第90話_好き
「いつも軽薄にニコニコしているから、分かり難くて腹立たしいわ」
苛立ちを含めてナディアがそう言い放つと、俯いていたラターシャは笑いながら顔を上げる。それを見たナディアの目は、微かな安堵を宿した。彼女なりにラターシャを心配して、わざわざこのような言い方で笑わせようとしたのだろう。
その気遣いをラターシャが気付いたことも、ばつが悪そうに視線を逸らしたナディアは分かっているようだった。
「ナディアは、アキラちゃんが好き?」
徐に投げられた問いに、無表情のままで、ナディアは少し沈黙する。
「いいえ」
普段通りに素っ気ない声で彼女は答えるものの、それを聞いたラターシャは、楽しそうに笑った。
「ナディアって、嘘、あんまり上手じゃないね」
無邪気な笑顔で告げられた指摘にナディアは眉を顰める。笑うことは得意ではないが、ポーカーフェイスであるのともまた違う。何より、もし嘘が得意であったなら、きっと上手に笑えるのだ。諦めたように溜息を吐いたナディアは力無く「好きよ」と答えた。
「だけど恋愛感情のそれではないわ」
これは本心だった。好意もあるし興味もある。だがナディアの中には恋のようにアキラを求め、欲する心はまるで無い。
「ラターシャは……」
そして逆に問い掛けようとしたナディアは、途中で口を噤んだ。アキラと何度も夜を過ごしている自らの立場で、口にしていい問いなのかどうかが分からなかったのだ。しかしラターシャは、そこで彼女が言葉を止めたのは『省略』だと思ったようで、『戸惑い』だと気付くことなく素直に応じた。
「勿論、大好きだよ」
ラターシャはそう言って爽やかに笑って答えた。けれど、直後に少し困った顔で首を傾ける。
「でも私の気持ちも、どうなんだろう、種類はよく分からないな」
黙ってその言葉を聞くナディアの中には「まだラターシャには自覚が無いのか」という思いがあるくらいで、彼女のそれが恋の形でない可能性を感じてはいない。ただ、その考えを、ラターシャへ伝えることはしなかった。
「アキラちゃんの傍に居ると嬉しいし、好きなところは数え切れないくらい沢山ある。時々、アキラちゃんのことを考えたら胸が切なくて、そういう気持ちはまるで物語で読んだ『恋』みたい」
絵に描いたようだと、彼女自身が告げる。周りから見てもそうだ。だから、恋だろうとナディアは半ば確信していた。しかしそれでもラターシャは小さく首を振った。
「……けど、分からない。私の世界にはずっと、お母さんしか居なかったから」
もしもラターシャの周りにもっと多くの関わりがあって、色んな種類の想いがあったなら。比較し、誰よりも特別な一人として確信することも出来たのだろう。母以外の『最初の味方』という違う特別さが、彼女にそれを断言させない。
「私達のことは、どう思っているの」
この問いを口にする時、ナディアはやや緊張していた。けれどそれを受けたラターシャの方は、きょとんとしていた。
「どうって?」
「……二人きりだったところに加わった私達が、邪魔だとは思わないの?」
「えっ、それは無いよ!」
むしろ彼女は問われること自体が予想外であったような驚きを見せていた。
「ナディア達も行くところがないんだって聞いて、勝手に親近感を抱いてた。……酷いよね、三人は本当に辛い思いをしてたのに」
互いを比べてどちらの方が辛かったなんて言えるのだろうかと、ナディアは思う。組織で過ごした日々はナディア達にとって本当に地獄だった。その前に過ごしていた娼館も、お世辞にも環境が良いものではなかった。けれど、生まれてからずっと、生まれただけで疎まれ、母以外を知らない孤独。更にはその母をも失い、たった一人で生きる術も持たずに放り出される絶望と比べて、『どちらが』等と、到底判るものではない。
「私も外の世界には疎いから、ナディア達が居てくれて本当に心強いよ。それに同世代の人と話せる機会も、今まで無かったから」
ラターシャにとっては、ナディア達の存在も貴重であり、今まで得ることが出来なかった多くの『当たり前』の一つだ。アキラは振る舞いが子供のような人なのでピンと来ないこともあるものの、冷静に考えればラターシャから見て七歳も年上の女性になる。『同世代』という感覚は、まだリコットやナディアの方が近いだろう。本人曰く一番話しやすいのは十二歳のルーイだそうだけれど。
「それに……アキラちゃんの過保護が分散されて、ちょっと助かるって言うか……」
「ああ……」
ナディアは彼女の言葉に苦笑した。アキラ本人だけは少しも認めておらず不服そうにしているけれど、間違いなくアキラは女子供に対して異常に過保護だ。基本的に『好きなことしてて良いよ』とラターシャ達を自由にさせているくせに、薄着になろうものなら「身体を温かくしなきゃだめ」と言い、食事が少なければ「もっと食べなきゃだめ」と言う。今は、誰かが言われたら他の子がフォローに入ってアキラを宥めることが出来るけれど、たった一人でそれを受けるのは大変だっただろう。
「ただ、はっきり言っておくけれど。私はラターシャがアキラを好きになるのは反対だから。あんな人じゃなくても、ラターシャに相応しい相手はきっと沢山いるわ」
「ふふ、ナディアは私にもお姉ちゃんだね」
リコットにも零していたが、ナディアはラターシャの恋が心配で仕方が無いのだ。アキラは超が付くほどの女好きだけれど、子供には決して手を出そうとしないし、そのような目を向けることが全く無い。だからこそ『今の内』だとナディアは思う。
「うーん、でも今の発言はお母さんっぽかったかな? アキラちゃんがみんなのお父さんで――」
「それだと私がアキラと夫婦になるから絶対にやめて」
「あはは、そんなに嫌な顔しなくてもいいのに」
唸るように低く訴えるナディアに対し、ラターシャは楽しそうに笑う。
少女の笑顔の中に、憂いは見えない。彼女が自分の恋をまだ自覚していないせいだろうか。それともアキラのような歪な人を愛しても、彼女は幸せになれるのだろうか。何度繰り返しても抜け出せない思考の奥で。この心配をしつこく押し付け、今の笑顔を曇らせたくはないと、ナディアは軽く首を振った。




