世界の中心と6つの女神像
岩山は、付近の樹木の3倍ほどの高さがあり、ある程度近づけば樹木の合間から視認できる。遠くに岩山が見える場所まで来たとき、斥候がここで休息をとろうと言った。
弓兵は馬から荷物を降ろし、修道女は倒木に腰掛けた。オレも倒木に座る。
「斥候の間では、あの岩山には近づくのは危険だと言われている。」
斥候は立ったまま続けた。
「なぜですか?」
修道女が話を促すように聞いた。
「岩山に鷲の上半身と翼、獅子の身体を持つ魔物がいるからです。とても強い。叔父さんに、戦わずに逃げろと教わりました。」
オレは口を挟んだ。
「それもある。けれども、それだけではないよ。」
斥候が、オレの説明に満足せずに続ける。
「岩山に近づきすぎなければ、あの半鷲半獅子は襲ってこない。問題は、岩山付近で道に迷いがちなんだ。岩山のあたりを探索していると、熟練の斥候も現在地を見失うことがある。迷ったあと、西に何日進んでも、うちらの街に帰ることはできなかったという話もある。」
オレは首を傾げた。西に進み続ければ、いつか大河に行き当たるはずなのだが。
「森の中とは言え、太陽は見えるよな。」
太陽が見えていれば、同じところをぐるぐる回ることはない。影の長さ、太陽の高さの変化に気をつければ、大雑把な方角も分かる。
「うん。右岸を探索する冒険者が最初に教わることだね。」
熟練の斥候が知らないはずはないか。
「遭難しないように注意深く進もう。」
迷いやすいと言われても、ここで引き返したら領主に合わせる顔がない。
「注意深く進めば大丈夫というわけでもないんだよね。周囲を探索した冒険者の情報交換では、目印のことすら話しがあわない。岩山の北側に拠点があるおじさん冒険者が、岩山の南東に石像を見つけたと言ったとき、南側に拠点があるおばさん冒険者が、そんなものは見たことがない、石像は岩山の北東にあると否定した。」
「あの二人、相当な熟練者だよな?」
「うん。あの二人が自分の位置を見失うとは思えない。あたしは何がなんだかさっぱりだったよ。みんな、魔王の魔法に違いないって。」
斥候は修道女を見据えながら言った。修道女は薄っすら笑いながら話はじめた。
「古の帝国は万を超える軍勢を魔王の討伐に送り出したものの、森に迷い、魔物の襲撃に消耗し、魔王の居城にたどり着く前に全滅しました。」
街の誰もが知っている古い言い伝えだ。
「古の帝国の指揮官は、魔王のかけた魔法を見破ることができなかったのです。」
やはり魔法による技か。オレと斥候には手のうちようがないぞ。
「あんたは見破れるという事?」
斥候が修道女に詰めるように聞いた。
「はい。あの岩山の中心は、孤立特異点なのです。」
修道女は斥候の語気に気はかけず、はっきりと答える。
聞いたことのない言葉に、オレと斥候は声を揃えて聞きなおした。
「こりつとくいてん?」
修道女は淀みなく続けた。
「魔王の魔法によって、この世界は他の世界とつながり、そのためにできた世界の中心だそうです。私も詳しいことは分かりません。しかし、世界の中心を一周すれば、魔王が住む世界にいくことができます。」
伝承では、魔王は魔法を極めている。その居城への道のりが、世の理を超えていても不思議は無い。だが、古文書に書いてあるというだけで、どうしてここまで自信が持てるのであろうか。
オレが聞く前に、斥候が間髪いれずに聞いた。
「それが嘘や間違いの可能性はないの?」
苛立ちがにじみ出ている。魔物の領域でさ迷えば、帰還できる可能性はぐっと減る。道を定めるのは、斥候の使命だ。
修道女ははっきりとした微笑みを見せて断言した。
「斧槍使い様が愛されているから心配いりません。私には分かります。」
「はぁ?」
斥候が怒気を帯びた声をあげる。
オレも困惑して、無駄なことだと知りながら、思わず聞く。
「誰にですか?」
修道女ははっきりと答えた。
「誰よりも斧槍使い様を暖かく見守る方にです。」
修道女は正気ではないと思った。死んだ父母が見守ってくれているとしても、助けになるとは思えない。それとも、本当に彼らが助けてくれているのであろうか。他の冒険者に運がよいと言われる事はある。そう思いをめぐらせていると、斥候も呆れたのか、やや冷静になって言った。
「一周するにしろ、岩山に近づくと、半鷲半獅子に殺されるよ。」
修道女は冷静に答えた。
「距離をとって一周すればよいです。ここは岩山の南側ですよね?」
これには斥候も同意せざるをえない。
「そうだけど。」
修道女は、斥候の不安を理解できなかったようだ。何事もなく言った。
「斥候様、先ほどのお話の北東の石像の場所に案内してもらえますか?」
オレが一周するぐらいは問題ないだろうと口を挟む前に、斥候が同意した。
「分かった。北東の石像ね?」
休息をとった後、岩山の周りを円を描くように歩いて、北東の石像のところについた。人の背丈ぐらいので石像で、棒状の岩に丸い顔と身体を刻んだ素朴な造形だ。周りは樹木がなく開けている。岩山の方を向いているように見えるが、少し西側に角度がずれている。
「異教徒の女神像で、道標として置かれています。女神像からよりも岩山に遠ければ、あの魔物たちは襲ってきません。」
修道女が説明する。
「これぐらいの距離をとって、このまま左回りに一周すればよいってこと?」
斥候が確認する。
「はい。3分の1周すると同じような女神像があるので、目指していきましょう。」
おじさん冒険者とおばさん冒険者は、違う石像を発見したということか。
「ここに目印があるね。おばさん冒険者の印だ。」
付近の木の幹にナイフでイニシャルが刻んであるのを斥候が見つけた。
それからすぐに出発し、岩山から距離をとりつつ3分の1周すると、岩山の北西に似たような石像があった。
「おじさん冒険者が見つけたものとは、位置が違うよな…」
オレはみんなが分かっていることを口にした。修道女はニコニコしており、斥候はオレの言葉を無視して、また付近の木の幹にⅡと刻む。
修道女の話が違っていれば引き返したのだが、後戻りできなくなってきた。迷うよりはマシなのであろうか。
また同じように3分の1周すると、また同じような石像にたどり着いた。
「岩山の南東だから、おじさん冒険者が見つけたものかな?」
オレは斥候に尋ねる。
「…おじさん冒険者の印、探しているけれども見当たらないんだよね。」
つまり、これはおじさん冒険者が見つけた石像とは別のものとなる。岩山という巨大なランドマークがあるのに、オレたちは迷ったのであろうか。
「もう3分の1周すれば、魔王の居城に入れます。日が暮れる前に急ぎましょう。」
御機嫌な修道女がせかすので、斥候が付近の木に自分のイニシャルを刻むのを待って出発する。
そして、4つ目の石像のところに辿りついた。岩山から見て北東。つまり、最初の石像の場所から、ぐるっと岩山の周りを一周してきたはずなのだが、
「おばさん冒険者の印がない!?」
と斥候が驚く。
「ぅまが食べた草、もう生えた!」
事情が分かっていない弓兵も驚いている。馬は気にしていないようだ。
「螺旋を一周しても、元の位置には戻らないのです。」
オレには修道女が言いたいことは理解できなかったが、この不可思議な現象によって、岩山の付近で遭難者が多発しているのは分かった。地図を描きつつ慎重に進んでも、むしろそうすることで、迷うのだ。
「では、ここから真っ直ぐ岩山を目指しましょう。」
薄々、そうではないかと思っていたが、岩山に居城があるのであろうか。
「半鷲半獅子はどうするの?何匹も襲ってきたら、勝ち目ないよ?」
斥候が不安そうに聞く。
「躾の行き届いた番犬は、正しい道からやってくる者を襲いません。」
修道女にまったく不安は無さそうであった。
オレには正しい道が魔王の居城に続いているのか疑問だったが、修道女に疑問を言葉をぶつけるのは、これまでの道のりから無理であった。
斥候が「わかった。」と先頭を歩き始め、事情がわからない弓兵は弓をつがえてついていく。修道女がその後を、笑みを浮かべて「こんなにも深い愛を見られるなんて、幸せです。」と呟いて続いていった。