水分補給
歩み始めた森の中は、それはそれは不気味だった。上空は相変わらず、あの巨大な木の枝と葉で包まれており、日の光はとても少なく薄暗い。森の中の木々もそれに付随するかのように巨大で、堂々としたもんだ。そんな巨大な木が、どこを見ても、どこまでも続いていて私達の行く手を阻む。
歩き出してから、どれくらいの時間が経っただろう。薄暗い森の中を、頑張って歩いて歩いて歩き続け、ついにバテた。
「ふはー!もう無理、休憩!」
本当に、どこまでも同じ光景がただただ続くだけ。もはや私は自分がどこから歩いて来たのかも分からない。方向感覚は完全に麻痺してしまっている。
そんな中で、私は地面に座り込んでそう叫んだ。
足が痛い。道なき道を歩く事によって体力が奪われ、息もあがって来ている。最初、気温は高くなく、むしろ肌寒く感じていたのに、今は暑い。いつの間に、春から夏に移り変わったのって感じだ。
「もう疲れたのか?」
「もうって……結構歩いたよ?」
「だらしがないのう」
頑張って歩いて来た私に対し、文句をたれて来る幼女、セカイ。
彼女はそう言うだけあって、息が全く上がっておらず、汗もかいていない。裸足なのに痛がる素振りを見せる事もなく、共に歩いてきている。
この子の体力に、私は戦慄さえ覚えるよ。本来なら私よりも早く根を上げそうな幼女が、この厳しい道のりを歩いて平気そうな顔をしてるんだから、それくらい驚いた。本当にこの子は、人間じゃないのかもしれない。そんな気すらしてくる。
「ほれ、口を開けよ。水を出してやる」
そう言うと、セカイが人差し指をたてた。その指先に、不思議な事にどこからともなく水が出現。球体を作り、渦巻いている。
そう言えば、水は魔法で出せるから心配するなとか、カッコイイ事言ってたっけ。セカイが一緒で良かったよ。喉がからからで、もう死にそう。
「あ、ありがとう。それじゃ、遠慮なくいただきます」
「うむ。喉の渇きを癒したら、すぐに出発──ひんっ!?」
私はふらふらと立ち上がると、セカイが出してくれた水に食らいついた。水と、その水が溢れ出すセカイの指ごとを口の中に含み、喉の渇きを癒す。
その可愛らしい指を、ちゅーちゅーとストローのように吸い上げながら、舌で舐めると出がよくなる気がする。なので、私は実際にそうした。
水の味なんて気にした事なかったけど、この水は凄く美味しい。私は喉の渇きを癒すために、ごくごくと喉をならしてセカイの水を飲み込んでいく。指を舐め、吸い上げる事も忘れない。
いや、本当に、美味しい。
「ぷはっ。生き返ったぁ!」
私はたっぷりと水を飲んでから、セカイの指から口を離した。
喉の渇きは癒え、体力も回復した気がする。私、復活。それもこれも、セカイの水のおかげである。
「お主一体、何をしておる!?」
「何って、水分補給。いやぁ、おかげで生き返ったよ。本当にありがとね」
「そうではなく、コレじゃ!何故ワシの指まで口に含んだ!?」
セカイが、私の涎でぬめった自分の指を、私に突き出して来た。汚い。なので近づけないで欲しい。
「汚いから、近づけないでくれる?」
あ、しまった。思わず口走ってしまった。
「お主がやったんじゃろうが!」
「ぎゃー!」
その指を、セカイが私の頬につけてそう訴えて来た。私は叫んだ。だけどセカイは私の頬を、その汚い指でぐりぐりとして擦り付けて来る。容赦がない。
「わ、私はただ、セカイが水を飲ませてくれるって言うから口をつけただけで……」
「口をつける必要などない!ワシは指から水を出しているのではなく、指先に集めた魔力で具現化しているのだ!あと吸う必要もなければ、舐める必要はもっとない!お主がワシの指に対してした事は、変態じゃ!変態がする事じゃ!」
「別に、同性だし問題ないでしょ。それに、ただ舐めただけだよ」
「口答えをするな」
「はい。ごめんなさい。喉が渇いた上に疲れていて、少し錯乱していたと思います」
私はセカイに睨まれて、素直に謝罪をした。
今思えば、確かにおかしな行動だったと思う。差し出された指を見て、何も考えずにしゃぶりついたのは確かにおかしい。あまつさえ、その指を吸ったり舐めたりするなど、言語道断である。
でも、セカイの指、美味しかったな……。
「まったく……分かっておるのか?ワシは、お主の世界に終焉を迎えさせた、元凶。言い換えると、お主の大切な者達まで消し去った悪魔のような存在じゃぞ。そのような存在の指を、喜んで舐めしゃぶる行為は慎むべきじゃ」
「じゃあ、世界に終焉を迎えさせた元凶じゃなければ、舐めても良かったの?」
「揚げ足をとるな。ダメに決まっておるだろう、常識という物を考えろバカめ」
今日、もう何回目かも分からないバカをいただきました。
それにしても、揚げ足ってなんだか美味しそうな言葉だなと思った。だって、足を揚げるんだよ。イカとか、タコとか、絶対に美味しいじゃん。
そんな想像をしたら、お腹が減って来た。いや、元々減ってはいたんだけどね。食べ物がないので、我慢していただけだ。
「グルルルル……」
すると、大きな唸り声のような音が聞こえて来た。その音の発生源は、私ではない。お腹は減ってるけど、なってはいない。
ははーん。となると、セカイのお腹の音か。お腹が減っていたんだね。しかも、この大きな音は相当減っているとみた。余裕そうに見えて、実は腹ペコのセカイに対し、私は思わずニヤけてしまう。
「……何を、ニヤけておる」
「セカイが、可愛いなと思って」
「そのような世辞はいらん。ワシは世界を滅ぼした張本人。お主に嫌われる事はあっても、可愛いなどと思われる事はない」
「いやいや。本当に可愛いと思うよ。お世辞でもなんでもないから」
「世迷言を言うでない。ワシは──いや、こんな言い争いをしている場合ではない。後ろを見よ」
「後ろ?」
「グルルルル」
セカイに言われて、振り返った。すると、そこにいたのは大きな狼さんだった。牙をむいて私達を見下ろし、こちらを威嚇するように歯をむき出しにして呻っている。
その体毛は薄緑色で、輝きを放っているかのように美しい。長めの毛は地面につきそうになっており、どこかセカイと似た所を感じさせる。
まぁ狼さんと言ってるけど、狼さんなのはその見た目の例えで、別の生き物である。特に、大きさが全く違う。彼のその大きさは、異世界クラスだ。象をも軽く凌ぐ。全長50メートルくらい?私なんて、その口に放り込まれたら一口で丸呑みにされてしまいそうなくらい、ちっぽけな存在だ。
その唸り声は、先ほど聞こえて来たセカイのお腹の音と同じだ。偶然にも、本当によく似ている。いやむしろ、狼さんの唸り声だったのか。そりゃそうだー。こんなに大きなお腹の音、聞いた事ないからねぇ。おかしいと思ってたんだよ、はは。
「逃げるよ!」
私は唐突にセカイの手を握ると、狼さんと逆方向に走り出す。
ようやく理性が追いついて来た。この状況は、ヤバイ。本当に、狂暴そうな生物と遭遇してしまった。しかも相手は熊どころじゃない。このままでいたら、食べられる。逃げないと。
でも私は駆けだした直後に背後から迫る気配を感じ、コレ死んだなと思った。