鳥と修道女
愛せよ — 魔物の領域に旅立つ今日も、私はいつもと同じように神の教えを心に刻みました。ヒトはどうやって生きるかを見失わないように、祈りを捧げないといけません。どれほどのヒトが自分を見失い、破滅していったことでしょうか。この旅、いえ、この計画での私の役割は複雑なものです。しかし、与えられた愛に応え、愛すべき人を愛するのは変わりません。
私の父は南の共和国の貴族の次男で、母は身分の卑しい女性でした。それでも父は、私を屋敷に招きいれ、可愛がってくれました。縁談の話がでる年頃になった頃、私は修道院に入ることにしました。信仰が厚く、また愛する人の役に立てるようになりたかったのです。6年ほどの修練の後に、慈愛に満ちた神から奇跡を授かりました。その頃、使者が来て、修道院を出てこの国に来ることになりました。
待ち合わせの桟橋に来ました。まだ、他の3人は来ていません。春の暖気で霧は深く、対岸は見えません。近くの小屋の屋根にカラスが止まって、じっとこちらを見ています。忌々しい。馬に乗った弓兵様がゆっくりとやってきました。私はお辞儀をし、彼が会釈を返します。異国の地の者で、言葉はうまく通じませんが、気持ちを通じることはできます。素性や育ちに関わらず、人々はお互いの理解を深めることができます。魔女ですら、ヒトとしての気持ちを持ち合わせているのですから。
こんなことに思いを馳せていると、斧槍使い様と斥候様が土手に姿を現しました。中肉中背の鎖帷子の斧槍使い様と、遠め目にも女性らしい体型がわかる斥候様。尊い兄妹愛を感じます。土手から二人が降りてきて、旅の仲間が揃い、「おはようございます」「おっはよー」「おはようございます」「ぉはよぅでござる」と挨拶が交わされます。冒険者には気難しい人が多いと聞きましたが、この旅の仲間は気さくそうです。良かった!
「早速ですが、方針を決めましょう。魔王の居住地は知られておりません。右岸にヒトは居住しておらず、誰かに聞くこともできません。何か手がかりはあるのでしょうか?」
斧槍使い様が、ゆっくりとした口調で聞いてきました。
「まだ、お二人にはお話していませんでした。魔王の所在は分かっています。森の中にある街ほどの大きさの岩山を目指してください。そこからは、私が案内します。」
答えは用意してきました。
「どうしてそれが分かったの?」
斥候様は手厳しい。避けたかった試練です。
「古文書からです。」
用意してある答えでも、手に汗をかくのが分かります。
「古文書?古の帝国時代の?」
「はい。」
汗の量が増えるのが分かります。顔に出ていないとよいのですが。
「何百年も前の話でしょ?それに古の帝国は魔王の居城が分からず、森で迷った結果、敗北したのではないの?」
痛いところをついてきます。主よ、この聡い娘を説得する力をお与えください。
「まあ、まあ、従姉妹よ。修道女様の話は不確かだが、他に当てはないだろ。魔王がいたら儲けもの。いなくても何か手がかりはあるさ。」
斧槍使い様が、助け舟を出してくださいました。
「…行くのはいいけどさ。その岩山まで7日ぐらいかかるよ?」
渋々でしょうが、斥候様も受け入れてくれるようです。
「はい、覚悟はできております。」
弓兵様の方を見ると、うんうんと頷いてくれていました。
「皆さん、おまちどう!」
船頭様のしゃがれた声。渡し舟がやってきました。船頭様一人で漕ぐ小さな船ですが、私たちは4人…馬はどうするのでしょうか。私が馬を見ていると、意図を察した弓兵様が教えてくれました。
「ぉょげる」
馬は泳げるのですね。弓兵様は馬から荷物を降ろして渡し舟に積みます。
「手綱は持たなくてよろしいのですか?」
「っぃてくる」
何と賢いのでしょう。渡し舟に全員が乗り込み、岸を離れると、本当に馬は自分で川に入ってついてきます。疑っていたわけではないのですが、感動です。この馬は、弓兵様を愛しているのですね。
「ところで、気になっていることがあります。修道女様はどうしてこの黒剣を持って、あの場にいられたのでしょうか。」
斧槍使い様に聞かれると思っていたことです。
「大鬼との戦いに必要になるかと思い、持ち出しました。領主様の屋敷から、対峙しているのが見えたのです。」
どうして本当のことって、こんなに話やすいのでしょうか!
斧槍使い様は、納得してくれたようです。助かりました。
深い愛は、ときに困惑を生みます。愛される者が、愛されていることに気づかない方がよいこともあります。愛し、愛される者以外にとっては、禍々しいこともあります。しかし、それでも神は愛せと命じられました。私たちは愛を体現して生きていかなければなりません。嗚呼、カモメがこんなにも低く舟の傍を飛んでいます。なんて忌々しい!