第95話_夜の散歩
二人で宿を出て少し歩いたところで、私は彼女を建物の陰、人気の無いところへと連れて行く。当然ナディアはすぐに違和感に気付き、首を傾けた。
「何処へ?」
声を掛けられた直後に足を止め、彼女の身体を引き寄せる。周りに人の気配は無く、誰からも見えない真っ暗な場所。
「ナディ、目を閉じて、私の胸に顔埋めといて」
「なに」
「良いから。大丈夫」
抱き締めて俯かせると、身長差の関係でナディアの顔は必然的に私の胸辺りに来る。怪訝な顔をしていたが、渋々という様子で彼女は目を閉じ、私の胸元に額を寄せてくれた。
「はい、もういいよ」
三秒を数え終えたくらいでそう言って腕を緩める。「何だったの」と言いたげな顔で身体を離しながら目を開けたナディアは、一秒後にはぎょっとしていた。私達は今、森のど真ん中に居ます。小さく「えっ」と漏れた声が愛らしくて、私はニコニコ笑顔になってしまう。
「転移魔法を使ったの?」
「そうだよ」
まだ信じられない様子で辺りを見回し、何度も瞬きを繰り返す彼女の手を引いて、のんびり歩く。
「こんな場所を散歩するなら、靴を選んだのに……」
「あはは、ううん、そんなに歩かないよ。この辺で休もう」
十数歩だけ進んだところで、広く開けた場所に出た。私は収納空間からベンチと小さいテーブルを出して、お茶の用意を始める。
「はい、どーぞ。ハーブティーだよ」
唐突に始まったお茶会に、ナディアは眉を寄せながらも私に差し出されたカップを受け取ってくれた。
「……元々、私を連れ出す気だったの?」
「んー、半々だね。ナディが付いてこないって言うなら、それでも良かったし」
どうせ私も眠れなかったのでね。私の言葉をナディアがどのように受け止めたのかは分からないけれど、それ以上、私の行動に対する追及は無かった。私達は少しだけ静かに森の音を聞き、黙ってハーブティーを傾ける。尚、このハーブティーには覚醒作用は無く、リラックスできる成分が含まれている。身体が温まることも含めてナディアの眠気を誘ってくれると良いんだけどな。勿論、私の眠気もね。
「今日はどうして泣いたの、ナディ」
問われることを予想していたからだろうか、ナディアにはあまり驚いた様子も戸惑った様子もなく、ただ少し、視線を落としていた。
「形容できないくらい、悔しかったからよ」
答える声も、まだ、悔しそうだった。
「あなたがあの子に掛けたような言葉を、私も、ずっと……」
言ってあげたかったんだろう。「自分が守るから怖くない」「大丈夫だ」って、絶望の日々の中で、苦しんで痛んでいる妹達に。だけど彼女には言えなかった。あの子達を守れなかった。リコットやルーイがどれだけ傷付いていても、それをただ見ていることしかできなかったという悔いが、彼女の中ではまだずっと根深い。
震えている手からカップを回収して、テーブルに退避させる。そして温かかったカップを失った手が冷えてしまわないように、私の手で握り込んだ。
「ナディは何も間違っていなかったよ」
何も知らない私がそう断じてしまうことは、当事者にとっては腹立たしく思うかもしれない。でも、ナディアは少し目を細めて私の手を見つめただけで、沈黙していた。
「君には組織に逆らう力が無かった。勇気が足りなかったとか、そういう問題じゃない。何をどうしたって、君はあの男達には敵わなかったんだ。だから、抵抗しなかったことは間違っていない」
もしも行動を起こしてしまっていたら、ナディアは酷い仕打ちを受けただろう。最悪の場合は見せしめとして殺されたかもしれない。そうしたらリコットとルーイは更に悲しむ結果になっていた。一番の心の支えであったはずのナディアを失くし、二人きりで地獄に残される。そんなこと、想像もしたくない。
「ずっと君は、姉のような存在として二人の心を支えてきたよ。当時のことを何も知らなくても分かるよ。じゃなきゃ二人は、君が居るなら『何でも良い』なんて言い方で未来を選んだりしない」
私が三人に、組織から解放された後どうしたいかを問い掛けた時、あの子達は、選択の全てをナディアに委ねた。ナディアの傍がこの世界で最も安全であるかのように。ナディアが居るならそれが一番怖くないみたいに。それはどれだけナディアが彼女に出来る最善の方法で、二人を守ってきたのかを表すものだ。そしてナディアが二人にとって確かな救いだったことの証明だ。
「これからはリコもルーイも、勿論ナディも、私が守るから。あの日々を思い出して何度も傷付かなくていい。ゆっくり、辛かったことを癒していってほしい」
抱き寄せれば、彼女らしくないほど素直に腕に収まって、私の身体へと凭れてきた。小さく鼻を啜る音が聞こえる、また、ナディアが泣いている。背中を撫で、先程そうしたかった形で彼女を慰めた。するとしばらくは大人しく慰められてくれていたナディアが、腕の中で小さく唸った。
「あなたの胸で泣くのは、屈辱だわ」
あんまりの言われように、思わず笑い声を漏らしてしまう。私は君の、そういうところが大好きだよ。
彼女の涙が落ち着いた頃、飲んだハーブティーも効いてきたのか、ナディアが眠たげに目を瞬く。私は傍にいつもの野営テントとベッドを出して、寝間着に着替えさせたナディアに添い寝した。とろとろと眠そうにしながらも、ナディアが困った様子で眉を寄せる。
「部屋に、戻らないと……みんなが、心配……」
「大丈夫だよ。君が眠ったら、また転移魔法で部屋のベッドに移してあげるから」
そんな私の言葉に何か反応をしそうな感じだったけど、瞬きを繰り返した後、何も言わずにナディアは眠った。可愛い。本当にドッと眠気が来ちゃったんだな。猫耳を突いても反応しないくらいぐっすりだ。
抱いて疲れさせたわけでもないのに私の隣でナディアが眠っていて、やっぱり眼福だと思う。泣いていた子に対してこんな感想は薄情なのかな。まあいいか。可愛い寝顔をちょっとだけ堪能してから、宣言通り、私は彼女を宿のベッドへと移した。
翌朝、目覚めた彼女が小さく「夢でも見ていた心地だわ」と呟いていたのは、隣のベッドの私にしか聞こえていなかった。




