14. どうしてももう一度(レジナルド殿下視点)
──────
「手が綺麗だった?」
侍女に扮した女騎士の報告を受けた僕は眉をひそめた。
「ええ。ジュリエッタ様の手……とても綺麗でした」
「あれは苦労知らずで、家事など全くしたことのない手、ですね」
「……家事をしたことのない……手」
───やはり、あのジュリエッタは偽者か。
三ヶ月間、目の見えない僕の世話をしてくれた“ジュリエッタ”
彼女は実家の子爵家があまり裕福ではないからと言って、自分も家事をすることがあると言っていた。
実際、僕が触れた彼女の手は思っていたよりも小さくて、そして手入れこそされているようだったが“働いている人の手”の感触だった。
目が見えなかったからか、そういったことがとてもよく感じ取れた。
「ありがとう。今の僕がむやみやたらと女性の手に触れるわけにはいかなかったから助かった」
特にあの今、ジュリエッタを名乗って離宮に滞在している彼女は、万が一僕が指一本でも手を触れようものなら要らぬ誤解を始めそうだ。
「それで? 機嫌はどうだった? 危険はなかったか?」
「あ……」
「……それが」
僕の質問に二人は気まずそうに顔を見合わせる。
これは何かあった──二人の表情がそう言っている。
「……何があった?」
これはあのリネットという名の侍女を保護して正解だったかもしれない。
あのまま彼女をジュリエッタの元に帰していたら……そう思うとゾッとする。
声を出せないという彼女は、何があっても周囲に助けを求められないだろう。
これまでもそうやって酷い目に合っていたのかもしれない。
「私たちに手を上げる、そういった危害を加えられることはありませんでしたが……」
「が?」
「……花瓶が」
「花瓶?」
侍女として潜入させた女騎士二人は気まずそうに部屋の中でのことを語り始める。
「私たちが、部屋を訪ねた時」
「花瓶が部屋の中で割れていました」
「なっ……!」
僕は息を呑む。
まさかとは思うがそれは……
僕の気持ちを読んだように女騎士たちも言う。
「ジュリエッタ様は“手を滑らせて落として割ってしまった”と仰っていましたが」
「床ではなく……近くの壁が濡れておりましたので……これは嘘だな、と分かりました」
「つまり? 自ら壁に花瓶を投げつけた……というのか」
僕は頭を抱える。
いったい、どれだけ気性が荒いんだ?
これはため息しか出なかった。
(ほとぼりが冷めるまでくらいに思っていたが、これはこの後も侍女をジュリエッタの元に帰すわけにはいかないな)
僕はそう考えながら今、隣の部屋で本の整理を行ってくれている侍女──リネットの姿を思い浮かべた。
あの後、執務室に呼び出した彼女にはジュリエッタの所には代わりの者を行かせるから“僕の仕事を手伝って欲しい”とお願いした。
リネットはかなり戸惑いの様子を見せてはいたものの頷いてくれた。
「で? 機嫌は悪そうだったか?」
「一生懸命、取り繕ってはいた……そんな感じですね」
「あまり隠しきれてはいませんでしたが」
「そうか……」
僕は目を伏せる。
───三ヶ月。
あの三ヶ月間、僕のそばで寄り添ってくれていた“ジュリエッタ”はどこに行ってしまったんだ?
(彼女は暗闇の中にいた僕の光だったのに……)
彼女の弾いてくれるピアノが好きだった。
目が見えていなかったから確信はないが、あのジュリエッタはおそらくかなり高い技術を持ちながらも、僕のことを考えていつも優しく心地いい音色でピアノを奏でてくれていた。
それなのに、僕の手術後の彼女は、そのかなり高そうな技術をひけらかすような演奏ばかりするようになっていた。
彼女も上手いには上手いのだろう。
だけど、その音色は僕の心には全く響かない。
「───……」
そっと僕は自分の胸を押さえる。
あれは目が見えていなかったからジュリエッタの演奏を心地よいと感じていただけなのだろうか?
最初はそうも考えた。
だがやはり思うのは、そういうことではなくて“弾き手が違う”──だった。
(ジュリエッタ……)
そして先ほども試したが、あの頃のジュリエッタと今のジュリエッタのもう一つの大きな違いは多言語に対する習得度だ。
(ジュリエッタとのやり取りは面白かったのにな……)
彼女に他国語で言葉をかけるようになったのは意地の悪い気まぐれからだった。
あんな明らかに盛り盛りの嘘を連ねたプロフィールを堂々と書いてくるくらいなのだから試してやろう、と。
どうせ理解も出来ず答えられないだろう。そう思った。
だから、メジャーな国の言語だけでなく使っている国の少ないマイナーな国の言葉も試したのに……あのジュリエッタは──……
(全部、理解してスラスラと返答して来た!)
本当に本当に驚いた。
今時、王族でもあそこまでの言語は網羅しないぞ?
あそこまで理解出来るのは外交官くらいだろう。
それに古代語まで興味を持っていたという……
そんな規格外な令嬢“ジュリエッタ”
(どんな顔をしているのか見たかった……)
青空より何より、僕が見たかったのは“ジュリエッタ”だったのに。
どんな顔で僕に食事を食べさせていた?
どんな顔でピアノを弾いてくれていた?
どんな顔で僕を外に連れ出した?
どんな顔で真っ赤になって照れていた?
手術を受けることにして、ようやく包帯が取れて顔が見れた時は嬉しかった。
ようやく君の顔が見られた、と。
それなのに───
あの頃のジュリエッタはどこに行ってしまったんだ?
いや? この場合……
あの性格の悪そうなジュリエッタが“本物”で三ヶ月間僕のそばにいてくれた“ジュリエッタ”の方がジュリエッタではなかったんじゃないだろうか。
(それなら──君は一体どこの誰なんだ?)
ふぅ……と大きなため息を吐く。
「すまないが、しばらくは侍女のフリをして様子を見ていてくれないか?」
あのジュリエッタを追い出すのは簡単だ。
偽者だと分かった以上、本当は離宮に置いておく必要も無い。
────お世話係の君の役目は終わった。ありがとう、感謝している。
そう言って切り捨てればいい。
あの様子だと自分は恩人なのに! とか反論して来そうだが、元々このお世話係の契約に“その後”のことは含まれていなかった。
(ただ、僕が彼女のことを愛しく思ってしまって手離したくなかっただけだ)
目が見えるようになっても側にいて欲しいと願ってしまった。
だから、本気で彼女に婚約を申し込むことも考えて───……
子爵令嬢なので僕の相手としては反対されるだろうが、彼女が僕のために奮闘してくれた三ヶ月のことを持ち出せば周囲は納得させられるはずだった。
けれど、すぐにあのジュリエッタへの違和感を覚えたので今は話を止めている。
だが、今ここであの偽者を追い出すと本当に三ヶ月間そばにいてくれた“ジュリエッタ”のことが分からなくなってしまう。
子爵家に彼女の痕跡を消されては困るんだ。
だから、仕方がないがまだ偽者はここに留めておくしかない。
「───承知しました」
本当は嫌だと思っているだろうに。
それでも女騎士の二人は僕の頼みに頷いてくれた。
「すまないな」
「いいえ、大丈夫です」
「これも私たちの仕事ですから」
そう言って二人は頭を下げるとそのまま部屋から出ていこうとする。
しかし部屋を出る寸前に一人の女騎士が振り返った。
「あの……殿下。これはもしかしてですが、本物のジュリエッタ様って──……」
「うん?」
僕が首を傾げて続きを聞こうとしたが、その女騎士はもう一人に何か言われたのかハッとして首を横に振った。
「あ、いえ……何でもありません。私の勘違いかもしれませんので」
「そうか?」
「はい、それでは失礼いたします」
「ああ……」
女騎士たちは何だか歯切れの悪い様子で部屋を出ていった。
(本物のジュリエッタだと? 何だったんだ?)
まさか心当たりがあると……?
そうは思うもあの様子では聞いても答えてくれなそうだ。
僕も期待だけして空振りするのは辛い。
(とりあえず、これからは……)
頭の中でこの後のことを考える。
とりあえず、リネットはこっちで保護させてもらおう。
その件はクリフにも話さないといけない。
何よりリネットはジュリエッタの侍女を名乗っている人物。
今回の件、もしかしたら何か知っているかもしれない。
(それに、だ)
リネットとは会話が出来ないのに不思議と彼女といるのは心地いい……
他の令嬢たちのように媚びてくるところが無いからだろうか?
表情はあの分厚い眼鏡で見えないが彼女からの視線にそういった含みのようなものは感じない。
……不思議な人だ。
そして、あんな暴君な主と離れられたと子爵家で喜んでいたかもしれないのに、僕がこっちに連れてくる許可を出してしまったばっかりに……
申し訳なかったなとも思う。
(それにあの眼鏡の奥……どんな顔をしているんだろう?)
なぜか不思議と興味がわく。
だが、それよりも今気にするべきはあの”ジュリエッタ”の行方だ。
いったい彼女はどこにいるのだろうか────
「……ふぅ」
(とにかく……このままでは駄目だ)
僕は、三ヶ月間ずっと懸命に励まし続けてくれた“ジュリエッタ”に、どうしてももう一度会いたい───……