揺らいだ世界
テンションが下がった私は、早速机の上に伏せた。でも目は瞑っていない。顎を机の上に乗せて前を見て、ちゃんと起きている。
いつもはこれくらいの時間になって、ようやく校門をくぐるくらいだ。それから息を若干切らせながら登校してきて、先生と同じタイミングくらいで教室に入る。だから、こうしてゆとりをもって先生が教室にやってくるのを待つのは、新鮮だ。
新鮮だけど、暇だな。寝てしまいそう。
「ハルちゃん。寝ちゃダメだからね?」
「んー」
そんな私の考えを見透かしたかのように、隣の席のメイがそう言って来た。
私はやる気のない返事をしつつメイの方を見ると、メイは一時限目の授業の教科書を既に机の上に揃えていて、準備万端だ。真面目だなぁ。でもそれがメイの良い所なんだよねぇ。可愛いなぁ。
そうしていると、教室の扉が開かれて先生が入って来た。
眼鏡をかけた、スーツ姿の女教師だ。そのスーツ姿に、妙に色気を感じる。彼女の胸は大きく、お尻も大きいからだろうか。各所が女を強調していて、その上でタイトスカートから覗く足を包み込む黒タイツが、色気を増長させている。髪の毛は輝く金髪で、それを編み込んで団子状にした状態で後頭部に生やしている。鼻が高く、目は青色。その容姿は、どこからどう見てもこの国の人間ではない。
「皆さん、おはようございます。出席を取りますので、席についてください」
先生に促され、一部席についていなかった生徒がおとなしく自分の席につく。それを見届けてから、先生が出席を取り始めた。
でも、おかしい。どう考えても、おかしい。うちのクラスの担任は、こんな金髪美人女教師ではない。やる気のなさそうな、中年の男のはずである。見間違いようがない。あの男と、この金髪美人教師を。
なのに何故皆、この女教師を自然と受け入れているの?もしかして、私の知らない所で担任のチェンジでもあった?
「……ね、ねぇ、メイ。あれ、誰?」
「何言ってるの、ハルちゃん。先生だよ」
「……いつ担任って変わったの?」
「ハルちゃん。もしかして、寝ぼけてる?寝ちゃダメだって言ったのに」
小声でメイに尋ねたら、あらぬ誤解をされてしまった。
メイにそう言われてしまったら、もう何も言えない。仕方がないので、思考を停止させて素直にこの状況を受け入れよう。
「いやいやいや、寝てないから。もしかして私を騙そうとしてる?」
という訳にはいかない。こういう状況を放っておけるほど、私はおとなしい人間ではないのだ。
「だ、騙すって、何を?ていうか静かにしないとダメだよ。先生に怒られるよっ」
「──そこ。騒がしいですが、何かあったのですか?」
「い、いえ!なんでもありません!……ほら、怒られちゃった」
「う、うん……ごめん……」
先生に注意され、それにメイが謝罪してから私に抗議してきた。私は謝って黙るしかなくて、何も言えなくなってしまう。
どう考えても知らない人が担任としてやってきて、それを皆が受け入れている。名前を呼ばれた生徒は元気よく返事をして、滞りなく先生の作業は進んで行くこの状況。なんだ、コレ。
もしかして、イジメかな?先生、このクラスでイジメがおきています。今すぐ改善のための行動をおこしてください。
「工藤 守君」
「はーい」
「小峰 影夜さん」
「……はい」
「敷島 春香さん」
「……」
「敷島さん。敷島さん。いるのに、何故返事しないのですか?」
「はっ」
この状況の解析をしていたら、呼ばれているのに気づかずにボケーっとしてしまっていた。これじゃあメイの事を言えなくなってしまうじゃないか。
「先生!ハルカちゃんは珍しく朝早く来て、疲れてるんでーす。だから勘弁してあげてくださーい」
と明方君が声をあげ、クラスに笑いが溢れ出た。
庇うのはいいけど、余計な事は言わないでほしい。余計な事のせいで、君に対する好感度はプラスにもマイナスにも動かずに低空飛行のままだ。
「そう。それはご苦労様。だけどせっかく早く来たのに、返事をしなくては欠席扱いとなりますので注意してください」
「……はい」
この先生、私の知る担任よりもしっかりしている。あと、美人さんだ。彼女が教室にやってきてから、なんだか良い匂いが漂っている気もする。香水とは違う、田舎の田んぼを彷彿とさせる稲穂のような香りだ。何でこんな香りがするのかは分からないけど、良い香りだし心地が良い。
こうなった理由はその内分かるだろうし、今は私の知っている担任の事はあっちに置いておいても、別に損をする事はない。むしろ、こんな美人さんに怒られてご褒美です。ありがとうございます。
「では、もう一度呼びます。敷島 春香さん」
「はい」
今度は、しっかりと返事をした。
──その瞬間、世界が揺らいだ。
方向感覚がおかしくなり、どこが上で下なのかが分からなくなる。自分が浮いているような気さえする。けど実際は落ちている?いや、天に昇っている?分からない。
声を出してみた。叫んでみる。だけど何も聞こえない。何も分からない。
そんな状況で、私は咄嗟に隣に座っていたはずのメイに向かって手を伸ばす。方向感覚も何もないので、伸ばした方向にメイがいるのかどうかも分からない。だけど必死で手を伸ばし、そしてようやく掴んだ。
同時に私は意識を失った。その意識は、どこか途方もなく遠い場所へと飛び去って行く。目の前が暗闇に包まれ、自分の身に何が起きているのかも分からないままに、私は深い眠りについた。