第91話_警戒
しかしその心配を飲み込んでも、ナディアにはもう一点、アキラが居ない内にラターシャへ告げておきたい懸念があった。
「話は変わるのだけど、ラターシャ」
「ん?」
「あなたが暮らしていたエルフの里のこと、アキラにはどの程度、話したの?」
ラターシャは首を傾げて少し眉を寄せる。質問に答えることの難しさよりも、それを問うナディアがやけに真剣な顔を見せている方が気掛かりであるようだ。
「そんなに多くは話してないけど……」
そう前置きをしてから、ラターシャはナディアに今までアキラへと話した内容を掻い摘んで伝えた。エルフの里は特殊な術で守られていて許可が無いと入れないこと、里は五つ存在していることや、ハーフエルフの立場が低いものの、純血の中では特別な身分制度は無いこと。
「正確な里の位置、またはそれが推測できるような話は?」
「ううん。私と出会った場所から近いことは、やんわりと伝えたけど。どうして?」
ナディアはずっと難しい顔を緩めない。それどころか、険しくなっていくように見える。少しの沈黙を挟んでから、意を決した様子でナディアがラターシャを真っ直ぐに見つめた。
「アキラは確かに優しくて、私達を決して傷付けないわ。だけど私達以外に対しては、そうではない」
ラターシャは黙ってそれを聞いていた。相槌も、同意も否定もしなかった。
「私達の組織の人間をアキラがどうしたのかは、聞いている?」
あの日、ナディア達が待つ屋敷に向かう道中で、アキラは状況を軽く説明していた。それ以外のことをラターシャは知らない。アキラは柔らかな表現に留めていたが、おそらく殺したのだろうとは思った。そう伝えればナディアが軽く頷く。ナディアの深刻な表情とは裏腹に、反応が軽かった。それは本当に明かしたい内容が『殺した』だけでないことの示唆であると感じて、ラターシャの緊張がじわりと強まる。
「殺したところを私は見ていないけれど、そうしたとアキラは私達に言ったわ。だけど、その前に『拷問した』とも言っていた」
ラターシャは小さく息を呑む。あの日ニコニコと笑いながらラターシャに状況を説明していたアキラの顔が頭の中でちらついた。誰かを殺めた直後の人とも思えないが、更に、ラターシャが想像もできないような残酷な仕打ちをしていたなんて。別の誰かの話なのではないかと、あり得ないのに、思ってしまう。
ナディア達はアキラが「終わったよ」と迎えに来た後の屋敷内で、一滴の血も見ていない。遺体も残っていなかった。
けれどアキラが拘束魔法で男達を床に叩き付けた時点で数名が怪我をしていたし、何より、ナディアは『感じて』いた。あの時のアキラはナディアのことをまだよく分かっていなかったから、その配慮は無かった。
「酷い血の臭いだった。今までに、嗅いだことが無いくらいの」
「……ナディア」
記憶を辿るだけで、ナディアの表情は真っ青になっていた。
猫系獣人は、人族より遥かに嗅覚と聴覚が勝る。アキラの魔法で音は遮断され、声などは何も聞こえていなかったけれど、時間を追うごとに増していく、むせ返るような血の臭い。間違いなく、誰かが誰かに傷付けられていることを、ナディアだけは感じ取っていた。そしてアキラが来る寸前、その臭いが一瞬で消え去る。あったのはアキラが纏う微かな残り香だけ。
「あの人は一度『敵』とした相手には容赦がないわ。だから私は、心配しているの」
ゆっくりとした深呼吸を挟んで、ナディアは記憶を振り払う。そうして再び、ラターシャを見つめた。
「あなたを傷付けたエルフ達を、アキラは、許さないと思う」
瞬間、ラターシャが目を見開く。彼女はようやく、ナディアが何を言おうとしているのか、何を心配して顔色を悪くしているのかを察した。
「エルフの情報をアキラに与えるべきじゃない。あの人はエルフ達を見つけ出して殺す気かもしれない」
「そんな……」
――そんなはずがないと、言えるだろうか?
ラターシャがエルフの里で受けた仕打ちを思い出す度に、アキラは彼女らしくないほど不愉快そうに目を細める。「憎くないか」と、そうだ、アキラが聞いていた。あれにもしもラターシャが「憎い」と答えていたなら、アキラは、どうしたのだろう。
幸いその問いをラターシャは否定した。しかしそれにアキラが答えた言葉は「ラターシャは優しいね」だった。
まるで、自らの答えとは違うとでも言うようだ。
「確証は無いわ。あくまでも念の為だけど。エルフに関する質問は、慎重に答えた方が良いと思うの。あの人は振る舞いこそバカだけど、私やあなたよりずっと頭が良い。油断をすればきっと全ての情報を吸い出されてしまう」
異常とも言える『記憶力』だけのことではない。自らが生まれ育った世界とはまるで違う場所に飛ばされたにしては、アキラは立ち回りが上手い。少ない情報の中で数え切れないほどの『可能性』を吟味して動いているように、ナディアには見えていた。
「あんなに頭が良い人が持つには、怖すぎる能力よ、真偽のタグは」
受ける側は逃げられる手段が限られる。幸いナディアは嘘が得意ではない為、普段通りの方法で躱すことを選んでいるが、元より嘘が得意で、それを上手く利用して交渉を動かしてきたような城の要人は酷い目に遭っているだろうとナディアは少しだけ同情の念を抱く。
「それに、エルフの里を守る『特殊な術』、アキラに破れないと思う?」
最初はそんなこと誰にも出来ないと思っていた。だから『エルフの里に戻る』という選択肢を与えられた時に、許可が無いから入れないという話をした。だけど底の見えないアキラの魔力を知ってしまった今は。
「……破れる、気がする。だからナディアはアキラちゃんが入り口を見付けたら、もう駄目だって思ってるんだね」
「ええ」
許可があるかどうかなど、アキラにとっては無意味かもしれない。彼女は望めば全てを奪うことが出来る。ナディア達をそうしたように。
「分かった。ありがとう、気を付ける」
そう答えて頷いたラターシャのことを、少し心配そうな顔でナディアは見つめる。これを伝えることも、彼女に気を付けてもらうこともナディアが望んだ形だろうが、大好きなアキラを警戒させるようなことを言ってしまった罪悪感は少なからずあるのだろう。優しくラターシャの髪を撫でるナディアに、「アキラちゃんみたい」と言って彼女が笑えば、ナディアは不服そうに眉を顰めた。




