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意固地なOLは夢を見ない

作者: 木村カナメ

お立ち寄り頂き誠に感謝ですm(_ _)m‬

 私と彼は月に一度だけ会う。どんなに密に連絡を取り合っていても、顔を突き合わせるのは決まって月に一度きり。それが私と彼との約束だった。


 今日会う場所は都内の私たちがいつも行っているレストランだ。つい先日知ったことだがこのレストラン、過去にはテレビにも取り上げられたこともあるそれなりに有名な場所らしい。とはいえ正直私の興味は注がれない。今日という日の私は「彼に会う」ということにしか、もっと言えば「彼」という人間にしか興味を注がないのだ。


 でもそんな事を常々続けるわけにはいかない。当然ながら平時は(どこか彼の事は考えていても)私の中で彼が思考の大半を占めることはまずない。だと言うのに今は彼のことしか考えることができなくなっている。



「はあ、馬鹿みたい」



 鏡に映る女に小さな罵倒のプレゼントをする。すると女は自分自身を嘲るように、しかし自分自身を酷く可愛がるようにその言葉を受け取っていた。そうして少しも経たないうちに、鏡の中で辛気臭い顔を浮かべて女が言った。



「いつまでそんな格好をしているの?」



 言われた私は無言で二度目のシャワーを浴びるために脱衣所へ足を向かわせた。普段は一日に二度もシャワーを浴びることなんてないのだが、今日は何となく浴びたい気分だった。

 

 温かな奔流に身も心も流されながら、私は私のことを思う。生まれてから今に至るまで本当に色々なことがあったなあ、などと感傷に浸ったりした。


 二度目のシャワーを終えてリビングに戻る。比較的手短に済ませたつもりだったが、時計を見れば四十分が経過していた。

 待ち合わせの時間にはまだ余裕があるものの、彼より先に到着して出迎えてあげたいなどと言う淡い思いから、私は素早く着替えを済ませ、メイクに取り掛かった。

 これが出社前なら億劫極まりないが、今日だけは――彼と会うこの日だけは――それすらも最高の時間に変わる。シャワーを浴びる前には見られなかったが、彼との約束の時間が近付くのを感じて、ほんの少しだが口角が上がっていた。


 やがてメイクを済ませた私は、必死に表情を取り繕いながらタクシーを止めた。行き先を伝えると運転手は静かに「かしこまりました」と、その一言を残して運転を開始し、黙り込んだ。この手の運転手はとても好ましい。ベラベラと世間話を持ちかけてくる類の運転手より、静かな方が少なくとも私は良い。

 そうして目的地に着くまでの空虚な時間を使って、私は会社での出来事を、半ば無意識的に思い返していた。

 上司からの数々のハラスメントに耐え、同期の愚痴の捌け口になり、書類の山と格闘しながら方々に笑顔を振りまく日々。はあ、思い出さなければよかった、などと後悔の念が浮かび上がる。だがしかし、こんな日々を送る哀れな女が、唯一「春原(すのはら)結衣(ゆい)」に戻れる日。それが今日という日、彼と会う日なのだ。



「どうもありがとう」



 目的地に到着し、代金を支払ってタクシーを降りる。



「あ」


「あ」



 どちらからでもなく驚きが口から漏れ出た。どうやら彼も考えていたことは同じようだった。



「待ち合わせの時間より三十分も早いですよ、結衣さん」



 少しいじけたような、優しい声音で彼――篠宮(しのみや)冬馬(とうま)――は言った。



「そういう冬馬こそ、普段は時間ぴったりに来るのに、どうしたの?」


「それは、あの」


「ど、う、し、た、の?」



 冬馬の声、冬馬の態度、冬馬の顔、その全てが私を意地悪な女へと変化させる。



「その、結衣さんに会いたい気持ちが抑えられなくて、少し早く来ちゃいました」



 とびきりの恥じらいを持って答える冬馬。その顔を見ると、この一ヶ月間に起こった嫌な事なんて何もかも吹き飛んでしまう。



「はあ。恥ずかしい。結衣さんは意地悪です」



 冬馬は今にも火を吹きそうなほど顔を真っ赤にした。そしてそれを払拭するかの如く言う。


 

「ちょっと早いですけど、ディナーにしませんか?」



 しっかりと私の目を見て、そして私の手を取って聞いてくる。



「ふふっ……もう答えは分かってるんでしょ?」



 そう返すと冬馬は私を店へと(いざな)った。


 店内は相変わらずとても落ち着いた雰囲気で、しかし賑わいは皆無だった。客は私と冬馬の二人きりで、店内を見渡しても、やっぱり誰もいないようだった。


「まさか、貸し切ったの?」



 私がそう尋ねると冬馬も驚いた表情を浮かべて否定した。どうやら私たちは運が良かったようだ。


 席について程なくすると料理が運ばれてきた。冬馬の前にはトマトクリームパスタ、私の前にはムール貝のジェノベーゼパスタが運ばれた。共に食欲を刺激する匂いだった。やがてどちらからでもなくカトラリーを手に取り、少し早めの夕食が始まった。


 一ヶ月振りの冬馬とのディナーはやはり楽しい。互いに笑顔とまではいかなくとも、常に微笑みを浮かべながら料理を口に運んでいる。しかしながら時折手を止め、この一ヶ月間何があっただとか、はたまた取り留めもない話をしたりして笑い合った。

 

 こうやって冬馬と過ごす時間はとても短く感じる。見ればもう既に食後のデザートが運ばれてきていた。とても可愛らしい苺のババロアだった。


 スプーンを手にすると自然と談笑が静まって、店内には私と冬馬の食器の音だけが響いていた。


 甘く柔らかな、季節を感じさせる食感に舌鼓を打つこと約三分、私は無意識のうちに彼の食べる姿に魅入られていた。華奢な手で、まるで女の子のように食事をする姿は本当に可愛らしい。彼の手が口と料理とを往復する様子は無限に眺めていられる。

 だがしかし、当然ながら無限なんてものはなく、ゆったりとはいえ確実にババロアを食べ進めていた冬馬のお皿は、もう既に真っ白だった。

 


「ふう、美味しかった。ごちそうさまでした」



 手を合わせて冬馬が言った。私はババロアの三分のニを食べ終えたところだった。

 彼の方が食事を早く食べ終えるのはいつものことだ。待たせる私はその残りをゆっくりと口に運びながら、これからどうするかを話し合った。



「分かりました。それじゃあ僕、お手洗いに行ってきますね」



 おそらく私がババロアを食べ終えたのを見計っていたのだろう。最後の一口を運ぶ途中で冬馬はそう言って席を立った。


 彼の後ろ姿を見つめた私は、何故か彼と出会ったときのことを思い出していた。彼との出会いは今までの誰よりも鮮烈で、愉快だった。



 ――その日はやたらと雨が強く、しかし夏の終わりを感じさせる涼しい日だった。

 じっとりと、そしてもったりとした、どこか質量を感じさせる空気の中、私は新宿の路地裏にある小さな雑貨店内を物色していた。そこは、当時新卒一年目で早速仕事に忙殺され、加えて上司から理不尽の数々を申し付けられていた私の唯一の癒しの場だった。何気なく入店した際、意匠の凝った品々に目を奪われ、以来すっかり私のお気に入りの場所だ。


 冬馬と出会った日は貴重な休日を自宅での休息に充てるか、雑貨屋を物色するかの二択で、その日の私は後者を選び、特に何も考えず店内をウロウロしていたところだった。私がネックレスを覗き込んでいると、後ろから彼に声をかけられた。ここまでは至って普通のナンパだ。いつもの私ならここで軽くあしらって終わりなのだが、彼は「僕にナンパされてくれませんか」なんて言ってきた。あまりにも唐突な告白だったため私はその場で吹き出してしまった。私の知る限りナンパをしてくる者は皆等しく自分自身にどこか自信を持っていたが、冬馬は違った。当時の彼は自分自身を卑下し切っていて、捕食者を前にした小動物の様な怯えた目をしていた。


 私はこの時、彼に得も言われぬ興奮を感じた。ナンパをしに来たこの少年の態度は漫然としていて、その奥底が見えなかったからだろう。俗っぽい言い方をすれば、私は彼の事をもっと知りたくなったのだ。だから私は彼の誘いに乗ることにした。そうして連れて来られたのが今いるレストランだ。


 初めてここへ入って食事をした時、彼の視線は常に外へと向けられていた。私はそれが不思議で仕方なかった。そのうえ何かを恐れるような態度を取っていたため、いったい何事かと思い、化粧道具をまとめたポーチから手鏡を取り出し、その反射を利用して外を見てみた。するとそこには嫌らしい笑みを浮かべる男性が二人。恰好から察するに大学生だろう。ニタニタとこちらを見ていた。

 彼らの下卑た笑みを確認した私は、彼がいじめを受けているのではないかと疑った。そしてそのことを彼に問い詰めると、時折あの男たちを擁護するような言葉遣いをしたものの、これは十中八九いじめられていると確信し得るものだった。


 堪らず私は彼の手を取って店を飛び出し、タクシーを呼び止め新宿へと向かい、そのまま彼と体を重ねた。冬馬は案の定女性経験が無かったが、正直そんなことはどうでもよかった。特に溜まっていたわけではないが、日々の鬱憤を晴らすが如く、また彼の不安を消し飛ばすように激しく交わった。当時の私はさながら獣だった。

 今になって思い返せば立派な犯罪だが、冬馬はそのことを意に介さず、あまつさえ私に感謝すらしてきたのだった(冬馬とはホテルを出る際に連絡先を交換していた)。なんでも、私と一夜を共にした後、あの男たちに絡まれることがなくなり、とても安定して過ごせているのだとか。

 

 以来、私と冬馬は一か月に一度だけ会うようになった。いつからこうなったのかは分からないが自然とこうなった。そして今日で彼と私が会うのは三十回目になる。ここまで関係が長続きしているのも不思議なものだとつくづく思ってしまう。

 私は一月(ひとつき)働いて、彼は一月(ひとつき)勉学を全うし、月にたった一度だけ顔を突き合わせて食事をし、愛を交わして互いの住処へと戻る。あるいは、必要以上に時間をかけて食事をして、少し手短に愛を交わして別れる。食事だけで満ち足りてしまうこともあれば、愛を交わすことだけに溺れてしまう日もある。まあ、どちらにせよ満ち足りていることに変わりはないのだが。

 


「戻りました」


「ん、おかえりなさい。それじゃあ今日も予定通りに行きましょ」


「……はいっ」



 やや緊張気味の冬馬。彼との約束で支払いは分けることにしているため、別々に支払いを済ませて店を出た。この後は先ほど二人で話したが、ホテルへ向かうことになっている。レストランでそんな話をしていたのは褒められたものではないが、誰もいなかったのだから許されるはずだ。

 二人でタクシーに乗り、行き先を伝えたあと静かに手をつなぐ。仄かに伝わってくる熱がどんどん高まっているのを感じる。今夜はどんな夜になるのだろう。私の胸は期待でいっぱいになっていた。

読了感謝ですm(_ _)m‬

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― 新着の感想 ―
[良い点] この後の流れを期待させるエンディング、いいですねぇ。 [気になる点] 同じ単語の繰り返しを改善すると読みやすくなるかなと考えて4にさせていただきました。 例えば、 「彼とも出会いは・・・愉…
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