第25話_不穏
懸念したことは、もう、絵に描いたようにというか、想像以上の形で『案の定』起こった。
「ラタ。もうおしまい。駄目です、終わり」
「お願い、アキラちゃん、もうちょっとだけ」
「だーめ」
ラターシャはあれから二時間ぶっ通し、一分の休みも入れずに弓を引いていた。三十分ごとに止めたんだけど、身体に違和感は無いって言い張るから、そしてそれに嘘のタグが出なかったから見守り続けて、二時間が経ってしまった。これ以上は流石に駄目だ。今まで一度も弓を引いたことがなかった子がこんなに根を詰めて練習したら、絶対に身体を壊す。本人が疲れを自覚しているかなんて関係ない。身体に触れたら、肩や背中は既に筋肉が張っていた。
「軽く回復魔法は掛けておくけど、しっかり柔軟して、横になりなさい」
「……はい」
「ほら。もう。指もちょっと擦れて赤くなってるじゃん。回復」
もう少し放置していたら豆ができて血が出ていたかもしれない。夢中になったらのめり込むタイプだな、この子。それだけ弓が気に入ったのは良いことだけど、限度を覚えてもらわないと、目が離せないな。
珍しく叱り付けたせいか、それとも弓を取り上げて私の収納空間に仕舞い込んだせいか、柔軟を終えたラターシャはしょんぼりと落ち込んだ様子でベッドに寝そべる。私はその脇に腰掛けて、出来る限り優しく頭を撫でた。
「目を閉じて、ラタ。身体はそのままに、頭の中で沢山、反復するんだよ」
私が言う通りに、ラターシャが目を閉じる。そのまま私は手で彼女の目元を覆った。
「上手く出来たところは、何処が良かったか。上手くいかなかったところは、何が悪くて、どうしたら上手くできるか。次に弓を触る時に、たった一度も無駄に引くことが無いように」
人の体力には限度がある。時間がどれだけあり余っていても、その全てを使えない。だから早く上達したいのなら、練習の質を上げるしかないのだ。私の言うことを理解したのか、ラターシャは少し弱く「うん」と返事をした。そのまま、私は彼女から離れて机に戻る。ラターシャは素直にイメージを繰り返しているのか、目を閉じたままじっとしていた。時々、指先がぴくりと動いている。
ま、でもあれだけ身体を使ったんだから、すぐ寝るだろ。
そう思った通り、ラターシャは十数分後には寝息を立てていた。可愛いなぁもう本当に。
「とりあえず、私が居ない間は弓を取り上げておくしかないなぁ」
基本は良い子のラターシャだけど、手が掛かるところもあるらしい。年相応な部分を見付けた気がして、私は少しだけ嬉しくなって笑った。
「身体どう? 痛い?」
あの後三時間ほどぐっすり眠っていたラターシャに、食堂で夕飯を取りながら、軽く問い掛ける。
「……ちょっと」
「あー、結構、痛いんだね」
はっきりと表示された『嘘』のタグに笑えば、私の能力を失念していたらしいラターシャも笑いながら項垂れていた。
「少し回復魔法を掛けてもそれだから、普通ならもっと痛んでるよ。今回は我慢だね」
「うん……反省してる」
私の魔力の高さなら、強めの回復魔法を掛ければ今ラターシャを苛んでいる筋肉痛も消えるだろう。ただ、筋肉の成長を促す意味ではその対応は良くない。魔法で治してしまった場合、細胞はほとんど成長しないのだ。どちらかと言えば『無かったことになる』というのが近い。なので、痛いのは可哀想と思うものの、あれだけ頑張ったラターシャの成果を丸ごと取り除くことは止めておいた。流石に動けなくなると可哀想だから、ちょっとだけ治癒したけども。
「明日はお昼までのんびりして、午後は少しお散歩に行こうか」
「お散歩?」
「魔物の乱獲とも言うけど」
「どうしてそれをそんなに穏やかな言葉に言い換えるの?」
不安そうな顔をしているラターシャへ、私は言葉通りに穏やかな笑みで応じておく。私からすればそんなに変わらないよ。ちょっと歩いてたら魔物が出てきて、ドーン、バーンってしたら素材が落ちるから、それを拾うだけ。私が居る限り、ラターシャが身体を痛めていたって何の問題も無い。赤ん坊を抱いていても大丈夫なくらい安全な散歩だよ。という説明をしたらラターシャに「怖い」って言われた。えっ何が?
「はい、お待ちどうさん。……お嬢さんはよく食べるなぁ」
「ごはん美味しいからねー」
今日も白ごはんと共に色々頼んでもりもり食べていたら、宿のご主人に笑われた。ラターシャも笑ってるけど、君ももっと食べて早く回復するんだよ。また勝手にお皿へお肉を放り込んでおく。
「ところで食事中に悪いんだが……今朝ね、街の最南端辺りで、人が死んでいるのが見付かったんだとさ」
「へえ。殺し?」
単刀直入に聞き返す私に、ご主人の方が一瞬、たじろいでいた。そして周りを気にした後、小さく首を振ると、声を更に落として小声で続ける。
「いや、外傷らしいものは無かったみたいだ。ただ、薬物中毒じゃないかって話が上がってる」
「なるほど……そりゃ穏やかじゃないねぇ」
殺人や傷害が街中で起こっても嫌だが、その場合は犯人が捕まれば脅威が無くなる可能性が高い。しかし、薬物は話が別だ。一人で作った薬を一人で使っていたケースがどれだけあるのだろう。多くの場合、買う人間が居て、売る人間が居る。既に見えない『市場』が作られてしまっているのであれば、脅威はそう簡単には消えないだろう。
きっとご主人にもそんなことは分かっているはずだ。重苦しい溜息を零す。
「全くだよ。俺はもうこの街に住んで長いんだが、こんなことは初めてだ。お嬢さんら、外出時はくれぐれも気を付けてな」
「うん、いつもありがとう」
運が悪ければ、不審者に絡まれる程度では済まないかもしれない。怪しいところで売っているものは、例え果物でも買わない方が良さそうだな。私が居る限りは、タグで成分を確認できるけれど、問題は。
「ラタ、私が一緒じゃない時は、食べ物と飲み物には気を付けて」
「うん」
賢い子だから、どういう意味かすぐに理解したのだろう。やや怯えた様子で頷いている。
「……『善政』、中々見せてくれないねぇ。王様?」
此処まで来ると、逆に城へ一回戻って殴るのも、ありな気がしてきた。




