴソゴソ動いてしまったせいでどうやら殿下も目が覚めてしまったらしい。
でも、何だかぼんやりしている。
「……」
「レジナルド様?」
身体を抱き込んでいた腕が緩んだので、私は顔だけじゃなく、くるりと身体ごと向きを変えて殿下の顔を覗き込む。
すると、目が合った殿下はへにゃっとした顔で笑った。
「かっ!」
「……リネットがいる……可愛い」
「え!」
「ははは…………これは夢だろうか? なんていい夢なんだ……」
そう言って寝ぼけているのにギューーーッと正面から私を抱きしめてくる殿下。
その顔は嬉しそうにへにゃっとしたまま。
「~~っっ!」
(か、可愛いのはあなたです! レジナルド様っっっ!)
私は慌てて自分の鼻を押さえる。
寝ぼけてへにゃっとしたレジナルド様があまりにも可愛すぎて鼻血が出るかと思った。
そうして、そのまましばらく寝ぼけた殿下と戯れていたら───
「えっ!? ──リ、リネット!?」
突然、覚醒したように目をパチッと開け、ガバッと殿下が勢いよく起き上がる。
そして私の顔を見つめながら動揺した。
殿下は寝起きに弱いのかしばらく寝ぼけていたけれど、ここでようやく覚醒したと分かった。
「リネッ……え? 戯れ……ゆ、夢、じゃなかっ、た……?」
オロオロする殿下のそんな仕草も可愛くて思わずクスッと笑ってしまう。
「えっと……改めまして。おはようございます、レジナルド様」
「お、おはよう……リネット……さん」
(リネットさん?)
殿下は一気に耳まで真っ赤になって恥ずかしかったのか自分の顔を両手で覆ってしまった。
そして、あ~とかう~とか唸っている。
「寝ぼけていた気がする……」
「そうですね、可愛かったですよ?」
「~~っ」
うわぁぁと恥ずかしそうに顔を隠す殿下。
どうしてそこまで恥ずかしがるのかしら?
そう不思議に思っていたら、そっと両手を顔から離した殿下が私を抱き寄せる。
そして、耳元でこう囁いた。
「だって───リネットの前ではいつだって、かっこいいレジナルドでいたいんだ」
「レジナルド様……」
あなたのそういう所が可愛いのよ、と思ったけれど口には出さずに胸にしまっておいた。
────
「……それじゃ、リネット」
「はい」
「また、呼びに来る。メイウェザー子爵夫妻がここに来るのは午後になると思う」
「分かりました」
私は大きく頷く。
殿下はこれから早馬でメイウェザー子爵家に至急登城せよと連絡を送らないといけない。
ジュリエッタは牢屋で一晩どう過ごしたかは分からないけれど、夫妻が来るまではそのまま放置するとのこと。
そして───私も私であの二人を出迎える準備をしないといけない。
起床してから午前中の時間はそうやって、バタバタしながら過ごした。
(───さて、そろそろ時間かしら?)
髪を整えて仕事着ではなくドレスに着替える。
その他の準備を終えて子爵夫妻の到着を待っていたら部屋の扉がノックされた。
「……リネット。メイウェザー子爵夫妻が到着した」
殿下の声だった。
私は大きく深呼吸する。
(───来たわね?)
「今、行きます」
部屋の扉を開けると扉前にいた殿下と私の目が合う。
殿下は現れた私の姿を見てハッと息を呑んだ。
「え? ……リネット! その髪!」
「……」
私は静かに微笑んでから一礼する。
そして顔を上げてしっかり殿下の目を見つめた。
「午前中の間に元の色に戻しました。これがあなたと三ヶ月間過ごした時の私の姿です、レジナルド様」
もう、子爵夫妻やジュリエッタの言うことを聞く必要なんてない。
髪の色は元に戻したし、あの表情が分からなくなる眼鏡も不要。
言葉だって自分の声できちんと喋る。
(ジュリエッタの身代わりなんかじゃない───これが本当の私、リネットよ!)
「……美しい銀色だ」
眩しそうに目を細めた殿下は私の髪をひと房手に取るとそっと口付けた。
「あ、ありがとうございます」
恥ずかしいけれど純粋に褒められたことが嬉しい。
そして殿下はどこか懐かしそうな目をした。
「そういえば、記憶の中の夫人もこんな綺麗な髪だった気がする……」
「──そうなんです! この髪はお母様に似た自慢の髪なのです!!」
「そうか」
私が笑顔ではしゃいだら殿下は優しく微笑み返してくれた。
────
「───とりあえず、先に僕だけが中に入って彼らと話すよ」
「では、私は途中から入ればよろしいのでしょうか?」
廊下を歩きながら殿下と打ち合わせを行う。
「うん。最初は一緒に入ってそのまま話そうかと思っていたけど、今のそのリネットの姿を見たらさ、途中で入った方が多分彼らには効果的だと思うんだ」
「この姿が効果的?」
殿下はにっこりと笑ってその先は教えてくれなかった。
しかし、その意味はすぐに分かることに────……
「合図を出すまでここで待機して話を聞いていてくれ」
「分かりました!」
殿下の指示を受けて隣の部屋に入る。
ガラスが張ってあるこの部屋は向こうからは見えない。
けれど、こちらのガラスからは向こうの様子が見える造りになっている。
私はすでに揃っているというメイウェザー子爵家の三人の様子を見ようと覗き込んで目を丸くした。
(え……あれ、ジュリエッタ!?)
恐怖で一睡も出来なかったのか、一晩牢屋で過ごしたジュリエッタはこれまで見たこともないほどのボロボロな顔でその場にいた。
想像以上に酷い顔をしているので、かなり牢屋は怖かったのだろう。
そんな尋常ではない娘の様子にメイウェザー子爵夫妻も大きく戸惑っている。
(なるほど……効果的というのはこういうことね?)
こんなボロボロな状態のジュリエッタと今の私。
確かにこれなら私は時間を置いて後から登場する方が大きなダメージを彼らに与えられそう。
(それにしても、すでに子爵夫妻は二人とも顔が真っ青……)
そんな三人の待つ部屋へ殿下が入っていく。
私は自分の出番までは固唾を呑んでその様子を見守ることにした。
「本日は急な呼び出しにも関わらず応じてくれてすまない。メイウェザー子爵、夫人」
「……ど、どうも……」
(どうもって……)
まだ挨拶だけで何も始まっていないのにまともな受け答えが出来ないくらいすでに夫妻は殿下のオーラに圧倒されていた。
「ジュリエッタ嬢も──昨夜はよく眠れただろうか?」
夫妻には何も言わず、さっそく殿下はわざと良い笑顔で真正面からジュリエッタに喧嘩を売りにいく。
案の定、ジュリエッタはカチンッと来たようで殿下を睨みつけた。
「殿下には、こ、これがよく眠れた人間の顔に……見える、のですか!?」
「うん? それはどういう意味かな?」
「っっ! わ、私は昨夜は……あ、あんな所で過ごして……こんなボロボロになったんですっ!」
ジュリエッタが顔を引き攣らせて震えながら訴えると殿下は鼻で笑った。
「ボロボロ? 僕にはいつもと大して変わらないように見えるが?」
「なっ!」
「そもそも自業自得だろう?」
ぐっ……と声を詰まらせたジュリエッタは悔しそうに唇をギリギリと噛む。
そんな娘と王子のやり取りに夫妻はますます青ざめてハラハラしている。
(火花がバッチバチだものねぇ)
最初は殿下に呼び出されて、ついにジュリエッタとの結婚の話か! と二人はウキウキしていたと言う。
しかし、ウキウキで登城したものの離宮に案内されこの部屋に入り、ボロボロになったジュリエッタを見て彼らは悟った。
これは結婚の話なんかではない、と。
そして今、ジュリエッタが冷たくあしらわれた姿を見て夫妻の顔は絶望していた。
「レジナルド殿下……今日、私たちを呼び出したのは……ジュリエッタ……」
「そうだな。どこから話そうか」
殿下は二人に向かってニコッと笑顔で答える。
でも、その目の奥は全く笑っていない。
「ど、どこから……とはどういうことですの? ホホ……ホ」
笑って誤魔化そうとする夫人に向かって殿下は笑みを消す。
そして背筋が凍りそうなほど冷たい声で言い放った。
「もちろん、僕の世話係に君たちの娘のジュリエッタ嬢ではなく、姪のリネット・セルウィン伯爵令嬢を身代わりにさせていた件だ」