君の声が好きなんだ!
「君の声が好きなんだ」
ひとと話すのが、苦手だった。
いつも声が小さくて、ぼそぼそとしか喋れなかった。
周囲から何度も聞き返されたり、はっきり喋れと怒られるなんていつものこと。
そんな私の声を、好きだと言って貰えたのははじめてだった。
「え、あ……」
ひとと話さなくても良く、読書に没頭できる、図書室という空間。
そこで私は、唯一学校で仲の良いといえる先輩に突然、告白みたいなことを言われてしまった。
私がたじろいだのを見て、『聞こえていない』と思ったのか、先輩はこちらにぐっと顔を近づけて、
「君の静かで、落ち着いた声が好きなんだ」
「え、ええぇ……こ、ここここ……」
こんな根暗声の、どこが良いんですか。
そう思うけれど、うまく声が出てこない。
かけられた言葉が、あまりにも予想外すぎて。
「君の声は素晴らしい。放課後、ここで君と話すと、どんなに嫌な気持ちでも立ち直れる。それくらい癒やされるよ」
「え、ええううぅあ、うっ」
これまでに言われたことのない言葉の群れのせいで、私の心臓は放課後の静けさをとっくにぶち破ってしまっている。
先輩はさらに私に近付いて、手を握ってきた。
完全に固まってしまった私の目を、先輩はじっと見つめて、
「だからお願い、このえっちな台本を朗読してほしい」
「ふぁい、ろうどく……へ、へ……?」
「お願い! ちゃんと録音データは厳重に保存して私しか聞かないから!!」
「えあ、え、あ……」
「ダメ!? お金払うから! ラノベの新刊買うのにお金が足りないってこの間言ってたよね! 困ってるでしょ!?」
「えあう、あ、し、しぇんぱい……ち、ちちち、ちか、ちかい、近いですっ。こえも、おっき……」
「はっ……ごめん、図書室でうるさいのはダメだよね」
すこし冷静になったみたいで、先輩は私の手をはなして距離をとってくれた。
「ごめんね、どうしても聞いてほしくて、つい弱みにつけこむようなことまで言っちゃって……あ、いくらほしいの? ごめんね今はそんなに持ってなから、最悪明日のお支払いでも良い?」
「うえ、あっ、い、いらない、ですっ、おさいふ、しまって……」
「無料でしてくれる!? それはいけないよ、嬉しいけどいけない……そんな素晴らしい声が無料は、私が世界中から刺されちゃうよ! 本当なら毎日お布施払いたいのに!!」
「や、やっ、やややっ、やるって、いって、ないっ……!!」
なぜか、既に私がやることが先輩の中で決まっている気がしたので、がんばってつよめに否定した。
先輩はこの世の終わりみたいな顔をして、へにゃへにゃと机につっぷして、
「うぅ……だめかぁ……そっかぁ……ううぅ、ききたかったぁ……」
「えあ、え……そ、そな、おちこま、ない、で……」
「うええうぅ……ききたかったよう……ぐす、すず……ぐず……」
「あ、あああぁ……ご、ごめんなしゃ、せんぱ……なか、ないで……」
「……もうちょっと耳元で言ってほしい」
「う、うううう、『うそなき』じゃ、ないですかぁ……!」
「ちっ……しまった、欲が出た……もうちょっとひっぱってなし崩しで受けさせるべきだった……」
本気で心配したのに、先輩は悪びれもせずに起き上がった。
泣き落としをやめて私の対面に座ると、先輩はとってもまじめな顔をして語りはじめた。
「良いかい、何回でも言うよ。……君の声が好きなんだ」
「ぴ、う……あ、あああ、あぃ、がとう、ござい、ます」
既に一回幻滅したのに、褒められたらどきっとしてしまう、簡単な私。
だめだ、このまま褒め言葉責めにされたら、うっかり受けてしまうかもしれない。
「で、でもっ……ろ、朗読、は、でき、できない、ですっ……こえ、こここ、こえ、自信、ないっ……こ、ことばだって、す、すぐ、つまっちゃう、し……」
授業での文章読みあげすら、まともにできない私なのだ。
先生たちからもすっかり腫れ物扱いで、授業ではもうあてられることすらない。
なにかのイベントや授業で班を組んでも、ろくに喋れないせいで気を使われるか無視されてしまう始末。
「せ、先輩と、おはなしするのが、せいいっぱい、いっぱい、だから……ろ、朗読なんて、ぜ、ぜったい、むりっ……」
「あ、そう思って台本は私に話しかける想定で用意したよ。いやあ楽しみだな、世界で私だけの最高音声……夢だよね、人類のさ」
「じ、じじじ、自分でよういした、んです、かっ……」
「え、そりゃもう、私が! 君に! 言ってほしい! そういう台本だから」
つまりそれって、それって。
先輩が私で、えっちなこと考えてたってことですか。
「ひ、う……しゅうぅ……」
「だからぜひ、君にこの台本を朗読してほしい」
「えあぅ……う……え、えええ、えっちなのは、だめ、です……」
「大丈夫、えっちっていってもすごいえっちじゃないから」
「す、すごいえっちかどうかは、ひ、ひひ、人により、ますっ」
辛いとか甘いと同じで、どこからがえっちかは人それぞれだと思う。
キスとか、頭を撫でるだけでも、えっちっていう人はいるんだし。
「うーん……じゃあこの台本を読んで、君が良いと思ったらしてほしい」
「ふえっ……」
「いちおう自分では、対象年齢十五歳、まあ成人指定じゃないけどちょっと過激くらいのやつを意識して書いてるんだけど、確かにそういう判定は人それぞれでもあるからね……演者の君に判別してもらうのが一番だ」
「えあ、あう、あ……」
ぽん、と台本を渡されて、私は困り果てる。
どうしよう。やらないっていってるのに、ものすごく食い下がってくる。
手の中にある台本は、そんなに分厚くはない。おそらく30ページくらいだろう。
「さ、読んでみて。それでえっちかそうでないか判定して」
「い、うぅ……」
勢いに押し負けて、私は手の中の台本を開いた。
書かれている文字はおそらくはPCで出力したのであろう、綺麗で読みやすい字で、
『せぇんぱぁい……♡ 今日も授業おつかれさまです、わたしがいーっぱい癒やしてあげますから、こっちきて……はい、せんぱいのだーいすきなお膝ですよー。あんっ、いたずらしちゃだーめ……そんなわるいお手々は、おしおきで噛んじゃいますよ、ちゅ、はむはむ……♡』
「むりです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
無理だった。えっちだった。
「えぇ、なんで!? こういうの今どこにでもあるよ!? でも今の聞いたことないような大声もいいね、次の台本の参考にする!!」
「むりです、えっちです! はずっ、はずっかしい、ですっ……!」
無理だって言ってるのに、なに次を考えようとしてるんだこのひと。
あまりにもえっちすぎて、1ページ目の半分も読めなかった。
こんなえっちな台詞を朗読、まして人に聞かせるために録音までするなんて、ぜったい無理だ。
なんなら最初の『せぇんぱぁい』から無理だ。ハートがつくような甘ったるい声、どんなにがんばっても出てこない。
「そうか……最初からせめすぎか……じゃあもう少し、普段っぽい感じでやってもらうか……」
「や、ややや、やらないて、いってる、ますっ……ずっと、いってるっ……」
「……どうしてもダメ?」
「だ、だだ、だめ、めっ、めー、ですっ……」
「……今のかわいい」
「ちゃ、んとっ、きい、てっ……くださいっ……!」
ときどき、先輩が私の話をちゃんと聞いていないような気はしていた。
話しかけてもぼうっとしていたり、そういうことが何度かあった。
私の声がちいさすぎて聞こえていないのかと思っていたけれど、そうじゃなかった。
このひと、私の声を夢中になって聞いてただけだ。
「そも、そもっ……録音とか、むり、ですっ……」
「私しか聞かないよ? いやむしろ聞かせてなるもんか、私だけが聞きたい」
「せんぱいっ、でも、むりっ……は、はずかし、すぎ、だからっ……」
「いやむしろ恥ずかしそうな声でやってくれるのを期待してるまであるから、需要はばっちりおさえられてるから」
「わ、わたしの、気持ちの、も、ももももんだいっ、ですっ……!!」
がんばって強めに否定すると、先輩は心底から悲しそうな顔をして、
「どうしてもダメ……? もしかして、嫌だった……?」
「い、いや、というか……はずかし、から……む、むり……こん、なの……そ、それに、まいにち、聞くって……」
「え、そりゃもう聞くよ。むしろこれで会えない土日も成分補給ができて、永久機関が完成しちゃうよ。心がはっぴーで埋め尽くされるよ」
「……そ、そんなに……わたしの、こえ……すす、すき……なんです……?」
「好き! 大好き!! 神!! 毎日聞きたい!!!」
「えうぅ……あぅ……」
どうしよう、先輩が変態だってわかっても、褒められるのは嬉しい。
だってこんなにまっすぐに、褒められたコトなんてない。
声がちいさくて、いつも呆れられたり怒られたり、困られてばかりで。
そういう自信のなさにひっぱられるように、本の中に引きこもって。
声だけじゃなく、見た目にも自信がなくなって、オシャレなんて考えたこともない。
そんな私に、先輩の真っ直ぐすぎるくらいの『好き』は、毒みたいに重たく効いていた。
「はっ……もしかして、私が君の声だけが好きで近付いてきたって思ってる?」
「ふえ、え……?」
「そうか……確かにそう考えると、失礼なやつだって思われてもしょうがないね。ごめん、勘違いさせた」
「えあ、え……い、いえ、せんぱ、ちが、くて……」
むしろ今、勘違いしてるのは先輩の方だ。
私の方はもう、声を褒められるだけで心臓が自分でも聞いたことないくらい暴れ散らかして、大変なことになっている。
正直、ほかのことなんて考える余裕もないくらい嬉しい。
油断したらすぐに、表情筋がゆるんでしまいそうなくらいだ。
ただ、えっちな言葉を朗読して、しかもそれを大好きな先輩に聞かれるのが恥ずかしいと言うだけ。
「確かに私は君の声が好きだ、大好きだ。毎日囁いてほしいし、本当は夜寝る前に電話とかしたい」
「ぴぃっ……!?」
「自分が声フェチなことも否定しないし、私が君の声に魅力を感じてるのも事実……でも! それだけじゃないよ! 君の控え目だけど優しい性格も大好きだし、本が好きで本のことを話すときは頑張って喋ろうとする、好きなことに正直なところも好きだ!!」
「ひゃ、ああ……」
「すぐ照れるのも可愛いし、苦手でも精一杯に私と話してくれようとするのも好き。あと正直ふともも柔らかそうだから、膝枕はしてほしかった。……だから別に声だけが好きなわけじゃないし、そもそもこんなこと、よほど信頼してないと頼めないよ。そう、君にしか頼めない、君だからしてほしいことなんだ」
「えあ、ああ、あ、う」
「……でも、いくら好きでも、好きな人が嫌がっていることを強要するのは良くないね、うん。大丈夫、ちゃんと諦めるよ」
残念そうな顔をしつつも、先輩は台本をとって鞄にしまう。
かわりに、先輩が最近読んでいるといっていたシリーズものの伝奇小説が出てくる。
「まあ、なんというか、図々しいかもしれないけど、これからも気にせず相手してくれると嬉しいな。これからは迷惑かけずに自分で勝手に楽しむだけにするから。……嫌な気持ちにさせて、ごめんね」
「あう、あ……」
ぱっと明るく笑って、先輩は本を開いた。
いつも私たちがしている、お互いに向かい合って本を読むというなんでもない時間。
おそらくは私がこれ以上気に病まないように、いつもの空気に戻してくれた。
「う、う……うー……」
一方の私はというと、好きと言われまくって頭の中がぐちゃぐちゃ。
しかも急にいつも通りの空気に戻されて、熱の行き場もない。
(すきって、好きって、うれしいけどっ、けどっ……)
いきなり過ぎてまだ頭が追いつかない。
だけど、好きと言われる嬉しさだけはどうしようもないものとして、熱を放ち続けている。
「っ……」
心臓は、ずっとずっと鳴りっぱなし。
今までに感じたことのないような顔の熱さと、背中に流れる汗。
恥ずかしいのと、嫌とは違う。
好きって言われて嬉しいし、でもだからって録音なんて恥ずかしい。
だって毎日、私の声を聞くって。
そんなこと言われたら、私だって想像してしまう。
毎晩私の声に、耳を傾けてくれる先輩のこと、考えてしまう。
「あ、うぅぅー……」
そういうことを、ちゃんと説明したいのに、言葉が出てこない。
頭の中がぐるぐるだし、話をするのが苦手だから、声にならない。
でも、このひとに勘違いはしてほしくない。
恥ずかしいだけで、嫌な気持ちになったり、嫌いになったりしていないって、わかってほしい。
「っ……」
私は意を決して、席から立ち上がった。
本に目を落としていた先輩は、椅子が動く音を聞いて、こちらに視線を向けてくる。
「お……ど、どうしたの?」
「…………」
ビックリした様子の先輩の方へ、私はゆっくりと移動した。
一歩を踏む度に、心音が倍になっているような気がする。
それでも、私はなけなしの勇気で先輩の隣にいった。
「……わたしも、だいすき、です。せ、せん、ぱいっ……」
台本みたいに、可愛くえっちに囁いてはあげられないけど。
せいいっぱい、気持ちが伝わるように、がんばって口にした。
「……………………」
先輩はおそらくは茹であがったタコみたいな私の顔を、じっと見詰めて、
「……なんで私の耳って録音機能ついてないんだろう」
意味がわからないことを言いながら、天を仰いだ。
「は、え……?」
「今の録音したかったぁ……毎日ききたい……あ、そうだいっそ録音がダメなら毎日言ってもらうっていうのはどうかな……?」
「い、いえましぇんっ、そんな、ことっ」
「うぅ、お金払ってもダメ……?」
「はらっても、だ、だだ、だめっですっ……は、反省、してない、ですねっ……!?」
「いや反省はしてる、反省はしてるんだけど……そんなカワイイ声で言われたら、我慢するの無理じゃん? ズルだよ今の、責任とってほしい」
「し、しししっ、しりませんっ、しらないっ、も、もう、いわないっ……」
一生懸命、ものすごく頑張って口にした『好き』なのだから、そんなぽんぽん出てくると思わないでほしい。
「ええ、もう言ってくれないの? ぜったい? もう二度と? 嫌いになった?」
「ちがっ……せ、せんぱっ、ちかい、ですっ……」
「今のは君から近寄ってきたから良いでしょ、おねがい、せめてもう一回……いや今すぐじゃなくて明日録音機材もってくるからそこでもう一回今の言って!」
「む、むむむむむっ、むいっ、むりっ、ですっ……!」
あと、そんなにぐいぐい来ないでほしい。
このままだと、押し切られてしまいそうだから。
死にたいくらい恥ずかしいのを我慢して、言うことを聞いてしまいそうだから。
「……ひざ、くらい、なら……うぅ……」
「へ?」
「っ、や、やっぱい、な、なな、なんでもないっ、ですっ……ろうどく、とか、ぜったい、ししし、しませんっ、からっ……」
ほらもう、うっかり口が滑りそうになっちゃってる。
これ以上ほだされないように、私は強く否定するのだった。