素直に
私はセカイを抱き締めながら身を屈め、庇うようにしてその死を待った。でも、いつまで経ってもその時はやってこない。
なので恐る恐る顔を上げると、目の前に狼さんはいた。
セカイと初めて会った時のように、一瞬にして消え去っていてくれたら良かったのに。そんな淡い期待を抱いていたけど、裏切られた気分だ。
「グルル……」
呻る狼さんに睨まれた時の対処法って、どうすればいいんだろう。知識に乏しい私に、その答えは見いだせない。でも、先程背を見せた時に攻撃して来なかったのは運が良い。どういうつもりで襲って来なかったのかは分からないけど、そっちが私を舐めているのなら綻びがあるはずだ。攻撃しなかった事を、後悔させてやる。
私はセカイから手を離すと背後に置き、拳を構えて戦う意思を示した。
「ワシを庇おうなどと思う必要はない。お主は一人で逃げるのじゃ」
「そういう冗談、今は通じないから黙ってて」
「……」
私がそう言うと、セカイは本当に黙った。
私だって本当は今すぐ逃げたいよ。全身から冷や汗が溢れ出し、今にも訪れようとしている死に、精神が飲み込まれそう。
それを助長させるのが、この狼さんの血走った金色の目だ。殺気交じりの、本当に相手を殺して食ってやろうという気迫を感じさせる。守る物がなかったら、飲み込まれてしまっていたかもしれない。だけど私は奮い立つ。この狼さんに、せめてセカイに手を出させはしない。
「ほう。小さき人間が、この我に睨まれ立ち続けるか」
「喋った!?」
すると突然、唐突に、前触れもなく、狼さんが喋り出した。その声はダンディなおじさんのように低く、カッコイイ声だった。
いや、待てよ。狼さんが喋ったように見えるだけで、別の誰かが喋ったのかもしれない。狼さんの口、動いてなかったからね。少し開いただけだった。だから私は周囲を見渡し、喋りそうな物を探す。
うん。何もない。
「あ、貴方が喋ってるの……?」
「そうだ。他に何が喋ると言うのだ、小さき人間よ」
「う……うわぁ……!」
私の応答に答えてくれる、狼さん。その事実に私は、目を輝かせた。
実は私、動物とお喋りするのが夢だったりするんだよね。それをこの狼さんが叶えてくれたという訳だ。テンション上がらずにはいられない。
いやでもテンション上がっている場合ではない。言葉が通じるという事はなんとかなるかもしれないけど、その答えを見誤ったら私とセカイに待つのは死である。ここは慎重に、失礼のないようにしなければ……!
「わ、私達、食べても美味しくないです。だから食べないでください、お願いします!」
「我が、人間を食べるだと?我は肉を必要とはしない。もし食うとしても、汚らわしき人間を食うなど、こちらから願い下げだ。貴様、今すぐ噛み千切ってやろうか」
「わぁお……」
いきなり、失礼な事を言ってしまったようだ。確かに、大きな牙と爪を持っているからと言って、肉を食べるとは限らない。偏見だった。私が悪い。
私の失言に対し、狼さんの目つきが鋭くなってしまった気がする。刺激しないように命乞いをしたつもりが、逆に刺激してしまう結果となってしまった。
「そ、それじゃあ、私達に用はないという事で……どっか行って?」
「たわけ、人間。用ならある。貴様達の命の根を止めると言う、大切な用がな」
「食べないんじゃないの!?」
「食わぬ。だが殺す」
「そんな理不尽なっ!横暴だ!暴力反対!」
この狼さん、とんだバーサーカーだったよ。空腹を満たすためだったら、まだ殺され甲斐がある。だけどただ殺すために殺されるなんて、冗談ではない。理不尽だ。断固抗議する。
「落ち着かぬか、ハル。貴様程の者が、意味もなく殺戮を繰り広げるとは思えん。理由があるのなら、聞かせてはくれぬか?」
「……貴様たちは、聖域を侵した。汚らわしい人間が入ってはならぬ領域に、土足で入り込んだのだ。しかしそれは、侵入を許した我の過失でもある。本来であれば、聖域に入り込む前に排除するべきであり、それが我に与えられし使命……。貴様たちは一体、どこからやってきたと言うのだ」
「ワシらは異世界からやってきた。転移先の場所は選ぶ事ができず、この地に現れたのは偶然じゃ。当然聖域とやらの存在も知らず、不可抗力であった。しかしこの地を侵してしまった事は謝罪しよう」
「ふむ。なるほど、異世界からの使者であったか。……聖域を侵した理由は、分かった。不可抗力である事も、理解した。それについて罪に問うつもりはない」
「ほっ」
私は息を吐き、安心した。
どうやら私は黙ってセカイに任せた方がよさそうだ。余計な事は言わず、見守っておこう。
「しかし貴様ら、世界樹を傷つけたな?」
「世界樹?」
「この森の中心にある、巨大な樹の事だ。そこに、その人間の額と同じ程の高さの場所に、ヒビが入っているのを確認した。そして貴様の額に怪我の痕がある。どういう事か、説明願おうか」
「ど、どうじゃろうなぁ。偶然じゃないだろうか。なぁ、ハルよ」
「……夢かどうか確かめようと思って、頭突きしました。そしたら痛くて、夢じゃありませんでした。でもたかが頭突きで木にヒビとか……私のせいじゃないと思います」
セカイに話を振られ、私は事実をそのまま素直に述べた。下手に嘘をつけば、この狼さんを刺激する事になりかねないから。
「やはりっ!貴様達の仕業だったか!世界樹に傷をつけるという事は、この世界の自然全てに喧嘩を売るという事!万死に値する!」
「ま、待った!そんなに怒らないでよ!確かに頭突きはしたけど、たかが人間の頭突きで木に傷なんて作れないから!」
「何故素直に言ってしまうのじゃ。誤魔化しておけばいい事じゃろうて……どうやら異世界転生して早々に、終わったのう」
「黙れ!その罪、死をもって償うが良い!」
セカイが、私の腰に抱き着いて来た。全てを諦めたようで、そのまま覚悟を決めたかのように目を閉じてしまう。
目の前には、怒り狂った狼さん。幼女に抱擁されながら、大きな爪が容赦なく私達に向かって振り下ろされようとしている。その爪で引き裂かれたら、きっと痛いんだろうなぁ。いや、もしかしたら痛みを感じる暇もないかもしれない。一瞬にして死んで、終わりだ。
「っ!」
私は覚悟を決めつつも、その爪を受け止めてやろうかと思った。例え無駄な抵抗に終わろうとも、諦めはしない。
すると、そんな私の想いに呼応してくれたのだろうか。空から何かが降って来るのを、狼さんの爪越しに見つけた。助けてくれるなら、何でもいい。
私はその落ちて来る物に向かって、手を伸ばした。