星 ヒカリ①
ヒカリ視点です。
また長くなりそうなので一旦区切ります。
私の名前は北神 ヒカリ。
それなりに大きな企業で派遣として働いている。
私は社会に出てから仕事一筋で生きてきた。
そうさせたのは、かつて付き合っていた私の元カレ。
彼とは高校時代からお付き合いを始めた仲で……結婚も視野に入れていた。
お互いに働きに出て……生活が落ち着いたら子供を作って……温かな生活を送る。
そんな夢を見ていた矢先、彼の浮気が発覚した。
なんでも……飲み会で知り合った女性と意気投合し、酒の勢いもあって関係を持ってしまったんだとか……。
その上、相手の女性を妊娠させてしまったことで、彼は責任を取る形で私から離れてその相手と一緒になった。
それだけでもすごくショックだったけど……もっとショックだったのがしばらくして彼が私の前に現れたこと。
”夫であることも父親であることも疲れた……もう1度俺とやり直してほしい。 俺はもう十分頑張った”
あまりに身勝手な理由に、私は怒りすら湧いてこなかった。
もちろん、お断りして彼を追い払った。
それからしばらくして彼は別の女性と不倫関係になり、奥さんと離婚したと風の噂で聞いた。
まあ私にはもう関係のないことだけど……。
それ以来、私は結婚や恋愛に対する意味合いがわからなくなった。
何のために他人と一緒になるのか……わからない。
だから私は……仕事に生きることにした。
仕事は元々好きだったし、仕事に集中している間は他のことを忘れることができる。
会社関係の男性の何人かからお付き合いを申し込まれたことはあったけど……私はその気になることはできなかった。
「星 暁です。 まだ異動して間もないんですけど……何かわからないことがあったら言ってください」
そんな仕事オンリーな毎日を送っていた私の前に現れたのは……後の夫となる星暁だった。
会ったばかりの頃は面倒見の良い人程度にしか思っていなかったし、会うのも会社内だけだった。
そんな彼との関係に変化が現れたのは、社員の結婚を祝って開かれた飲み会だった。
こういう騒々しい場所は正直苦手なんだけど……結婚するのが仲の良い同僚だったので参加することにした。
とは言っても、部屋の隅でひっそりとお酒を飲んでいるだけで同僚と楽しく飲んでいるみんなからしたら存在感のない空気みたいなものなのかもしれない。
まあその方が私にとっては都合が良いんだけどね。
「よう! 飲んでるか?」
そんな私に声を掛けてきたのが暁だった。
彼は部屋の隅にいる私が孤立しているように見えたのか……気を遣って話しかけてきたのはすぐに察することができた。
「無理に付き合わなくたっていいぜ? そんなことで機嫌悪くする奴らじゃねぇからさ」
「いえ……この会には自分の意思で参加しました。 彼にはいろいろと仕事でお世話になっていましたし……」
「それならいいんだけど……なんか元気がなさそうに見えてな。 なんか悩みでもあるのか?」
「……」
「いや、別に言いたくないならいい。 聞いた所で俺に何かできる訳でもないかもしれないし……」
いつもなら黙秘を固持するんだけど……どういう訳か、私は胸の内を彼に話した。
誰かに聞いてほしかったのか……単にお酒で口が軽くなっていたのか……正直自分でもよくわからない。
「彼に浮気されたことはもちろんショックでしたけど……彼が責任から逃れるためだけに私の元を訪ねてきたときは、さらにショックでした。
彼にとって自分はなんだったんだって……。
結局、彼はまた浮気してその女性と離婚したと風の噂で聞きました。
それ以来、なんだか男性と恋愛関係を築く意味を見出せなくなってしまって……」
「それで仕事一筋になったのか?」
「はい……まあ元々仕事が好きだと言うのもありましたし……今の自分に不満があるわけでもありません。ただ……時々思うんです。 1人で真面目に仕事に生きていくのも良いけれど、誰かと一緒に歩く人生そんなに悪いものじゃないのかもって……。
なんて……思うだけで実際に行動に移せたことはないんですけどね」
我ながら優柔不断だと思う……人を愛したいのか愛したくないのか、はっきりしない。
そんな自分を何度哀れに思ったか……。
「いや……北神の気持ちはわかるよ。 実をいうとさ……俺も似たようなことがあったんだ」
私の話をひとしきり聞いた後、暁は自身のつらい過去を語り始めた。
心から愛していた妻と信頼していた友人達が不倫関係になり、さらには不貞を犯したまま暁とも夫婦でありたいと私には理解に及ばない狂った提案までしてくるクレイジーさに、暁は離婚して地元を離れた今でも恐怖を感じているらしい。
「星さんは次の恋愛や再婚を考えているんですか?」
「う~ん……正直そう言ったことは考えていない。
相手がいないって言うのもそうだけど、やっぱり北神と同じく1歩踏み出せないでいるんだな……きっと」
お互いに自分の内に秘めていた気持ちを話し終えたおかげで、暁の人間性が少しわかった気がした。
彼も私と同じように……過去から立ち直り切れていないけれど、前を向いて生きているんだって……そんな風に思えるようになった。
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この飲み会をきっかけに、私と暁は仕事では良き仲間として……プライベートでは良き友人として同じ時間を過ごすようになった。
はたから見れば恋人同士のように見えるかもしれないけれど……この頃の私達は言ってみれば友達以上恋人未満……。
仲が良くともお付き合いはしていない奇妙な関係だった。
私自身はその関係性に満足していた……だけどいつかからか、彼と共にいる内に私の中で暁に対する気持ちに変化が表れ始めていた。
それに気づくことができたのは……休日に暁と映画を見に行った帰り道……。
「お前が好きだから、俺と付き合ってほしいって言ったら……お前はどうする?」
彼からの突然の告白……戸惑いを覚えつつ、私は自分自身に問いかけた。
彼をどう思っているか……彼とどんな関係になりたいか……。
私にとって暁は……なんなのか……。
「私も星さんが好きで、できることならあなたとお付き合いしたいと思っています……と言ったら、どうしますか?」
いろんな思いが心の中をめぐり……そして脳へと行きつき……言葉として口から出てきた。
我ながら卑怯な言い回しだと思う……はっきりと好きだと言えたらいいのに……心のどこかに残るぬぐい切れない不安が言葉を回りくどくする。
「今のこの関係が嫌という訳じゃないんです……ただ、もし欲を言わせてもらえるのなら……もう少し深い関係に進めたい……です……」
私はもう勇気を振り絞り、懸命に言葉を紡ぐ。
暁に私の気持ちを伝えたい……その一心で……。
「あの……もしも俺に気を遣ってくれているのなら、そんなことしなくていいからな?
俺がフラれたってそれはお前のせいじゃないんだから……」
「いいえ、そうじゃなくて……なっなんと言いますか……」
臆病で腰が抜けている自分にムチを打ち……気持ちを察してほしいと言う甘えた考えを捨て去り、私は自分自身の気持ちをストレートに口にした。
「私もあなたのことが好きです。 だから……あなたとお付き合いさせてください」
「ぜひ……お願いします」
私の手を暁が握りしめてくれた……私は嬉しさのあまりに高揚し、無意識に温かな一粒の涙が頬を流れていた。
「これからよろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
私達のお付き合いはこうして始まった。
始まったとは言っても、これまでと比べて2人の行動に大きな変化は特になかった。
元々半分付き合っていたようなものだからかな……。
だけど、私と暁の関係性は明らかに変化していた。
互いに互いを意識している……今まで何気なく思っていた言葉や行為を愛しく思ってしまう……。
顔を合わせるだけで自然と微笑んでしまう……声を聞いただけで沈んでいた気持ちが上がっていく。
私達の心の内は……明らかに変化していた。
正直、結婚も意識していた……暁となら家族として人生を共に歩んでいける……。
そう……思っていた。
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「お疲れ様です!」
この日も私は定時に仕事を終えて、会社を出た。
この日は暁が風邪で会社をお休みしていたので、帰る前に彼の家に寄ろうと自宅とは反対方向へと足を向ける。
そして横断歩道に差し掛かるも、信号が赤から青に変わったので足を止めることなくそのまま横断歩道を渡った……その時!!
キキィーン!!
耳を塞ぎたくなる大きなクラクションの音……日常ではなかなか聞きなれないアスファルトとタイヤが摩擦する音……それらの音が耳に入り……反射的に音の方向へと視線を向けた瞬間、私の体は強い衝撃を受け……空中をわずかに浮かび上がった後、道路の上へとたたきつけられた。
私の意識はそこで途切れ……右も左もわからない暗闇の世界へと落ちた。
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「……!!」
「ヒカリ!」
「ヒカリ!……よかった。 目が覚めたんだな」
気が付くと私は……病院のベッドの上にいた。
すぐ横には私の両親が立っていた。
2人共泣きはらしていたようなぐちゃぐちゃな顔をしていた。
「待っていて、すぐに先生を呼んでくるから」
「ヒカリ……大丈夫だからな」
母はそう言って病室を飛び出し、残った父は私を落ち着かせようと頭をなでてくれた。
状況が全く理解できないし、頭の中はパニックでどうにかなりそうだけど……。
「お父さん……何がどうなったの?」
少しだけ心を落ち着かせることができた私は、お父さんに説明を求めた。
一瞬、お父さんはためらったように見えたけど……私に起きたことをゆっくりと語り始めた。
「お前は会社の前で車にハネられて大けがを負ったんだ。
かなり危険な状態だったが……手術は成功して、命に別状はないそうだ」
「そうなんだ……」
そう言われると、うっすら意識を失う直前の光景が断片的に浮かび上がった。
車がいきなり突っ込んできて……そのままハネ飛ばされた。
恐ろしい目に合ったと言うのに、夢の中で起きたことのように現実味が湧かないのが不思議だ。
後に知ったんだけど、私を轢いたドライバーは飲酒運転をしていたらしく……赤信号が見えなくなるほど意識が朦朧としていたらしい。
もちろんすぐに逮捕され、然るべき報いを受けるらしい。
腹立たしい気持ちはあるけれど……せめて自分の行いを反省してほしいと思う。
「それと……言いにくいんだが……」
「何?」
「どうか自暴自棄にならずに聞いてくれ……。 お前を治療した医者に言われたんだが……事故の後遺症で、お前の足に麻痺が残ったらしい」
「どっどういうこと?」
「お前の足はもう二度と……動かない……かもしれない」
「!!!」
お父さんの言葉が信じられず、私は実際に足に力を入れてみた。
だけどどれだけ足に力を入れても指すら動かない……それどころか、足の感覚もなんだか感じられない。
おそるおそる指先で足に触れてみたけど……感触が全くない。
「そんな……嘘……」
何度も何度も足を動かそうと頑張ったけど……足が私の期待に応えることはなかった。
そして私は痛感した……本当に私の足は動かなくなったんだと……。
非情な現実に思わず涙が流れてきた……。
命が助かったとはいえ……その代償はあまりに大きすぎる。
「ヒカリ……まだ諦めてはいけない。 可能性は低いがゼロじゃない……これからリハビリすれば、動く可能性だってあるんだ。
お父さんもお母さんもついてる!
だから……諦めないでくれ」
お父さんはそう言ってくれるけど……私の心は絶望の底に沈んでいた。
両足が動かなくなったと言うことは……車いす生活を余儀なくされる。
そうなったらもう……今までのような生活を送ることはできない。
この時代……不便さを感じる障がい者の生活をカバーするための設備はそれなりに充実しているだろう……。
両親も私に協力してくれるから、日常生活はどうにか続けられるかもしれない。
心に受けた傷も……時間と共に少しずつ癒えてくるかもしれない。
だけど私には……大きな心残りがある。
それは暁のことだ。
現時点では私の主観でしかないけれど……障がい者と生活を共にするというのはいろんな意味で非情だ。
障がい者は今までできていたことができなくなった憤り……支えてくれる家族への罪悪感……いろんな感情が押し乗る。
家族だって身体的にも精神的にも否応なく大きな負担が掛かる。
どんなに互いを想い合っていても、現実の非情さは容赦なく襲い掛かる。
そんなつらく苦しい生活に……愛しい暁を巻き込むなんて私にはできない。
彼がこの事実を知ってどう思うかはわからないけれど、このまま一緒にいたとしても……私は彼の重荷にしかならない。
だったら潔く身を引いて、彼の幸せを影ながら願うのが……私にできるせめてもの”償い”だ。
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それからすぐ、母と共に私を治療してくれた医者が病室に入ってきた。
数分間の簡単な診察の後、別室で精密検査を受けた……。
幸いというべきかわからないけれど……足の麻痺以外には私の体に異常はなかった。
検査の合間に暁もここで入院していることを知った。
私を心配して駆けつけてきてくれたけど、そのせいで風邪が悪化してしまったらしい。
嬉しい気持ちもあったけど、申し訳ない気持ちの方が勝った。
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「暁……」
「ヒカリ……大丈夫か? いや、大丈夫じゃないかもしれないけど……あの……」
検査を終えて病室へと戻ってからしばらくして……私の身を案じて暁が訪ねてきてくれた。
彼の顔を見れたことに私の胸は高鳴ったが……自分の今の状態が頭を過ぎり、思わず目を背けてしまった。
「ごめんね? こんな体になってしまって……」
「なっ何を言ってるんだよ!? そんなのヒカリのせいじゃないだろう!?」
開口一番に私が暁に対して放った言葉は……謝罪だった。
暁は優しい言葉を掛けてくれたけど、私は自分を責めずにはいられない。
自分に非があるかどうかなんてどうでもいい……大事なのは結果だ。
私は下半身不随となった……それが全てだ。
「暁……私達……別れましょう……」
私は暁を想って別れを告げた。
自分で言っておいてなんだけど、胸が張り裂けそうだ……。
暁と別れたくなんてない!……でも、だからと言って、彼の幸せを台無しにする訳にはいかない。
これが暁にとって最善の選択なんだ……自分に何度もそう言いつけた。
その場にいた両親は私の意思に賛成も反対もせず、暁に一任するらしい。
私達は互いを想い合い……何度も言葉を交わした。
私は暁を想って突き放し……暁は私を想ってこの場に留まる。
「ヒカリ……お前の気持ちは嬉しくは思う。 思うけど……悪い……俺はお前と別れようなんて微塵も思えない。
立てなくなろうが歩けなくなろうが……俺にとってヒカリはヒカリだ。
ずっと一緒にいたいと思い続けたヒカリだ。
この気持ちに嘘はない」
暁は私の手を優しく握ってくれた。
彼の温かな手が私の決意を揺らがせる……。
ダメ! 彼の優しさに甘えたら……。
暁にとって私はもう……。
だけど暁は言葉を紡ぎ続ける。
「俺が……俺がヒカリの足になる……この先生きていくのが不安だっていうのなら……俺がヒカリの支えになる。
だからヒカリも……俺の支えになってくれないか?
これからの人生を……ずっと……」
その言葉が暁なりのプロポーズであることは……察することができた。
私への同情かと疑いもしたけど……彼の真剣な目が、嘘偽りなどない本心であることを私に示している。
「だけど……でも……」
「俺にはヒカリが必要なんだ……ヒカリにとっても俺が必要だと思いたい……。
だからさ……別れようなんて寂しいこと言うなよ……。
俺……そんな軽い気持ちでヒカリと付き合ってたつもりないんだよ……」
「……馬鹿」
暁の純粋で真っすぐな言葉に……私の中の何かが音を立てて崩れていった。
そして強く思った。
”暁とずっと一緒にいたい”
それは暁を想い、固く封印した私自身の本当の気持ちだ。
表に出してはいけないと思い続けていたこの想いを……暁の想いが解放してくれたんだ。
「一緒に……いてくれますか?」
「……はい」
私にもう迷いはなかった……。
私は暁と共に生きていく……そう誓った。
次話もヒカリ視点です。
暁の同窓会から夜空の逮捕までを書き終え、夜空達の末路を書き始めたいと思います。