23. 君じゃない
「へぇ、悪女……」
「そうです! 聡明な殿下なら分かってくださいますわよね!?」
「……」
ジュリエッタが再び殿下に擦り寄ろうとした。
殿下はまたもやそれを振り払うとジュリエッタに向かって冷たく言い放つ。
「きゃっ……!」
「───君はどこまで阿呆なんだ?」
ピシッ
殿下の言葉にジュリエッタの顔が凍り付いた。
「……あ、阿呆? わ、私が?」
「阿呆というか愚かというか……」
「お、愚か……!?」
ジュリエッタが大きく動揺している。
あの両親にずっと可愛がられて育って来たジュリエッタにとっては、阿呆も愚かもきっと言われたことのない言葉なのだろうと思った。
そんなジュリエッタを冷たい目で見つめたまま殿下は深いため息を吐いた。
「どうしてそう言われるのかすらも分からないのか……」
「なっ!」
カッとジュリエッタの顔が赤くなる。
泣き落としが聞かず、さらには侮辱の言葉を並べられてとにかく悔しそうに歯を食いしばっている。
「どうしてですか!」
「……」
「私が本物のジュリエッタ・メイウェザーで、そこのリネットは私の名前を騙っていたんですよ!?」
「……それがなんだ?」
「こういう場合、リネットの方が嘘をついて殿下を騙していたと思うのが普通のはずですわ! なのに! どうして私が阿呆で愚かなんですか!」
ジュリエッタは身体を震わせながら必死にそう訴える。
けれど、何をどう訴えても殿下のジュリエッタを見る冷たい目は変わらない。
「本当に分かっていないな?」
「……?」
「僕にとっては名乗った名前や僕のそばにやって来た経緯なんかよりも、三ヶ月間僕に寄り添ってくれていた人……それが全てなんだ」
「え……?」
ポカンッとした顔をするジュリエッタ。
そんなジュリエッタに殿下は問い詰める。
「今、君は認めたな? 三ヶ月間、僕のそばに居たのは自分ではない、と」
「……は!」
ジュリエッタがハッとして慌てて自分の口を押さえる。
でも、もう遅い。
「いいか? もう一度言う。僕が求めているのは、ジュリエッタ・メイウェザーではない。三ヶ月間僕に尽くしてくれて、たくさん励まして寄り添ってくれた人だ!」
「……っ!」
「リネットは目の見えない僕を気遣いながらも無理強いすることなく寄り添ってくれていた!」
ジュリエッタがジロリと私のことを睨みつけてくる。
「待ってください! そんなことはリネットでなくても……」
「いいや、リネットだったから。そばにいてくれたのがリネットだったから僕は目の手術を受けようと思った」
「な~~っ」
「僕にそんな気持ちを抱かせてくれたのはリネットだ───君じゃない!」
その声と共に殿下の私を抱く腕にグッと力が入る。
「有り得ない話だが……たとえ、リネットが無理やり君から“お世話係”の座を奪っていたのだとしても僕の気持ちは変わらない。僕はリネットを選ぶ!!」
「嘘っ……そ、そんな……!」
ジュリエッタが今度は顔を青くしてガタガタ震えている。
そんなジュリエッタを冷たい目で見ながら殿下は表情だけはにっこりと笑顔を浮かべる。
目の奥は全く笑っていない。
(く、黒い笑顔……!)
「でも、まぁ君やメイウェザー子爵家に感謝の気持ちが無いわけじゃない」
「……え?」
「あんな誰が聞いても大嘘だと分かりそうな盛ったプロフィールを書いて寄越して“ジュリエッタ・メイウェザー子爵令嬢”に興味を抱かせてくれたからね」
「───ぐっ!」
殿下にあの盛り盛りプロフィールを指摘されてジュリエッタは悔しそうに唇を噛んだ。
「あれはインパクトという意味では大成功だったと思うよ?」
「あ、あれは私じゃないわ……! お、お母様が……そう書きましょうって。そうすれば絶対に目に止まるからって」
「へぇ……なるほど。つまり、夫人は随分とリネットのことを深く理解していた……というわけか」
「え?」
(……ん? 理解?)
ジュリエッタが首を傾げるのと同時に私も今のはどういう意味かしら? と思った。
思わず殿下の顔を見つめてしまう。
「何だ、分かっていなかったのか。だってあれは、ほぼリネットのことを書いたプロフィールだろう?」
「「え!」」
私とジュリエッタの驚いた声が綺麗に重なる。
その声を聞いた殿下がジュリエッタから私へと視線を変えると顔をしかめた。
「……なんでリネットまで驚いているんだ?」
「だって……」
私は頭の中であの盛り盛りプロフィールを思い出した。
確か……
読書にダンス、野菜や花を育てる園芸、歌に楽器演奏、裁縫から刺繍、勉強が好きで語学も完璧。近隣の国の言葉なら読み書きばっちり、なんなら古代語も得意……
それからそれから……
私が盛り盛りプロフィールに書かれていた内容を羅列すると殿下はうんうんと頷いた。
「ほら、どう聞いてもほぼリネットのことまんまじゃないか」
「ど、どこがですか?」
レジナルド様にはいったい私が何に見えているというの!?
実はまだ視力がどこかおかしいままなのでは……?
本気で心配になる。
「私はダンスなんて子供の頃に習って以来ですよ?」
「うーん、でも伯爵夫人は私の子はダンスも上手いのとよく言っていたよ?」
「え!?」
(お母様……!?)
なんてことを話しているのかと思った。
「まあ、何年も踊ってなかったかもしれないけど、多分、リネットのことだから少し稽古をつければすぐに思いだすんじゃないかな?」
「さ……裁縫や刺繍も特別上手いわけでは……」
いつだったか、叔母に無理やり刺繍をしろと道具だけ渡されて何とか仕上げた。
けれど、ジュリエッタに、どこから見てもゴミね、捨てておいてあげるわ! って奪われて即捨てられたような……
「全く不器用で出来ない人もいる。ちなみに、僕の調べたところによると、そこにいるジュリエッタは君の作った作品を自分が作った物と偽って人に見せて自慢していたそうだが?」
「……はい? 自慢?」
初耳だった。
あれらはゴミにしたのではなかったの?
驚いてジュリエッタを見ると、否定はせずに悔しそうにギリギリ唇を噛んでいる。
「勉強や語学に関しては言うまでもないだろう?」
「……」
「あのプロフィールを用意したのが、子爵夫人だと言うならジュリエッタ・メイウェザーに出来ないことは全部リネットに影でやらせるつもりだったのだろうな」
殿下はやれやれと肩を竦める。
「まぁ、そこのジュリエッタには出来ないことの方が圧倒的に多そうだが」
殿下はそこまで言うと優しく私を抱きしめる。
そして、コツンと額同士を合わせた。
「……このままリネットがずっとメイウェザー子爵家に都合よく使われるようなことにならなくて良かった。僕はそう思っている」
「レジナルド様……」
その言葉を聞いてこの方は欠片も私のことを疑うことをしないのだなと思った。
そのことがたまらなく嬉しい。
でも……
(こうしてジュリエッタのことを延々と責めているけれど、私だって本当は殿下を謀ったうちの一人、なのよね)
嘘をついた───それは事実だ。
「リネットは、自身を“ジュリエッタ”と名乗ったことを心配しているかもしれないが」
「!」
「君がメイウェザー子爵家でどんな扱いを受けて来たかはすでに調べがついている。だから心配しなくても構わない。リネットは被害者だ」
「……!」
レジナルド様はどこまでも私を守ろうとしてくれている。
そして、そんな彼の姿がますますジュリエッタの心を抉ったようで、ジュリエッタはもはや、怒りなのか悔しさなのか分からないぐちゃぐちゃの顔で私のことを睨みつけた。
「──なんで、なんで! リネットなんかに……私がっ……この私が!」
「……」
「私は子爵家の令嬢よ! リネットなんて昔は伯爵令嬢でも今は……今はただの落ちぶれた平民じゃないの!」
ピクッ
ジュリエッタのその言葉に私の肩がギクッと跳ねる。
「────そうよ! そんなリネットに王子の妃なんて無理よね? なれるわけがない! せいぜい愛人がいい所だわ!」
ジュリエッタは私を見ながら、ざまぁみろと言わんばかりに勝ち誇ったように笑った。