飛竜と弓騎兵と毒袋
大河を渡ると、すぐ森になる。人の手入れがない森だ。馬での移動には向かない。愛馬には荷物を載せて手綱をひいて歩いていく。街道の跡がある。廃墟に出た。ここは樹木がなく、開けている。焚き木の跡などがあるが、冒険者がキャンプに使っている場所だ。
「今日はここで…」
斥候の少女がそう言いかけた時、バサバサと周囲の樹木から鳥が飛び立った。飛び立った方向の空を見上げると、翼の生えたトカゲが見える。飛竜だ。上空から背後を狙ってくる魔物で、不意をつかれて惨事になることも多い。致死性の毒も持つ。鳥に助けられた。斧槍使いが武器を構え、斥候の少女が修道女を廃墟に隠す。愛馬もそっと飛竜から隠れるように、森の中に戻っていった。
バキバキと木を折りながら斧槍使いに掴みかかろうと飛竜が降り立つ。斧槍使いは横に飛び避け難を避ける。飛竜が斧槍使いを踏もうとするので、矢を射掛ける。首に矢をうけた飛竜が身をよじり、こちらを向く。もう二射続けて放つと、目と胸に刺さって、たまらず飛竜は横転する。突進してくる可能性があるので、自分も森の中に走りこむ。案の定、怒り狂った飛竜がこちらに向かってくる。毒針がある尻尾を振り回すが、木にひっかかり針が幹につきささる。そこで背後に回った斧槍使いの斧槍が尻尾を叩ききる。痛みで叫ぶ飛竜。戻ってきた斥候の少女が弩で撃つが、頭にあたった矢は弾かれ刺さらない。しかし、振り向いて、こちらに後頭部を見せた。もう一射。矢が脳天を貫き、飛竜は活動を停止した。
「すごい!」
斥候の少女が叫ぶ。少女も的確な判断だったと思うが、そう褒める異国語を知らないので、親指を立てたてみた。たぶん「ヨシ!」と言う身ぶりだ。街の冒険者がよくしている。
ヒトよりも羊、山羊、牛、馬の数が多い、武勇を尊ぶ部族の家族の長男として生まれ育った。草原を渡り、山を越え、家畜を奪おうとするものたちを追い払い、ときに農耕の民に請われて魔物と戦う遊牧の民だ。部族では末っ子が親の老後の面倒を見る代わりに、親の資産を引き継ぐ慣わしだ。長男は自由であるが、早く身を立てられるようになる必要がある。世界を旅することを夢見るようになり、物心ついてから鍛錬を怠ったことはない。
大人になり、東西南北。ヒトの世界を巡った。魔物に苦しめられている農耕の民は、弓騎兵を歓迎してくれる。生活に困ることは無かった。生まれ育った部族では、南北に走る石の山が、ヒトの世界の西の果てとされていた。これを超えた先は魔物がうごめく領域と言われていた。遊牧の民は家畜を守らなければならない。魔物の巣に入るのが愚かなのは火を見るよりも明らかだ。しかし、冒険者として部族を離れて、魔物を狩って暮らしていた自分はどうであろうか。
石の山は険しいが切り通しが多く、森が広がる世界に入るまでは苦労がなかった。森を抜けるまでは何週間もかかったし、伝説の通り魔物が多く、愛馬の警戒心に助けられた。巨大な岩山が見える川辺で襲ってきた、鷲の頭と翼、虎の下半身を持つ魔物には苦労した。空から高速で迫る魔物。愛馬の脚がなければ、捕らえられていた。矢が刺さっても闘志を失わない獰猛さ。最後の一矢が背後から迫るその頭蓋を貫いて倒せたが、あれが逸れていたら殺されていた。
矢を拾い、さらに西を目指した。大きな川を超えると、部族から出たばかりであったら、腰が抜かす大きさの堀と壁がある街に行き着いた。遊牧の民には無い技だ。街に入ろうとしたら、衛兵に話しかけられたが、言葉が分からなかった。剥いだ魔物の頭、爪、翼、皮を見せると、衛兵は大袈裟に驚いた後、腕を引いて領主の館に自分を連れて行った。領主とも言葉は通じなかったが、魔物の頭や爪が気に入っていたことが分かったので献上した。空家に案内され、そこに住むことになった。
言葉は通じなかったが、生活に苦労はなかった。魔物が来ると鐘を鳴らすのも、農耕の民が弓術になれていないのも、魔物を倒せばお金がもらえるのも石の山の東側と同じだ。言葉も大雑把な意味は分かるようになってきた。弓には苦労した。農耕の民は弩しか使わない。職人が西方から長弓を取り寄せてくれたが、馬上で使うには長すぎた。話を聞きつけた領主が、南西の国に流れてきた遊牧民が使っている強弓を取り寄せてくれた。もっと西にいってみたかったが、この街でもう少し言葉を学ぼうと思い、数年を過ごした。
大鬼が街に侵入してきた日の夕方、晩餐前に領主の部屋に呼ばれた。領主の隣に修道女がいて、一枚の絵を見せた。高級な服をきた骨と皮だけになった死体が描かれている。故郷の信仰で言うと即身仏だ。即身仏の周りには鬼がひれ伏しており、魔物の首魁のように見える。また、即身仏の周囲に何かがあり、矢が弾かれ折れている。弓矢が通じないのは困る。修道女は、もう一枚、絵を見せた。斧槍使いが黒い剣で即身仏を斬っている。弓兵も描かれ、即身仏の周囲の魔物は矢が刺さって倒れている。斧槍使いを援護すればよいと言われているようだ。魔物を射殺すのに躊躇いはないが、罰が当たりそうなので即身仏は射たくは無い。丁度よかったので引き受けた。
飛竜は即身仏が従えている魔物であろう。この旅での自分の役割は、斧槍使いの援護だから、これでよいはずだ。
修道女が、物陰が出てきた。狂喜している。農耕の民にとって、飛竜はかなりの大物だ。肉は食べられる。糧食の節約になる。爪や皮なども売れる。近くに川があれば、放血をして内臓をとり、皮を剥いで廃墟に干しておきたい。そんな事を考えていると、修道女が、斬られた尻尾を指差しながら話かけてきた。
「尻尾にある毒袋を…」
言葉が難しくて分からない。ええっと毒と言っている?毒袋? — 猛毒で注意しないと自分が危ないシロモノなのだが。戸惑いつつも、慎重に捌いて毒袋を取り出す。上手くとれた。
「ありがとうございます。」
満面の笑みの修道女にお礼を言われた。この言葉の意味は分かる。何に使う気なのであろうか。いや、自分はこの地方の信仰に詳しくない。きっと祭事か何かに使うのだ。それは自分が関わることではない。これまで見た中でとびきり美しい女の笑顔だ。それで十分ではないか。