第78話_涙
この店は元の世界でよく行ったフレンチレストランに似た雰囲気で、料理もかなり似ていた。マナーについては何が正解なんだか全く分からないものの、私は自分にとって馴染みのマナーに従って食事を進める。時々食べにくいものが出てくると、隣のルーイを手伝いながら、みんなにも「こうやったら食べやすいよ」と教えてあげていた。そういうことがある気がしたから最初からルーイを隣に座らせていたのだ。
ちなみに、彼女を挟んだ向こう側にナディアが座ったのも予想通りです。かなりの頻度でナディアはルーイの隣に座るので。何かあったらサポートするつもりでいるんだろうし、ルーイもよく彼女を頼っているけれど、もう十二歳であることを思えばそこまで見ていなくても食事くらいできるんだよな。ナディアが見ていたくて、世話をしていたいんだろう――なんて、私も言えた口ではない。
「アキラちゃんって、元の世界では貴族だったりする?」
「ふふ」
飲み物を傾けたタイミングで言ったリコットの言葉に笑ってしまい、ちょっと危なかった。ガロの言葉を思い出すなぁ。私がナプキンで口元を押さえて黙ると、リコットは返答を待たずにそのまま続ける。
「前から気になってたんだよねー、すごく沢山食べるのに妙に食べ方が綺麗っていうか、豪快に食べる仕草の方が逆にわざとっぽいっていうかさ」
「あははは、よく見てるよねぇリコットは」
この指摘は私の世界ですら受けたことが無かった。この世界は観察力が長けた人が多いな。それだけ、厳しい環境で生きている人が多い……いや、日本が平和すぎただけか。
リコットの指摘は正しい。私は幼少期から箸の上げ下ろしに至るまで両親から叩き込まれている。つまり口いっぱいに料理を放り込んで頬張る食べ方は子供の頃には一切したことが無かった食べ方であって、何も考えずに食事をすると自然には出てこない。『わざと』そうしている。だってその方が『美味しそうに食べてる』って感じがするから、美味しいですって表したい時には敢えてそのような食べ方を選ぶのだ。許される場であればね。
それと、『良いところのお嬢様』として見られたくない時にも。
しかしまあ、滲み出てたら世話ないよね。格好悪いったらないな。内心吐いた溜息が外に出ていかないようにと、切り分けたチキンを口に入れ、咀嚼の間、返事を待ってもらった。
「作法については、親の教えが厳しかったんだ。だけど私は貴族じゃないよ。私の居た国には、そもそも身分制度が無かったからね」
日本は基本、法の下に全ての人が平等だ。勿論、雇用者と被雇用者って関係は存在していて、年功序列や男尊女卑という文化がそこかしこに残っている為、「上下が無い」と言うのはどうしても暴論となってしまうけれど、結局「文化」は法ではない為、過度な虐げは出るところに出てしまえば勝てる可能性が大いにある。奴隷制度も存在しない。私にとってこの世界がまるで「物語の中」だったように、みんなにとって私の世界がそうなのだろう。みんなは目を丸めて聞いていた。
「ただそれは『私が居た国は』って話でね、他国も全てそうだったわけじゃない」
「アキラの世界には、どれほどの国があったの?」
「うーん、正式に『国家』として認められていたのは、百九十数ヵ国だったかな」
「そんなに……」
周りと揉めているせいで『国家』を名乗っても認められていない曖昧な地域や、人口が少なくて自治があるとは言い難く、国家として見るには難しい地域もある為、実際は遥かに多いんだろうけど。つまり私は私の「世界」を語るほど、全てを知らない。
「住んでた国は勿論、私が行った国はどれも平和で、危険や戦いの欠片も無い場所だったからなぁ、この世界の仕組みは本当に、馴染みが無いよ」
「へぇ〜」
魔物はおろか、野犬の一匹も私は見たことが無い。っていうか武器を持った人間も普通は居ないよな。
「本当に、全く違う世界なんだね……」
ラターシャが噛み締めるように言うのを聞いて、私も心の中で噛み締めていた。
別の世界になんて来たくなかった。家族や友人と離れたくなかった。その想いは私の中から消しようが無くて、未だに王様達を心憎く思っている。だけど。
「私がこの世界に来なかったら、ラタは多分、十六歳を迎えなかった」
食事の手を止めて少し視線を落としていたラターシャがハッと息を呑んで私の方へ視線を向けた。私は視線には応えずに、チキンをまた一口大に切り分けていた。
きっと彼女は、私が辿り着かなければあのまま死んでいた。あの瞬間を生き延びたとしても、間もなく死んでしまっただろう。今日に至るまで、ひと月以上もの間、あんな状況で彼女が生き延びたとは考えにくい。
自分がこの世界に呼ばれたことに意味なんて付けたくはない。それは受け入れてしまうことだから。でも、ちょっとくらいの『良いとこ探し』は構わないだろう。私がこの先も生きて行く為に、その程度の譲歩は必要なんだろうと思うようになっている。
「今は、もうそれでいいよ」
「……アキラ、ちゃん」
手元だけ見ていたから気付かなかった。私の名を呟くラターシャの声が震えていてぎょっとする。私が顔を上げたのと、ラターシャの目から大粒の涙が一滴落ちたのは同時だった。
「あーあ、泣かした〜」
「えっ、ちょっと、何、ラタ、えっ!? 私のせい!?」
一体どうしてこの流れでラターシャが泣いてしまうのかが分からなくて焦ってしまい、すぐに掛けるべき言葉が出てこない。え、どうしよう。まずはハンカチだよな。慌てて取り出したハンカチを向かいに座るラターシャへと差し出しながら「どうして」と問うが、彼女は涙声で「ごめん」「ちがう」とだけ言って多くを語ろうとしない。泣いてるから喋るのは無理かぁ。弱り果てて軽く助けを乞うようなつもりで三姉妹に目をやれば、ルーイはラターシャを心配そうに見つめていたものの、リコットとナディアは私に対して呆れた目を向けていた。何故。やっぱり私が悪いのか。
「ごめん、何か失言したっぽい……?」
何かは全く分からないんだけど。そう付け足しながらラターシャに謝罪すると、ラターシャはやっぱり、ハンカチで目元を押さえて首を振る。
「本当に、違うの、アキラちゃんが、悪いんじゃないから。……驚かせてごめんね」
ラターシャが向けてくれた笑顔に憂いは無かったし、そう告げてくれる言葉も『本当』だった。タイミング的に私が原因であることは間違いなさそうなんだけど、もう触れてほしくないのかラターシャは丁寧に私のハンカチを畳んで、食事を再開してしまう。ちょうど新しい料理も運ばれてきてしまった為、私も口を閉ざした。




