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19. 夢じゃない

　初めて触れたキスはすぐに離れてしまった。

　私も言葉を発せず殿下も言葉を発しない無言の時間が流れた。

　とりあえず……

（て、展開が早すぎるーー！）

　何が起きたの!? と私の脳内が大パニックを起こしている。

　私、リネットが目の見えない殿下と過ごしていた“ジュリエッタ”だったと知られて、愛の告白に加えてプロポーズのようなことを言われたと思ったら……

　それで、それで……顔が近付いてきて唇にチュッて触れて───……

　ここまでの流れを振り返ってみたら、ボンッと音が出そうなくらい私の顔が赤くなる。

　頬も熱い。

「……リネット？」

「～～っっ」

　殿下がおそるおそる私の名前を呼びながら顔を覗き込んだ。

　その距離の近さと甘い声に頭がクラクラしてくる。

（は、恥ずかしい！）

　そんな戸惑う私の様子を見ていた殿下がハッとした。

　青ざめた顔で私に言う。

「あっ……えっと……もしかして、い、急ぎ過ぎた、か？嫌だった？」

「ち！違っ……います！そんなことはありません!!」

　私の反応が変な誤解を与えそうだったので全力で首を横に振って否定する。

　嫌じゃない、嫌なんかじゃない。

　むしろ───……

　キュンとときめく胸をグッと服の上から押さえる。

「……も、」

「も？」

　私の言いかけた言葉に殿下が首を傾げた。

　私も顔を上げて真っ赤な顔のまま殿下の目を見つめる。

（そうよ───大事なことは、ちゃんと口で伝えなくちゃ……！）

「も……もっと、したいです。レ、レジナルド……さま！」

「……え？」

　殿下が驚きの表情を浮かべて目をパチパチと何回も瞬きする。

「も、もっと？」

「……はい」

「チュー……を？」

「…………はい」

　私が照れながら頷くと殿下がボンッと音がしそうなくらい真っ赤になって天を仰いだ。

　キスをチューとか言ってしまっているあたり、殿下も殿下で混乱しているのかもしれない。

「こ、これが夢ではない、のだと……も、もう少し……実感したくて、ですね……」

「リネット……」

　殿下は真っ赤な顔のまま私を見下ろすと優しく私の名前を呼ぶ。

　そしてキョロキョロと辺りを見回した。

「？」

「うん……今、この瞬間のリネットの仕事が人気の少ないここで庭師の手伝いだったのはこの為……かな」

「え……？」

「なんてね」

　ハハッと笑った殿下が私の顎に手をかけてクイッと私の顔を上に向かせる。

「リネット……」

「レジナルド……さま」

　見つめ合って互いの名前を呼び合うと、殿下の顔が近付いてきてもう一度優しいキスが降ってくる。

　チュッ……

　そんな甘い時間は今度はすぐに終わらなかった。

　私ももっとして欲しくて必死にキスに応える。

（……好き）

　私も殿下のことが……レジナルド様のことが好き。

　ずっと好きだった。

　そんな気持ちがストンッと降ってくる。

　これからもずっと一緒にいたい。

　このあたたかくて幸せな温もりをずっと感じていたい。

「……んっ」

「リネッ……ト」

　チュッ……チュッ

　人気がないのをいいことに、私たちは夢中で何度も何度も互いを確かめ合うようにキスをした。

　───そうして、たくさんのキスが終わる頃には……

「……」

「うわぁ！リネット!? だ、だ、大丈夫か!?」

　顔を離した殿下が慌てている。

　そんな殿下の様子をぼんやりした頭でじーっと見つめる私。

「だ、大丈夫……れす」

「大丈夫れす!? いやいやいや、それ全然、大丈夫じゃない！息、息をしてくれ！」

「いき……」

　鼻で息をするということを分かっていなかった私が酸欠でぐったりし、殿下が慌てふためくという情けない展開になってしまった。

　そうして、新鮮な空気を吸ったらだんだん意識がハッキリしてきた。

　同時に恥ずかしくなる。

（うぅ……初心者丸出し……恥ずかしい……）

　顔を見られるのが恥ずかしくなった私はギュッとしがみつくように殿下に抱きついた。

「んえっ!?」

　いきなり私に抱きつかれた殿下がさらに慌て始める。

「リ、リリリネット!? ど、どうした!?」

「私！つ、次はもっと上手く出来るように頑張ります……」

「次……！」

　次への抱負を照れながら口にしたら殿下はもっともっと真っ赤になった。

　そんなやり取りを終えてようやく我に返った私たちは、互いに仕事に戻らねばいけないことに気付く。

　私も水やりの続きをしないといけないし、殿下も休憩時間を利用して私を探しにここに来ていただけらしい。

　そしてとっくに休憩時間は終わっていると言い出した。

「えっと……クリフさんがお怒りでは？」

「ははは、大丈夫だよ。いつものことだから」

「いつも……」

　殿下はカラッとした笑顔を見せて笑い飛ばす。

　その笑顔に胸がキュンとさせられた私は何も言えず苦笑した。

「それでね、リネット」

「はい？」

　クスクス笑っている殿下は私にあの分厚い眼鏡を装着させながら言う。

「僕はさ……僕の恋した“ジュリエッタ”のことが知りたくて、偽者だと分かりながらあっちのジュリエッタは追い出さずにそのまま離宮に滞在させていたんだ」

「え？そうだったのですか？」

　そういえば、ジュリエッタのことを怪しんでいたわりに待遇がそのままだったことに今更気付く。

　殿下は笑みを消すと鋭い目付きで離宮に視線を向けた。

「でも、君を──リネットを見つけたから、もうあの偽者……ジュリエッタをここに滞在させておく理由はなくなった」

「……！」

「ジュリエッタには家に帰ってもらってリネットは子爵家から引き離す」

　殿下は、子爵を呼び出して連れ帰ってもらうのが一番手っ取り早いだろうか……と思案している。

　だけど、私は思う。

（ジュリエッタも叔父もなかなか納得しない気がする……）

　帰れと言われても絶対に反発するだろう。

　───でも、私は絶対に負けない！

　だって、レジナルド様とこの先も一緒にいたいから！

　私は私でこっこりながらそう気合いを入れる。

（それにしても……）

　お互い仕事に戻らなくては……そう思っているし分かっているのに離れ難い。

　殿下もなかなか行こうとしないのは私と同じ気持ちだから？

　そう思うだけで胸がキュンとなる。

「あのさ……リネット」

「は、はい！」

「今日の夕食……一緒に食べないか？」

「えっっ？私と!?」

　まさかのお誘いに驚きの声を上げてしまった。

　殿下は頬をポリポリ掻きながら目線を泳がせている。

「これからの話もしたいし、そ、それに……」

「それに？」

「…………久しぶりに君とあの頃のような食事の時間……を過ごしたいんだ！」

　殿下は頬を赤く染めながら語気を強めてそう言う。

　あの頃……そう言われて思わずふふっと笑ってしまう。

「目が見えるようになって、やっぱりこれ嫌いだな、などと言って好き嫌いはしていませんか？」

「していない！だって君の……リネットのおかげで美味しいと思えたから」

　キッパリハッキリした口調でそう言ってくれる殿下。

　私にとっては何よりその言葉が嬉しかった。

「……コホンッ、そ！それからその後……はピアノ……が聞きたい」

「ピアノ……！」

　そういえば何度かジュリエッタが殿下のために弾いていたのを聞いたっけ、と思って顔をしかめる。

「私、ジュリエッタみたいに激しい曲はちょっと……」

「いいや！前に……前に弾いてくれていた曲がいいんだ。リネット、君のお母さんの曲が聞きたい！」

「お母様の……？」

「うん」

　あの時はお母様のことを伯母と言わなくてはいけなかった。

　でも、今はちゃんとあれらの曲がお母様の曲なのだと堂々と言える。

（───嬉しい！）

「もちろんです、喜んで！」

　私がとびっきりの笑顔で承諾すると殿下も嬉しそうに微笑み返してくれた。

　───そして、夜。約束した夕食の時間。

「うそっ！レジナルド様がほ、本当に食べているわ!?」

「…………リネット。君は僕をなんだと思っている？」

「え……？」

　殿下とテーブルについて食事を開始した瞬間、私は感嘆の声をあげた。

　あの頃、目が見えていないのをいいことに嫌いな食材をちょっと強引に食べさせてしまっていた自覚はある。

　殿下も殿下で見えないからこそ面白がって食べていた所もあると思っていたので、視力が戻ったらまた敬遠するのでは？

　なんて少し心配していた。

（取り越し苦労だったみたい）

　殿下は本当にパクパクと食べている……！

「コホンッ、そ、それで……だ。リネット」

「はい？」

　軽く咳払いした後、なぜか殿下の顔が赤くなってゆく。

　どうしたのかしらと首を傾げた。

「も、もう僕の目は見えている……んだが」

「ええ、そうですね？」

　私が頷きながら答えると殿下の顔が更にポポポッと赤くなる。

　心なしか身体も震えている……？

　好きではなかった食材を無理に口にしていて具合が悪くなったのでは？

　なんて心配をした時だった。

「リネットが、い、嫌じゃななななかったら……あ、あの時みたいに、た、食べさせてくれななないか!?」

「──っ！」

　びっくりして思わず息が止まった。

　殿下も吃り過ぎていて言葉が怪しかったけれど、言っていることは理解は出来た。

　あの時みたいに私が食べさせる？

　それってつまり……

「あ、あーん？ですか……？」

「そう。あーん……だ！」

「あーん……！」

　殿下の顔も赤いけど今度は私の方が赤くなる番だった。

「……くっ」

（何これ？は、恥ずかしい！手、手が震える……！）

　そうして、殿下のリクエストに応えてあーん……をすることになった私。

　目の見えていない殿下に食べさせた時は、こんなに緊張もしなかったし手も震えなかったのに！

　殿下……レジナルド様のことを好きだ自覚したことと、見られているというだけでやっていることは同じなのにこんなにも違うなんて!!

（私はなんて大胆なことをしていたの！）

　今更ながらそんなことに気付く。

「ははは！リネットが可愛い……」

「っっ！今、それを口にするのは反則でしてよ!?」

「めちゃくちゃ可愛い……」

「煽らないでーー！」

　私が涙目になって怒ると殿下は楽しそうに笑った。

　それでも、どうにか私はプルプル震える手で殿下の口に料理を運ぶ。

　殿下はそれを美味しいと言って嬉しそうに笑ってくれた。

「すごい照れ顔だ……ねぇ、リネット？あの時もこんな顔をしてくれていた？」

「あ、あの時と今とでは状況が違いすぎます！」

「ふむ。そうか……じゃあ、僕もやってみようかな」

「え？」

　何を……？

　そう訊ねようとしてハッと気付いた。

　殿下が私の目の前でとってもいい笑顔でスプーンを握りしめている。

（ま、まさか……）

　にっこり笑顔の殿下がスプーンで料理を掬う。

（ひぃっ!?）

「!!」

「さあ、リネット？口を開けて？」

「……！」

「ほら、あーん、だよ？あーん」

「～～っっ！」

　まさかのあーん返しが待っていた。

　また、こんな私たちの姿を部屋の隅で見守っていたクリフさん。

「胸焼けがします……お腹いっぱい」

　なんて言って部屋から退出しようとしていたのが視界の端で見えた。

（どこに行くの……帰って来てーー！）

　ちなみに、

　そんなクリフさんは昼間のうちに殿下から話を聞いていたようで、

「──驚きました。ですが、リネットさんを紹介された時に初めて会った気がしなかったのはこういう事だったんですね」

　と、私のことに関しては大きく頷いてくれていた。

「──リネット、どうだった？」

「……」

「美味しい？」

「……」

　私が恥ずかしくて上手く答えられずにいると、殿下はニコッと笑った。

「そうか。もしかして味がよく分からなかったのかな？よーし、それならもう一度だ！」

「んえっ!?」

　こうして、まさかの二度目のあーんが開始した。

　そんな、あーん攻撃に撃沈していた私はすっかり忘れていた。

　その後に約束しているピアノを弾く場所は殿下の部屋。

　そこでは二人っきりになるのだということを──……